第26話 この世界の物理法則①
「ま……ほう……?」
「ま、初めてだったらそうなるよな。俺もそうだったし」
少し恥ずかしげに頬を掻く日比谷先生に、私は目を瞬かせながら、オウムの様に言葉を繰り返す。
魔法、まほう、マホウ――
映画などでしか馴染みの無いその言葉を頭の中で何回も咀嚼しながら、先生が冗談を言っているのではないかと視線を向ける。しかし、変わらない先生の表情からすぐに冗談で言っているのでは無い事を認識した。
「じょ、冗談ですよ……ね?」
それでも私は信じまいと、先程の吐き気や頭痛が消えた現象がただの偶然であると思い込みながら、先生に問いかける。しかし、そんな淡い期待も先生の苦笑いによって悉く打ち砕かれた
「いや、分かるよその気持ち。信じられないよな。でも、ほら、
先生は指をピンと立てると、ぽつりと呟く。瞬間、先生の指先の先端2㎝離れた場所から突如として蝋燭の火のような小さな火球が灯る。
「……すごい」
私は宙に浮く火の玉を目を見ながら、ただ素直に呟く。
別にマジシャンでも無く、ましては動体視力や特別な思考能力があるわけでは無い私に、タネか何かがあったとしてもそれを見破る能力は無い。だが、私には確かに何の仕掛けもなく指先にその火が灯ったのを確認した。
「だろ? どうやらこの世界はこういう事が出来る世界らしい」
「へぇ……」
「勇者とか魔王とか俺もよくわからんが、ともかく勇者になるかどうかはもう少しこの世界を知ってからでも遅くないんじゃないか?」
「はぁ……そうですか……」
先生は指先の炎を振り払うように消した後、諭すように言葉を続ける。
「俺たちは死んだ。五十嵐、お前にはどうやらその記憶が無いらしいし、受け入れられないだろう。だから、とりあえずここでできる事を考えないか?」
「死んで……」
――あなた方は一度死んでいますよ?
昨日も聞いた言葉だ。
私たちは死んでいる。
あまりに非現実的な状況とあまりに非現実的な言葉の数々に昨日は圧倒され、混乱させられたが、この落ち着いた状況で改めて聞くと、どうにも信じられない。
「んー……」
「……まぁ、仮に死んでないとして、帰る方法も分からないだろ。だったら、今をどう生きるのか考えるべきじゃないか?」
悩んでいる私に先生は手を差し伸べる。私はなんとなくその差しのべられた手を重ねると自身の”死”を肯定するような気がして、自身の手を重ねることなく自力で立ち上がった。やはり、”魔法”のおかげか立ち上がった時のふらつきは無く、平衡感覚もしっかりしている。
「……女性に対して失礼だったな」
「いえ……そうでは無く……すみません。そ、それで、どうやったら魔法を使えるんですか?」
先生はさびしそうに差し出した手を降ろす。さすがに申し訳なくなるが、それでもこの言葉以上のフォローを与えられない私は慌てて話題を変える。
「それなら外で教えてもらってるよ」
話題転換は上手くいったようで、先生は窓の外へと視線を向ける。つられて私も外へと視線を向けると、どうやら外は快晴の様で気持ちのよい光が射しこんでいるのが分かる。
「じゃ、俺は先に行っているから。場所はメイドさんにでも教えてもらえよ」
「はい、ありがとうございます」
先生が部屋から出ていくのを確認した後、部屋を見回す。しかし、視界の中には人影は見当たらない。
「ご用でしょうか?」
「ひっ!?」
突然耳に入った言葉に思わず驚きの声を上げる。振り返ると、メイドの女性が相変わらず凛とした姿で立っている。
「い、いつからそこに」
「初めから部屋の隅で待機しておりました」
「あ……そうですか」
話している最中、全くと言って気づかなかった。恐らく日比谷先生は気付いていたのだろう。
「では、向かいますか」
「え?」
「魔法の練習をなさるのですよね?」
「あっ、は、はい」
私は空返事を返す。しっかりと、凛とした空気を常に作り出しているこの人とは、どうにも波長が合わない気がする。
「じゃぁ、お願いします」
「こちらへどうぞ」
私は女性の後に付いて行きながら部屋から出る。昨日とは違い廊下は真紅の絨毯が敷かれており、片側に付けられている窓からは眩しいくらいの日差しが差し込んでいる。
「あのー」
「なんでしょうか」
「お名前はー……」
女性の後に付いて行きながら、私はおずおずと言葉を投げかける。やはり、ハッキリと曇りない女性の声はどうにも慣れない。
「私の、でしょうか?」
「あ、はい」
「エミリーと申します」
「……」
メイドの女性――エミリーさんの次の言葉を待つが、無駄話をしない性分なのか、これ以上口を開く様子は無い。
「あの、エミリーさん」
「何でしょうか」
「エミリーさんは魔法を使えるのですか?」
「ええ、多少は、ですが」
「たとえば、どんなものがあるんですか」
「給仕の際に火を灯すために使いますね」
「……えっと、他には?」
「ありません。そもそも魔法を使用するためには生まれ持った魔力と相応の教養が必要です。魔力を多く持つ方はそもそも多くはありませんし、そもそも私のような壱メイドにはそのようなものは必要ありませんので。さ、こちらへどうぞ」
エミリーさんは廊下の途中でその足を止め、窓と窓の間に取り付けられている木製の扉を丁寧に開ける。扉の先は外へと繋がっているようで、扉を開けた直後に柔らかな温かい風が私の頬を撫でた。
「はぁぁぁっ! らぁっ!!」
「クッ! いいですよ! そのまま踏み込んでっ!!」
「おらぁ!!」
扉から外へ出ると、一人の甲冑を纏った兵士を相手に木刀を振るう宮城君、そしてそれを観察する3人の兵士と日比谷先生、そしてその後ろで土でできた簡易的な椅子に座るとんがり帽子を被った老婆の姿が目に映る。
城壁で囲まれた広場の中、宮城君は力強い雄叫びと共に兵士の構える大きな盾に木刀を振るう。宮城君の剣戟は、その一撃が強力なものの為か兵士の身体は僅かに後ろへと身体が移動させる。しかし、体制がしっかりしている為か兵士のの構えが崩れる様子は無い。
「五十嵐さん、こんにちは」
宮城君は私に気が付いたためか、剣を振るうのを一旦止め、私へと振り向いた。
「こんにちは。なんだか……凄いね」
私は汗だくになりながら和かな視線を向ける宮城君へではなく、宮城君の攻撃を受けていた兵士の盾へと視線を向ける。
盾はすでに盾と呼べる体を成しておらず、ベコベコに変形したそれはすでに元の形からかけ離れている事だけは分かった。
「あの、大丈夫ですか?」
いつの間にか私の隣へと来ていた宮城君は心配そうな声を上げる。
「え、ええ、大丈夫。ところで、何をしているの?」
私は初対面であるはずの宮城君の親しげな声に少し戸惑いつつ、隣の宮城君に声を掛ける。宮城君は私の声に対して、先程よりも少し高いトーンで声を返す。
「戦闘訓練です。い、一応勇者ですしね」
「そ、そうなんだ。頑張っているんだね」
「はい!」
快活な声で返事を返す宮城君の瞳はキラキラと光っており、まるで犬のような素振をみてか、それとも同じ境遇の人が楽しげに何かをしている様子を見たためか、私の中にあった戸惑いの感情が少し薄れていく。
「それで、宮城君も魔法を使えるの?」
「はい、もちろんです!
宮城君は日比谷先生がやったように、高らかに言葉を発しながら地面に向かって木刀を突き刺す。
すると、木刀の先の地面はまるで何かに吸い寄せられるようにせり上がっていき、形を変え、装飾のない一つのベンチへと姿を変えた。
「……すごい」
「さ、どうぞ座ってください」
私が手品などでは説明のつかないその現象に目を瞬かせていると、宮城君はできたばかりの土のベンチへと勧める。
「すごいね……どうやってやったの?」
私は呆気にとられたまま、宮城君へと視線を戻す。褒められたためか、宮城君は少し照れたようで、少しだけ視線を背ける。
「キットラーさんに教えてもらいました。ほら、あそこにいるおばあさんです」
宮城君はそう言いながら日比谷先生たちのうしろに座っていた老婆に指を指す。
「キットラーさん! 良いですよね!?」
「そんなデカい声を出さんでも聞こえてるよ」
宮城君の声にキットラーさんは少し迷惑そうな表情を浮かべながら、ゆっくりと立ち上がる。そして、立ち上がった時と同様、杖を突きながらゆっくりとこちらへと来た。
「はぁ、何故儂が子守りなぞ……」
「よ、よろしくお願いいたします」
「ああ、よろしく。こっちに来な」
あからさまに嫌そうな顔をするキットラーさんに少しでも機嫌を悪くしまいと、私は頭を下げる。しかし、キットラーさんはこちらへ視線を向けることなく、広場の中央へと手招きをする。
「さ、手を出しな」
「は、はい」
私は歳に似合わない張りのある声を上げるキットラーさんに萎縮しながら、おずおずと手を差し出す。キットラーさんは私の手を無造作に掴むと、ぽつりと言葉を発する。
「
キットラーさんの言葉のコンマ数秒後、僅かな気だるさと僅かな腰の違和感を感じるようになる。
「あの、これは――」
(ほら、早く目を閉じて集中しな。一度しかやらないよ)
「あ、はい……?」
キットラーさんから聞こえてくる声に僅かな違和感を感じつつも、言われた通り瞼を閉ざす。
「(行くよ)」
キットラーさんの言葉の直後、僅かな時間、私の脳内に光に包まれた何かが広場の地面を掴み、引き上げ、長方形の土塊を造るイメージが浮かび上がる。そして――
「(
キットラーさんの声が聞こえた瞬間、体の中の何かが手のひらから放出される感覚と共に、耳を澄まさなければわからない程の僅かな地鳴りが広場に響く。
「ほら、手を離して目を開けな」
キットラーさんの声に従い目を開ける。差し込む光に対して僅かに目を細めながら、広場へと視線を向ける。
「わぁ、すごい」
眼前には先ほど頭の中にイメージされた長方形の土塊が広場の中央にできていた。日比谷先生と宮城君の魔法は見ていたが、数度でそれに慣れるはずもなく、眼前に表れた不思議な光景にただ感嘆の声を上げる。
「ほら、離しな」
(なんで先に手を離――)
ただただ目の前の光景に感動していた私は、キットラーさんに手を振りほどかれる。そして、手が離れたと同時にキットラーさんの言葉は途切れた。
「あ、す、すみません」
「いいから、ほらやってみな」
「何を、ですか?」
「今のだよ。感覚を繋げたから分かるだろ。さっき儂がやったようにやるんだよ」
「あ、はい。く、
私は両の手を前に突き出し、地面が何かに引き上げられるイメージを精一杯しながら、キットラーさんと同様の言葉を放つ。
「……わぁ、すごい」
私は全力疾走したような疲れを感じながら、眼前にできた長方形の土塊に感嘆の声を上げる。
「……下手だねぇ」
「やっぱり分かりにくいよなぁ。宮城、教えてやれ」
しかし、肩を上下に動かしながら初めての魔法に満足感を覚えた私とは対照的に、その場にいた人たちの多くは不安げな表情を浮かべている。
「……なによ、初めてなんだから当たり前じゃない」
私は小さく不満な声を漏らす。
「お水です。どうぞ」
そんな私を励ましに来たのか、宮城君が私に皮でできた水筒を差し出してくれた。私は水筒を受け取り、あまり美味しいとは言えないぬるい水を流し込む。
「僕も最初はそうでした。問題ないですよ」
「……そうなの?」
「ええ、大切なのはイメージと理解です。それさえできれば問題ありません」
私が顔を上げると、そこには自身に満ちた宮城君の顔があった。
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