第9話『リーベ・ウォーレン』
4月24日、木曜日。
午後三時三十分。俺とエリュは黄海を洗脳から解除するため、協力してくれる桃田とある場所で待ち合わせをすることになっており、今からそこに向かおうとしているところだ。
「そろそろ行くわよ、結弦」
「そうだな、エリュ」
昨日と同じく、万が一のことを考えてエリュは夜モードになっている。俺の血も十分に補給しているので準備万端だそうだ。
俺とエリュは家を出て、マンションのエントランスに向かう。
だが、エントランスには一番会ってはならない人物が待ち構えていた。
「どうも。椎原君に吸血鬼、さん」
「藍川……」
そう、制服姿の藍川だった。青髪のワンサイドアップですぐに分かった。彼女は爽やかな笑みを浮かべている。
「今は結衣の意識は眠っているわ。だから、今の私はリーベ・ウォーレン。まあ、吸血鬼のエリュ・H・メランは分かっていたみたいだけど」
「リーベ・ウォーレン……」
エリュはリーベが現れてから、ずっと目を鋭くさせてリーベのことを睨んでいる。
「何の用なの? わざわざ一人でここまで来て」
「あなたとは戦うつもりはないわよ。戦争での借りはいずれ返すつもりだけどね。今日はただ、挨拶に来ただけ」
「挨拶、ですって?」
「ええ、そうよ。久しぶりに、戦争で私を殺そうとしてくれたあなたの顔を見るつもりだったから。あと、陽菜への洗脳、見事に解いてくれたわね。あの子は必死にごまかしているつもりだったけど、私には分かっていた」
桃田には洗脳されたことがばれないように、学校では生活するように言っておいた。やっぱり、リーベにはばれていたか。直見もいるし、何かあったら逃げろって言ったんだけど、桃田は大丈夫なのだろうか。
「桃田に何かしたら俺は許さないぞ」
「別に何もしてないわよ、椎原君。洗脳が解けたからといって危害を加えるつもりはない。人間には何も憎悪感はないから」
「……そうか。だったらいいんだ」
黄海や灰塚も気付いているかどうかは心配だが、リーベが見逃しているから、万が一、気付かれていても桃田は大丈夫だろう。
「……って、近いな」
気付けば、リーベが俺のすぐ目の前に立っていた。リーベの吐息が俺の胸元にかかって少しくすぐったい。
「あなたを見ていると、胸がドキドキする。本当に結衣は今も椎原君のことが好きなのね。結衣に入り込んだ影響で、私もあなたのことが好きになっちゃった」
リーベは恍惚とした表情を見せる。
「俺は魔女と付き合う気は全くないぞ」
「魔女でも女には変わりないのよ?」
ふふふっ、とリーベは笑っている。
だが、エリュの言うとおりだ。魔女は入り込んだ人間に依存すると。藍川が俺のことが好きだから、リーベにもその気持ちが伝染しているようだ。
「つうか、お前が入り込んでから藍川は俺に告白してきたんだ。それを仕向けたのは、お前なんじゃないのか?」
「そうよ。結衣は恋愛絡みになるとちょっと奥手になるところがあるのよ」
「その言い方だと、まるで藍川と共存しているように聞こえるんだが」
「完全に乗っ取ることもできるけど、結衣は女の子だし……今は共存する形を取っているの。まあ、吸血鬼であるエリュ・H・メランと会うときみたいに、必要なときは結衣の意識を眠らせているけど。全ては結衣の合意の上でやってるわ」
藍川と合意の上で、リーベは藍川に入り込んだのか。意外だ。
「合意の上なんて信じられないわ。あなたはあたしたちの住む吸血世界を征服するための準備として、人間世界に侵攻してきたんでしょう! 人間を自分達の味方にするために、まずは藍川さんに入り込んで……」
「私はそんな一方的な理由で、人間に入り込まないわよ。吸血鬼は負の感情を持つ人間にしか入り込めない。負の感情を持っているってことは、入り込まれた人に心に傷が付いたきっっかけがあるってことなの」
「ということは、その心に傷が付いたきっかけを解決する、それを条件にして藍川の体に入り込んだってことか?」
「その通りよ。他の魔女は知らないけど、私はそうするわ」
「だったら教えてくれ。藍川はどんな理由で心に傷を負ったのかを」
リーベはやり手の魔女だ。ちっとやそっとの負の感情では入り込まないだろう。藍川に入り込んだのは、彼女に相当な負の感情があるからだ。そして、その原因は、今の藍川にも影響を与え続けているはずだ。
「……教えるつもりはないわ、椎原君」
「どうしてなんだ?」
「……あなたには関係ないからよ。あなたは踏み込んではいけない領域」
そう言って、リーベは両手を俺の頬に当てる。
「でも、あなたが私と付き合ってくれるなら、教えてあげても良いわよ? だって、そうなれば私の過去を知る権利が生まれるじゃない」
リーベは頬を赤くして、妖艶な目つきで俺のことを見つめてくる。彼女の目を見ていると引き込まれていきそうだ。
あれ、何だろう。急にリーベのことが可愛らしく見えてきた。顔も声もとても魅力的で、彼女の甘い匂いも――。
「結弦!」
と、エリュの叫び声が聞こえ、首筋を軽く噛まれたことで我に返る。
「エリュ、俺……」
「今、結弦がリーベと目を合わせてしまったせいで、リーベは結弦を自分の彼女にするって洗脳しようとしていたの。だから、あたしが首筋を噛んで、唾液をちょっと流し込んでおいたわ。危なかったわね」
「そうだったのか。ありがとう」
危うく、リーベに洗脳されるところだったのか。
エリュは俺をリーベから引き離す。
「ちっ」
悔しそうにリーベは舌打ちをしていた。これは、俺を恋人にさせるために本気で洗脳していたんだな。
でも、何だか……自然とリーベに気持ちを持っていかれる感覚があった。リーベの巧みな話術もそうだし、彼女の目を見つめていたら、自然と彼女に対する欲望のようなものが自然と湧き上がっていた。
おそらく、桃田、黄海、灰塚を洗脳するときも、今のような感じで自分の考えに頷かせるように自然と心を支配したのだろう。
「危うく洗脳されるところだったけど、俺は正しいことをしようとする味方だからね」
「……それが、教室で言った『間違った正義』でなければいいわね」
「……そうだな」
「これから、あなたたちは何をするつもり? 私が洗脳させた二人のどちらかを助けに行くのかしら?」
「そうだと言ったら、あなたは邪魔するつもりなの?」
「別にそんなことないわよ。ただ、深入りし過ぎると、痛い目に遭うだけだってことは忠告してあげるわ」
「それはどうも。でも、あたし達はやると決めたら、最後まで絶対にやり通すから。黄海さんと灰塚さんにかかった洗脳を解く。藍川さんを救う。そして、あなたを倒すわ。リーベ・ウォーレン」
エリュとリーベが睨み合っている。種族は違うけれど、同じ女性同士。やっぱり、女性同士の争いは恐ろしそうだというのが、今の光景だけでよく伝わってくる。
「……威勢の良いことが言えるのは、今のうちだけよ。私はいずれ、あなたを絶対に殺してやる。私の恨みを晴らすためにね。吸血界の征服? そんなこと、私にとってはどうでもいいのよ」
そう言って、リーベは立ち去っていった。
どうやら、リーベが人間界に来た目的は……人間の負の感情によるパワーを得て、エリュのことを殺害することのようだ。リーベの持つ恨みを晴らすために。その恨みはおそらく、エリュと直接戦った最近の戦争に関わることだろう。入り込んだのが合意の上ってことは、藍川はこのことを知っているのかな。
「……凄く強くなってた」
「えっ?」
「藍川さんに入り込んだことで、リーベの力が前よりもずっと大きくなってた。藍川さんは相当強い負の感情を抱えているのね……」
「……倒せそうか?」
「倒せるに……決まってるじゃない」
と言いながらも、エリュの脚が震えているのが見えた。必死に笑顔を作っていることも分かる。これは、実力的にはまずいのかもしれない。
俺は魔女とどんな形で戦えるのだろう。エリュを助けられるのだろう。すぐにはその答えは出なかった。ただ、
「一緒に立ち向かうって約束したよな。俺はエリュと一緒に、魔女に立ち向かうよ」
エリュの心をほんの少しでも軽くさせたかった。エリュの不安な気持ちを取り払いたかった。だから、俺はエリュの頭を優しく撫でる。
すると、エリュの脚の震えが止まった。
「……そうね。あたしには結弦や真緒さん、陽菜さんがいるものね……」
エリュはやんわりとした笑みを浮かべた。
「そろそろ桃田さんの所に行きましょう。待たせちゃ悪いから」
「ああ、そうだな」
黄海や灰塚の洗脳を解くことに関してはやれるものならやってみろ、という感じでリーベは邪魔してこないようだが、油断はできない。
桃田はちゃんと自分の役割を果たせているかな? 彼女のためにも早く待ち合わせ場所に向かわないと。
俺達は桃田との待ち合わせ場所に足早く向かうのであった。
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