05.ダークスーツの男

 アルムジカ南部を横断し西海へ注ぐミスノー川、その以南区域には小奇麗な邸宅が立ち並んでいる。

 その一角にフレッタは小包を届け終え、着払い報酬を受け取った。足元を見て値切ろうとする輩もいるのだが、金持ち喧嘩せずということか、今回のお相手は実に気前の良い支払いだった。


 実のところ、人力の配達サービスは「一応やってるよ」程度のもので、利用する客は滅多にいない。だからこそ、配達に動けるのがフレッタ一人でも成り立っている。

 生活費の足しはあくまで二の次。身体を鍛えるトレーニングと、己の足で街路をよく覚えるという実益の方が大きい。どちらも、夜に行うもう一つの【仕事】に備えてのことだ。


(いい感じにあったまった。こりゃー美味しくご飯が食べられそうだ)


 心地良い疲労感が全身に回る中、気の抜けたお腹が空腹を告げる。ほぼぴったり正午に鳴る腹時計は、部屋の掛け時計よりよほど正確らしい。

 ちょっぴり決まり悪い顔をしながら辺りを見回すと、見計らったように近付いて来る栗毛の男が目に止まった。


「よう、フレッタ。今日はこっちに配達か?」

「ジュネロさん、奇遇ですね。その通り、今日は中々の額ですよ。いやー、お金持ちの依頼って珍しいからありがたい話で」

「そいつは結構。まぁそうだな、仕事でもなきゃ、お前が金持ちどもの住むアベニューから歩いてくるわけがないな」

「あら、イヤミですこと」


 彫りの深い顔立ちに薄い笑みを浮かべた男――ジュネロ・バルカを見上げ、子供っぽく笑い返すフレッタ。近付いてきた足運び一つ取っても、洗練された物腰がひと目で分かった。この界隈に住む紳士と言われても疑う者はいないだろう。

 そんなスマートな男が配達中の雑貨屋の少女にいきなり声をかけたところで、気に留める者もいなかった。

 と、フレッタのお腹が再び鳴った。もう待ちきれないよ、とでも言うように。


「そうだ、ちょうど良かった。もうこんな時間だし、あたし、お昼ごはんが食べたくてですね」

「俺も野暮用を済ませたところでな、小腹が空いたとこだ。今日は儲かったんだろ、おごってくれよ」

「それ本気で言ってます? いい歳して~。ね、ね、おじさまのおくぶか~い懐に期待しちゃったりして」


 フレッタはわざとらしく身をよじらせ、キラキラつぶらなツリ目でジュネロを見上げる。扇情的に誘うような上目遣い、さりげなく二の腕で挟み込んで強調する豊かな胸の双丘――しかしそこは年長者、彼は無言でおでこに軽いチョップを見舞った。


「いったぁー。暴力反対なんですけど」

「往来で誤解されるようなことすんな。お前は大した用も無いだろうが、俺は仕事でけっこう来るんだからな、この辺」

「ルチアといい、なんで皆しておでこ狙うかなー」

「お前のデコは何か見てるとそうしたくなるんだよ」


 何じゃそりゃと、ぶーたれるフレッタを軽くあしらい、ジュネロは辺りを見渡した。

 質の良い生地で仕立てたダークスーツを纏った彼の姿は、決して羽振りの悪い風には見えない。もちろん、十歳以上も歳下の少女に本気でタカるはずもなかった。


「ん、そこの軽食カフェでいいな。……ちょっと話があるんだ、ちょうどいい」


 言うだけ言って返答を聞くことなく、彼は通りに面したカフェへと足を運んだ。知人な小娘の前で気取るのも億劫になったか、先ほどまでとは打って変わって、ぶっきらぼうな足取り。長身で足も長いせいか、歩幅は大きい。

 やりぃと嬉しげに拳を握り、フレッタも黒い後ろ姿を追いかけた。






 暗いブラウンを基調とした調度品に彩られた、シックな内装の店だった。明かり取りから漏れる爽やかな日差しが、店内を森の隠れ家じみた上品な按配に保っている。庶民街の喧騒を忘れさせる落ち着いた味わいに、フレッタは入ってすぐ顔をほころばせた。

 先客は一人もいない。「お好きな席へどうぞ」と、壮年の店主マスターがにこやかに勧めてくる。どちらから切り出すでもなく、二人は店内が隅まで見渡せる窓際の一番カドの席を選んだ。


「ハーブトマトの魚介パスタ、お願いします」

「俺はフィッシュサンド。それとエスプレッソコーヒー」


 サッと注文を済ませて、二人はしばし雑談に興じる。ジュネロと出会うたびに、まずは近況報告をするのが常だった。

 ややあって、ほぼ同時に注文の品が届く。早くも美味をはらんだ香りに食欲が刺激され、お互いの思考が切り替わった。


「……それじゃ、始めましょ。お仕事のハナシ」


 彼女はニヤリと微笑むと、パスタをフォークでくるくると弄ぶ。

 ジュネロも厚みのあるフィッシュサンドをひとくち噛じり、咀嚼しながら頷いた。


「直接お前達んとこまで出向くつもりだったんだが、手間が省けたよ。あとでルチアにも伝えとけ」

「了解です」


 あむ、と一口食べたところで、幾分かフレッタの表情も真剣になる。普段であれば、トマトの程良い甘みと魚介の控えめな塩加減が絡んだ味わいを賞賛するところだが、そんな雑念は全く排されていた。口だけもぐもぐ動かしながら、視線で先を促す。


「依頼主はヴィヴィアーニ星命科学研究所の研究員、ゼビアノ・ラフォレーゼ氏だ。主に星命力と生態系の関わりについて研究している。先日までは、研究所の主導でミューズ鉱山での地質調査を行っていたらしい」

「……ミューズ鉱山」


 フレッタはオウム返しに呟き、お冷に伸ばしかけた手を止めた。


「お前も知っての通り、あの山は高密度の星命力の循環ポイント。なんせアリア・クォーツの採掘場もあるくらいだ、さぞかし白衣どもには興味深い場所なんだろう」


 自分自身は少しも興味無さそうに述べる。最新型蒸気機関の核に使用する原石など、喜ぶのは技師か学者くらいのものだ。

 フレッタが息を呑むと同時、彼は勿体ぶるように不敵な笑みを浮かべ、さらなる言葉を継ぐ。


「で。その発掘中に見つかったのが、世にも珍しい【溶けない雪】だ。触れど熱せど一切溶けることはなく、美しく純粋な白雪って代物らしい」


 雪。

 フレッタは予想だにしていなかった単語に首を傾げつつも、ほうほうと腑に落ちない様子で頷いてみせる。

 美麗な宝石でも、筆致を極めた絵画でもなく。実物を凌駕する精巧な彫刻でも、この世の真理を説く古文書でもない。水が変じた自然現象の産物など、価値ある存在として認識したことすらなかった。


「クライアントは、それを【永久の白雪ビアンカネーヴェ】と名付けたそうだ」


 この栗毛の男が『仕事』の話で冗談を言うとも思えない。そうなると、その雪とは――


「ミュステリオンですか?」


 右手首に着けた、青い石の嵌ったブレスレットを否が応でも意識する。

 星命力の影響で変質した異常器物ミュステリオンならば、その不可思議性は納得できる。一口に言っても種類は様々だが、物によっては莫大な高値がつく代物だ。厄介なことに、その数字の多寡は往々にして危険性と比例する。


「詳細に調べない限りは断言できんが、その可能性が高いそうだ。星命力アリアってヤツは何でもアリだな」


 そこまで言って、ジュネロはコーヒーを一口。わずかに眉根をしかめてカップを置き、そこへテーブルに据えられていた小瓶からブラックペッパーをサッサと振った。

 うぇーと渋い顔をして、フレッタは食事の手を止める。チラとカウンターの方へ目を向けると、店主マスターは蒸気式エスプレッソマシンの手入れに夢中の様子。見られて困ることでもあるまいに、なんとなくホッとした。

 よほど優雅な味わいとなったのか、再度の一口を楽しむジュネロの表情は穏やかだった。


「研究ってやつも随分とカネが掛かるんだ。コツコツ成果が出てりゃ市庁から援助金が出るんだが、これがまたシブい。だから学者どもは個人的にパトロンを探してる。ヴィヴィアーニ研が組んだのは、街の投資家としちゃヤリ手のカーディナーレ卿だ」

「やっぱり南か。いつだって必要なのは、先立つものってわけですね」


 ほっぺにトマトソースをつけたまま、フレッタは真顔で世知辛い世の中を憂いた。

 シティ・アルムジカにおける【南】という言葉は、単なる方角とは別の意味合いを併せ持つ。富裕者達の大勢住まう地域――すなわち、持てる者。そこに侮蔑的なニュアンスを滲ませる者も少なくない。


「そうイヤな顔すんな。あと顔拭け。……で、本来の契約上、研究所は自分らの研究材料として【雪】を持ち帰る手はずだったらしい。そこをだ、業突く張りの卿はただ珍しいってだけで、ろくな話し合いの場も無くそいつを独り占めしちまったって話さ。カネと私欲で強引にかすめ取るやり口が、いけ好かれるわけもねぇ」


 そこで喫茶店のドアが開き、小気味良いベル音が来客を知らせる。品の良い身なりをした、初老の夫婦と思しき二人連れは、フレッタ達を一瞥して少し離れた席に向かった。

 ジュネロの目がつぶさに細められ、老夫婦の動向を窺う。ややあって視線をフレッタに戻すと、少しだけ声のトーンを落とし、告げる。


「――だから、【雪】を盗んで奪い返してほしいそうだ」

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