第3話 密林を彷徨う黒
――夜。
場内の一室、魔王の寝泊まりしていたという掃除をしたにもかかわらず埃っぽい部屋のベットに寝転がる。
ヴァンパイア、あいつらは仲間とは言えない。どちらかと言えば同盟関係といったほうが良いだろう。その証拠に食事の間もストリゴは仲間を守るためか、俺への警戒心を忘れていなかった。そして、その雰囲気は彼に似ていた。あの時俺を逃がそうと奮闘した、
「ズメウ……か」
飯を食べる場所を城の中にしたのも、城下町の地理を知らない俺から少しでも逃げやすくするための策だったのだろうか、と今更ながら思う。
(いい奴なんだろうな)
可能であるならば警戒されない程度の中にはなりたいものだ。
俺は眠るために目を閉じる。以前は毎夜聞いていた鳥の鳴き声が久しぶりに心地よく耳に入る。
風が木々を揺らす音。
葉と葉がこすり合わさる音。
しばらく目を閉じていた俺はゆっくりと目を開ける。外は先ほどと変わらず静かな夜であり、柔らかな月の光があたりを照らしている。
「……眠れん」
体を起こし、腕を回す。既に先ほどまであったはずの疲れは無く、体は軽い。まるで一晩熟睡した後のような、そんな感覚だ。
(……散歩でもするか)
ベッドから降り、出入り口の扉を開ける。扉の外側には2人のヴァンパイア達が扉を塞ぐように立っている。ヴァンパイア達はこちらに訝し気な視線を送る。
「どこへ行かれるのですか?」
「ん? ちょっと散歩にな」
「同行しても良いですか?」
「……まぁ……いいか」
正直一人で行きたい気分だったが、向こうも俺を疑っている為仕方がないか。
・・・
城を登り、城の一角に建てられている塔の頂上へと移動する。風切り音のみが聞こえる塔からは城下町だけでなく、その向こうの景色まで見渡すことができる。そこからは月の光のよって深い影を落とす森や青草の揺れる草原、森の向こうには海が広がっており、その向こうの水平線の手前にはまるで何かが線を引いたように光っている。
「あれはなんだ?」
海上で光っている何かを指さして共に来たヴァンパイアの一人に質問を投げかける。
「ああ、結界ですね」
「結界?」
「ええ。何の結界かは分かりませんが、その向こうは砂漠ばかりで生きることのできない土地が広がっていると言い伝えられています」
「その結界は他にもあるのか?」
「他……というか、この島全体があの結界に覆われています」
俺は海上の光を追いながら周囲をぐるりと見渡す。その場所が遠すぎるのか、光は水平線で途切れ、どこまで続いているのかが分からない。
「……まるで檻だな」
「檻……ですか……」
「で、その砂漠ってのはどこまで続いてるんだ?」
「さぁ? 向こうへ行ったのはかなり昔だそうですし、その記録も書斎の資料のみですので」
「そうか」
改めて周囲を見渡す。先ほどと変わらず周囲から聞こえる音は風を切る音のみ。静かなものだ。
しばらく眺めていると、森の影に黒い何かが動いているのを発見する。初めは大樹か何かが風によって揺れているのかと思ったが、その物体は森の木々の間をその巨体を動かしながらゆっくりと動いている。
「なぁ、あの森のはなんなんだ?」
「うーん……何でしょうかね?」
俺は先ほどと同じようにその黒い物体に指を向ける。あの巨体ならばこの周辺に住んでいる彼らなら分かるだろうと期待しての質問だったが、その予想とは裏腹にヴァンパイアは首を傾げながら間が逆の答えを返した。
質問の間も黒い物体はこちらに向かってふらふらと、まるで草をかき分けるかのように木々を動かしながら徐々に歩みを進めており、このままあれが進めば夜明けまでには城下町に来るだろう。
「……森に行ってくる」
「え? 今からですか?」
ヴァンパイアの言葉を待たずに踵を返し塔を降りていく。
ギガと一緒に過ごしてから、体が大きいというのは的が大きくなるというデメリットがあるもののその大きさは武器になり、小さな生き物ならば巨体で押しつぶすのみで命を刈る事とができる。
その為、あれが敵意を示してこちらに来れば脅威になる。だが、裏を返せばこちらの戦力になれば強力な武器に成り得るかもしれない。それに敵意を示している場合、俺の場合言葉を話せ、その上四肢が無くなったとしても生きていれば元に戻る。だが、他の奴らが出会った場合どうなるかは分からない。
俺は不安な気持ちを抱えつつ、足早に森へと向かった。
・・・
夜の森林は暗い。それこそ、闇という表現が似合うほどに。
木々から生える木の葉は光を受けると影を落とす。その当たり前の現象は木の葉が重なれば重なるほど濃い影を落とし、日が出ている時間帯でも密林の中は薄暗い。それが深夜ともなれば眼をしっかりと見開かないと最早一寸先を見通すことすら難しい。
「……やべ、迷ったか?」
出発してから約1時間。森の入り口までついてきたヴァンパイアとはその入り口で別れ、その身一つで森の中を進んでいく。
だが、以前よりもずいぶんと軽く感じる身体を動かしながら、先ほどの記憶を頼りに進んではいたものの、一度も来たことのない土地の密林であるここの土地勘には疎く、どうやら今俺自身がどこにいるかがあまり良く分からない。
(……登るか)
今まで可能な限り静かに進んでいた。それは野生の獣に見つからない為であり、あの動く物体に見つからないようにするためであった。だが、木に登るということは月光に身をさらすことになるため、見つかるリスクが上昇する。
「ハァ……仕方ねぇか」
俺は闇雲にこれ以上進むのを諦め、近くの木へと手をかける。
(……何だこれ?)
木を登っていくと枝に何かが引っかかっていることに気が付く。その長く、太いベルトの様な革ひもに繋がれた直系20㎝ほどの、龍の絵が彫られた石の円盤は鈍色の光を放っている。
奴隷だった時の採掘していた時でさえ見たことのないその光る石の円盤に些かに興味を惹かれつつ、さらに上を目指す。
5m程の木を登り、その上からあたりを見回す。周囲を見渡すと、星空に照らされた森林の中に、塔から見た黒い何かが森をかき分け進んでいるのが見える。
(あれか)
俺はそれの方向を確認した後、登ってきた木を降りる。幸い黒い何かはこちらに気づいていないようで、その巨体をこちらに向ける様子はない。
再び暗い森の中慎重に歩みを進め、やがて、その視線の先に今までの影とは違う黒が現れた。
(でか……!)
それがそれを見て初めの、分かり切った感想だった。再び、慎重にそれを観察していると、遥か上空から声が聞こえる。
「チビ、用なら後にしてくれ」
焦りからか、一瞬どこからの声か見当がつかず、たじろいでしまう。だが、その声の主は警戒する俺に対して、ずいぶんと吞気な声を再び発する。
「あークッソ、あれがなきゃ通じないんだった。また作ってもらうかぁ?」
その感情を表現するように黒いそれはその巨大な体を動かす。その声色には俺に対する敵意というものが無い。
「なぁ!」
「あーあ、どうすっかなぁ」
「おい! デカブツ!!」
「ああ? なんだチビ、まだいたのか」
黒いそれは相変わらず吞気な声で返事を返す。だが、こちらにその顔を向けるでもなく、こちらに背を向け何かをしている。
「何してんだ?」
「ん? 探し物だよ。……あれ、なんで話せてんだ?」
黒いそれはこちらを振り向き、その巨体を月光のもとに姿を見せる。
その巨人を一言で表すなら、巨大な鬼、だ。そのゴツゴツとした漆黒の皮膚を持つ頭に対となる二本の角を生やした巨人は頭をぼりぼりと掻くと、その巨大な眼をこちらに向け俺を見下ろす。
「おいチビ、言葉分かるか?」
「ああ、分かるぜ」
「石は……持ってはなさそうだな。元々話せるのか。あーあ、どこいったんだか」
「石?」
俺は問いかけるが、鬼は聞こえていないのか俺から視線を外し何かを探すような素振りを見せる。俺は敵意が完全に無いことに安心しながら、再び声をかける。
「おーい、何探してんだよ!」
「あ? 何って、探してくれんのか?」
「うーん……まぁ、ものによるけど」
俺の曖昧な返事に鬼は顔を上げ、再び俺へと顔を向ける。その顔は先ほどよりも明るい。
「マジか!? おめぇいい奴だな」
「あ、ああ。で、何探してんだ?」
「石だよ、石。石板。シロみたいなのが彫られてるやつ」
「シロ?」
「あー、シロが分かんねぇかぁ。あれだよあれ、あー、なんつったかなぁ……。そう、龍! 龍の絵が彫られたやつ!」
「龍……か、それなら見たぞ」
「マジか!」
鬼は顔を明るくほころばせ、俺にその巨大な顔を寄せる。その顔は笑顔であり、敵意がないことが分かっていても怖い。正直、そんなに近づけないでほしいが。
「あっちの木に引っかかってたぜ」
来た道を指し、その場所を示す。鬼は「おおそうか、案内してくれ」と、俺の胴体をその手で掴み、肩に乗せると上機嫌に俺が刺した方向を歩いていく。5m程だろか、思ったよりもごつごつとしたその巨体に乗せられ夜風を浴びながら移動していくその景色はなかなか見事なものだ。
(取って食ったりしないよな……?)
そんな不安をよそに、先ほどに比べかなりの短い時間で先ほどの木の場所へとたどり着く。
「えーっと……あの辺だ」
「そうかそうか、うーん……あ、これこれ」
巨人は俺が先ほど見つけた円盤を拾い上げると、それを首にかける。鬼はネックレスとしては少し大きな円盤を見つめ、再び顔をほころばせた。
「そんなに大事なもんなのか?」
「ああ、シロ……あー、ダチからもらったもんだしな。これのおかげでいろんな奴と戦える」
「戦う……ねぇ」
「見つけてくれてありがとな。なんか礼をさせてくれ」
鬼はこちらに顔を向け、笑う。その牙むき出しの顔は通常であれば恐怖の一言で表せるかもしれない。しかし、ギガを見ていた俺にはそれが本当に笑っているように見えた。
「そうだな……」
「なんだ? なんもないのか?」
「仲間になってくれないか?」
「仲間ぁ……?」
鬼は少し考え、そしてその太い首を横にふるう。
「無理だなぁ、めんどくせぇ。興味ねぇし、俺は自由が好きなんだよ」
「面倒くさいって、お前……」
「なんで仲間なんて集めてんだ?」
「それは……」
人間を滅ぼすため、こいつにそれを言っていいのか。もしこいつが人間側だった時に面倒になるか? いや、それでも……
「人間を滅ぼすためだよ」
俺は少し考え、言葉を放つ。もし仮にこいつが敵側だったとして、俺にはこれを殺す手段が思い浮かばない。それよりも、それ以上にこいつを仲間に引き込めれば強大な戦力となる。
「ほー、ま、がんばれよ」
「……それだけか?」
人間に興味がないのか、それとも俺に興味がないのか、鬼の言葉は無関心そのものだった。
「いや、そりゃ別にまったく無関心ってわけじゃないんだけどな、戦う相手も減るわけだし。……それでも、なんつーかなぁ、お前らにゃ分かんねぇだろうけど、どうせいなくなるのが分かってる存在にそんなに執着しても意味ないことが分かってんだよ」
鬼は茫然としている俺に向かって淡々と、どこか残念そうに話す。
「まー、俺はシロほど頭良くねぇし、別に人間も他の奴らも嫌いってわけじゃねぇ。でもなぁ、今も昔もあいつら変わらず殺しあってっから、そんなのを見てっとどっちが滅ぼうがどうでもよくなんだよ。いや、どうでもよかねぇか……。ま、執着しすぎても意味ねぇんだ。死なねぇ俺にとっちゃ」
鬼は一通り話し終えると、こちらに向く。少し残念そうなその顔には、彼が今まで見てきた何かの一部が表層に出ているようにみえた。
「で、他になんかねぇか?」
「他? ……あー……そうだなぁ……」
必要なものは多い。だが、無理難題を言ったところで意味がない。ともかく、今必要なものは兵隊、武器防具、自身の強さ、そして――
「なぁ、他種族間で話せる道具は無いか?」
早急に必要なのはこれだ。夕食の食堂を見ても会話をしているほとんどは同族どうしが話しており、同じ闘技場から抜け出した者たちの会話はヴィスパラを通してしてはいたが、今後のことも含め不便なのは明らかだ。
「ん? ああ、それならこれがそうだ」
鬼は首元で光る石板を指し示す。
「それをくれないか?」
「えー、そいつはなぁ……」
「いや、別にそれじゃなくてもいい。同じ性能があればいいんだ」
「んー、シロに聞いてくるわ」
鬼は悩みながらも答えを出す。これの持ち主はこの鬼らしいが、その製作者はシロという奴なのだろう。曖昧であっても仕方がない。
「あと、もう一ついいか?」
「ん? なんだ?」
「俺を鍛えてくれないか?」
鬼は俺の言葉の後、すぐに俺の胴体をつかむとそれを自身の顔の前へと動かす。そして満面の笑みでその口を動かす。
「いいぜ! 戦うのは好きなんでな」
「……俺を殺してくれるなよ?」
俺の言葉に鬼は豪快に笑うと、その口端を上げる。
「鍛えてくれってんだ。半殺しは覚悟しろよ?」
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