第4章 はじめて××を殺した日

第24話 困惑と少女

 真っ黒に塗りつぶされた視界は徐々に光に照らされていく。


「んっ……んんっ」


 重く、動かしづらく感じる身体で寝返りを打ちながら眠気に対抗する。しかし、いつもの様に打つ寝返りは、いつものベッドとは違うフワフワとした材質の物のせいで若干のやりづらさを感じる。


「……なに……もう」


 体に、自身を包む環境に違和感を感じつつ、しかしいつまでもならない目覚まし時計に対し、高校への遅刻が頭に過ぎった私は重たい瞼を持ち上げる。


「……え?」


 瞼を開け、視界に入ってきた光景に私は心の内側で驚愕する。その視線の先には石レンガで組まれた天井が映り、ここが自分の部屋でない事をいまいち回らない脳みそを動かしながら認識する。


「……夢、か」


 私はそんな天井を数秒見つめた後、ここが夢の世界であると結論付け、再び重い瞼を閉じる。


 しかし、毎朝6時には起きる生活をしているためか、私の意識は目を閉じても覚醒の方向へと向かっていき、微睡みはどこか遠くへと離れて行く。私は再度眠りに着くことを諦め、その瞳を開く。しかし――


「……?」


 瞼が開かれ、瞳に映し出された景色は先ほどと同様、見覚えのない石レンガが敷き詰められた天井であった。


「……へっ? えっ? ここ、どこ?」


 私は勢いよく飛び起き、周囲を確認する。しかし、私の視界にはいつもの見慣れた自身の部屋は無く、石レンガで造られた壁、天井に部屋を照らし出している石、そして、私が寝ていた柔らかなベッド。部屋への出入り口は壁に埋まるようにして備え付けられている鉄製の扉のみ。ここがどこなのか理解できない。


「ちょ……へっ? 誘拐……?」


 いまいち自分が今置かれている状況が理解しきれていない中、未だに鈍い思考から導き出された答えを口に出す。しかし、言葉とは不思議なもので、未だに断定しきれないその回答を一度口から出しただけで私の心からは焦りが生まれてくる。


「いやぁ、待て待て待て、落ち着けぇ……落ち着くんだ、私」


 私は自身の思考をまとめるために深呼吸を数度、繰り返す。


(えーっと、起きる前は何してたっけ)


 私はこめかみに指を押し当て考える。しかし、記憶は階段を降りようと脚をかけたところで途切れている。


「高校に……校舎内に居たと、それでそれ以降の記憶は、無い、と。まさか、ホントに誘拐……?」


 私は今度は自身の現状を把握しようと自分の身体全体を弄る。しかし、身体には外傷や拘束跡などは無く、身を包む服もセーラー服から豪華な純白の寝巻に変わっている。


「……誘拐?」


 私は自身の首を傾げる。特に何かされたわけでは無い。寧ろもてなされているようなこのおかしな現状に対してだ。しかし、ようやく戻った思考は今現在置かれている未知の現状に恐怖をし始めたらしく、見下ろす手は僅かに震え始める。


「いやいやいや、そんなわけ、そんな――」

「失礼します」


 未だに現状を把握しようともがく私の思考は、そんな一人の女性の声とともにとまる。声の方向へと視線向けると、そこには黒く長いドレスに真っ白なエプロン、所謂メイド服を身に着けた女性が私に向かって深々と頭を下げていた。


「は……はひっ」

「ノックをしても返事が無かったものですので、勝手に入らせていただきました。国王陛下がお呼びですので、こちらへ」


 女性は間抜けな声を上げる私にピクリとも反応することなく、頭を下げたまま、しかししっかりと耳に届く声で私に言葉を伝える。


「え……えと……取り合えず頭を上げてください」


 人に頭を下げられる経験の少ない私は、戸惑いながらも女性にそう言葉をかける。女性は私の言葉に頭をゆっくりと持ち上げると、私へと視線を向ける。


「えーっと、私、今どういう状況なんでしょうか?」

「皆さまに今置かれている現状をご説明いたしますので、どうぞこちらへ」


 僅かに震える声の私に対して、女性は変わらない、しかし不快感を感じさせない声色で彼女が開けたであろう扉の先へと手を向ける。


「あ……はい」

「どうぞこちらを」


 私はベッドを降りようとすると、女性は静かに、しかし素早く私の元まで来て私には不釣り合いなハイヒールを履かせた。ハイヒールは私の足にぴたりと違和感なくはまる。靴を履かせてもらったという行為に私は若干の恥ずかしさを感じながら、立ち上がる。


「おっとっと」


 しかし、普段履きなれていないハイヒールという靴のせいか、

それとも未だにぎこちなく動く自身の身体のせいか、立ち上がった私の身体はすぐにベッドへと倒れた。


「お気に召しませんでしたか?」

「いえ……こういう靴は慣れないもので」


 私は更に恥ずかしさを加速させながら再度立ち上がる。今度は先ほどのような現象は起きずに立ち上がることができた。


「では、こちらへ」


 女性は私が立ち上がったのを確認したのちに、真っ直ぐな背筋を私に見せながらコツリコツリと歩みを始める。


「あ、は、はい」


 私は一抹の不安を感じながら女性の後を追った。


・・・


「では、こちらでお待ちください」

「あ、ありがとうございます」


 女性は私を大きなテーブルが中央に置かれた場所へと案内すると、その周囲にある椅子の一つを引く。私が椅子に座ると、女性は静かに私の元から離れ、壁際へと移動する。


(……ここ……どこ?)


 結局、移動中も女性に話しかけられる雰囲気では無く、全く状況を把握できずにここまで移動してきたが、しかし、移動中に廊下の脇に置かれていた花瓶やそもそもの建物の造りを見るに、どうやらここがとても豪華で広々とした建物の中であることが理解できた。


 そして、まるでそれを肯定するかのように絹のようなテーブルクロスの上に美しい蝋燭立てや椅子の前にそれぞれ置いてあるシンプルながらも綺麗な食器、天井にはシャンデリアがぶら下がっている。


「……えー」


 私は小さな声を吐き出す。それはこの息を飲むような空間の中で私にとって今出せる精一杯の驚愕の声であった。


「あの、お久し……ぶりです……?」

「へっ?」


 私の耳に突然弱々しい声が聞こえる。声の方向へと首を回すと、そこには困惑した表情の少年が私と同じような材質の服を身に纏いながら私へと声を掛けていた。


「え……ええ。久しぶり……?」


 私は愛想笑いと共に返事を返す。しかし、瞬時に脳内の記憶を探るが、眼前の少年の顔は見覚えが無く、それ故か、警戒心と若干の申し訳なさが湧きあがる。


「あはは……」


 少年は少し寂しそうに笑い、それ以降言葉を続ける気配は無く、辺りへと視線を巡らし始める。


「あの……ここ、どこかわかりますか?」

「へっ?」


 沈黙に耐えきれなくなった私は、恐らく答えが返ってこないであろう問いを少年へと投げかける。少年は声を掛けられたことに驚いたらしく、少し間抜けな声を漏らした後、顎に手を当て考え始める。


「死後の世界……とか?」

「えっ?」

「ははっ、冗談……です」


 私が少年の出した答えに驚きの声を上げると、少年は即座にその回答を否定する。しかし、言葉では冗談と否定してはいるが、その表情を見るに決して冗談で言ったわけでは無いのが感じ取れた。


 何とも煮え切らない回答のせいか、それとも間抜けな私の問いのせいか、再び沈黙が訪れる。しかし、その沈黙は1分と続かず、扉の開閉音と共に耳に入った声によって打ち破られる。


「あれ、宮城……なのか……?」

「あっ……先生」


 宮城と呼ばれた少年のという言葉に私は言葉の方向へと振り返る。


 声の方向には宮城君とは違い、今度は何度か見たことのある男――私の学校の教師である日比谷先生が私と同じように一人の執事服の男に導かれていた。


「なぁ宮城……ここ、どこか分かるか?」


 日比谷先生は顔見知りであろう宮城君の隣へと座ると、声を掛ける。その声は余裕を含んでいる声ではあったが、それでもどこか不安が隠せていないように感じる。


「へっ? ……えー、死後の世界……とか?」

「……そうか」



 宮城君は明後日の方向を見ながら再び私に言ったのと同じ回答を繰り返す。しかし、私の予想に反し日比谷先生は静かに感傷的に返事を返した。


「じょ、冗談ですって。……本気にしないでください」

「そ、そうだな。うん、そうだな」


 そんな先生の反応を見てか、宮城君は慌てて先ほどの言葉を否定する。すると、日比谷先生も同じように、少し慌てながらその否定に返事を返すと、再び部屋の中に沈黙がやってきた。そんなどこかぎこちない二人を眺め、彼らは自分にはない何かを知っているのではないかと考えてしまう。


「あ、あの――」

「国王陛下があらせられます。どうかお静かに」


 私が沈黙を破るために声を発しようとすると、その声はハッキリとした女性の声によって遮られる。そして、その数秒後、扉の開く音と共に豪華なドレスに身を包んだ一人の少女がゆっくりと部屋へと入ってくる。


 年齢が10歳程度のその少女の頭の上には繊細な細工が施された王冠があり、私はそれにより彼女が先ほどの声に会ったであると認識し、そして私は一気に緊張する。


 少女はその一挙手一投足に気品を身に纏わせながらテーブルの最も奥の席へと移動すると、そこに座った。


「皆さん、そう緊張せず楽にしてください」


 少女は私達に優しく言葉をかける。しかしそんな言葉で、初めて国王という存在と対峙しているこの緊張がほぐせるはずもなく、ぎこちない笑みを少女へと向ける。少女はそんな私に対してか、それとも恐らく私と同じように緊張しきっている先生と宮城君に対してか、優しい笑みを返した。


「皆さん困惑しているでしょう。何も知らせずにここへ連れ出してしまった事を、まずは謝罪しましょう」


 少女は一度頭を下げる。そして、それで謝罪は終わったのか、顔を上げる。


 正直、「ごめんなさい」や「すみません」といった言葉の無い謝罪には少し歯痒さを感じるが、国王陛下と呼ばれる彼女にそんなことを言えるわけもなく、私達はただその様子を眺める。


「それでは、これから説明を始めますが、その前に自己紹介をしましょう。私はここ、グラント王国の国王、シャーロット・ロゼッサリーニ・エドワード・オブ・グラント。気軽にシャーロットとお呼びください。では……そちらの方、お願いいたします」

「えっ……あ、はい」


 自己紹介を終えた少女――シャーロット国王陛下は日比谷先生へと手を向ける。日比谷先生はしどろもどろになりながらも返事を返す。


「私の名前は日比谷ひびや つとむ。歳は33。以前は高校の教師をやっていました。……えー、以上です。……おい、宮城、お前だ」

「……あ、俺か。俺……僕は宮城みやぎ 勇一郎ゆういちろう。17歳。……高校生です……でした」


 宮城君は同じくまとまらない言葉を吐き出すと、次は私の番だと視線を私へと向ける。気付けば日比谷先生とシャーロット国王陛下も同じく視線を向けていた。


「えっと、私は五十嵐いがらし 律花りつかといいます。18です……。宮城君と同じく高校生です」

「皆さんありがとうございます。ツトムさんにユウイチロウさん、リツカさんですね。恐らく皆さん疑問かと思われるここに来ていただいた理由ですが、皆さんには――」


 シャーロット国王陛下は私達にニコリと笑みを向ける。いきなり名前を呼ばれた私は距離の近さに少しドキリとしながらその笑みを見つめる。そして――


「勇者として、この世界を救っていただきます」


 私はその言葉を飲み込むことができなかった。

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