第4話『紅茶』


程なくして落ち着いたデザインの家が見えてきた。

あれがこの子の家か…。

不思議な心情で、悠は自転車を押して歩く女子高生の頭の後ろを見つめた。

「どうかしました?」

少女が振り向く。

「え?い、いや…」

びくっとする。なんだ、気配でも感じたのかな…。そんなことを思っているうちに、足を止めた少女の背中にぶつかりそうになってしまった。

「着きましたよ。どうぞ、上がってください」

少女に案内されて、玄関を上がる。ふと悠は自分がびしょ濡れであることを思い出した。このまま上がっては悪いだろう。少女もそれに気づいたのか、「あっ、ちょっと待ってて」と言い残して家の奥に引っ込んだ。

本当に来ちゃった…。

悠はどこか現実味がなく、ふわふわとした夢の中にいるような気分だった。一体、どんだけ良い人なんだろう。感謝してもしきれない。程なくしてバスタオルを抱えた少女が駆け戻ってきた。「どうぞ」と手渡される。

「あ、ありがとう」

少し口ごもってお礼を言った。顔が赤くなっていくのが分かった。なんて情けない。

「じゃあ私はちょっと引っ込んでるから、ぱぱっと濡れた服を脱いで風呂に入ってね。脱衣所に、ちょっとおっきいかも知れないけど、私の兄の服を置いておくから」

少女はそう言ってにっこり微笑むと、風呂の場所を伝えて階段を上がっていった。まだ顔の火照りは収まらないが、恥ずかしいなんて言ってられない。このままでは風邪を引きかねない。悠は少女の姿が見えないことを確認して、池に落ちて濡れてしまった半袖短パンを脱いでバスタオルを身に纏った。バスタオルをとって風呂に入る。

これが人間の風呂か…。

実物を見るのは初めてだ。悠は軽い興奮を覚えつつ、瞼をそっと閉じて熱いシャワーを頭から勢い良く浴びた。

んっ、気持ちいい。

冷えてしまっていた身体が急速に温まり、血液が元気良く巡り始めたのを感じる。すると、今まで緊張して溜まっていた疲れがどっと表面に出てきた。緊張が温かいシャワーでゆっくりと優しくほぐれていった。

はー、生き返ったー。

すっかりのぼせてしまった。少女の言った通り、風呂から上がると脱衣所には男物の服一式がきっちりと畳まれて置いてあった。

お借りします。

少女の兄に対して心の中で言った。来てみると、予想はしていたが若干大きかった。まあ、文句は言えない。むしろ、感謝している。裸足で木の廊下を歩く。

「あ、やっぱりちょっとおっきかったね」

少女はリビングで温かい紅茶を入れてくれていた。少し申し訳なさそうにそう言った彼女に、悠は本当に自分がここにいて良いのかという思いが募った。

「あの、本当に…」

「いいからいいから。気にしないで」

言葉を遮られてしまった。

「それに、困っている人がいたら自分にできる最善のことをしなさい、っていうのが私の師匠の教えだしね」

そう言う少女はその『師匠』なる人物を相当尊敬していることが伺えた。「ミルクいる?砂糖?」と問う彼女に首を横にふる。少女は微笑んだ。

「紅茶をどうぞ」

「ありがとう」

今はただ、感謝しよう。悠はそう思った。自分にできることがあったなら、なんでもやろう。白いマグカップに注がれた紅茶に口をつける。

おいしい…。

優しい香りが広がった。

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