3.不正と損得
不正について、ということばをぼくが発したとき、読子さんは敏感に目を細めた。そこには、もうそれ以上のことばをつづけないほうがいいという読子さんのメッセージのようなものも含まれていて、ぼくは口をつぐむ。読子さんは立てた人差し指をくちびるに当てた。……ぼくのくちびるに。
便利な言葉は、ときにあぶないから、飲み込まれないように気をつけないとだめ。読子さんは珍しく、だめ、という強い言葉を使った。読子さんは声のトーンを穏やかなものに戻してつづける。なにか不満を感じている、それは現実。だけど、便利な言葉に流されないように、自分をつよく持っていないといけないの。
不正はよくないよ。じゃあ、なにが不正かは線引きされている? 落としどころは決まっている? それらは共有されている? なにより、じぶんたちにはそれを裁く立場にある?
声を挙げることは、誰にでも許されている自由だよ。けどね。と、読子さんは接続のことばをつける。正義であることはとっても甘い誘惑でもあるんだよ。正義であるという自信と、正義に連帯しているという安心感は、ときに思った以上に心に入り込むから、ときどき気をつけないといけないよね、と。
そこまで言ってから、読子さんはぼくのくちびるから指を離す。これも、ひとつの考え方だけど――と、ことわりをいれたうえで読子さんはつづけた。ひとは自分がそうと口にださなくても、気づいてなくても、思った以上に損得の感情で動いている。ずるをするのは、ずるをするだけのメリットがあるから。たとえば、カンニングが判明した瞬間に命を落とすような世紀末な条件付きのテストなら、カンニングはしないよね。ずるをするにもコストがかかる。
漫画によくあるような人気投票をするとして。はがきは一人一枚。複数投票はだめというルールがある。でも、複数投票をしたことを確かめるしくみはない。さっくんは大好きなキャラクターを一位にしてあげたいとして、総投票数が百票のときと十万票のとき、さっくんはずるのコストは、同じだと思う?
それはすこし、論点がずれてるんじゃないかな、と指摘すると、読子さんはそうだね、と微笑んだ。――でも、ずるを徹底的に取り締まるより、ずるする意味が限りなく薄れてしまうようにしてしまうほうが、コストがかからないこともあるよ。これも損得のひとつだね、と読子さんは穏やかに言った。
ぼくはいじわるな質問をする。じゃあ、読子さんにとってはぼくとのことも、損得勘定? 読子さんはすぐに、そうだよ、と答えた。ぼくがなにか言うよりまえに読子さんはつづける。さっくんといると、わたしが、わたしの気持ちが一番得をするの。そういって読子さんはまた、ぼくのくちびるを塞ぐ。
また、とは言ったが、このとき何を使ってぼくのくちびるを塞いだのかは伏せておこう。そうしておくのが、ぼく、読子さん、これを読む人、みんなにとって得だと思うから。
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