3 記憶の中


   ◆◆◆


 きょうもさむいねぇ、と声がした。


 そろりそろりと目を開ける。

 眩しい。

 視界がぼんやりしている。

 窓の外は真っ白で、窓ガラスは陽光に膨らんで見えた。

 庭の椿つばきこずえで、かしましくさえずっていたひよどりが飛び立った。

 さっと部屋に影がさして、また戻る。

 少し遅れて、ぽとりと椿の花が落ちた。

 石油ストーブの匂いがツンと鼻をさす。

 ストーブの上でシュンシュンとやかんが鳴っていた。

 カチカチと時を刻む時計の音が、おそろしく大きい。

 屋根裏を、カサコソと何かが駆けていった。

 周囲を取り巻くそれらすべてを気配として捉えながら“ワタシ”は微睡まどろんでいた。

 ゆらゆらと揺れているのは、アームチェアに座った膝の上だからだ。

 膝をつつむ衣類から少しタンスの匂いがした。

 毛並ごしに伝わる肌の暖かさが心地良くて、ゴロゴロと喉が鳴る。

 “ワタシ”はここにいれば安全なことを知っている。

 この膝の上では、とても安らかに過ごせる。

 気が緩んで、捉えていた気配が曖昧になっていく。

 うつらうつらと寝入りかけた。


 バリバリバリバリ


 爆音のような音に、びくりと目が覚めた。

 音への驚きで恐怖が弾けそうになる。

 本能的にぎゅっと身を縮める。

 すぐにでも逃げ出せるように後脚を待機させた。

 耳をそばだて、音を追う。

 前の通りを原付バイクが行き過ぎたのだ。


 だいじょうぶ

 だいじょうぶ


 すぐ後ろで声がした。がさがさとした手が背中を撫でる。


 “ワタシ”には言葉が分からない。

 それでも声音は分かる。

 その音程は、安定していた。

 危険はないのだろう。

 背中を撫でる掌が暖かくて、そっと首をめぐらせる。

 掌の主と目があった。

 “ワタシ”はそれを、白い人、として認識していた。

 大抵の人が黒い頭をしているのに対し、それの頭は白かった。

 白い人が微笑んでいた。

 

 だいじょうぶ

 だいじょうぶ


 そうだ、大丈夫だ。

 ここは安全で優しくて心地良い。

 ここにいれば大丈夫。

 弾けかけた恐怖が、ゆっくりと溶けていく。

 ぐっと脚を伸ばしてのびをする。

 あくびをひとつした。

 また柔らかな眠気がやってきて、“ワタシ”は目を閉じる。


 だいじょうぶ

 だいじょうぶ

 

 柔らかな声にほっとする。

 ゆらりゆらりと揺られながら、安らかな眠りに身を委ねた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る