13 からっぽ
◆◆◆
わたしは文字を
これ以上、猫の記憶を
おばあさんは死んだ。
灰色の猫――フクが帰りたい場所はもう何処にもないのだ。
家はある。
家具もある。
黒服姿の人々がさった後、家はそのまま残された。
通夜の晩、親族たちの間で形見分けの相談が交わされたけれど、誰からも申し出はなかった。
ストーブもアームチェアもローテーブルも、何もかもがそろっている。
けれど、おばあさんだけがいない。
家があっても、家具があっても、おばあさんがいなければ意味はない。
あれから――
おばあさんが亡くなった後も、フクはおばあさんの帰りを待ち続けた。
三年間の日々がそうであったように、アームチェアでうつらうつらとしていれば、玄関のガラス戸がガラガラと鳴って、ただいま、の声が聞こえてくるような気がした。
フクはがらんどうの家で、空っぽのアームチェアに座り、来る日も来る日も待ち続けた。
いくら待っても、おばあさんは帰らなかった。
代わる代わる面倒をみてくれていた人々の足もしだいに遠のいていった。
亡くなった人への
空腹に悩まされたフクは、家を離れて街を
色々な家で色々な人にあい、色々な名前で呼ばれ、色々な傷が増えたけれど、もうフクは誰の猫にもならなかった。
いつも最後に帰るのは、おばあさんと過ごした家だった。
猫の感情をそのまま擬人化はできない。
カレらにはカレらの思考形態がある。それは人間とは明らかに異なり、曖昧で未分化な領域が非常に多かった。
だからフクは、おばあさんを自分の一部のように思っていた。
子猫たちが互いの区別もなく温かな塊として存在していたように、膝の上で過ごした記憶はみな
フクが帰りたい場所は、おばあさんと過ごしたあの時間の中にしかなかった。
時間は越えられない。
だから、フクは迷子になったのだ。
イルマが言っていた意味が、ようやく分かった。
「ごめんね」
帰らせてあげられなくて。
わたしはフクの背中を撫でた。
ごろごろと鳴る喉の音に、ゼロゼロと
医学にも生物学にも明るくはないけれど、それが不穏な響きであることを、ぞっとするような確信とともに肌で感じた。
もう長くない。
「……ごめんね」
バリバリバリバリ
ごめんね、と繰り返す呟きを、夕刊の配達らしき原付の音がかき消した。
フクの耳がぴくりと動く。
わたしは少し迷ってから、フクを抱き上げて膝の上に寝かせた。
おばあさんがよくしていたように、背中の曲線に沿って、毛並をなでつける。
撫でる指先が、震える。
「だいじょうぶ、と」
ぴったりと背後に控えていたイルマが、小さく呟いた。
「だいじょうぶ、と言ってあげてください」
視線を向けると、イルマは促すように肯いた。
彼が
そっとフクの耳元に囁きかけた。
だいじょうぶ
だいじょうぶ
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