03.パステルカラーのメロディ

 木製の棚という棚を埋め尽くす、動植物を模した愛らしい雑貨の数々。小物入れに描かれた燕尾服姿のクマがほほえみ、黄色ミモザ華やぐブローチがあでやかに誘う。愉快な童話の世界のような雑貨ショップを淡く優しい音色パステルメロディと名付けたのは、鮮やかな蜜柑色の髪の姉妹だった。

 そんな世界にも、できればあまり来てほしくないないなぁという者もいる。閑古鳥、というやつだ。


「夜闇に鮮やかなる大立ち回り、【舞盗ぶとうのウィンディア】再び犯行か!? ……一昨日のことが、いよいよ記事か。デイリー・トッカータ、なかなかお目が高い」


 朝食を済ませたフレッタは、髪を後ろで小さく結わえたハーフアップに整え、一階最奥の店員用カウンター席に座っていた。姉妹二人で経営する小規模な雑貨売場が、正面入口まで一望できる。つまるところ、来客が誰一人いないこともまた一目瞭然だ。

 それをいいことに、日刊タブロイド紙を読みながら、気ままにコーヒーを飲む自由があった。ルチアものんびりと、少し離れた位置でキッチン雑貨の棚を確認しつつ、手元の帳簿に目を通していた。

 お買い物日和な青空模様に反して、今日の出足は控えめと見える。


「お姉ちゃんも名前が売れてきたってことでしょ。ルチアも妹として鼻が高いのなんの」

「いいや、まだまだこれからさ。こんなマイナー地方紙の豆粒サイズの記事で満足なんて出来るもんか」


 【軽業師のごとく、風と共に舞い盗む怪盗・ウィンディア】――どこかの記者が付けてくれた二つ名を、今では通名として拝借している。しかし宝物庫をまるまるカラにするほどの大怪盗もいる昨今、サファイア一個盗んだ程度では、取り立てて話題にもならない。実際、一昨晩のターゲットの成金卿とて、他にも山ほどのお宝があると公言している。

 そのサファイアとて、すでに一通り愛でた後。今は知る人ぞ知る流通ルートに乗って、どこか遠くの街に流れていることだろう。


「豆粒はさすがに言い過ぎだよ。ほらほら~、もっと自信持って!」


 上を目指さんと燃える姉を、ルチアは心から応援した。丸まって眠るネコを模したカトラリー置きを、一個二個の代わりに、にゃー、にゃーと声を上げて数えている。相変わらずの少女趣味。そのデレデレ顔で接客はしないでほしいと、フレッタは複雑な心境になった。

 そんなルチアがハッとした表情に変わった。時期限定の、仮装グッズの仮面を置いた棚を前に振り返る。


「そうだ、お姉ちゃん。建都記念祭まわりの商品だけど、残りの予約分は来週の入荷で最後だよね。この調子で店頭分もハケれば、お祭り前日までに去年の倍は売上ありそう」

「あぁ、ここ数日ずっと売れてるし、去年よりずっと調子良いよな。母さんデザインの今年のオーナメント、すっごくかわいいし。商品カタログ眺めてるだけでワクワクするよ」

「去年かぁ。お母さんに手伝ってもらったとはいえ、勝手わかんなくて赤字スレスレだったよねぇ」


 帳簿に落としていたルチアの視線がジロリと刺さり、フレッタは目を逸らした。


「あはは……だって天才デザイナー様の新作だぜ? 仕入れりゃそれだけ売れると思うじゃんよ」

「こまごました物ばっか仕入れて売っても肝心の粗利が出ない、ってのがよく分かったよねー。いくらお母さんのツテで原価率低めに出来るったって、あれじゃ意味無いよ」

「だってちっちゃいの、かわいかったし……」

「はいはい。お祭りまであと二週間だよ? 今年は最後まで気を抜かず、しっかりがっつり儲けちゃうもんね」


 店の責任者たるオーナーは彼女達の母親だが、年のころ十五・六も過ぎれば独り立ちの術を模索するのがこの世の習い。そのための基礎と一人暮らしのノウハウを娘達に仕込み、母は遠くからサポートしつつ見守っている。そんな姉妹の二人暮らしも、かれこれ一年と半年。気鋭の雑貨デザイナーである母の商品を一部ブランド化、専売する店舗としてアピールし、小規模ながらファンも付く程度の売上をコツコツ維持していた。

 そうした生活で分かったのは、どうやら、経営の才覚は妹に分があるらしいということだった。


「頼りにしてるよ。……ん? あぁー。屋敷から呪痕症患者と思われる男の身柄を確保、だとさ。あの人、やっぱ不法雇用だったんだな」


 フレッタの記事を追う目が細められ、口調も沈んだトーンに変わる。途端に、店内を満たす陽気に冷やりとしたものが混じった。


「……お金、だよね。呪痕の治療もタダじゃない、マトモな働き口にもありつけないとくれば、使い捨て上等の用心棒でもやるしかないと」

「ふん、人の弱みに付け込みやがって。欲しい物は何でも自分の物になると思ってる。金持ちのくせに、まだ下々から絞りとる気かっての」


 フレッタの両手に力がこもり、タブロイド紙の両端がくしゃりと歪む。その険しい面持ちから、先ほどまでのだらしないねぼすけ娘を連想できようものか。


 呪痕症患者に対し、排他的感情を持つ者は少なくない。発症者特有の精神的倒錯という危険性を考えれば、無理もない話ではある。フレッタとて、つい先日その被害を受けたばかりだ。

 一方で、発症の見返りに発現するという不可思議な能力【魔法】――尋常ならざる膂力、怪我の治癒、人為的な発炎、その他色々――を得た彼らを、金で釣って小狡こずるく利用しようという悪党も後を絶たない。これも理解できない話ではなかった。自分もであればこそ。

 静かに激する姉を見据えながら、ルチアは少しため息をついてから、ほのかに口角の端を上げた。


「お姉ちゃん、ここで怒っても仕方ないよ。ほらほら~、すまいる、すまいる」

「……あぁ、そうだな。パステルメロディの美人姉妹は笑顔がウリってな」


 接客の基本に立ち返り、二人はいたずらっぽく笑いあった。お客様が入ってきた途端に目にするのが鬼の形相では、あまりにも申し訳ない。


「あ、そういやヨーグルト買ってあるんだった。取ってこよ」


 一通り目ぼしい記事を読み終え、フレッタは椅子から腰を浮かせた。

 それを待っていましたとばかりに、ルチアはどこからともなく、小瓶をサッと取り出して見せる。


「ふっふっふ、コレをご所望ですね?」

「お、ありがとー妹よ。待った、そこ立ってて」


 まったく怖いくらい気の利く妹だ、とフレッタは感心した。

 同時に彼女は意識を集中する。右手の周囲に、ぽうっとぼやけた薄桃色の燐光が灯り、淡く輝き出す。不定形な靄じみたそれは、フレッタが心で意識する通りに、細長い姿へと形作られていく。

 そのイメージは伸縮自在、縦横無尽に虚空を打つウィップ

 心象に描く軌跡は現実となる。フレッタが手首をスナップさせると、薄桃色の光の鞭は手元からルチアの持つヨーグルトの小瓶へ向けてヒュンッと打たれ、その先端がカップに引っかかるように包み込んだ。

 その取っ掛かりの一瞬、素早く手首を反す。反動で鞭のしなるがままに小瓶はしばし宙を舞い、スポッと彼女の手元へと落ちてくるのだった。


「ナイスキャッチ! う~ん、さっすが気鋭の魔法少女。それだけカッコ良かったら女の子だって惚れ惚れしちゃう」

「気色悪いこと言ってないで、スプーンもよこしなさい」

「せっかくの魔法をこんなくだらないことに使っちゃう、そんな横着者のお姉ちゃんもルチアは好きだよ」

「悪かったね、無駄遣い姉ちゃんで」


 同じ手順でスプーンも手元に引き寄せる。『魔法』というと大層な力のようだが、使っている本人からしてみれば、感覚的には手足を伸ばすのと大差ない。

 姉のちょっとした勇姿に、ルチアはニコニコとご満悦。そのまま再び売品のチェック作業に戻った彼女を尻目に、フレッタは「やれやれ」とヨーグルトをのんびり食べ始めた。

 ふいに壁掛け時計へと目を向ける。正午まで、あと三時間ほどある。


「二時間くらいしたら出るから、あとはよろしくな」

「はーい、任されまして」


 姉妹二人きりの時間は続く。

 こんなのんびりした朝も、悪くない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る