第14話 風

 山の麓には何十人もの男たちが集まっていました。燃え尽きたまま立っている煤けた木を倒し、岩をどかし、どんどん土を掘りだしてトロッコに積んでいます。トロッコに積まれた土は、力自慢の女たちがゴロゴロと転がして行きます。南の湖まではそんなに距離はないので、この山に目を付けたのでしょう。


 彼らも必死です。早くあの汚れた湖を埋め立ててしまわないと、病気がどんどん広がって行ってしまうのです。街の人たちは休む間もなく働きました。


 そこへ。

 街の人たちが今まで感じたことも無いような生ぬるい風が吹いて来ました。


「なんだろう?」


 みんなが顔を上げると、誰も住んでいない筈の山の上から誰かが下りて来ました。真っ白なドレスの裾を翻して裸足で下りてくるその人を、みんなどこかで見たことがあるような気がして仕方がありません。


 暫く呆然と見ていると、誰かがぼそりと呟きました。


「ノスリ……さん?」

「あ、本当だ、ノスリさんだ」


 でも彼女はみんなの知っているノスリさんとは似ても似つかない人でした。

 いつもの綺麗な若草色の短いドレスは、寝間着のような白く長いドレスのままで、いつもきちんとリボンでまとめてある髪は、下ろしたまま風に吹かれています。どんな時でも絶やす事の無かった笑顔はどこにもなく、その目には癒えることの無い哀しみとやり場のない怒りがこもり、痛みすら感じないのか裸足の足は岩に擦れて血が滲んでいます。背中には小さな少年を背負っています。


「ノスリさん……どうしたんだ」


 彼女は一文字に引き結んだままの唇をようやく僅かに開きました。


「帰ってください」

「俺たちは病気の元になっている湖を埋め立て――」

「帰りなさい!」

「……そういう訳にはいかないんだ。みんなの生活がかかってる」

「ふざけないでちょうだい! あなたたちは今まで何をしてきたの? つまらない人間同士の争いごとの為に、この山の生き物は私を残してみんな死んでしまったのよ! あんなにたくさんいた私の友達をあなたたち人間は焼き殺したのよ! 南の湖だってそう、あんなに美しく澄んだ湖だったのに、あんなにたくさんの魚たちや水鳥たちが居たのに、綺麗な花や小さな虫たちも大勢いたのに、あなたたち人間がみんな殺してしまったのよ!」

「ノスリさん?」

「私はここで生きていくために、こうして人間に姿を変えて、自分の心に嘘をついてあなたたち人間の中で無理をしてたのよ。この子だってそう、生まれ育ったあの湖を追われて必死に生きてきた。誰だって一人じゃ生きられないのよ。だけどもう彼は限界なの、綺麗な水のあるところでないと生きられないの。それなのにあなたたちはもう一度、私たちから居場所を奪うつもりなの?」

「ノスリ、もういいよ」


 後ろで聞いていたイトヨくんがか細い声を出しました。


「僕はもうすぐ死んでしまうから、もういいよ」

「ダメです、イトヨくんは私の大事な友達です。最後の友達ですから!」

「僕はノスリに友達になって貰えて嬉しかったよ。だからもういいんだ。ノスリはこの街でこの人たちと生きて行かなくちゃ」

「この人たちを全部捨ててもイトヨくんと一緒に居ます」


 ノスリさんは背負っていた彼を下ろすと、胸の前に抱きました。


「死んじゃだめですよ、イトヨくん」


 街の人たちは心配そうに彼を覗きこんでいます。


「この子、医者に診せないと死んでしまうぞ」

「ムリだよ、僕は綺麗な水のあるところでないとどうせすぐに死ぬんだ。……医者なんか要らない。僕に必要なのは綺麗な水なんだ」


 イトヨくんはノスリさんをじっと見ています。


「ノスリ。綺麗な水のあるところに連れて行って」

「わかりました、いいですよ。行きましょう」


 街の人たちが驚く中、ノスリさんは人間の姿から元の姿に戻りました。猛禽類に戻ったノスリさんは、魚に戻ったイトヨくんを大きなあしでそっと掴み、茶色の大きな羽を広げてバサバサと飛び立ちました。


「ノスリさん……」


 街の人たちは、ただ驚いてその様子を見ていました。

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