2 取扱い注意
「安否に、興味?」
リスニングの授業のように、わたしは単語を復唱した。
そうだ、とタマサカさんが肯く。
その横顔はいつにも増して真剣だった。
「アレの目的は――性質と言うべきだが――記憶の回収だ。それ以上でもそれ以下でもない。回収のために存在し、回収のため以外には存在しない。たとえ人間のように振る舞い、時には親切でさえあったとしても、人間を
だから、とタマサカさんはわたしのギプスに視線を滑らせる。
「お前の腕が折れようが、誰かの脚が
「でも――」
咄嗟に
──骨折して良かったですね。
病室で聞いたイルマの台詞が、タマサカさんの発言を裏付けていた。
イルマ特有の出来の悪いブラックジョークは、いつだって笑えない。
ジョークではないからだ。
ジョークだと思いたがっているのはわたしの方で、イルマには笑わせるつもりなんて微塵もないのだろう。
突然の
人間ではない彼には、良心の
「イルマの性質について、もっと警告しておくべきだったが、変に怖がらせたくもなかった」
悪かったな、とタマサカさんが繰り返す。いいえ、とわたしは首を振った。
「それに――」
わたしは口を開きかけて、そのまま少し考える。
上手く言葉にできそうになかったけれど、口の中でもごもごと続けた。
「イルマにも優しいところはあるんです」
なんだかダメ亭主を擁護する女房みたいだな、と自分で自分の発言に渋面してしまう。タマサカさんは呆れたように苦笑して、「錯覚だ」と言い捨てた。
狭い林道を抜けて、車はアパートの駐車場に停車した。
先が真っ暗になるくらい長くなりそうな予感がしたドライブは、会話の内容が濃密だったせいか終わってみれば一瞬だった。
タマサカさんがわたしのボストンバッグを持って先に降りる。
遅ればせながら、わたしも後に続いた。
降っているのか降っていないのか、判然としない霧雨が、冷気のように肌をひやりとさせる。
今年の夏は冷夏なのかもしれない。
――さむい。
わたしは水溜りにもかまわず、真っ直ぐにエントランスへ急いだ。
――さむい。
本当に寒い。寒いというより冷たい。
あまりの冷たさに手足が強張って震えが止まらない。
膝が
「……え?」
気が付くと、わたしは水溜りの真ん中で、立ち尽くしていた。
ここに至って、ようやく自分の寒気が、尋常ではないと覚った。
覚ると同時に、寒さと震えと空腹と眠気が、
これらがわたしの体感ではないことを、わたしは経験的に知っていた。
“混線”しているのだ。
誰かに。あるいは、何かに。
わたしは慌てて首を廻らせた。
なんとなく――そうとしか言いようのない、おぼろげな勘を頼りに、駐車場の植え込みまで引き返す。
寒さと空腹と眠気が、繁みの中で渦をまいている。
とてもシンプルで原始的な感覚は、それだけに切実だった。
わたしは屈みこんでガサガサと下草を掻き分ける。雨に濡れるのも、泥に汚れるのも、気にする余裕はなかった。
指先が何かに触れて、ひやりとする。
反射的に手を引っ込め、おそるおそる下葉の影を覗きこんだ。
植え込みの下に、なにかが蹲っている。
「セマ」
すぐ後ろで声がした。
様子を見に、タマサカさんが戻ってきたのだ。
「どうした?」
わたしは繁みの中に手を伸ばし、それを自分の方へ引き寄せる。
冷たい。
まだ生きているとは思えないくらい、その身体は冷え切っていた。掌に伝わる小刻みな震えと弱々しい呼吸から、辛うじて生きているのだと知れる。
「――猫。だいぶ弱ってるみたい」
わたしは濡れそぼった灰色の猫を膝に抱きあげた。
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