第3話『下界ライフ』


えっと…。

ずぶ濡れの少年、悠は呆然と立ち竦む目の前のショートヘアの少女にどう対応していいのか分からずに戸惑っていた。おろおろしつつも、ひとまずは彼女が手渡してくれたタオルで頭を拭き、半袖の裾を握って絞る。ちらり、と再び少女を見るも、きょとんと首を傾げてうまく言われた言葉の意味が理解出来ていないようだった。

親父が『下界の人間ってのは俺たち雷神や母さんの一族の風神のことを昔は信じてたんだがな、最近の連中は信じてねぇんだよ』って前に言ってたのは本当だったんだ…。

ぼんやりと頭の中でそんなことを考えた。ぶるっ、と寒気が全身を襲った。このままでは風神と雷神の子である自分が風邪を引いてしまう。それは、風神と雷神の一族にとっては何よりも耐え難い恥とされていた。

まさか本当に下界に落とすなんて、親父も酷いなぁ…。

ふつふつと怒りが再び湧き上がってくるが、今はそれどころではない。下界での知り合いはいないし、居場所もない。知識は空から見聞きして知っている程度だった。下界の通貨も持っていないし、仕事もない。つまりこのままでは、春の陽気な中で凍死や熱中症で倒れることはないにしても、いずれ餓死してしまう。悠は目の前の高校の制服に身を包んだ少女を眺めた。

今はこの子に頼るしかない。

覚悟を決め、悠はそっと口を開いた。

「あの…」

「あ、はい、どうかしましたか?」

慌てた様子で少女が答える。無理に笑おうとしているのが丸分かりだった。

「タオル、ありがとうございました」

頭を下げる。

「あ、いえ、そんな。よかったです」

「あの、一つ、お願いがあるんですけど…」

悠がそう言うと、少女は疑問符を頭の上に浮かべたような表情をした。なんだかこの少女、頭の中が顔に出すぎじゃあないだろうか。悠はなんとなくそんなことを思った。

「なんですか?」

少女は言った。一拍の間。そして。悠は自分と同じくらいの歳であろう彼女に対して、勢い良く土下座をした。額は地面すれすれ。手は三角に。そして、

「自分は父と二人暮らしなのですが、つい先程、大喧嘩をして家を追い出されてしまいました」

少女は呆気にとられ、目を見開いて聞いている。

「しばらく家には帰ってくるなと言い渡され、天界から下界に落とされてしまいました。自分は雷神の父と風神の母の子ですが、まだ半人前なので雲を呼んで空を飛び、天界に帰ることができません。父が自分を許して迎えに来てくれるまで、自分はなんとしてでも下界で生きていかなければなりません」

必死に、切実に訴える。実際、こんな仕打ちを父親から食らったのは初めてのことだった。頑固で厳しい鬼のような雷神の親父のことだ。きっと何年も下界にいろと言う気持ちに違いない。

ああ、雲が呼べたらなぁ。

悠はそう思った。しかしできないことを望んだって仕方がない。まずは居場所の確保と食料の確保が最優先だ。

「なので…、どうか、しばらくの間だけで良いので、あなたの家の屋根裏にでも住まわせていただけないでしょうか」

土下座のまま、軽く頭を上げてそっと少女を上目遣いに見上げる。なんとか自分の言い分を信じてもらわなければならない。「痛い人」だとでも思われたら、一貫の終わりだった。

「…えっと、うち、屋根裏は狭くて君は住めないと思うよ?」

少女はそう言って苦笑いした。

えっ。

軽い驚いが漏れる。少女はなんと、悠の言い分を全く疑ってはいなかった。悠は目の前の、ショートヘアの少女の表情を一目見て理解した。これは驚きだった。最悪、電撃を加えて脅し、無理矢理言うことを聞かせようかとさえ少しは思ってしまっていた自分が恥ずかしくなった。しかし、屋根裏に住めないとなると、諦めるしかない。

「でも…。私のお兄ちゃんの部屋なら、空いてるよ。今はお兄ちゃん、大学の寮に泊まってるから」

続いた少女の言葉に、今度は悠が呆気にとられる番だった。この少女は自分と同い年ほどの年頃の男子を、同じ屋根の下、しかも屋根裏ならともかく、兄の部屋に住まわせてくれると言うのか。自分の話を信じてくれた時点で驚きなのに、一体どこまで驚かせてくれると言うんだ。少年は軽いめまいを覚えた。

「うち、両親は今海外に行ってて、家には私一人だから。気にしないで」

いやいやいや、そこは気にしようよ!

思わず心の中で突っ込む。さっきから期待の斜め上どころか、はるか上だった。家の住人がこの少女だけならば、少女の家族に追い出される心配もない。

悠はほっと胸を撫で下ろした。

「うーん、今日は課外あるけど…。まあ、仕方ないね。よし、家に案内しよう!」

明るく少女は言った。自転車を押しながら歩き出す。足を止め後ろを振り返り、その場で固まっている悠に声をかけた。

「どうかしたんですか?行きましょう、大丈夫ですよ」

こうして、天界から落とされた雷神と風神の子の下界ライフの幕は上がった。

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