第2話 殺人事件 前編

 ある夏の日、オレはいつも通りに中学校からの帰り道を自転車で駆け抜けていた。家への帰宅路は今走っているこの道しかない。この道とは田んぼの真ん中の小道だ。視界を邪魔するものがなく、とても見晴らしがいいので、オレは大好きだ。

ちなみに今日はちょっとしたイベントがある。それは友達宅への宿泊だ。だからオレはすでに、心ウキウキワクワクドキドキだ。


 ところで友達と夏の夜、話すなら何が話題に上がると思うだろうか。選択肢はおそらく二つだろう。一つは恋の身の上話。二つ目は怪談話だ。当然ながらオレたちは恋の話をしたが、それが一段落してもなお遅くまで起きていた真の夜ふかし組は次の話題に移る。


「こんな話、知ってるか?」


 友達グループにおいてムードメーカ的な立場の友が話し始めた。


「この町の田んぼの小道には、女の幽霊が出るって話だ。その幽霊は遥か昔から目撃されてて、怨念が半端じゃないらしい。特にお前、気をつけろよ」


 彼はオレを指差して言った。オレの帰宅路がちょうど田んぼの小道を通るのを知った上での発言だ。


「タチ悪いぞ。怖がらす気満々じゃないか」

「でも怖いだろ?」

「そりゃそうだがよ」

「ハハッ、怖い時は笑いな。吹っ飛ぶぜ」

「参考にさせてもらうよ」


 怪談話って何が楽しいんだろうな。誰かが楽しくなるわけじゃない。その場に残るのは恐怖感だけだ。語り手がサディストで聞き手がマゾヒストならぴったりだろうが、オレはどちらでもない。


 翌朝、友の家を解散したオレたちは散り散りバラバラに自分の家に自転車を走らせる。無論オレもその一人だ。まだ朝なので帰宅路は幽霊とかとは無縁であったが、昨日の今日だからちょっと怖い。オレは恐怖の感情を押し殺してペダルを漕いだ。

 それからまたいつも通りに学校に通学しているうちに、その道への恐怖感は薄れていった。



 数日後、オレは深い考えもなしに友達宅に日帰りで遊びに行った。協力プレイのゲームをしに行くのだ。よってオレは自転車の荷台に携帯ゲーム機と通信用コードを積んで出かけていった。

 今日も楽しかったな。惨敗だったが気にすることはない。遊べるだけ幸運だ。遊んでいるうちに時間が遅くなってしまったらしく、時計の短針はちょうど八を指している。


「もうこんな時間か。今日のところはこれでお開きということで」


 先のムードメーカ君がそう言った。そして彼はオレを指差した。


「なんだよ?」

「そろそろ忘れてる頃だろうな。帰り道、せいぜい気をつけな」

「・・・抉り返すなよ。笑えばいいんだろ笑えば。てか、怖がるとでも?」

「ハハッ、じゃあな。頑張って帰れ」


 この野郎、楽しんでやがる。ふざけやがって・・・確かに怖いのは事実なんだが・・・そんなこと言ったらますますあの顔がニヤケてくるだろうから言わない。オレは帰路についた。

 ・・・さぁ、例の場所にたどり着いたぞ。後はここをひとっ走りすれば帰宅できるんだが、いつもより道のりが長い気がする。行っちゃえば行けるんだろうが、ハキハキと行動できるような度胸がオレには足りない。もし幽霊が出たらと思うと憂鬱だ。何度もペダルを踏み込もうとするが、寸でのところで躊躇してしまう。だが、いつまでも足踏みしているわけにはいかないのは分かってる。時間をかければかけるほど、増すのは夜の闇の深みと恐怖感だけだ。

 オレは自転車を押して歩き出した。今のところ異常はない。暗くて様子は分からないが、明るい時間では毎日景色を見ているので、どこに何があるかは分かっている。見晴らしがよく、障害は何もない1本道だ。それだけの、はずなんだが・・・

 

 オレの前方に何か異常事態が発生している。ほのかに青っぽい光が差しているのだ。その光はまるで電灯のようにも見えるが問題は、この道には電灯のようなものはないはずなのだ。これは何やら雲行きが怪しくなってきた。

 咄嗟に自転車をそれとは逆の方向に向けて逃げたい衝動に駆られるが、生憎帰宅路はこの道しかなく、迂回路もない。諦めて進むしか道はないか。近づくと、あの光の正体が見えてきた。青い光は予想通り電灯ではなかった。そこにいたのは人影だった。青白い肌に白い着物を着た黒髪の日本人女性が立っていた。この世の者じゃない。オレはそう肌で感じ取った。

 さらに逃げたい衝動に駆られるが、その手段と言えばあれを横切っていくしかないと気がつく。オレは満を持して自転車に跨ってスピードを出して走り出す。あれとの距離十メートルほどに来たとき、女が話しかけてきた。


『私、綺麗?』


 予想外の言葉だったので、オレはつい自転車を止めてしまった。こいつ、口裂け女だったのか。妖怪?口裂け女だとすれば、何か返答しないと殺される。ポマードだっけ?オレはとりあえず、目線を女の顔に向けた。青白い肌を抜けば整った顔だ。口下には白い布が巻かれているが。


「き、綺麗だと思うけど・・・」

『ふーん・・・これでも?』


 口裂け女?は布を思い切り引きちぎり、その内側に隠していた口を露わにした。オレはそれを見て驚愕した。なぜなら...

...女の口元には何の異状もなかったからだ。


「口裂けてないじゃないか!今までのやり取りはなんだったんだよ・・・『私、綺麗?』の質問の意味はなんだ?ただの自慢か?綺麗な顔しやがって、おちょくるなよお前!」


 つい感情的になって長いセリフを言ってしまった。こんな状況で、意外なオレの特技かな。

 多分幽霊の女は、オレの発言に対して少し驚いた顔をした。表情がまた変わり、恐ろしい笑みを浮かべた。表現するならまさに、ニヤリ、と。オレはゾッとした。夜道で女幽霊がニヤッっとしてきたら誰でもゾッとする。イキフンがドイヒーで、このまま取り憑かれてしまうのではないかとさえ思った。そう思うや否や、オレは本能的にペダルに足を伸ばし、猛スピードで駆け抜ける態勢に移る。


『なんで逃げるの?』


 幽霊がそう問うてきた。余裕がないが、無視しなかったのは、オレの悪い癖。


「なぜって、その顔されて逃げない奴の方がおかしいよ!」

『にこやかな女性を怖がる方がよっぽど変じゃない?』

「にこやか、だと・・・?って話してる余裕なんてあるかよ!オレは全力で逃げる!恨むなよ!」

『ちょ、待って・・・』


 幽霊に待てと言われて素直に待つアホがいるか。いや、いない。オレは話しかけてくる女幽霊の横を全速力で走り抜けて行った。喘息になりそうなほどに息が上がっても漕ぐスピードを緩めずに走った。


 どうにか家に着いたぜ。肩を上下させたオレの様子を見た親が何かあったのかと心配してきた。


「どうしたんだ、我が息子よ」

「ちょっと追われてて・・・あっ、何でもないよ」

「追われてて?ストーカーか!ワシに任せろ、逮捕してくれる!」


 父は元刑事だ。絶対的正義を掲げる熱血漢だが、オレに対して心配性すぎる。面倒くさい時があるが、そう無下にはできない。オレも父さんの姿に憧れて刑事になることを夢見ている人間の一人だ。目の前のモデルを参考にしない手はない。

 しかし、幽霊に会ったなんて話をするのは無しだ。言ったって何の解決にもならない。なぜなら、両親ともに霊感は欠片もないからだ。オレもその二人の子供だから仲間だとばかり思っていたんだがな。現実は意外なものだ。

 この日を境にオレの人生は大いに変わっていくことになるということを、オレはまだ知らなかった。



 その後、オレはちょっとビクビクしながらも、家族の温かみに癒されて落ち着いてきた。この心持ちならうなされずに眠れるだろうと信じて寝床に入り、電気を消した。が、オレは後悔した。暗くなったらあれが怖い。このタイミングだ。幽霊が出たら堪ったもんじゃない。がしかし、オレの希望は無残に斬捨てられてしまった。

 何者かの視線を感じる。一度目を瞑ってしまったのを開けるような勇気はない。だが確実に気配がある。参ったねどうも。

 気配が近づいてきて、ついにはオレの枕元にまで来てしまった。だが今のところ金縛り等の危害を加えられてはいない。


『こんばんは』

「?!」


 いきなり女の声がした。それも、聞き覚えのない声だ。おそらくさっきの幽霊がついてきてしまったんだ。


『起きているのでしょう?さっきから目がヒクついてるよ。観念して起きなさい。』


 目をつぶってても分かる。幽霊はオレの顔を覗き込んでいる。何とも言えない冷気がオレの肌に注がれている。いや、正しくはこちらの体温が奪われている感覚か?オレはこの感覚を直感的に危ないと感じて、堪忍して恐る恐る目を開けてみた。その時オレは、青い二つの光・幽霊の目と目が合った。近い。


「・・・・・」


 怖い。怖いぞこれは。初見の霊がこんな至近距離の人はオレ以外にいるまい。そう思うほどにオレとこの幽霊の距離は近かった。


「とりあえず、離れてくれないか。人には最低限の不可侵距離があるんだ」

『あら、ごめんなさい。予想以上に肝が据わってるね。この距離に幽霊がいて失神しないなんて』


 確かに。怖いのは事実だな。幽霊の免疫があるならまだしも、オレには霊感があるなんて考えてもみなかったような霊感トーシロだもんな。なんでだろう?


「・・・というかあんた、なんでオレの居場所が分かった?シャテンジで全力疾走して撒いたと思うんだがな」

『シャテンジ?・・・自転車ね。フフ、幽霊の力を舐めないでよね。私たちは焦ってる人から漏れ出す精気を辿ることができるのよ。だからあなたの居場所を割り出すことなんて簡単なのよ』


 マジか。じゃああの時オレは焦らずに逃げればこんな状況になることはなかったのか?


『まぁ、それ以前にあなたのことは知ってたから家の場所くらい知ってたよ。だから、逃げても意味ないのよ』


 彼女はこの世のものとは思えない笑みを浮かべた。この世の者じゃないから別に問題ないか。しかし、だ。これはもうオレ、取り憑かれて終了だな。参った参った。


 人生終わるのに何の抵抗もしないのはオレの信条に反する。どう転ぶかは分かったものではないが、行動せずにはいられない。


「あんた、幽霊になった理由は何だ?何かこの世に心残りがあって彷徨っているのだろう?」

『そうね。興味ある?』

「この際、聞いてみたい」

『いいわ。私の名前はカトウっていうの。私はね、私の胸を打ち抜いた男を探しているの』


 心を打ち抜いた?それは心を奪われた方の意味のか?それとも、物理的に撃たれた方か?


『ちなみに、物理的の方ね』


 鉄砲で、か。このカトウさんって堅気の人間じゃないのかもしれないな。鉄砲持ってる人に殺されるなんて、ヤクザか何かか?


「カトウさん、あんたの生前の職業は?」

『専業主婦よ。それ以上でも、それ以下でもない』

「でも夫の職業はまともじゃないのでは?思うに、ヤクザ的なものでは?」

『違います。真面目な家庭です』


・・・オレの観察眼は刑事になるために鍛えている。察するに、カトウさんは嘘を言っていない。なら、どんなシチュエーションがある?一般人が鉄砲で撃たれる可能性って何だ?オレにはまだよく推理できない。まだ情報が足りない。


「あんたは専業主婦で、殺害されてその犯人を探してる。さっきの恐怖のニヤケ顔から導き出せるあんたの正体は、悪霊という結論で間違いないか?」

『悪霊?それ以前に恐怖のニヤケ顔って何よ?』

「・・・もしかして、自覚なしか?一回笑ってみてくれる?」

『何でよ?』

「いいから」


 カトウさんは渋々作り笑いをしてくれた。相変わらず、オレをゾクッとさせる。


『これで満足?』

「あぁ。これで分かった。あんたは表情音痴だ。今度鏡の前で自分の笑顔を見てみろ。絶望で死にたくなるような顔だぞ」

『鏡・・・』


 ん?鏡というワードを聞いた途端に大人しくなったぞ。なにやら昔を思い出しているような顔だ。


「話が流れたが、悪霊だよな?」

『私は悪霊じゃないわよ。悪霊だったら今頃あなたも餌食になってるでしょう。これからもその気はないからよろしく』

「・・・嘘は言ってないな。信じよう。そういえば、鉄砲で撃たれたんだよな?てことは、少なくとも私服で着物を着るような時代の人じゃないよな。なんでそんな着物を着ているんだ?」

『・・・雰囲気が出るからよ』

「確かにそうだが、めんどくないか?驚かす気がない時くらい普通の格好でいればどうだ?」

『そうしたいのは山々だけど、替えの服がないのよね。幽霊には霊界の布で出来た服じゃないと着れないから』


 それもそうか。普通の人間には触れない幽霊。その幽霊が着ている物は必然的に人間に触れられないものでなければならない。

 霊界か。少し前のオレでは何の興味もなかったし知らなかった。いろんな世界があると気付かされる。その意味では、彼女に会ってよかったと思う。

 その夜、カトウさんはオレの手を握って眠りについた。彼女の手は冷たく、夏の夜を乗り越えるには打って付けだ。オレの肌から精気が吸い取られると、体温が下がる幻覚に襲われるらしい。夏に怪談を話すと寒くなる感覚があるのは、このことから来ているようだな。


 翌朝、起きてみると彼女の姿はなかった。幽霊だから当然か。明るい世界では生きていけない。死者は暗黒に生きるということだ。


 色んなことがあって、時間感覚が麻痺しているらしい。今日は学校のある日だった。準備しなければなるまい。行ったって、どうせ授業は寝る運命にあるのだから教科書も筆記用具も必要ないが、一応建前だ。オレはカバンにそれらの物を詰め込んで自転車に跨って通学する。例の田んぼを通り過ぎ、街中にある学校に急いだ。 しかし、家でゆっくりしすぎたせいで遅刻した。先生にはどやされるわ、ムードメーカの野郎たちには笑われるわ、散々な朝を迎えたオレだったが、気づけば放課後だった。一限から最後までほぼぶっ通しで眠りこけたらしい。きっと疲れていたんだ。


「おいお前、帰らねぇのか?疲れてるなら寝るのが一番だぜ。あ、もう充分寝てるか!ハハッハハハ!」

「笑うんじゃねぇよ。色々あんだよオレだって」

「スマンスマン。悩みがあるなら聞いてやろう。何でも言ってみな」


 こういう時、友というのは頼りになるな。いいね。だがな、何でもと言われてもありのままを語るのはちょっとな。また笑われそうだ。どう言えばいいか・・・


「オレじゃ力になれない悩みなのか?」

 

 真剣な目をしている。このいつも人を笑ってるこの男がこんな顔もできるのか。


「正直、これはお前に話しても無駄だと思う。良くて笑い話にされるのがオチだろう。そんな内容だが、真剣に聞いてくれるか?もしそう約束してくれるなら相談したい」

「・・・よほどらしいな。分かった。お前の悩み、ふざけずに聞いてやろう」


 オレは昨夜、田んぼの真ん中の小道で女幽霊に出会い、意外と悪い奴じゃないと知って、会話とか、色々あったという話をした。その間野郎は常に真剣な顔をして聞いてくれた。時々驚きを隠せない顔をしたが、当然の反応だ。


「・・・あの話、本当だったのか」

「そのようだ」

「オレから言えることは、必要以上に深入りするなってことだな」

「なんでだ?」

「こんな話がある。今から数十年前、霊感の滅茶強い男がいたんだ。幽霊を見るだけでなく、そいつは霊に触れ、会話した末に成仏させた。そんなことをしている間に半生の時間を無駄にしたらしい」

「それって無駄か?彷徨う魂を救ってあげるなんて、ある種の慈善活動じゃないか」

「だってよ、友達になるなら生きてる人間の方がいいだろ。それに、成仏するってことは、いなくなるってことだぞ。永遠に再会することはない。悲しいだろそんなのは」

「まぁ、そうだな」

「ちなみにだが、霊力最強の男でも一人だけ、成仏させられなかった女の霊がいたとかいないとか。ハハッ、また女の幽霊だってよ」

「・・・もしかしたらその幽霊だったりして」

「達人が成仏させられなかったのをお前ができると思うか?やめといたほうがいいと思うぜ。これはお前を思っての忠告だ」

「ありがとう、でも・・・」


 オレは乗りかかった船を降りる術を知らない。それが分かったとしても逃げるつもりはない。こんな能力があるなら使わないという選択肢がオレにはない。なんとしても、オレは成仏を成功させてやる!

 オレは野郎と別れ、帰宅した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る