第4話 名前
ノスリさんの家は、街の北側にある荒れ果てた山の頂にあります。元々ここにはこの山の王様が住んでいました。その王様が街の南側の湖のほとりにある国の王様と戦争をしてこの山が焼けてしまい、この古いお城だけが残ったのです。
ここに住んでいた動物たちも草や花や木たちも、全部焼けてしまいました。今ではお城しか残っていないのです。
ノスリさんは一人で本を読むのが好きでした。だからこのような荒れ果てた山の天辺の誰も来ないようなお城は、彼女にとってちょうどいい場所だったのです。本を読むのを誰にも邪魔されたくなかったノスリさんは、ここをとても気に入っていて、誰にも教えませんでした。
今日は特別です。あの少年を連れてこの険しい山道を登っているのです。彼女は少年がちゃんとついて来れるか何度もうかがいながら、山道を登ります。少年も何も言わず、黙ってついて来ます。
長いこと歩いてやっと山頂の古いお城に着いた少年は、そのお城を見て何故かとても哀しそうな顔をしました。でもその理由をノスリさんは見出すことができません。
「どうぞ、入ってくださいな」
ノスリさんは少年を中に案内し、いつも自分が座っている椅子の前にもう一つ椅子を置きました。
「これ……」
少年はそう言ったきり、壁をじっと見ています。そうです、ここの壁は全部本棚になっていて、たくさんの本で埋め尽くされているのです。
「私の友達ですよ。今お茶を淹れますね」
ノスリさんはお気に入りのお茶を淹れました。少年が気に入ってくれるのを願って。
「私の名前はノスリです。あなたを何と呼んだらいいですか?」
「……ヨ」
少年の声はとても小さく、聞き取れません。ノスリさんは待っています。もう一度言ってくれるのを。
「……イトヨ」
「イトヨくんですか?」
「うん」
「そうですか。イトヨくん、お茶どうぞ」
彼女は満面の笑顔でイトヨくんにお茶を勧めます。彼は黙ってお茶を飲みました。何も言ってくれません。笑顔も見せてくれません。それでもお茶を飲んでくれたのがノスリさんにはとても嬉しいのです。
「イトヨくんのお家はどこですか」
彼は黙ったままじっと彼女を見ています。しばらくしてぽつんと言いました。
「……南」
「そうですか。綺麗な湖がありますね」
「もう綺麗じゃない」
ノスリさんはちょっと驚きました。イトヨくんが質問以外の事に答えたからです。しかもその様子が少し怒っているようにも見えたからです。
「そうですか、もう綺麗じゃないんですね」
イトヨくんは小さく頷きました。それから二人は黙ってお茶を飲みました。
「僕、帰る」
唐突にイトヨくんが言いました。
「もう帰るんですか?」
「あの……」
「なんですか」
「……あの……」
「はい」
「また、来てもいい?」
イトヨくんが思いがけない事を言うので、ノスリさんは驚くと同時に、とてもとても嬉しく思いました。
「はい、また来てください」
ノスリさんが外まで送ると、イトヨくんはチラッと一度振り返っただけでそのまままっすぐ山を下りてしまいました。
イトヨくん……今日はなんとか名前を聞くことができました。
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