第一章 怪盗の姉妹

02.姉と妹の朝

 西方に、青く澄みわたる大海原を臨む港街――シティ・アルムジカに、朝食時を告げるようなウミドリ達の鳴き声がこだまする。彼らが俯瞰するのは、舗装された石畳の通りを行き交う人々、乳白色の石材と紅茶色のレンガ造りの家屋が数多く目を引く、優麗なコントラストの街並だ。


 その一角に、こじんまりとした二階建て店舗が建っていた。小さくも可愛らしい外観は、まるで強がって背伸びをする少女のようだ。入口脇には立看板。そこに子供がクレヨンで描いた風な丸っこい字体で、こう記してある――【雑貨ショップ パステルメロディ】と。


「フレッタお姉ちゃん、朝ですよ。ほらほら、起きなさ~い」

「……ルチアよ。朝のまどろみは人間が味わうことを神々に許された最っ高の贅沢の一つだ。あぁ、今のあたしは程良く生温なまぬるいコーヒーの海を揺蕩たゆたうミルクの一滴ひとしずく……」


 その二階、女物の調度品が並んだ一室に、二人の少女の姿があった。片やベッドの上で気持ち良さそうに寝転がり、片やそれを見下ろしながら口をへの字に曲げている。


「はいはい、ミルクも寝かせっ放しじゃ腐る腐る。まったく、十八歳にもなって寝ぼすけさんなんだから」

「……いじわるおかっぱ娘」

「おかっぱ言わない! ボブカットです!」


 両の人差し指で自前の髪型を示し、ルチアと呼ばれた少女はぷんすかと憤慨した。

 布団をむんずと剥ぎ取るも、惰眠をむさぼる少女――フレッタへの効果は無い。彼女に早起きの効能を説くなど、ノラネコに星命法術論考なんか小難しい本を読み聞かせるようなものだ。かれこれ十六年の付き合いだ、ルチアもそのことは重々承知しているが、起こさないわけにもいかない。


 ベッド上の惨状たるや。フレッタは背中まで伸ばした蜜柑色の髪に寝癖をつけたまま、頑として動かない。寝姿のパジャマも大いに着崩れ、妹よりもたわわに育った両胸までこぼれ落ちそうなほどにだらしない。彼女に焦がれる者がいたとして、百年の恋も冷めかねない醜態である。


 ルチアは作戦変更とばかりに、思いっきりカーテンと窓を開け放った。部屋をいっぱいに満たす柔らかな陽の光が、フレッタの広く出したおでこにまで降り注ぐ。そよそよと吹き込む爽やかな風も心地良い。いかな低血圧が相手であれ、これ以上に優しい気付け薬は無いだろう。


「うーん、いい天気。見てお姉ちゃん、すっごい気持ちいい快晴だよ!」

「……あぁ。このまま全身バターみたいにトロけそうだ」

「さっきから何なの。その乳製品縛り」


 フレッタは半覚醒の眼で、窓から街並を見やった。アルムジカのシンボルたる歯車大時計塔が天を突かんとばかりにそびえ建ち、その脇を二人乗りの空蒸機リベルシップが軽やかに旋回して空の彼方へ消えていく。

 今日も今日とて、誰かがあの巨人のつまようじみたいな時計針を見上げながら、懐中時計のネジを巻き直しているのかもしれない。


「えーと、八時ちょうど。お姉ちゃん、三分ズレてるね」


 ルチアがそう言うならそうなんだろうと、フレッタはベッドでもぞもぞ。妹の左眼の視力は抜群だ。反面、眼帯に覆われた右眼には何も映っていないだろう。ヘ音記号をあしらった洒落たデザインは、それが一風変わったファッションアイテムであることを主張している。


 チラッと部屋に飾られた壁掛け時計を見上げる。なるほど、こちらが三分遅い。長年使っている時計なせいか、こうしてたびたびズレることがある。

 ともあれ時刻も区切り良く、いよいよフレッタには不利な状況。窓の外を見下ろせば、店先の通りを行き交い、馴染みに挨拶を交わし合う人々の姿がちらほらと見受けられることだろう。大抵の人間は起きていて然るべき朝の光景だ。


「こっちも大事なお仕事でしょうに。ほらほら~、ルチア特製のおいしい朝ごはんが用意してあったりして」

「……」


 ルチアは幼気ながらも姉とは裏腹に、白いフリルブラウスとココア色のフレアスカートを履きこなし、朝の身支度はカンペキ。なおも健気に姉をゆさゆさ揺すり、ほっぺをむにむにしたり、おでこをぺちぺちしたりする。

 これではどっちが歳上か、分かったものではない。


「もう、いい加減――」

「ほいよ」

「わ、わぁっ」


 いよいよルチアがしびれを切らした瞬間、フレッタは彼女をおもむろに引っ張り倒した。ぼふっ、とくぐもった音と共に、姉妹そろってふかふかなシーツの感触に包まれる。

 決して広くはないベッドの上。並んで眠るようには出来ていない。密着する身体。鼻と鼻が触れそうな至近距離。交錯する視線――フレッタは呆気に取られる妹に目を細め、いたずらっぽく微笑んだ。


「ほら、ふかふかで気持ちいいだろ。たまにはお昼までこうしてるのも悪かないよ」


 艶めいた桃色の唇から漏れる、甘い切なさを帯びた囁き。顔を撫ぜる吐息にルチアは思わず身を震わせ、りんごみたいに真っ赤な顔でガバッと立ち上がった。


「ど、ど、堂々としてりゃ許されると思ったら大間違いです!」

「なんだツレないな。昔はよく自分からお姉ちゃんのベッドに潜り込んで来たってのに」

「いつの話なの! けだもの! ねぼすけドロボー! さっさと起きなさーい!!」


 外まで響き渡りそうな叫び声に呼応するように、掛け時計が八時ちょうどを示す。小窓から、仕掛けハトならぬ仕掛けウサギがぴょんと飛び出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る