第8話『桃田陽菜』
午後五時。
俺、エリュ、直見は桃田を連れて家に帰ってきた。意識を失っている桃田を背負っていたが、エリュや直見が側にいてくれたので変な目で見られることはなかった。
リビングに布団を敷いて桃田を寝かせる。
「まずは一人、無事に洗脳を解くことができたな」
「そうですね、結弦さん」
浄化作業も終わったので、エリュは帰る途中に昼モードに戻っていた。
「桃田さんはやはり、結弦さんに振られたことによる心の傷を上手く利用されてしまったみたいですね」
「ああ、そうだな……」
きっと、黄海や灰塚も同じ経緯でリーベ・ウォーレンに洗脳されたと思う。
「他にもいっぱい、魔女に洗脳されちゃった人がいるのかな……」
「今のところ、洗脳されているのは黄海さんと灰塚さんだけだと思います」
「そっか。でも、椎原君に告白を断られた女の子はまだまだいるからね……」
直見の言う通り、告白を断られた女子は何人かいる。今もリーベは誰かを洗脳して、新たな戦力を得ている可能性はある。
「新たに洗脳されてしまった人がいるかどうかは私が逐一確認することにします」
「ああ、頼む。あと、エリュに訊きたいことがあるんだけど」
「なんでしょうか?」
「藍川に入り込んでいるリーベ・ウォーレンっていう魔女についてだ。桃田がその名前を出したとき、エリュの顔が青ざめていた。それが気になって」
「私も気になったよ。エリュちゃん、どうしたんだろうって」
直見も気付いていたか。あの時のエリュはあからさまに動揺していたからな。
今も、エリュは浮かない表情を見せていた。
「……リーベ・ウォーレンは直近の戦争で直接戦った魔女の一人です」
「た、戦ったってどういうことなの? エリュちゃん」
そうか、吸血界と魔女界の戦争については話してなかったんだっけ。
「エリュのいる吸血界と、リーベ…ウォーレンのいる魔女界は何度も戦争をしているらしい。吸血界は一度も負けたこともないんだけど、最後の戦争では危うく負けてしまうところだったそうだ。そこで、魔女界は人間界にやってきて、人間を自分達の味方にして、吸血界を征服しようとしているらしい」
「……そうだったんだ。じゃあ、洗脳したっていうのも……」
「魔女側の一員にするため、ってことだ」
だが、桃田の話だと、リーベの目的は人間界の征服ではなく、俺の排除を第一にしているようだった。入り込まれた藍川の影響なのかもしれないけど。
まさか、リーベと面識があったとは。昨日、俺が復讐宣言をしたときに戦いが起きなくて良かったよ。
「エリュが動揺しているってことは、リーベは相当強い魔女なのか?」
「力はそこまで強くありません。ただ、心理的な魔法に長けている魔女です。戦争って負の感情のぶつけ合いじゃないですか。吸血鬼は人間ほど洗脳されにくいですが、力の弱い吸血鬼ですと簡単に洗脳されてしまうんです」
吸血鬼も人間と同じく感情は持っているからな。負の感情を持っていれば、魔女にとっては洗脳する対象になるってことか。
「実力では私の方が上回っていたのですが、リーベは私の味方を次々と洗脳してしまったんです。だから、私は……」
「……味方を攻撃せざるを得なかったってことか」
俺がそう言うと、エリュは涙ぐみながら頷いた。
洗脳された吸血鬼に攻撃されようとしたら、自分の身を守るためにその吸血鬼を攻撃しなければならない。魔女にとっては吸血鬼を自分の味方にすることも出来るし、同士討ちをさせる方向にも持って行けるので、まさに一石二鳥だ。心を乗っ取られるというのは、それほどに恐ろしいことなんだな。
「洗脳された味方には私の知り合いも含まれていました」
「そうか……」
「負の感情は魔女にとって一番の餌です。入り込まれた藍川さんの心次第では、リーベ本人の実力を大きく伸ばすことになります。そうなると、かなり手強い存在になるんです」
「実力もあれば、心理的にも操れるからか……」
「だからこそ、まずは魔女に洗脳されている人を助けることを考えたんです」
もちろん、それは数的な意味もあるだろうけど、他にも洗脳された人を傷つけたくないのだろう。
「うんっ……」
桃田のそんな喘ぎ声が聞こえたので様子を見てみると、彼女の目がうっすらと開いていた。意識を取り戻したのか。
「ここは……」
「陽菜ちゃん! 良かった……」
「その声は真緒ちゃん? うわっ!」
直見は目を覚ました桃田のことを抱きしめる。直見があまりにも嬉しそうなので、桃田もちょっと戸惑っている。
「く、苦しいよぉ……」
「……あっ、ごめんね」
「ううん、気にしないで。ここって真緒ちゃんのお家なの?」
「いや、俺の家だ」
「ふえっ! し、椎原君……」
桃田は俺の顔を見るや否や、頬を染めて俺から視線を逸らしてしまう。どうやら、この状況が分からないようでおどおどしている。
「ど、どうして私、椎原君のお家にいるの? 確か、真緒ちゃんと二人きりで行きたいところがあるって言われて、近道しようとしたら迷っちゃって。ま、まさか真緒ちゃんの行きたい場所って椎原君のお家だったの?」
「ううん。本当は行きたい場所なんてどこにもなかったの。ただ、陽菜ちゃんの洗脳を解くために誘い出しただけ。ごめんね」
「せん、のう……?」
やっぱり、桃田は今の状況がさっぱり、という感じだな。
「そういえば、洗脳されていたときの記憶も幾らか残っているんだな」
「考え方が魔女の思い通りになるだけで、あとは自発的に動いているからです。だから、洗脳を解いた後も記憶が残っているのでしょう」
なるほど、桃田の意識を乗っ取られていたわけではないから、洗脳されていた時の記憶も残っているわけか。それなら、洗脳されたときの話も聞けるな。
「桃田、色々と訊きたいことがあるんだけど、いいかな?」
「う、うん……いいよ」
「桃田は俺に告白してくれたよな。それで、俺に告白を断られた後……藍川が桃田に、いつもと違う感じで話しかけてこなかったか?」
「うん、椎原君に断られた翌日かな」
きっと、その時に桃田は藍川に入り込んだリーベ・ウォーレンに洗脳されたんだな。
「そうか。あと、俺に告白を断られたことで、俺を……虐めようとは思ったか?」
「そんなこと、全然考えなかったよ」
桃田は首を横に振って強く否定した。
「……でも、翌日に結衣ちゃんに言われたの。椎原君は告白されても、振って心を傷つくことが楽しい人だって。そうしたら、急に椎原君のことが悪く見えてきちゃって。そんなことないって思っていたんだけど、段々とそう思えなくなって……」
「きっと、桃田はそうやってリーベに洗脳されたんだな」
「そうですね。洗脳を行う典型的なやり方です。心の傷につけ込む……」
俺に告白を断られたことの印象を悪くし、負の感情を膨らませたところで、リーベは桃田を洗脳していったのか。
「あの、さ……椎原君や隣にいる女の子も、さっきから洗脳って言っているけど、何かあったの?」
「ああ。信じられないと思うが、実は藍川の中に魔女が入り込んでいるんだ。それで、俺の横にいるこいつはエリュ・H・メランっていう吸血鬼なんだよ」
「ふえええっ!」
桃田は目を見開きながら叫んだ。ふえええっ、と言ってしまうところが彼女のふんわりとした雰囲気を象徴しているようだった。
「桃田は藍川に入り込んでいる魔女についさっきまで洗脳されていたんだよ。それをエリュが解いてくれたんだ」
「そうだったの。そういえば、椎原君に壁にどん、ってされて……そうしたら、首を噛まれたような。椎原君が噛んだんだって思ったけど、エリュちゃん……だったんだね」
「ああ、そうだ。エリュの唾液を流し込むことで、桃田の血を浄化したんだ」
つうか、俺は女性の首筋を噛むような趣味はないぞ。まあ、壁ドンをしてしまったから、そう思ってしまうのは仕方ないけど。
「まあ、私は椎原君でも良かったんだけど……なんて、ね」
「あはは……」
ほんわかとしている割にとんでもないことを言ってくれるじゃないか。というか、うっとりとした目つきで見られると、本気だと勘違いしてしまうぞ。その所為で、エリュと直見に半ば睨むような感じで見られているし。
「そういえば、椎原君が昨日……教室で復讐するとか言っていたよね。洗脳されていたからといっても、やっぱり復讐されるよね。記憶も朧気に残ってるから」
桃田の記憶は正しい。藍川に嫌がらせを受けているとき、彼女の後ろで笑っていた桃田を俺は覚えている。でも、
「……今の桃田に復讐する気はないさ」
俺は桃田の頭を優しく撫でる。
「どうして? 理由があっても、酷いことはしちゃったんだよ!」
「だって、本心でやったわけじゃないんだろ? だったら、洗脳が解けた桃田には復讐することなんてできない」
「椎原君……」
「……まあ、もし復讐するとしたら、それは桃田の洗脳を解くことだ。だって、洗脳された桃田が俺を虐めていたんだから」
虐めの元凶を消すことができたのだから、これ以上桃田に復讐という恰好で何かするつもりはない。
「それで納得してくれるかな、桃田」
「……そう言われちゃったら、納得するしかないよ」
桃田はやっと、彼女の持つ優しい笑みを俺達に見せてくれた。もう、完全にリーベの洗脳が解けただろう。
ということで、俺達は次のステップに踏み出さなければならない。
「次は黄海にかかっている洗脳を解く」
「……やっぱり、千尋ちゃんも私と同じだったんだ」
「やっぱり?」
何だ? このどこから来たのか分からない不穏な胸騒ぎは。
「千尋ちゃんも様子が違ったの。それって、私よりも前に結衣ちゃんに入り込んでいる魔女に洗脳されていたからなんだね」
「そう、なのか……」
記憶を辿ると、黄海は桃田よりも前に俺に告白していた。だから、桃田と同じ原因でリーベに洗脳されたのだとしたら、桃田より前であることは納得できる。
だけど、何なんだ? この違和感は。路地裏で、桃田がリーベに洗脳されたって話したところからずっと抱き続けているけど。
「椎原君、お願いがあります」
「……ん? どうしたんだよ、急にかしこまって」
「私、千尋ちゃんの洗脳を解く手伝いがしたいの」
桃田の真剣な表情、初めて見たぞ。それだけ友達想いってことか。それにしても、うちのクラスの女子は協力的な奴ばかりだな。
「もちろん、そのつもりだ。黄海に一番近づけるのは桃田だと思ってる」
「……そう言ってくれると嬉しい」
黄海と一番仲が良さそうなのは桃田であることは何となく分かっていた。桃田には、今日の直見のような役目を担ってもらうことになるだろう。
「陽菜さんが洗脳される前に黄海さんも洗脳されていたなんて。藍川さんは随分と前からリーベに入り込まれていたんですね」
「そうだな……」
ちょっと待てよ。
桃田が洗脳される前にはもう、黄海が洗脳されていた。ということは、黄海が俺に告白する前から藍川にはリーベが入り込んでいたことになる。
だけど、それはおかしい。おかしいんだ。
「どうしたんですか? 結弦さん」
「おかしいんだよ。エリュ」
「何が、ですか?」
「藍川にリーベが入り込んだ理由だよ。だって、藍川は桃田よりも後に告白してきたんだから」
そうだ、藍川は灰塚を含めた四人の中では最後に告白してきた。この告白の順番が俺の抱いた違和感の正体だったんだ。
藍川は俺に告白を断られた時に抱いた負の感情によって、リーベに入り込まれたと思っていた。だけど、実際には告白よりも前に入り込まれていた。
「じゃあ、結弦さんに告白したときには既にリーベに入り込まれていた状態だった……」
「ああ、そうなるとおかしい部分がある」
「おかしい部分?」
「桃田や黄海を洗脳する際に、告白を断られたことを理由にすることは筋が通っている。けれど、藍川の目的は何だっただろう? それは俺を排除することだ」
「あっ……!」
エリュもようやく分かってくれたようだ。
路地裏での桃田がリーベの目的を言ったとき、まるで自分も既に告白を断られたかのように言っていた。
「でも、その理由は藍川さん自身が告白を断られた後に言ったかもしれません! 陽菜さん、結弦さんを排除しようと、いつ言われたのか覚えていませんか?」
「告白した翌日に、椎原君は悪い人だから一緒に仕返ししようとは言われたよ。だけど、それは私を洗脳するための言葉だったかもしれないし……」
「そうですか……」
桃田の言うとおり、一緒に俺を排除しよう、という言葉は桃田を洗脳するために言ったことかもしれない。
だけど、四人の告白する順番によって、確実に言えることが一つだけあった。
「藍川は俺に告白を断られたこと以外の理由で、負の感情を抱えることになり、その所為でリーベに入り込まれた。それは絶対だ」
そう、俺達の知らない何か別の理由で、藍川は負の感情を抱えてしまったんだ。心理的な魔法を使うことに長けているのであれば、どの人間に入り込めばいいのかも分かるはずだ。ということは、藍川はリーベが入り込みたくなるような、相当強い負の感情を抱えていたことになる。俺に告白するよりも前に。
「私、自分が告白してから、結衣ちゃんが椎原君に告白したのを覚えてる」
「では、結弦さんの言うことが正しいようですね」
「それでも、まずは洗脳されている黄海と灰塚を助けるのが先だ」
「恵ちゃんも洗脳されてるの?」
「ああ、そうだ」
「そうなんだ。二人は幼なじみらしいし、恵ちゃんも椎原君に告白を断られたから、洗脳するにはうってつけなのかも……」
幼なじみの灰塚なら、藍川が心に傷を負った理由を知っているかもしれない。
「桃田さんも協力してくれますし、当初の予定通り、まずは黄海さんを助けましょう」
「そうだな、エリュ」
そして、桃田が加わった俺達四人は、黄海を助ける作戦を立て始めるのであった。
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