第4話 おばあちゃんは皇帝ペンギン

祖母は、家を大事にする人だったので、実はずっと私に冷たかったが私をこどもとして大事にしてくれていた。冷たいというのは、このうちの子でない扱いということ、つまりは名字と家の問題であった。ただ、二人は好きなものが似ており祖母が作ってくれた食事は年寄りが食べるようなメニューだったが私は大好きだった。一方ではよく子供向けのおいしいものを食べにロッテリアやミスタードーナツなんかのファストフードにも連れて行ってくれた。遊びにも付き合ってくれた。

一度私が近所の友達と遊ぶ約束をしたのに居留守を使われた事がある。地域性で小さな子供が友達の家に遊びに行くのは親の送り迎えが必須だったので、両親が揃っていなくて母は留守がち、一人っ子の私は友達と学校以外で遊ぶのは滅多になかったから約束した時はすごくうれしかったのにいざ家に行き何度ピンポンを鳴らしても出てこなかった。さすがにこれは堪えられなかった。そんな私を祖母が見かねて当時私が自転車に乗れるようになったばかりだったので車に私の自転車を詰め込んで、ママの勤務する病院の前にある公園へ連れて行ってくれ、ママを呼び出した。ママに私が自転車に乗れることを見せ、三人でほんの少しの間過ごしてこの友達に裏切られた悲しい気持ちを流した。

祖母は習字をずっと続けており、段を取ったり展示会に出展したらしいが、私に教えることもしてくれた。だが、遊び盛りの私には、これが大嫌いでよくケンカになった。今でも習字は大嫌いだ。そのほかでは、祖母は私が何をしてどれくらい遊んでも注意することはなく、自由にさせられていた。いくらテレビをみてもゲームをしても制限することもなかったからか、私は実際何時間もこれらに熱中することはなかった。公文教室の算数だけは学習するのに通わされたが、これは祖母が2歳の私が異常に数字の認識が良かった為それを伸ばすため通わされたらしい。今でも数学系統の科目が得意なのはこのおかげだろう。

祖母は自分では何でも一流を目指し、身に着けるものも全て一流であった。中でも得意だった習字は展覧会に出品し、社交ダンスに傾倒していた時は、彼のデビ夫人と会食をしたと珍しく自慢気に話していたのが記憶に残っている。身に着けているものはすべてブランド品で、数々の宝石も所有していた。そんな祖母を祖父はじめ家族はみんな自慢に思っていた。私を理解し私の気持ちを良く分かってくれるおしゃれで美しい自慢のおばあちゃんだった。自分の趣味がたくさんあって家事も嫌いだったのに家のことを完璧にやって、孫の私を守り続け理解し続けた。おばあちゃんが生きていたら、と今でも時々思う

南極に住む皇帝ペンギンのオスは約120日間雪のみを食して断食状態で足の上に抱卵して雛の誕生を待つ。おばあちゃんに会いたい。

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