第11話 湖

 ノスリさんがその湖に行くのは、本当に久しぶりでした。街よりも南に行く用事なんてめったに無いのですから。


 それでも湖の異常に気付くのにそう時間はかかりませんでした。なぜなら、街を少し外れた辺りから、既にその腐ったような臭いは漂って来ていたからです。


 この湖はこのあたりでは有名なくらい良く澄んだ美しい湖でした。珍しい魚が泳ぎ、滅多に見られない水草が生え、とてもきれいな花を咲かせていました。水鳥もたくさん住んでいて、水辺に巣をつくる動物たちもたくさんいたのです。


 でも今はどうでしょう。まだ湖に到着さえしていないのにこの腐臭です、生き物が住めるわけがありません。きっとこのあたりの生き物は全滅してしまったに違いありません。


「こっちも北の山と同じなんだ……」


 ノスリさんは胸が押しつぶされそうになりました。

 その時です。彼女の目に、見慣れた小さな背中が飛び込んで来たのです。


「イトヨくん!」


 彼女が名前を呼びながら駆けていくと、その小さな小さな背中はゆっくりとこちらを振り返りました。彼はそれまでなんとか気力だけで立っていたのでしょう。ノスリさんの姿を見ると、急に足の力が抜けて、ぺたんと座り込んでしまいました。


「ノスリ。僕の家が無くなるよ」

「山に戻りましょう。私と一緒に暮らしましょう」

「ノスリ、僕を一人にしないで」

「もちろんです。さあ、山に帰りましょう」

「ちがう。僕の帰るところは湖なんだ」

「じゃあ、帰るのはやめましょう。山に行きましょう。それならいいでしょう?」

「うん。山に……行く」


 ノスリさんはイトヨくんの手を引きました。


「大丈夫です。私が付いてます。これ以上イトヨくんに悲しい思いはさせません」


 イトヨくんはそれ以上は何も言いませんでした。黙って山に戻りました。

 この時からイトヨくんはだんだん弱って行きました。

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