9 タンデムパートナー


   ◆◆◆


 タマサカさんの言う通りだった。


 酔っ払いのポエムか、狂気のスケッチにしか見えなかった大量の紙が、時系列順に追ってみると、不思議なくらいひとつの物語として繋がった。


 最初から分かっていたのだ。

 猫が何処へ帰りたがっているのかは。


 読み返していた紙の束から目を上げて、わたしは呟いた。


 「白い人――おばあさんの膝の上に帰りたいんだ」


 最初に“トレース”した光景こそ、猫が帰りたがっている場所なのだ。

 それは分かる。

 問題は、その家が何処にあるのかだ。

 わたしはパラパラとスケッチをめくると一枚を選んで抜き出した。

 寝起きのモネが描いたようなタッチで、縁側ごしに見える小さな庭が、ぼんやりと描きだされている。

 ブロック塀に囲まれた小さな箱庭の中で、よく手入れされた椿つばきの木が、遠慮がちに枝を伸ばす様子が見てとれた。


 「この庭。この庭のある家が、猫の帰りたい家」

 「家の外観と周辺の様子を描き出せるか?」


 タマサカさんに問い掛けられて、わたしは口ごもった。

 家の外観と街並みが描き出せれば、かなりの手掛かりになるのは間違いない。

 だけど、わたしの“トレース”は未熟すぎて、目当ての情報を目論見もくろみどおりに描き出せるとは限らない。

 結局、下手な鉄砲も数打てば当たる、を期待するしかないのだ。


 わたしは足元の灰色の猫に視線を滑らせる。

 猫はごろごろと喉を鳴らしながら、身体を上下させて呼吸している。

 穏やかに眠っているように見えて、かえりたい、という切望が遠雷のまたたきのように意識をかすめていく。心なしか瞬きは鮮鋭せんえいさを欠きはじめていた。


 灰色の猫はおばあさんに飼われていたけれど、迷い猫になってしまったのだ。

 きっとおばあさんも心配しているに違いない。

 早く帰してあげないと。


 「猫は帰り道を知っています。そう遠くありません。一緒に辿ればいい」

 

 横からイルマが口を出した。

 こともなげな様子に、わたしは肩を落とす。


 「それが出来ないから困ってるんだよ」

 

 それに、とわたしは首を傾げる。


 「帰り道を知ってるのに、なんで迷子?」


 「見ればわかります」


 「何を?」


 「時間がありません。次に猫の意識が浮上したら、一緒に辿ってください。猫はずっと帰途を繰り返していますから、おのずと家へ帰りつくでしょう」

 

 いつになくイルマは矢継ぎ早に告げた。

 言っている意味が分からなくて、わたしは目を瞬いた。


 「どうやって?」


 「筆記でもスケッチでも構いません。合図したら“トレース”を続けてください。あとは情報の指向性を保てるように、僕が補助します」

 

 どうやらイルマは、わたしが苦手な情報の選別をになってくれるらしい。

 イルマが自ら補助を申し出るのは珍しかった。

 必要以上に干渉しない。

 良くも悪くも、それが彼の――宇宙人としてのたしなみなのだそうだ。

 珍しいこともあるものだ、とわたしは呆気にとられた。

 同じことを思ったのだろう、タマサカさんも「珍しいな」と呟いた。


 「どうした? 不干渉が鉄則じゃなかったのか」


 「僕には僕の行動原理が存在します。突破したばかりの不安定な状態で、これ以上“トレース”を長引かせると後の進行に支障がでます」

 

 突破、の単語にタマサカさんの鉄面皮が、ほう、と少しだけ揺らいだ。

 何か重要な意味があるのだろうか。

 そういえば病室でもイルマから突破の二文字を聴かされた記憶がある。

 わたしは身を乗り出した。


 「突破って――」


 ――なんのこと?


 言いかけた言葉が声になるよりも、イルマが合図する方が先だった。


 「今です」

 「え?」


 声に押されて慌ててペンを握る。

 視界の端で灰色の猫の耳がぴくりと動いた。

 意識が浮上したのだ。


 意味もわからないまま、わたしは“トレース”を再開した。

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