第5話 真悪霊

 突然だが、私は人肌が恋しい。しかし今はそうでもない。とはいっても根本的な解決はしていない。つまりは相手が人でないものということだ。敢えて言うなら、これは...


―ー――ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 それとの出会いは少し前に戻る。私は眠ろうと床に就いていた。右を下に、横に寝ようとしていた。スマホを見ていると、背中に変な感覚を覚えた。なんというか、指でなぞられているような、くすぐったい感じだった。後ろには壁があるだけで、指なんてあるはずがない。私はその感覚を服の擦れだと思うことで、眠ろうと思った。

 それから十分後、背中の感覚はエスカレートしていた。範囲が腰辺りまで広がっている。身をよじってもそれは止まらない。まず一つも動いていないのに、服が擦れるわけがなかったのだ。そうでないとすれば...一体何だ?

 私は焦りつつあった。こんな状態で眠れるわけがない。この際部屋の電気をつけて、気分を落ち着かせよう。と、思った。しかしそれも叶わず。私は軽い金縛りになっていた。指を動かす、膝を曲げる、キョロキョロするなどはできるが、立ち上がるとかは難しかった。動けなくて未確認の感覚に、私はやっと恐怖を覚える。

 追い討ちをかけるように、私の体が新しい感覚に襲われる。上にして寝ている左側の脇腹に冷たくもなく暖かくもない、緩い温度の固くはない何かが乗ったのだ。圧迫してくる感じはなく、軽く押されているだけ。身をよじっても振り払えない。逃げられない。その状況に私はどうしようもなく恐怖を覚えた。徐々に荒くなっていく呼吸。私はなんとか立ち上がろうと力を入れ続ける。しかしどうにもならないままに、時間は過ぎていった。


 どれほどの時間が経ったのか。私にかかった金縛りが解けた。瞬時に私は起き上がって部屋の電気を付ける。ここから眠ろうなんて考えられなかった私は、スマホの電源をつけてゲームを始める。スタミナが切れればチェス盤を取り出し、一人チェスを始める。あくまで深夜なので、静かに駒を動かす。結果は私の勝利だった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 一睡もできなかった。朝を迎える。食欲がないので着替えてさっさと大学へ向かう。徒歩で30分の距離にある大学。一睡もできていない私は全ての講義を眠って過ごす。今日は明るいうちに眠ろうかとさっさと帰ろうとするが、ここで約束を思い出した。生徒会に知り合いがいて、彼に書類整理を手伝って欲しいと言われていたのだ。

 配布資料を重ねて、ホチキスで留めていく単純作業。うつらうつらする私。


「おーい、眠いのか?」

「済まない」

「寝てないのか?講義中も居眠りしてたろ?」

「あぁ、昨夜は一睡もしてない」

「...何があった?」


 話していいものか。自分でも未確認の出来事。言ったところで変な奴だと思われまいか。


「私は一人暮らし。ペットも飼っていない。そして私は正気。それを前提に聞いてくれ」


 包み隠さず、昨夜の出来事を語る。背中をなぞる感覚のこと、脇腹を押された感覚のこと、金縛りのことを。友人は終始真面目に聞いてくれた。


「ということなんだよ」

「聞いたことがある。それヤバイぞ。霊的な奴だ」


 金縛りの時点でなんとなく、予想はしてた。幽霊って驚かしてくるだけかと思えば、接触してくることもあるのか。


「見る奴もいるわな。言葉交わす奴もいるわな。気をつけろよ、中には実害がある奴もいるんだぞ?」

「実害って...?」

「近所の昔話だが、悪霊が家主を呪い殺したって噂がある。操られた人間が飛び出しで車にひかれたっていう」


 怖いなー。やだなー。作業が終わる頃には辺りが暗いなー。友人とは家の方向違うから、夜道を一人で歩いて帰らないといけないんだ。夜道には慣れたもので、いつもなら怖いと感じることはない。しかしこの日だけは違った。霊の話を聞いたあとだと、出る気がして怖いのだ。

 もしかしたら、もう出ているのかもしれない。校門を出た辺りから、背後に気配がするような...間近にいるとかそういうことじゃなく、遠くに何かがいるような感じだ。別に帰り道が同じだけだと思ったのだが...その気配、私が歩き進めば進むほど、近づいてくるのだ。足を止めればあちらも止める。達磨さんが転んだをしているようだった。しかしなんだか怖くて振り返ることもできず、気にしないふりをして歩き進める。

 ついに、その気配がすぐ後ろに来てしまった。もう猶予はない。何か見えたら嫌だなぁと思いながら、パッと振り返ってみた。するとそこには人がいた。ぼんやりとした輪郭を持つ人が。

 黒く長い髪、白装束の女性と私の目が合った。彼女はニヤッと笑みを浮かべる。私は理解した。この世のものではなさそうであると。言ってた幽霊、悪ければ悪霊。

 しかしここで逃げては怒らせてしまうだろう。そうすれば最後、恨まれて憑かれて死ぬかもしれない。怒らせないための最善の選択肢かどうかは定かではないが、私は懇親の笑顔を返す。方向性の異なる笑顔の二人。静かな空間がそこにはあった。彼女は何もしてこない。怒らせずに済んだようだった。


「用がないなら失礼します」


 礼儀正しく、刺激しないようにゆっくりと背を向けて、元の道を歩き出す。気配は動かない。そのまま私は無事に帰宅した。


 霊に会って、もはや食欲があるとはいえない状態の私。しかしながら、朝食を食わずに、大学で昼休みを寝過ごし、さらに夕食抜きというのは体力的にキツい。私はとりあえず何か作ろうと台所に立った。汁物だけでいいかな、とお腹が言うので、ワカメと玉ねぎの味噌汁を作って啜る。

 少し食べたら元気が出て来た。辺りは暗いしさっさと寝よう。お風呂に浸かって布団を敷く。スマホの目覚ましを確認して、部屋の電気を消す。

 くすぐりが出てこないことに一安心。存分に眠ることができそうだ。と思ったのも束の間。突如変な臭いが鼻をついた。生臭い。獣臭い。まとわりつく不快な匂い。我慢する能、生憎私にはない。とりあえず顔でも洗ってこようと洗面台に移動した。電気をつけ、鏡を見てみる。するとそこには私の顔があった。ただの顔ではない。真っ赤な、血塗られた顔だった。さっきから感じていた生臭い匂いは、血だったのだ。

 立て続けに起こる怪奇現象。私の精神力は耐えられず、意識を失う羽目になった。私は洗面台に倒れた。完全に意識を失う寸前、耳が何かが割れる音を拾ったが、その時はまだ理解できなかった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 そして、朝になった。私は遠くで鳴り響く目覚ましを察知して起きた。起き上がろうと、腕で体重を支えようとするが、その時右腕に鋭い痛みを感じた。見てみれば、腕から赤い汁が滴っていた。周りには白い鋭利な何かが...所々赤く染まったお皿の破片が落ちていた。

 洗面台から直線上に位置する台所を覗くと、驚きの光景があった。食器棚のありとあらゆる食器が落下して割れていたのだ。まず地震を疑ったがそれはない。なぜならリビングの花瓶などは落ちていなかったからだ。

 とにかく謎だ。私は怪我した腕を手当して、大学の講義に遅刻した。


 怪奇によって意識を失った私。しかし、朝まで眠れたのは事実。講義をまるまる寝て過ごすという事態にはならずに済んだ。しかしまさか、私が見える側の人間だったとは思いもよらなかった。さらに血塗られの幻覚に襲われるとは...結局あの血塗られた顔は幻覚だったと朝になって分かった。ただし、腕の怪我は事実。砕け散った皿も事実。あれはさっぱりわからない。原理が理解できない。ポルターガイストって奴か?全く笑えないな。

 生徒会って人手不足なのか、私は今日も手伝わされる。断ればいいのにできないのは、人が良すぎるのかなんなのか。ま、引き続き相談できると考えればいいのかも。ホチキス留めという単純作業に加えて、落丁がないか確かめる。いずれにしても口が暇になる。


「おーい、今日は眠くないみたいだが、霊は出なくなったか?」

「逆だ逆。さらに悪化した」

「えー...今度は何があったんだ?」


 友人と別れた後、背後に現れた黒髪の女性霊のこと、血塗られた顔の幻覚で倒れたことを話してみた。


「みっともないな!ハッハッハ!あれだな、女の悪霊に取り憑かれたんじゃね?」

「冗談じゃない!その霊さんは怒らせないように頑張ったのに」

「悪い。嘘みたいな話だから、面白くって。ま、頑張れ。オレにはどうしてやることもできん」


 一応の心遣いか、彼は作業を中断させて、私を帰路にたたせた。しかし辺りはとっくに暗くなっている上に、彼は仕事から解放されず。結局夜道を一人で歩いて帰るという事象は変わらず終いだった。

 歩き出して数分後、問題が発生した。電灯のない路肩に白っぽい光が差していた。さらにその光の下に人影が見えた。全体的にぼんやりとして見える人だ。多分、昨夜の女性霊。引き返したいが、生憎家への道はこの道しかない。よって、通り過ぎていくしか私が帰る道はないわけだ。

 私は意を決して、足を踏み出す。気がついてないフリをしながら、横切ろうとした。しかし、そっとしてはくれないらしい。視界ギリギリではっきりと見えてはいないが、その霊が私を見ている。口が動き出した。


『その腕、大丈夫?』


 話しかけられた。それも、心配されている。意表を突くその言葉、私はさっと顔を霊にむけてしまった。浅はかな行為だったかと後悔したが、そこに恐ろしい幽霊はいなかった。その霊はただ、心配そうな顔で私を見ている。


「...大丈夫です」

『良かった...最近彼のいたずらが悪化していて、心配だったのだけれど、優秀な守護霊がいるようね』


...安心している。そんな表情に対してか、それとも幽霊が流暢に言葉を発していることに対してか、私はドキッとした。


『あ、警戒しないで。私はあなたに害を及ぼす気はないの。むしろ逆』


 そういわれて、はいそうですかと信用するほど、私は愚かではない。しかし、確かにこの霊には、直感的に悪意があるようには思えない。


「信じましょう。あくまで私の感覚を」

『よろしい』

「じゃあ通してください。帰りたいので」

『はい、近々また会いましょう』


 できれば二度と会いたくないなぁ。しかしコミュニケーションできる相手なら交渉しやすい。よかった、のかな?とりあえず私は彼女を横切って、無事に帰宅することができた。

 しかし憂鬱だ。また血塗られの幻覚があるんじゃないかと思うと...眠れるのか?でも寝るしかない。電気を消して、布団を被る。

 もう怪奇に遭いすぎて、可愛く思えてきた。この背中の痒み。鬱陶しいのは確かだけど、人肌恋しいと感じている私にとってくすぐられる感覚はすごく懐かしい。なんか嬉しくなってきた。何かしらの霊の仕業だとしても、この際、悪くない。


「でも、エスカレートはしてくれるなよ?」

『了解。じゃあこのまま続けますね』

「それでいい...ん?」


 なぜ会話してる?妄想、ってわけじゃなさそうだ。声は後ろから聞こえた。状況からして、くすぐりの犯人。私は起き上がり、それの姿を見た。全体的にぼんやりとしている人が横たわっていたのだった。見たところ若い女性、いや少女...精神衛生上よろしくない状況だったようだ。


「えぇと、君も幽霊?」

『あれ冷静。そう、私は霊。守護霊です』


悪戯の主が守護霊とは、ないな。


『信じて。昨日彼から守ったの私なんだから。私いなかったら主人、今頃お陀仏よ?』

「なら、あのイタズラは?くすぐってたのは君だろ?」

『それは、ゴメン...人肌恋しくて、つい...迷惑だよね、やめる』

「いや、守護霊の楽しみなら許容しよう。ただし、睡眠の邪魔にならない程度に」

『ありがとう。いや、主人は優しいね』


 幽霊って、こんなだっけ?もっとこう、怖い存在じゃなかったっけか?何普通に話しちゃってるの?でも守護霊だっていうならこんなもの?まず会話する対象じゃないし...

 気になること聞いてみようか。


「守護霊様、質問よろしいですか?」

『私の名前は『カイトウ』。カイちゃんでいい』

「カイトウさん、昨夜の血塗られ幻覚はなんだったのですか?」

『...あれは悪霊『カトウ』の仕業』


 彼女がカトウに関して説明を始めた。カトウは悪い霊で、当時住み着いていた家の主にとことん罵られて、結果家主はカトウに呪い殺された。そしてカトウは未練ではなく恨みによってこの世を彷徨う真の悪霊と成り果てたらしい。


『多少脚色はあるけどね』

「カトウとやら、まずどんな未練があったのか?」

『それについては私が説明しましょう』

『誰?』


 なんだなんだ、玄関扉からすり抜けてくるのは誰だ?長い毛髪で顔が見えない。あのテレビから這い出てくる映画のお化けのように、且つ早々と不法侵入するでない。逃げようがないじゃないか。しかしまぁ、その必要はないようだった。知ってる人?だったからだ。


「君は...!夜道の女性幽霊?ついてきたのですか?」

『彼が迷惑かけているなら、私はそれを止める。カトウ様は生前、浮気をしてたの。それを謝るために彼は妻に会いに行こうとしたけど、すでに妻は強盗殺人によって他界。さらに彼は交通事故で死んだ』

「なぜ君がそこまで気にかける?関係者か何かだったのですか?」

『私は『アトウ』。カトウ様の愛人だった女。これ以上の過ちは、繰り返させない。悪の道に引きずり込んだ私の罪滅ぼしなの』


 つまり、アトウさんもカイトウさんも、私を死なせないように守ってくれるということだ。死者同士影響を与えるのは難しく、できたとしても微々たるものだ。彼女らの盾なんて意味があるとは限らない。


「成仏させよう」

『無理です主人。悪に染まった霊を浄化するのは至難の業』

「しかし、消滅させるのは可哀想だ」

『どうするの?』

「説得しかない。少なくとも素人の私にはそれしか考えられない」

『守護霊としては止めさせたい。でも主人をサポートするのが私の役目...』

『成仏させてくれるなら、それ以上に嬉しいことはないわ。可能な限りお手伝いすると約束するね』


 ということで、私は守護霊『カイトウ』と『アトウ』と協力して、真の悪霊『カトウ』を成仏させることになった。

 私は幽霊を成仏させた経験はない。まず幽霊なんていないと考えていた口だった。できることなら逃げ出したいところだが、多分幽霊はこちらが逃げてもついてくる。逃げ場がないなら立ち向かう。今の私に必要なのは知識だ。カトウの説得材料、彼のバックボーンを知りたい。なぜ私にちょっかいをかけてきたのか、そこにはきっと理由があるはずだ。

 ということで私はカトウに関する話を最初に話していた友人の下を訪れた。生徒会室をノックすると、中から許可の言葉をもらえた。


「お前か。そっちから手伝いに来るとは、よほど書類整理が気に入ったらしい」

「違う!私は聞きたいことがあって来ただけだ」

「そんなに拒否るなよ...」


私はパソコンに向かって書類作りを行っている友人の前に座る。


「で、何よ?」

「昔話の話を詳しく聞きたいんだ。家主を呪い殺した、あの件。近所なんだろ?」

「あの昔噂話か?お前聞いてどうするんだよ?」

「いいから教えろ。私に余裕はない」

「よほど切羽詰まってるのな。分かった、理由は聞かないでおこう。だが無理はするなよ」


 心配ご無用。と、言いたいところだが、むしろ無理しないと死ぬ案件だ。約束は守れそうにない。


「家主呪い殺し現場は確か...警察名家の家の隣だったはずだ。霊能力者が当主のあの名家な。知ってるか?」

「...熟知している」


 何せそこは...私の家の極近所だからだ。犯罪に巻き込まれるリスクはなくてラッキー。隣の隣が警察の家だったのであった。つまり、これが導き出す結論とは...


「その現場は、私の家のお隣さんだったのだった」

「...それはご愁傷様だったな...」

「次の標的に私が選ばれたのは偶然か、それとも霊感があったからか...?」

「ん?」

「いや、何でもないよ。相談に乗ってくれて感謝するよ」


 とんだいわくつきアパートだった。引越し先を間違った感が凄まじいな。

 もしくはこういう考え方もできる。私自身がいわくつきということだ。というのも私が移り住んだのはアパートであり、住人は他にもいるからだ。大学に近いため、多くの大学生がここに入りたがる。私が入れたのは運が良かったから。なのに今までこのアパートにいわくはなかった。つまり、私がこのアパートにとっての初めての被害者ということだ。私が、私という存在がカトウという悪霊を目覚めさせた。そう考えることもできないこともない。

 放課後時間を潰し、その帰路。夜道で黒髪の幽霊『アトウ』を拾い、帰宅する。作戦会議のためだ。いつ彼が再来するとも限らない。準備は早いに越したことはない。


『あなたは幽霊についてどれくらい知ってるの?』


 アトウさんは重力に逆らって宙にフワフワ浮きながらそう言った。私は前述した通り、幽霊否定派だった。知る由もない。


『主人は今まで私の存在を知覚してませんでした』


 守護霊のカイトウさんは後ろから、私の肩に手を置きながら語りだす。

 まず私が狙われた理由として考えられるのは、幽霊というのは本能的に精気が多く、霊能力の高い者に付き纏う習性がある。近所で一番精気があり、霊能力があったのかもしれない。そういう素質があり、カトウとの接触という刺激により能力が花開いた。可能性がある。


『霊能力は遺伝性があるのよ。親御さんも見えてるかも』


 聞いたことはないが、隔世遺伝というのも有り得るのだろう。遠い先祖に霊能力者がいたのだろうか。


『守護霊との接触、見聞が可能。且つアトウのような低級幽霊とも同様に可能となると、並の霊能力者じゃありません』


...雲行きが怪しくなってきた。元々晴れてなかったから、曇り空が雷雲になってきた感じかな。


『超霊能力者。霊界で有名な噂の家系。半生を幽霊の成仏に当てた、あなたはそれの末裔?』

「...知らんがな」

『確かめる術はないです。その人に関する情報は皆無。名前も性別も。根拠は持ち合わせた能力だけ』


 それだけで断言はできまい。が、50年に一人いるかいないかというレベルの霊能力も持っているのなら、ほぼほぼ確定らしい。

 実感湧かない。私がそんな大層な存在だったなんて...まぁ、怪奇現象に見舞われて、恐怖に震えず立ち向かう。この姿勢自体おかしかった。会話とかできて戸惑いも少なかったし、超霊能力者の血が流れているからだったのかもしれないと今なら思える。ますます、成仏させることが我が使命に思えてきた。


「...でもあの血塗られの夜、気を失ってたけど。メンタル強いって断言できる?」

『あなたは血塗られの状況に意識を失った。決して悪霊の威圧に屈することはなかった。それ以前に感知さえしない器』

「鈍感なだけじゃ?」

『非霊能力者でさえ、妙な気配は感じるものよ。あなたは超越してるの』


 いいこと、なのか?微妙に嬉しくない。結局鈍感なだけにも思える言い方じゃないか。些細な気配は受け流す器量と言って欲しい。

私自身の問題は解決した。説得は必ず成功させる。幽霊で悪霊であっても、元は人間なんだ。きっと私の言葉が通じる。私は賭けた。超霊能力者である可能性があるのなら、私はその力の信じて、被害を広げないために行使する。

 ところで...


「カイトウさんはなんで終始肩をサワサワ?」

『人肌が恋しいから。理由は、機会があれば語ります。今は目の前のことに集中してください』


 しかし聞くことはなかった。そんな機会は来なかったのだった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 昨夜は二人の守りのおかげで悪霊の被害に遭わずに、静かに眠ることができた。そのため私は朝早くに目を覚ます。カーテンを開ければ、本日は快晴。日光の温かみが心地よい朝だ。

 今日は特に用事はない。土曜日だから学校もない。いつもなら家で終始ダラダラ過ごすのだが、今の家はいろいろと問題だらけで、だらける気もおきない。よって外に出るという選択をした。

 今まで幽霊とかそういうオカルトはただの与太話だと思っていた。それが真実であると信じていた。常識が覆されるというのは、精神的に疲れる。憑かれればなおのこと。気分転換をしようということで、私は近場の公園に足を運ぶ。

 子供が無邪気にボール遊び、若い男女のデートスポット。ここには平和要素が詰まっている。私の心が安らぐ。以前の私なら、子供は騒がしいし、イチャつく男女には虫唾が走っていたかもしれない。平和というのは、こうも簡単に崩れてしまう。大切にするべきだとつくづく思う。

 いきなり額がひんやりとしたものに触れられる。唐突だったので私は変な声を出していただろう。今は昼間だし、霊的な何かではなかった。それは缶だった。


「浮かない顔だな」

「友人?...ミルク?」

「飲めよ。オレのおごりだ」


 偶然、生徒会書記の友人と会った。


「あれだろ、幽霊騒ぎのことで悩んでるんだろ」

「ご明察。例の件はなんとかなりそう、だといいんだけどね」

「進展はあったようだな」

「言うなれば、強敵と味方二人が現れたって状況だよ」

「霊能力者の協力でも得たのかい?」


 霊力のある者。ではあるが、死んでる味方というのはどうなのか...


「ま、せっかくなら成仏させてやれよ。骨くらいは拾ってやる」

「縁起でもないこと言わんでよ」


 笑えない冗談でも、その励ましに敬意を評しよう。感謝するぞ友人。現状とこの世の平和さ加減のギャップに欝になりそうだが、この問題は解決してしまえばいいだけだ。失敗しても骨を拾ってくれる人がいるなら、安心して逝ける。


「...前言撤回。骨は拾わん」

「了解。これはもう死ねないね」


 死ぬ気はない。誰だって死にたくはない。でもこの案件は命の危険を感じる。包帯マキマキの腕を見るとそう感じる。

 そして、日は暮れて夜が来る。私の戦いが始まる時だ。


 私の部屋は静寂に包まれている。テレビもラジオもつける趣味がないため、いつも静かだが、今夜は特にそう感じる。加えて全体に緊張感がある。嫌な予感と共に、人ならざる者の気配を感じる。とても近くに、背後と隣に...

 奇襲攻撃を受けたわけではない。これは別に騒ぐことでもない。


『見えないだけで、昼間もずっと後ろにいる』

「守護霊だもんな」


 私は見えない壁に守られている。可視するのは暗闇だけだが、存在するだけなら昼夜を問うことはない。


『24時間、守護霊でもないのに守るなんて普通じゃないのよ』

「それについては感謝してる」


 しかし、緊張感のない二人だ。張り詰めた糸を緩和してくれているのなら気遣いに感謝するべきなのだろうが。警戒しすぎるのも、結果に結びつかないかもしれない。問題発生時焦っては仕方がない。落ち着いていこう...

 そう考えたところで落ち着けたら苦労しない。私は洗面台で顔を洗い、リフレッシュすることにした。

 蛇口を捻り、水を出す。


『バタン』


 目を瞑って洗面する。


『ガチャガチャ』


 タオルで顔の水気を取り、開眼。


「...あらら」


 変な音がしてたとは思っていた。何かあるんだろうとは思っていた。展開は想像の斜め上をいっていた。洗面台から続く台所の食器棚の扉が開け放たれ、中に入っていたはずの食器たちが宙に浮いていた。

 ポルターガイスト。食器たちはゆっくりと、しかし確実に私に向かって進んでいる。中にはフォークもナイフもチョップスティックもある。

 食器群の向こう側に人影が見える。はっきりとではなくぼんやりと。黒い霧、オーラというかなんというか。そのとき私は直感的にそれが誰なのかが分かった。


「お前が悪霊カトウか?」

『...!!』


 強く睨まれて意識がフワッとしかけるが、二度も負けてたまるかと意識を強く持つ。

 しかしだ。抵抗したら食器群がすごいスピードで迫ってきたわけで...これは死の覚悟が必要かとも思えた。


「直撃コース...!でも、私は独りじゃない!」


 当たる直前で、進軍は止まった。私には見えない壁がある。ヒヤヒヤものだったが。絶対に発動してくれる自信はなかったから。だって異変をすぐに知らせてこなかったから、もしかしたらいないのかもと心配だった。


『防御遅れてすいません』

『カトウ様の威圧で何もできなくて...』


 私の抗う意思が彼女たちを呼び起こしたのだろうか。

 食器群は止まったはいいが、カトウのぶつけようという意思と拮抗していて、不安定な状態にあった。力の配分をミスした陶器が落下して破片が飛び散る。鋭利な欠片が頬をかすめる。


『申し訳ありません主人...!お怪我を...!』

「今はそれどころじゃない」


 戦場で、些細な怪我を気にしていたら、真っ先に死ぬ。少人数による戦いならなおのこと。勝つことだけを念頭に置いておかなければならない。

 私は割れた食器を踏み潰しながら、向こうで揺らめく悪霊の下へまっすぐ進む。決して目をそらさず、睨み返す。その青く光る目を。


「では二人共、手はず通りに」


 前もって伝えてあった作戦、私たちは悪霊カトウに立ち向かう。私はこの部屋における心の安らぎを取り戻すため、安眠するため、悪霊を退散させなければならないのだ。

 作戦というのは単純なこと。二人にはカトウの足止めをしてもらうのだ。守護霊の力の存分に発揮してもらい、彼に私の言葉を聞かせる。聞かせられても、理性がなくなっていたらダメだが。


『結界の展開滞りありません』

「ご苦労様。後は私に任せて」


 怪しく揺らめく悪霊カトウとの距離が2、3メートルに差し掛かったところで、私は立ち止まる。彼は動かない。二人の結界的な何かに封じ込まれているようだ。私は二人の頑張りに報いるため、渾身の答えを悪霊に教える。そのために、口を開く。


「私はあなたを強制的に除霊する気はないし、罵る気もありません。だから話を聞いてください」

『...!!』


 感情を読み取れない目で私を見てくる。理性よ、どうかあってくれ。


「悪霊と成り果てたあなた、カトウさんは生前そこのアトウさんと浮気をしてました。謝ろうとした矢先、車に轢かれて死んでしまったと聞いてます」

『ア...ト、ウ...』


 彼はアトウと言った。少しは希望があるのかもしれない。


「そしてあなたは夫人に謝るためにこの世に化けて出ました。しかし夫人はすでに成仏。謝ることもできずに彷徨いだした」

『...オレ、は...!』

「謝ろうにも謝れない葛藤。加えて居候していた家の主に罵られたあなたは、挙句の果てにその人を呪殺したと聞きました」

『!...』

「そこで私から提案がございます」

『...言ってみろ』


 会話が成立した。これは大きな収穫だ。


「この世にいない夫人に謝りたいのなら、あの世で謝ればいい。ここで悪霊として存在している姿、夫人が見たらどう思うと思われるとお思いですか...!」

『成仏するために、成仏しろと...?...面白い、ことを言う男だな...』

「夫人に真実を伝えたいのなら、成仏しましょうよ」


 これが、私の答えだ。これで説得されないのなら諦めよう。しかし、手応えはある。理性、意思があるのならカトウさんはおそらく...


『珍妙な説得文句だったが、確かにそうだな...』

『抵抗が止んだ?』

『カトウ様...!』

『迷惑をかけたなアトウさん。オレは謝罪するために成仏するぜ!』


 元々輪郭がはっきりしない黒い塊だったカトウだったが、少しずつ灰色、白色とグラデーションで変色。光となり始めている。これが成仏というやつなのだろう。見たことなんてない。見る奴なんて希少だろう。すごい経験だ。こんなこと、人生一度あるかないかくらいだろう。


『敢えて言うぞ。お前は成仏を後少なくとも一度は見ることになるぞ!』

「何を根拠に...あなたに思い入れはありませんけど、存分に気が済むまで謝罪してきてください」

『先刻承知。言われるまでもない。あぁ、あの時の家主がお前ならば...』


 今度こそ、消えた。


 彼が最後に言ったもう一度というのは、つまり彼女のことだろう。カトウを間違った道に引きずり込んだ罪滅ぼしをするというのなら、もう心残りはなくなったということになる。


『その通り。もうここに居残る理由はないわ。謝罪の現場に私がいると厄介なことになるかもだけど、今更よね』

「包み隠さず話し込めばいいんじゃないですか?理解し合うことは必要なことです」

 

 隠し事は人の心に疑いの気持ちを生む。積み重なればそれは大きな歪になる。隠し事をしてさえいなければ、彼が悪霊となる事件にもならずに済んだはずだ。


『じゃあ、あの世で待ってるからね』

「待たなくていいです」

『フフ...さようなら』


 青白いアトウさんは薄黄色の光となって消えた。爽やかな成仏。悪霊じゃないからこそ、毒されていない魂の去り際は美しいものだ。


「終わったんだな」

『はい。終わりました』


 しかしまぁ、成長したものだと思う。私は当初、見える側だと自覚せず、悪霊のイタズラに意識を失っていた。霊的なものに対しては素人だった。今は違う。成仏は不可能と思われていた悪霊を見事に成仏させることに成功したのだ。


「君らのおかげだ」


 霊的なものに感謝すると取り憑かれるという話があったような気がするが、相手は守護霊なので気にしない。


『それが私たちの役目です』

「今日はパーっと宴でも開こうか」

『それは無理です』


 生きた人と幽霊では杯を交わせないことを気にしているのか。表情が曇っているように見える。うん? 嫌な予感がしてきたぞ。


「理由を聞こう」

『任期が終わった。もう私はあなたを主人とは呼べないのです』

「任期?」

『守護霊は主人の成長に応じて、憑くべき霊の強さと数が決まってます。成熟すれば新たに複数の上級守護霊が憑くという決まりがあるのです』

「...君もお別れということか。なんだ、一気に寂しくなるな」

『文句なら守護霊協会に言ってください。好きで下級守護霊やってるわけじゃありません』


...霊界もいろいろあるんだな。引き止めることに意味はない。人生、別れはつきものだ。


『では縁があればまた会いましょう。さようなら』


 守護霊カイトウは成仏という形ではなく、別の誰かに守護霊として憑くらしい。だから、すれ違った人の背中にくっついているのを見る可能性は無きにしも非ず、ということだが...

 私の部屋は元通りになった。こんなに静かだったのだろうか。怖さはない。しかし霊的な存在を感じ取れる私。何もいない部屋が逆に恐ろしく思える。いや、これが普通だったのだが...


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 それからいくらかの日が経った。講義を上の空で受け、暗い帰路をただ帰るだけの日々。心配してくれる友人がいるが、私に言葉は届かない。私は心で泣いている。


「情けない。私は今や、霊肌が恋しく思えてしまう...」


 ダメだと思ってもやめられない。私は霊たちとの生活が楽しかったのだ。危険と隣り合わせでも、人間は常にスリルを求める生き物なんだ。これが普通の考えなんだ。


『異常だから。改めたほうがいいよ』

「できたら苦労しない...ん?」


 背後からの、男の、声?

 どことなく懐かしい感じがする。何がというわけではないのだが。

 このとき既に私には自信があった。背後の彼は、新しい私の守護霊だろうと。霊的な気配を持ち、且つ殺気が感じられない。


『その通り。守護霊協会から派遣された守護霊。それがオレだ。ということで以後よろしく』

「...よろしくお願いします!」


 霊との共同生活は続行されるようだ。こんなに嬉しいことはない。


『これからはオレが守る。成仏させるだけの人生には実りがなかったんで、お前にはそうなってほしくはないんだ。だからいろいろ邪魔するぞ』


 私を心配してくれてるらしい。


「あの、名前を聞いても?」

『オレは守護霊。それ以上でもそれ以下でもない。名前に意味はないさ』


 それから私は新守護霊の加護により、霊的なトラブルに遭うことなく、何不自由ない人生を過ごした、とさ...

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