第二章 月夜の変奏

07.変奏せしめよ、黎明の蒼

 富裕者の多く住む南街区、と一口に言ってもピンからキリまで様々だ。この自治都市を発展させた有力者の家柄。生業を成功させた行商人。コツコツお金を貯め、念願の豪邸を手に入れた市井の人々。


 それらをひっくるめた全てが、真っ当な手段で成り上がった者達とは限らない。そうであれば、世に『怪盗』と呼ばれる者達のお仕事はもっと少なくなっているはずだ。


 この街が長年かけて自治都市として成長していく影で、それに乗じて暴利を貪り続けてきた暗部。事あるごとにカネをちらつかせ、下品に笑う成金達。彼らの近くを歩くだけで金銀銅貨の音がしゃなりと聞こえない日は無く、居座る御殿は壁が札束で出来ているなどと下衆なウワサが立つほどだ。下を見れば病気の治療さえ満足に受けられない者が存在する、それを憂う良識など到底持ちあわせていない。


 良くも悪くも、金とは力。それをよく知る、手癖の悪い少女がここにも二人。


「投資で一発当てた金持ちさんねぇ。金持ちってデカい家住むの好きだよな。メイドさん達、掃除大変そうだぜ」

「メイド服かぁ。ルチアも一回着てみたいんだよねぇ……じゃなくて! お姉ちゃん、そういうセリフは自分も四角い部屋をきちんと四角く掃けるようになってから言ってね?」

「ウチの姫様は潔癖だな。ほら、清すぎる海にも魚は住めんって言うだろうが」

「あーなーたーは人間でしょうが、に・ん・げ・ん」


 ほんのり欠けた銀の月が昇る夜。フレッタとルチアは『南』の一角で機を窺っていた。周囲に人影は一切ない。昼間はあれほど満ち満ちていた陽気が嘘のように、辺りは別世界じみた冷たい静謐の中。点々と立ち並ぶガス灯から身を隠すのは元より、降り注ぐ月光さえ避けるよう物陰に潜み、その存在感を闇の中へと溶かしている。

 とはいえ、緊張感とは無縁だった。


「風向きは悪くないな。風の澄んだ夜は上手くいくって相場が決まってる」

「お姉ちゃん、最終確認。お姉ちゃんは目標永久の白雪ビアンカネーヴェの奪取後、テラス方面からダルトリーア通り二番地を抜けて、サッカの獣皮屋の裏手でルチアと合流。こちらの合図は街灯に白布。危険の場合は赤」

「赤の場合は、アップリル美術館の西館脇を迂回すること」

「その通り。大丈夫だよ、安心してお仕事してきてね」


 盗んでそれで終わりならば苦労はない。帰り道のフォローという用心を任せられるのは、パートナーである妹を置いて他にいない。実行役と支援役、言うなれば、この仕事を行うのは二人で一人。

 フレッタはよくデキた妹の頭をうりうりと撫でてやり、暗闇の中で白い歯を見せて笑った。いよいよ本番という時には心が高ぶり、どういうわけか、いつも以上に妹を可愛がってやりたくなる。


「頼りにしてるぜ、妹よ。それじゃ、始めよう」


 フレッタは右手首の蒼い石を嵌めたブレスレットに左手を添え、スゥッと両眼を閉じる。聖なる儀式のように、その動作は一切よどみ無い。

 そして、優しくも勇ましい声音で唱えた。


詠えLet's play黎明の蒼azzurrite――変奏variation!」


 ブレスレットから、蒼色の淡い光が放たれた。封入された特殊な術式により放たれる星命力アリアの発光。フレッタの周囲だけが、地に星屑の滑るごとく煌めきゆく。

 着衣がひらひらとはためき、弾けるように消え去る――線の露わになった生まれたままの姿が一瞬にして光のヴェールに包まれ、可憐なラインを影絵のように映し出す。


 光は幾重にも折り重なり、新たな衣服を形成していく。


 膝丈のスカートを伴った流麗な黒衣を成し、凹凸ある上半身からしなやかに伸びた脚部までをも包み、両の指先から肘にかけて薄手のロンググローブへと姿を変える。

 さながら見えざる十指が光の絹糸を織り紡ぐように、布地をふわりとはためかせる。黒を基調としつつ細部に清冽な藍の流線が走り、黒衣を彩るように装飾していく。

 最後の仕上げとばかりに二条の蒼光が髪をそよがせ、蜜柑色オレンジのロングヘアーが桃色がかった金ストロベリィ・ブロンドのツインテールに結わえられた。完成した黒衣に対し、明色へ転じる薄金――そのコントラストが、彼女をより神秘的な存在へと変身させる。


 ――その名を、舞盗ぶとうのウィンディア。

 静寂の月明かりけぶる夜に、その姿は舞い降りた。


「……よし。今日も余裕で決めちゃうぞ、っと!」


 一瞬にして姿を変えたフレッタは、傍らにそびえる二階建ての建物の屋上まで、一気に跳躍した。普段とは比べ物にならないほど、全身に力がみなぎっている。

 彼女が所有する星命器物ミュステリオンのブレスレット、黎明の蒼アッジュリーテによる変身は、著しく身体能力を強化する。魔法のウィップと合わせれば、もはや彼女に翔べない場所は無い。


 体の調子もすこぶる良好だった。

 屋上で軽く屈伸して準備運動を終えると、下界から見上げる妹へ手を振る。


「そんじゃ行ってくる。絶対に帰ってくるよ」

「気をつけて。絶対に帰ってきてね」


 下手を打てば最後になるかもしれない言葉。『仕事』の前には何を置いても必ず交わすことに決めている、再会の約束だ。

 その会話を皮切りに、怪盗は夜闇へ身を躍らせた。

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