第7話『洗脳解除-Haruna Ver.-』

 4月23日、水曜日。

 午後四時、俺とエリュは学校近くの交差点で、直見と桃田が赤峰高校の校門から出てくるのを待っている。

 既に放課後になっており、部活に所属していない生徒を中心に続々と下校している。

 俺は自分の正体がばれないようにと、エリュのアドバイスにより私服を着て、伊達メガネをかけている。俺はこれでもばれそうな気がしてならないのだが。

 そして、エリュは力を溜めて夜モードのエリュになっている。これは万が一、洗脳された桃田が反撃したときの対策であり、唾液を注入して洗脳を解くだけなら、昼モードでも出来るそうだ。また、能力を溜めた状態なので、髪が赤くなっている。

「……ほら。結弦からもくっつきなさいよ」

 エリュはそんな催促を俺にしてくる。

「もう、十分にくっついているだろ」

 腕を絡ませているんだから、さ。その証拠にエリュの柔らかい何かが当たっているのがはっきりと分かるし。

「ああもう、まだこのくらいじゃ恋人同士に――」

「エリュ、二人が出てきたぞ」

 直見と桃田が赤峰高校の正門から出てきたのをこの目で確認する。楽しく会話しているところから見て、直見は上手く誘い出すことができたようだ。

「行くわよ、結弦」

「ああ」

 俺とエリュは互いに寄り添いながら、桃田に気付かれないように尾行を始める。

 昨日、エリュの考え出した作戦は、まず、直見が桃田に「二人きりで行きたい場所がある」と言って彼女を誘い出し、学校を出る。その様子を確認できたら、俺とエリュは恋人同士の振りをして桃田に気付かれないように尾行する。

 直見は人気のない路地裏まで連れて行く。桃田も怪しむかもしれないので、道に迷ったと言う。また、この言葉を合図にして俺とエリュが桃田のところに行き、洗脳の解除を行うという流れになっている。

 人気のない路地裏については、直見が豊栖市にずっと住んでいて土地鑑も豊富であるため、彼女に一任することにした。彼女曰く、ベストポジションがあるらしい。

「真緒さん、喫茶店に行きたいって誘っているのね……」

「えっ、そうなのか? 俺には全然聞こえないけど」

「吸血鬼は人間よりも聴覚が優れているから。特に女性の吸血鬼は戦闘型。不意を突かれないためにも、音には敏感になっているの」

 なるほどね、それじゃ十メートル前方での話し声なんてはっきり聞こえるわけだ。周りには結構人がいてざわざわしているので、俺には聞こえない。

「真緒さん、近道があるって言っているわね」

「きっと、今から人気のないところに連れて行くんだな」

 その証拠に、直見は桃田の手を引いて横道に入った。俺達もその後について行く。

 道を一本外れるだけで、人通りがぐっと減った。地元の人しか通らないような道で閑散としている。桃田に気付かれないよう、細心の注意を払わないといけない。

「ねえ、あんまり人がいないけど大丈夫なの?」

「大丈夫だよ。私、生まれてからずっと豊洲に住んでるから。私を信じて」

「それならいいけれど」

 静かになったため、俺にも二人の会話が聞こえる。桃田は心配そうにしているが、直見が上手に安心させている。地元って言葉を聞くと俺も安心できる。

「なあ、エリュ」

「なに?」

「……ここまで来て言うのは何だけど、俺達が尾行されている可能性はないのか?」

 それだけがずっと気がかりだった。尾行するのはいいけれど、俺達が藍川や洗脳された他の二人に尾行されていたらどうするんだと。エリュは力を溜めているので、魔女に気付かれてしまうんじゃないかと勝手に心配している。直見情報だと、藍川は所属するテニス部の活動があるようだが。

「大丈夫よ。あたしもそれを考慮して、逐一確認しているけれど、魔女や洗脳された人間が尾行している気配は全くないわ」

「そうか。だったらいいんだけど」

 エリュが不安げな表情を一つも見せることなく言ったので、安心した。

 引き続き、直見と桃田の後を尾行していき、十分くらい経ったときには殆ど人とすれ違うことのない道を歩いていた。

 やがて、二人が歩いていた道が行き止まりになってしまった。周りも雑居ビルなどの建物で囲まれているため、引き返すしか方法がない。

「行き止まりになっちゃったよぉ!」

「あれれ、ここが近道だったはずなんだけど。どこかで間違えちゃったのかな」

 多少棒読みになっているけど、桃田も泣きそうになっているし気づかれないだろう。

「もう、真緒ちゃんったら! 地元だから大丈夫じゃなかったの?」

「ごめんね。道、変わっちゃったのかも」

 あははっ、と直見は苦笑いをしながら、チラリと俺達の方を見た。どうやら、俺達の出番はそろそろのようだ。

「何か、迷っちゃったみたい……」

 直見の合図で、俺とエリュは桃田の方へ駆け出す。

 俺達の足音が聞こえたのか、桃田はこちらの方を見る。そして、俺達の姿を見るや否や、さっきまで泣いていた桃田の表情が驚きへと変わっていく。

「ま、まさかっ!」

「下手に動いちゃ駄目だって! こういうときこそ落ち着かないと!」

 ここから逃げようとする桃田の手を、直見がしっかりと掴む。

「真緒ちゃん、まさか……」

「……そのまさかだよ。でも、私の役割はここまで」

「後は俺達に任せてくれ」

 桃田のことを直見から委ねられ、俺は桃田の両肩を掴んで壁に追いやる。

「離してっ! 離さないと叫ぶわよ! んっ……!」

 桃田に騒がれると迷惑なので、桃田の口を押さえる。うううっ、物凄い罪悪感だ。すまないな、桃田。

 直見が路地裏に連れてきても、すぐには血の浄化をするつもりはない。まずは俺が桃田を拘束して、魔女のことなどを聞き出すことになっている。洗脳されているからこそ得られる情報があるとエリュが言っていた。また、エリュではなく俺の方が口を開いてくれるかもしれないという狙いもある。

「桃田、俺達は決してお前を傷つけるつもりはない。まあ、お前が反抗するようなら話は別だけど。今から、俺の質問に答えてもらおうか」

「んんんっ!」

 桃田は激しく首を横に振る。その度に彼女の甘い匂いが香ってくる。

「お前は藍川の入り込んでいる魔女に洗脳されたんだよな。その魔女って誰なんだ。知っているなら教えろ」

 桃田の口を押さえていた手を離すと、

「リーベ様のことを聞いてどうするつもり?」

「リーベ?」

 俺には分からないので、すぐにエリュの方を見る。

 だが、エリュはまずい、と言わんばかりの表情を浮かべていた。いつもの強気な雰囲気が全く感じられない。

「そのリーベって魔女、リーベ・ウォーレンじゃないでしょうね?」

「その通り! さすがは女性吸血鬼。そこら辺は分かってるじゃない」

「まさか……」

 エリュの顔が青ざめてしまう。今、桃田が言ったリーベ・ウォーレンっていう魔女が手強い相手なのだろうか?

「うふふっ、リーベ様にやられるのではないかと恐れをなしているのね」

「桃田! そのリーベって魔女は藍川に入り込んだんだろう! そいつに洗脳されたのなら、リーベが人間界に来て何を企んでいるのか知っているはずだ! 答えろ! エリュの言うとおり、吸血界を征服するために人間を……」

「さあね。そこら辺はよく分からないわ。でも……」

 桃田は俺のことを鋭い目つきで睨んでくる。普段のほんわかとした桃田からは考えられない光景だ。

「あなたのことを消す。それだけは確か」

「何だって……」

「だって、結衣ちゃんにも、千尋ちゃんにも、恵ちゃんにも、私にも……あなたは告白を振ったじゃない。人の心を傷つけるような人間は、排除して当然でしょう?」

「お前、池上と同じようなことを言うんだな……」

「たまたまよ。先にそう言ったのはリーベ様。リーベ様のそんな言葉で、私達はあなたを排除することに決めたんだから」

 おそらく、藍川に入り込んだ魔女リーベ・ウォーレンは桃田、黄海、灰塚が藍川と同じ負の感情を持っていることに気づいて、「自分の心を傷つけた俺を排除する」という共通の意識を持たせることで洗脳していったのだろう。そして、洗脳した三人を自分の思うように動かしているのか。

 人は時として、負の感情に身を任せてしまうことがある。魔女はその負の感情につけ込んで、人間を自分達の手中に収め、吸血鬼との戦争のときに利用しようとしているんだ。

「お前らの思い通りにはさせないぞ」

「何を言ってるの? 原因はあなたの方じゃない! あなたが告白を断るようなことをしなければ……!」

 洗脳されているのは分かっているが、桃田の口から言われているのは同じなので、結構堪えてしまう。桃田は俺に心を傷つけられた一人なのだから。

「ほら、黙っているってことはその自覚はあるってことでしょ? だったらこの手を――」

「……離すつもりないよ、俺は」

 ここで逃がしてしまえば、俺は虐めを受けて当然であると認めることになる。

 だが、受けて当然な虐めなんてない。そもそも、虐めなんて本来はあってはならないことなんだ。

 人は人である限り、全く同じ人なんていない。だから、どこかで他の人と歪みが生じてしまう。そこから虐めは生まれてしまうんだ。自分の方が正しい、強いってことを示したいから。

「……なあ、桃田。仮に俺を排除できたとして何を得られるんだ?」

「えっ?」

「お前は俺に不満があるから虐めたんだろ! だったら、俺をいじめ抜いた先にはその不満を満たす何かがあるはずだよな? それは何だって訊いているんだよ!」

「そ、それは……」

 桃田は初めて動揺した表情を見せた。もしかしたら、リーベに洗脳されずに残っていた桃田の本音の欠片が、洗脳された気持ちと必死に戦っているのかもしれない。

 虐めの先で何を得られるのか。間違いを犯した者を排除できたという名誉なのか。自分の正義で正しいと言えることなのか。はたまた、単なる快感なのか。

「言ってみろよ。俺を排除して何を得られるんだよ!」

 再度、強い口調で問いかけても、桃田の口は開くことはなかった。

「すぐに言えないってことは、リーベの言ったことが間違っている証拠だ」

「私は、リーベ様の……」

「リーベ様の下部だから、って言いたいのか? そんなことは関係ない。俺は、桃田に本音を話して欲しいんだよ」

 俺がそう言うと、桃田は抵抗する姿勢を一切見せなくなった。何も喋らず、ただ俯いているだけだ。もう、洗脳された状態では進展は期待できなそうだ。

「エリュ、血の浄化をしてくれないか。今の桃田から聞けることはもうないだろう」

「……そうね」

 さっきは青ざめていたエリュだったが、すっかりと顔色が元に戻っていた。

 エリュは桃田の前に立つと、彼女の首筋を舐め、

「浄化」

 舐めた部分を噛み、唾液を注入することで血の浄化を行う。

 エリュに噛まれた直後、桃田は苦しそうにしていたが……徐々に意識を失い、彼女の体重が俺にのし掛かってきた。

「血の浄化が完了したわ。これで洗脳が解けたし、再び洗脳されることもないわ。眠っているのは血を浄化したことで、意識を無くしているだけ」

「……そうか」

「とりあえず、結弦の家に連れて帰って、彼女を寝かせましょう。起きてからも訊きたいことがあるから。結弦、彼女を背負いなさい」

「分かったよ」

 俺は桃田を背負う。体重はそんなにないだろうが、意識を失っているためか随分と重く感じる。

 とりあえず、家に帰ったらエリュにリーベ・ウォーレンのことを訊きたい。リーベという名前が出た途端、エリュの顔色が変わったし。

 リーベ・ウォーレンの目的が俺を排除することなのも、あまり納得がいかない。それに、今の桃田の話を聞いていると何か違和感をあるんだよな。それが、納得のいかない理由なのかもしれない。

「それじゃ、ひとまず帰るとするか。直見も一緒に来てくれ」

「うん、分かった」

 俺達は洗脳が解かれた桃田と一緒に、家に帰るのであった。

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