第2話『序奏』

ああ、やっと春休みだ…。

 高校の制服を着た、ボーイッシュなショートカットの少女は元気に自宅の玄関を飛び出した。

「行ってきまーす!」

家の中から母親の声が答える。「行ったらっしゃい。気をつけてね」

赤城秋音は愛チャリを駈け、高校への道を急ぐ。今日から春休みだが、午前中は選択制課外、午後は部活がある。課外は憂鬱ではあるが、自分の学力を考えると受けない訳にはいかなかった。スポーツバッグの中に詰め込んだ教科書や参考書が重い。元気に家を飛び出したものの、気分は重かった。

午後は部活があるんだ、午前中くらい勉強がんばろう。

赤城秋音は自分にそう言い聞かせる。今日は爽やかな春の陽気に包まれた、快晴だった。


春ののどかな朝日を浴びて、通りかかった公園の池がきらめいていた。赤城秋音はふと自転車を止め、そよ風に小波をたてる水面を眺める。

いいなぁ。

重かった気分もなんとなく軽くなったような気がした。なんだか詩人にでもなりたい気分だった。どれ、この景色で一筆したためますか、という感じで。さて、再び自転車のペダルを踏み込もうとした、その時だった。空から一人の少年が降ってきて、穏やかだった池の水面は豪快な音とともに盛大に水飛沫を上げた。

「!?」

目の前で起こった出来事を理解するのにしばし時間をかけた。

おかしいな、今日の天気予報じゃ、晴れってなってたんだけど…。人が降るなんて聞いてないよ?

なんとか平静を取り戻そうとするも、どうやら頭はなかなか冷静になれない。快晴の日に、空から少年が降ってきて池に落ちた。比較的大きな公園だから、池の周りに建築物などない。

あ、そういえばあの子は…!?

慌てて自転車から降りて、池を覗き込む。しばらくなにも浮かんでこなく、赤城秋音は気が気ではなかった。

あ!

少年が顔を出した。ぷっ、と口に含んでしまったらしい池の水を吐き出して、器用に立ち泳ぎをしていた。公園の大きさも大きいことながら、池の大きさも大きい。なかなか深いので、足がつかないのだろう。少年の目が赤城秋音を捉えた。

「大丈夫ですか!?」

声をかける。水面に高いところから落ちると、コンクリートの床に落ちるより衝撃を受けるんだっけ…と、ふとそんなことを考えながら、しかし平気な様子の少年を眺めて胸を撫で下ろした。池から上がった少年は身につけている半袖短パンも肌に張りつきずぶ濡れだった。見たところは自分と同じくらいの年齢だろうか。

はくちゅん。

可愛いくしゃみをした。見ると少年は裸足だった。地面には水溜りができている。

『困っている人がいたら自分にできることをしなさい』。

ふと、赤城秋音は師匠の言葉を思い出した。そうだ、師匠がこの場にいたならば、きっとそう言うだろう。赤城秋音は「ちょっと待って」と少年に言い、スポーツバッグを探って汗拭き用のタオルを取り出した。はい、と少年に手渡す。呆然としている少年に、赤城秋音は「どうぞ、使ってください」と言った。

「…ありがとうございます」

少年が恥ずかしそうにボソリと言う様子に、赤城秋音は思わず笑いが溢れてしまった。

「そうだ。ところで君、なにをしてたの?」

赤面する少年に尋ねる。

「あ、ええと…」

口ごもる少年は、はっとしたように周囲に視線を巡らせた。

「あぁ、本当に来ちゃった…」

そう呟いて少年はうなだれた。沈黙。顔を上げて赤城秋音を見つめる。

「実は…僕、風神と雷神の子供なんです」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る