14 リトライ


   ◆◆◆


 一歩を踏み出すと、ぴちゃりと水溜りを踏んだ。

 不思議と冷たくはなかった。

 ふかふかと柔らかな足裏は、あまり温度を感じない。

 随分と目線が低いのは、とても小さく四つん這いになっているからだ。

 注意深く首を廻らせ、空を振りあおぐ。

 しとしとと降りしきる霧雨きりさめ鈍色にびいろのベールのように頭上を覆い、雑林に囲まれたレンガ造りの洋館は巨大な石碑せきひのように、ひっそりと雨に濡れていた。


 辺りはすっかり暗くなっていた。

 もう眩しくない。

 昼の光にぼやけていた視界は、ようやくすっきりと白黒の像を結んだ。

 “ワタシ”がどうしたのかは覚えている。

 寒さと空腹で脚がえて、植え込みで休んでいたのだ。

 そして“ワタシ”がどうしたいのかも分かっている。


 かえりたい

 かえりたい


 家はそう遠くない。


 かえろう

 かえろう


 “ワタシ”は夕闇の中を流れるように駆けた。

 坂道を下り、サザンカの生垣いけがきを潜り、狭い路地を通り抜ける。

 やがて視界が開けると、ブロック塀に囲まれた見慣れた平屋が、ちんまりと目前に佇んでいた。


 何度も帰り続けている家。

 そして、何度も帰りつけないでいる家。


 何度かえっても家はがらんどうで、アームチェアは空っぽだ。

 よく似てはいるけれど、それは全く別の知らない家だった。


 何かを間違えたのだろう。

 うまくやればきっと帰れる。

 だから何度でも帰り続ける。



 玄関のペットドアを潜り家に入る。

 むっとした埃っぽさを鼻に感じながら、廊下を歩いて居間に辿りつく。


 やはり、アームチェアは空っぽだった。


 胸がひやりと冷たくなる。


 ひたひたと空っぽのアームチェアまで歩く。

 尻尾をぴんと立てて、アームチェアに頭を擦りつけた。

 自然と喉が鳴る。

 ひょいとチェアに飛び乗ると、革ごしにスプリングが軋んだ。

 そのまま四肢を折りたたむように蹲る。

 目を閉じた。


 静かだ。


 しばらく待ったけれど、何の変化もなかった。

 ストーブもアームチェアもローテーブルも、忘れ置かれた家具たちは、その歳月の長さを物語るように冷たく無口だった。


 ここは知らない家だ。

 また何かを間違えたのだろう。


 もう一度、帰り直そう。

 

 そうは思ったものの、今日はひどく疲れていた。

 でがらしみたいにクタクタで、身体はこごったまま動かない。

 まぶたが重くて、目をあけるのも億劫おっくうだった。

 頭の芯がほんのりと温かで、そこからゆるゆるとした眠りが沸いてくる。


 意識が薄らいで、うつらうつらとした。

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