第16話 暗闇に紛れる者達

 水に浸かった身体を静かに前へと進ませる。外の温かい空気とは対照的に水は冷たく、ゆっくりと、しかし確実に体温を奪っている。


 眼前を進んでいるはずのストリゴの手前は、彼の手から発されている淡い薄青色の光によって照らされており、その光が水の冷たさを更に際立たせる。


「さ……さむい……」


 不意に、そんなバーバーの小さな声が後ろから聞こえる。しかしながら、この暗がりに加え、皆が一様に来ている黒いフード付きマントが影を落とし、後ろを振り向いてもその顔は薄ぼんやりとしか確認することができない。


「……」


 そんな声も、時折半円形の天井から落ちる水滴が返事を返すのみ。私やストリゴがその声に反応することは無い。


 この水路に入って20分といった所か。入口を塞いでいた鉄格子の先はすぐに町へとつながっていると考えていたが、予想に反し水路は地下を通じているらしく、その周囲には通路はおろか明かりすらない。


「ストリゴ」

「少々お待ちを……あと少しですかね」


 私が合図をすると、ストリゴは足を止め天井へと目を向けながら答える。時折、こうして上にある建物等の場所を、先のサテュロスを襲った人間どもから手に入れた地図と見比べて場所を確認するが、天井のない明かり部分へは未だに辿り着いていない。


「……冷えますし、上がりましょう。この先に人間も確認できませんし」


 ストリゴはそう言いながら10mほど先へと進むと、道の脇に設置された幅の狭い通路へと移動する。私もそれに続き、通路へと身体を移動させる。


「……重い」


 通路に這い上がろうとするバーバーだが、羽が水を吸って重くなっているせいか、その身体を起こすのに苦戦している。


「ほら、行くぞ」

「……ありがとう……ございます」


 私が手を差し伸べると、バーバーは僅かに間を置いたのちによそよそしく私の手を握る。私はそれに多少の不快感を感じつつもバーバーを水から引き上げる。


(子供を見殺しにしろと命令したのは、私か)


 バーバーの顔は薄暗く、ハッキリとは見えないが、何か言いたげな、しかしそれを押し殺して前へと進もうというどこか決意に満ちた顔をしている。水から上がったバーバーは、腕に付いている水を吸って重くなった羽を少しでも軽くしようと絞っている。


「……行きましょう」


 ストリゴの言葉を皮切りに、今度は地に足をつけて進んで行く。全身水で濡れた体は風のない水路の中でも十分に体温を奪っていく。その上、ストリゴに先に人間がいるかを見ていてもらってはいるが、それでも常時監視しているわけでは無い。そのため行動は自然と静かなものになり、そんな動きの少ない状態では冷えた体が温まることは無い。


 とはいえ、死ぬほどでは無い為、支障と言えば人間と相対した時に初動が少しだけ遅れるだけだ。問題は無い。


「……着きましたね」


 さらに奥へと進んで行くと、道の先にストリゴのものとは違う優しい月明かりが視界に入る。光の側へ行き、ストリゴに外の様子を伺わせると、すでに夜も更けて時間のたった今現在、外を歩く者はほとんどいないらしく、この周辺に人間は確認できないようだ。


「行くぞ」


 合図を送り、水路の脇に備え付けられている階段を上り国へと出る。


 既に時間は深夜と呼ばれる時間帯の為、国民は寝静まっているのか辺りは静寂に包まれている。それでも空からの月の優しい光によって足元にははっきりと確認できるほど影を作るほどに明るく、対照的に一歩裏路地に入れば周囲はかなりの暗闇に包まれる。


 可能な限り、暗がりな場所を進んでいく。暗い、とはいっても足元が見えない程度の暗さであり、それも目が慣れれば微かにだが物の有無程度なら判断が付くようになった。


「おい」


 こんな時間でも外にいる人間は少なからず存在はする。そしてそんな人間は大抵、住む家の無い者か、今まさに声を掛けてきたような者だ。


「金を置いて行け」


 暗がりの更に深い闇から産み落とされるようにぬるりと出てきた男は鋭い黒塗りの刃をこちらへと向ける。私の顔がフードに隠れて見えない為だろう。全身をボロボロの服で身を包んだ男は私に臆することなく、挑発的な視線を飛ばしてくる。


「おい、何無視してんだ?」


 男を無視し、横を通り抜けようとすると、男の後ろから更に3人の男が出てくる。男たちはこちらに刃物を見せつけるようにして、ニヤニヤとした笑みを見せた。


「……私がやっても?」

「騒がせるなよ」

「ああ? なめてんのか?」

「ええ、暗闇ダークネス

「……がはっ!?」


 ストリゴの視界奪取の魔法と同時に眼前の男の首を掴む。男は口からは空気が抜ける音を出した後、私の手を首から引き剥がそうとガリガリと爪を突き立てる。だが、その程度で私の鱗がはげるわけもなく、抵抗空しく男は私の手によってその首の骨を折られた。


「終わったか?」

「ええ」


 男から手を離し前へと目をやると、私の横をすり抜け3人の男を始末したストリゴが血で濡れた小ぶりの小刀を几帳面に拭いていた。恐らく視界が奪われた直後に声を上げる事すら許されず、動揺したまま一撃でやられたのだろう。ストリゴの足元には一様に首から血を流した3つの死体が、恐怖の表情すら浮かべずに唖然とした表情で横たわっていた。


 後ろを振り返ると、バーバーはただ茫然とその光景を見ている。


「バーバー」

「は、はい!」


 声を掛けると、バーバーは小さく驚きの声を上げる。私は小さく溜息をついた後に言葉を続ける。


「お前の役目は緊急時の連絡役だ。だからやれとは言わない。だが、そう固まっていては私たちがやられた後に殺されるぞ?」

「……はい」


 バーバーは沈んだ返事を返す。だが、返事の中に反省の色は見えない。


「……役割は果たせよ」


 私はそれだけ言い、その場を後にする。バーバーは何も言うことなく後ろからついて

来るが、その足取りは重いように感じる。


(……こいつ大丈夫か?)


 バーバーに対して感じる一抹の不安を頭の片隅へと追いやり、周囲を警戒しつつしばらく歩くと、周囲は豪華な屋敷が並ぶ通りへと景色は変化していく。


 周囲の建物が豪華な造りになるにつれ、周囲に隠れられる場所は少なくなっていくが、それでも夜間に外に出てまで警備をさせるほどの金を持っている者はいないのだろう。もしかしたら、それ以上に夜間の治安が悪いのかもしれないが。


(……二度目か)


 暗がりを選びながら順調にその歩みを進め、目的の屋敷の前へと到着する。屋敷には広い庭が設けられており、その奥に大きな館と別棟が備え付けられている。


「ひとまず宿の確保だ」


 私は二人へ合図を送り、屋敷の敷地へと足を踏み入れる。かつて私を奴隷として飼っていたトードーの屋敷へと。


・・・


 闇に紛れるために着込んだ全身の黒装束に頭をしっかりと覆う黒いフード。口元をすっぽりと覆った黒い布の隙間からは切れ長の眼に月明かりに照らされて光を反射させる白銀の髪。闇に紛れるための服を着た男は路地裏に入ると、足元の血だまりへと目を落とす。


「おやおや、可哀想に」


 男は感情の籠っていない声をわざとらしく口から出しながら、しげしげと4つの死体を観察していく。そして、その最奥に倒れている唯一血を流していない死体に視線を向ける。


「珍しい殺され方ですねぇ」


 男は死体に触れることなくその死体をしげしげと観察する。


「……折れてますねぇ……人間? では無いようですが……。何かが国に紛れ込んでいますねぇ」


 少年のようにも、少女のようにも見えるその幼さを残した顔を大きくゆがませながら、デッシュはその場を後にした。

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