04.都市をかける少女
「いよっ、とぉ!」
フレッタは店の入口から勢い良く飛び出すと、キャスケット帽をきゅっとかぶり直した。驚いた幾人かの通行人に向けて「ごめんなさい」の手振りにウィンクを添え、元気に街並を駆け出していく。
南へ昇りつつある太陽が燦々と照りつけ、行く道先々にひだまりを形作っている。少女の足音は軽やかに拍子を刻み、ぴんぴんハネた癖っ毛のロングヘアーが合わせて踊るよう風に吹かれて揺れていた。
老若男女、すれ違う人々は様々だ。井戸端会議に花を咲かせるご婦人達の噂話が耳をかすめ、ヴィラ・アマレット通りに美味しい麺料理の専門店が出来たと知る。昼からの店支度を始める見知った男達と軽く手を振り合い、その脇をするりと抜ける。向こうからジョギングしてくる軽装の少女は見知った顔、お互い挨拶代わりに笑顔でハイタッチを交わしてすれ違う。
肩に掛けたレザーバッグの重みも、走りを邪魔するほどではない。快調、快調と気を緩めていると、
「にゃあッ!」
「おっと、ごめん! ……あ、おいしそう。キミやるね!」
足元を行く気ままな三毛猫を危うく踏んづけそうになった。きっと西の漁港から失敬してきたのだろう、一尾の青魚をくわえていた。潮の残り香を纏って道行く身軽さ、熟練の海の漢達からおこぼれをくすねる腕前――あたしも見習わないとね、とフレッタは頬が緩んだ。
風と一体になると嫌なことを忘れられる。何も考えずベッドでまどろんでいるのはもちろん至福の時で、しかし爽快な日常に触れながら走る心地良さもまた格別だ。とても天秤にかけられるものではなかった。気持ちも大きな胸も弾ませながら、少女は駆ける。
途中、その疾走を呼び止める声。
「よ、フレッタ! 配達か?」
「おはよ! あぁ、今日も快走日和だ!」
色とりどりの野菜が満載された荷車を運ぶ、四人の少年達の野次に足を止める。この界隈に軒を連ねる各店へ卸しに回っている、よく見知った連中だった。当然、フレッタが『自主トレ』を兼ねて行っている配達サービスのことも分かっている。
「あ、かぼちゃ! そっか、もうそんな季節だよなぁ。だんだん暑くなってきたしね」
「こっそり二割引きで売ってやろうか? その代わり――」
「おっと。冗談よしなよ、このどすけべ。野菜で釣ってナンパはないでしょ」
べー、と舌を出してフレッタはけらけら笑った。図星を突かれた少年は押し黙り、周りの仲間達にもいいようにからかわれる。美味しいかぼちゃのためなら食事一回くらい付き合ってもいいのだが、もしバレたら彼は雇い主からの減給と鉄拳制裁を免れ得ない。それはちょっと気の毒だ。
より年上の少年が歩み出て、律儀に仲間の非礼を詫びた。
「悪いな。でもさ、オレ達だって朝から仕事でちょっと疲れてるんだ。癒しが欲しいわけだよ」
「えぇ? 懲りないねぇホント。しょうがないな」
こういう手合は躊躇すればしただけ恥をかく、勢いが大事と知っていた。どうせただのおふざけだ。
ニィッと不敵に微笑み、右手の平で軽めに口を覆うと、ウィンクと共に少年達へちゅっとおどけた仕草で手の平を向ける。
冗談交じりの投げキッスを、少年達は笑って囃し立てた。
「ノリいいじゃねーか、さすがフレッタ!」
「今日もいい感じに揺らしてんな。いやー、ありがたやありがたや」
「はっ、どうせママのおっぱいしか触ったことないくせに。クダまいてないで、キミらもさっさと仕事に戻りなよ!」
「おう、お前もな!」
互いに手を振り合って別れる。やり取りはともかく、まるで男友達同士のような気の置けなさだ。
品の無い冗談を飛ばし合うのも、気のいい連中が相手であればこそ。加えて機嫌が良くなければ、普通はこんなこと絶対にやらない。乙女の純情は二割引きで量り売りできるようなものではないのだ。
(調子乗りおってまぁ。今日のお天道さまに感謝するがいいさ)
無言のイヤミを投げつけ、ゼラニウムの甘い香り漂う花屋横丁の階段を二段飛ばしで走り抜ける。
道を塞ぐ人だかりがあったとて、わざわざ迂回することはない。左右に並び立つ家屋の縁や鎧戸やバルコニー、突き出たパイプに提げ看板。それら些細な取っ掛かりを引っ掴んでは足場に跳躍、垂直の壁面さえ三角飛びに走り抜け、彼らの頭上など飛び越えてしまえばいい。屋根の上だって彼女にかかれば一つの道。たった一人のサーカスだ。
「すげぇや、ありゃ何のパフォーマンスだい?」
「危ない危ない。いつかケガするぞ」
「いいなぁ、あたしもあんな飛んだり跳ねたりしてみたい!」
走って、止まって、回って、飛んで、跳ねて――疾走という一つの目的に特化した我流高速移動術は、道行く多くの者達の視線を奪う。好奇の目で注目されるのも面白いもので、時には仕事そっちのけでもっと凄技をキメてやろうかなどという、下世話な根性も湧いて出るのだった。広場で興行する旅芸人達が舌を巻くのを横目に突っ切った時など、格別の快感だった。
パカパカ小気味良い音を立てる郵便馬車、ポッポと白い煙を吐く蒸気荷車も輸送には便利だろう。しかし人間には速度制限なんて不自由な法は無い。ゆったり決まった道を強いられる彼らなど、彼女の相手にもなりはしない。
(えーっと、目的地は……ん?)
ペースを緩めて道筋を確認しようとした時、右方に並び立つ民家と民家の間の裏路地が目に止まる。大人が二人すれ違える程度の狭さ。まだ通った覚えがない、うらぶれた隘路だった。
何と無しにそちらへ身を滑らせる。不快なほこりっぽさに満ち、人通りなど全く無い。それもそのはず、そこから先は、彼女の背丈を上回る鉄柵で遮られた袋小路だった。登れないことは無さそうだが、狭い道では助走がつけにくい。
(イケるな、これは)
しかし人目の無いことがむしろ好都合。
彼女はあえて身一つで跳ぼうとはせず、ニヤリと笑って右手に意識を集中――天と地と、人の心に満ちるエネルギー『
風切る音と共に素早く光のウィップを振るうと、先端が右の家屋の上部に据えられた格子戸に引っ付く。
それを、力いっぱいグイと引っ張った。
「たぁっ!」
ウィップが収縮するパワーは彼女を引っ張り上げて余りある。目標へ向け一気に縮むウィップの勢いに乗せて地面から跳躍、さらに家屋の側壁を蹴りつけて鮮やかな三角飛び、いとも容易く柵を飛び越える。
野良猫さながらに着地を決め、そのまま反対側の大通りへ躍り出た。周囲を見渡すと、どうやら予定していたルートよりもだいぶ近道であったらしいことに気が付く。
「ショートカット、開拓。夜にも使えるかもね」
路地に振り返り、新たな発見に胸が弾む。仮に地図で見ていたとしても、こうして自分の足で実際に辿らなければ、なかなか頭には入らないものだ。
伸縮自在の光のウィップを操り、接地可能なあらゆる面を勇壮に駆け抜ける。いかに優れた身体能力でも人外の機動は不可能だが、それを補って余りある力。彼女を重力知らずのつむじ風へと変え、縦横無尽に大地へ空へと跳び抜けさせる。この移動力こそ彼女がこの街で持つ、盗賊としての唯一無二の強みだった。
人知れぬアクロバットを成し得る力――魔法。そんな稀少な力を持つことを、
(さて、もうすぐだ。お昼までには着かなくちゃな)
いったん動きを止めると疲労を感じてしまう。彼女は小さく頷いてから、すぐそこまで迫った目的地に向け、最後のひとっ走りへと繰り出した。
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