第4話 悪霊

 我が家には昔から幽霊が出るという噂があった。しかしオレは一度も見たことがない。両親とも見えているのにオレだけ見えないはずはない気がする。霊感は遺伝性があるとかどうとか。

 幸運なのだろう。幽霊なんて見えてもいいことなんて何もありはしないのだから。



〈一日目・自宅〉

 オレは暇な日々を過ごしている。通う大学は長期休みに入った。それも冬休み。夏休みなら海とかレジャーとか、友と楽しめるイベントがある。しかし冬休みは・・・


「あぁあ、お寒いねぇ」


 よって家から出る気力がない。休みに入って一週間は経過したが、まともに出かけたことはない。自室でパソコンとかスマホをいじる。そして時々お菓子をつつき、テレビを付けっぱなしでコタツでウトウト。そして夜になる。

 そんな不健康サイクルが続いている。分かるだろうが、思い出に残るようなことは何もない。


 そして夕飯どき、両親が帰ってきたらようやくまともな食にありつける。


「いただきます・・・相変わらずだねぇ」

「直球で褒めればどうだい?」

「相変わらず変わらぬお味だってんだから、それで理解しろや」

「口が悪いぞ、我が息子よ」

「ハッ・・・親なんだからいいだろ。他人には礼儀を払いますよっと」


 仲の悪い親子ではない。悪かったら逆にこんな態度では険悪な空気が流れることになろう。子供が伸び伸びとし過ぎていると言うのかもしれぬが。


「それはそうと、まだ見えないかい?」

「見えたほうがいい生活できるのか?見えねぇ方がいいだろ」

「だがな、気配がするのだ。今夜は出るぞ」

「出たとして、オレには見えねぇんで。関係ないねぇ」


 そう。オレには無関係。それはいつまでも続くはずだ。オレの目は節穴だ。今までも親は幽霊らしきものによるイタズラ被害を受けてきた。それは傍から見ていた人間にもわかる。椅子がいつの間にかびしょ濡れになっていたり家からパチンパチンというラップ音が聞こえたりすることがあるが、オレだけは平然としている。繰り返すようだが、何も見えてないからだ。

 腹も膨れたことだし、オレたちは夕飯を片付けてリビングでだらけ始めた。テレビを見たり、ゲームをしたり、フェイズブックに写真をアップしたり・・・至って普通の時間を過ごした。自分で思う。オレはとにかくだらけ過ぎであると。

 この時点ではまだ誰もオレの身に降りかかる怪奇現象の存在を知らなかった・・・



 その夜のことだ。オレは床に布団を敷いて、電灯を消して睡眠に入ろうとしたんだ。しかしその日に限ってどうにも寝つきが悪かった。それは、どうも妙な匂いが鼻に纏わりついていたからだ。海や川の生臭さというか、鉄の匂いというか、とにかくここにあるはずのない匂いがこの寝室に漂っていたんだ。

 目を瞑って、鼻を摘み、布団を頭から被ってみても、その不愉快な匂いは離れなかった。


「・・・あぁ!もう我慢できねぇ、顔でも洗ってこよう」


 オレは立ち上がった。長いこと闇の中にいたので目は慣れて、電気をつけることなく洗面台まで到着した。冷水で顔を洗ってみると、なぜだかヌメっとした。おかしいと思ったオレは洗面台の電気を点灯させた。鏡を見上げてみるとそこには思いもよらない衝撃の光景が広がっていた。


「なん、だよ?・・・これは・・・」


 顔が赤く染まっていたのだ。赤面したのではない。これは、血だ。ヌメリの正体は顔に纏わりついていた血だったのだ。生臭かったのもこの血のせいだったということだ。その時オレは既にぶっ倒れる寸前だった。この後何もなくても失神していたことだろうが、問題はこれで終わりではなかったのだ。

 鏡に映った血まみれのおっかない顔の奥の方、つまりオレの後ろに何か見えたのだ。口を大幅に歪ませてニヤつく顔があったのだ。

 意識があったのはここまでだ。それの正体を理解するより前にオレは糸が切れた人形のようにその場に倒れ込んだ。



〈二日目・自宅〉

 次に目が覚めた時オレは同じ場所にいた。立ち上がって鏡の自分と顔を合わせたが、不思議なことになんにもなっていなかった。洗面台にも血の痕はない。あれは夢だったのだろうか?寝ぼけていただけだったのだろうか?

 せっかく洗面台前にいるということで、早速顔を洗って歯磨きをした。両親はすでに起床しており、母はキッチンで朝食の準備を、父は新聞を読みふけっていた。


「おはよう」

「・・・!、お前なぜそんなところから現れる?」


 まぁおかしかろうな。起きてないものと思われていたこのオレがまさか洗面所から出てこようとは思うまい。


「いや、ちょっと寝ぼけてて、朝起きたら洗面台前に倒れてたんだ」

「寝ぼけてそこまで移動するか?」

「朝ごはんできたわよ、あら随分早いのね」


 いつもなら親の声がなければ例え目覚ましが大音量で流れようとも起きないオレが、目覚ましが鳴る以前に起きているのは奇跡のようなものだ。少々寝るには悪い環境下だったからこそ早起きが出来たと思えば、洗面所で寝るのも悪くは・・・あるか。



〈同日・学校〉

 冬季休みに入ったのに、なぜ学校に行かなきゃなんねんだ。

 仕方ないのは承知している。オレは頭脳派じゃないから補習を受けなきゃならないんだ。だからといって体育会系でもない。が、役立たずとは誰も言わない。正しくは言わせない。そんなこと、このオレが許さない。

 学生の本分である授業はなんとなく寝て過ごすものであると考えている。ノートは友人に見せてもらえば問題ない。どうせよほどの教師じゃなければ教科書以上のことは言及していないのだから。



〈同日・自宅〉

 オレは体中の汚れを流す。特に顔は入念に洗う。昨日のトラウマがオレを突き動かす。非科学的なことで驚かされて意識を失う姿なんて晒したくない。

 一通り洗い終わったので水気を拭いて頭を乾かす。リビングでは何ら変わらぬだらけた生活を送り、他愛ない時間を過ごす。こういうのがなんと素晴らしいものだろう、と感じるのはオレにとってはまだ未来の話だ。日常というのは素晴らしい。無下にしてはいけない。


 時間も遅いので電気を消して眠ることにした。今日はあの匂いは漂わない。だからといって冬の夜はそう簡単に人を眠らせてはくれない。知っての通り、冬って寒いんだ。熱を補ってくれる都合のいいものがあればいいが、都合よくそんなものがあるわけでもなしに。今から湯たんぽ準備するのも手間だし。

 なんだ、右の方でカリカリという音がする。ネズミかと思い追い払おうと右手を敷布団から出し、床を叩いた。しかしオレはその手をすぐに引っ込めた。何か得体の知れない何かに触れたからだ。ヒンヤリとした、少しヌメっとした何かが床を覆っている。怖いもの見たさでオレは引っ込めた右手に鼻を近づけてみる。そこからは覚えのある匂いがした。昨夜の生臭さだ。

 手を洗いに行きたい衝動に駆られたが、またあの惨状があるのではと思うとどうにも動くことができない。あと面倒くさい。

 人には暗闇でも適応できる目がある。だからオレは嫌でもその何かを見る定めにあった。敷布団の右側にあったものとは、赤く染められた畳であった。さらにそこから視線を上に上げていくと天井からぶら下がっているものが見えた。それは、昨晩のオレの背後にいた、口を大幅に歪ませてニヤつく顔だった。顔だけじゃない。首も胴体も足腰もある。普通に立っていればいいものを、どういう原理か足を天井につけて逆さ吊りの状態でオレを見下ろしている。いや見上げているのか?どちらにせよ、今するべきことは決まりきっている。

 そうだ。目の前の不審者をたたき出すべきだ。昨夜オレを錯覚でダウンさせ、背後を取っていたのに危害を加えていない。今もこれは血の海の錯覚を見せながら目の前でにやけているだけ。意味の分からない行動を・・・もしかしてコイツはオレを見たいだけの変質者?寒気がする。


「父上よ、起きろ!オレの部屋に不審者がいるぞ!金属バットを要求する!」

「な、何事?」

「コイツだ!早く隣の家の親売った刑事野郎を呼べ!」

「あらら、あなたでしたか」

「何を呆けてんだ、この役たたずが!」


 オレは左の拳を握りしめて変質者の胸部を殴打しようとした。しかしオレの拳は何に当たることもなく、すり抜けていった。なんだ?この非科学的な現象は?


『いやはや、やっとかよ』

「あぁ?」

『やっと、見えたようじゃないか』

「見えたって、何が?」

「オーバーケー、がだよ。我が息子よ」

「お化け?おバカなんですか父さん。そんなのがどこにいるんですかねぇ」

『ここにいる。すり抜けたのが何よりの証拠だろ。そんなことも分からんのかバーカ!』

「・・・カッチーン、殺されてぇか?」

「もう死んでるぞ我が息子よ。カトウさんは五十年前に死んでるんだ」


・・・冗談キツいぜ・・・



 オレも見えたそうだ。全く冗談キツい。あぁ、認めたくねー。でもいつまでも現実から目をそらすほど愚か者でもない。仕方ない。存在することは認めてやるか・・・

 天井からぶら下がるカトウとやら、それを睨むオレ、オレをなだめる父親、という摩訶不思議な光景。カトウとやらはこの家に住み着いていた幽霊だったらしい。定期的にいたずらしていた無邪気な幽霊だと父は説明するが・・・


「住人を気絶させておいてよくもぬけゆけと・・・」

「悪気はなく、ささやかな悪戯なのだ」


 父が彼を庇うように、話し始めた。カトウとやらの過去、こうなるまでの経緯。彼の妻は五十年前に彼の出張中に殺害されていた。そのころ彼は東京でお仕事、正しくは浮気をしていたという。そしてその帰り道、車に引かれて死亡した。


「へっ、ざまあみろ!」

『・・・』


 死者は心残りの有無によって、この世を彷徨うか否やが決まる。つまりは、これもまた何かを未練がましく思っているのだ。


「で、心残りは何なんだよ?」

『浮気をしていた俺は、妻への謝罪をしたかった。なのに出来なかった。あの日俺は浮気をやめて帰る所存だったのに』

「・・・オレをバカと呼ぶ資格はテメェにはねぇよ。恥を知れ、恥を・・・!」

「じゃが彼は謝ろうとしていたのだぞ?」

「謝れてないならそれは謝ってないのと同義だ!そしてそれは知らない方が幸せな情報だ」

『隠し事はいけねぇよ?』


 隠し事はいけないものだろうか。いやそれは違う。隠すことで人を傷つけないことだってある。真実を伝えることが、いつでも正しく、人のためになるとは限らない。


「お前はずっとこの世で一生彷徨い、苦しむがいい!」

『一生終わってるけど?』

「なら言い変えよう。オレの一生が終わるまで、孫子の代まで受け継ごうか?始めよう。浮気をしたクズへの罵り地獄をな」


 見えたのは幸いだった。いい事とが全くないということはなかったと気がついた。カトウというどうしようもない悪霊を、オレはこれから毎晩罵れる。死んだからってその罪から逃れることは決してない。


「父上も、過ちを犯すことのないように。肝に銘じておけよ」

「まさかワシがするはずないだろう」

「くれぐれも、この騒ぎで眠り続ける母上を悲しませるな」

「...大丈夫だ。阿呆のこれがいれば、道を外すような選択をすることはありえん」

『それはつまり、俺を見れば浮気という道に走らずに生きれるということか?』

「死んだお前にできる唯一の償いかもな」


 親が死ぬまで浮気をしなければ、カトウ夫人の存在を認め、罵ることをやめる。オレは悪霊とそのように約束を交わした。これも一種の友情と言えるのかもしれない。



 しかし、この関係性がいつまでも続くとは限らない。何しろ、彼はあくまでも悪霊なのだから...

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