プロミス

佳原雪

傍迷惑なHandmaid engage

ある日、心霊学者のシーモアのもとに宅配便が届いた。送り主はドクターヘイゼル。財団所属のシーモアの同僚で、人間工学を専攻している男だ。しかし奴は数ヶ月前に死亡報告が出ている。シーモアは眉をひそめた。死者からの郵便配達なんて聞いたことがない。それとも、死ぬ前に何か送ろうとしていたのだろうか。

シーモアは伝票を破り捨てると、一メートル四方の箱にカッターを突き刺す。箱は妙に大きく、内容物に関しては見当もつかない。

嫌に整然と貼られたガムテープの隙間から湿った空気が漏れ出た。シーモアは思わず舌打ちをした。箱の中の空気からヘイゼルと同じ匂いがしたのだ。シーモアはヘイゼルが嫌いだった。付き纏いなどの迷惑行為を平気でするからだ。どこにいてもある種の羽虫みたく湧いて出るように現れたヘイゼルは、ある日を境に季節の終わったかのように消えてしまった。

換気扇を回して開いた段ボールには、二体の人間、否、人間様の機械が詰まっていた。金と銀の髪のアンドロイドだ。手足を折り曲げて収納されたそれらが目を開いたのは、シーモアが箱のふたを閉じようとしたのと同時だった。二体のアンドロイドは関節を曲げ、箱の縁に手をかけ、ゆらりと滑らかな動作で立ち上がる。踏まれた梱包材ががさりと音を立てた。

二対の目がシーモアをじっと見た。

「初めまして、ドクターシーモア。コンゴウと申します」

キュービックジルコニアだろうか。硬い質感の光彩を煌めかせ、金の巻き毛は腰を折って挨拶した。きらめく髪がふわりと揺れる。よくできている、とシーモアは舌を巻いた。アンドロイドの中でもお高いモデルなのだろう。手足の動きにも不自然なところがまるでない。

「私はシロガネと言います。お見知りおきを」

きびきびした金髪とは打って変わって銀髪は目を伏せ、優雅に礼をした。長いプラチナブロンドの髪がスーツの肩口に流れるのをシーモアは眺めていた。ファッションウィッグと比べてもこちらのほうが断然人の毛に近い。まるで本物だ。しばらくして、シーモアは疑問を口にした。

「お前らは何者だ。そもそも送り主はヘイゼルだろう、なぜ俺の家へ?」

コンゴウと名乗った金髪は淀みなく答えた。

「私たちは次世代型のセクサロイドです。ドクターヘイゼルから同僚のドクターシーモアへ、親愛と友好の記念品として贈られました」

にこやかに返すコンゴウに対し、シーモアはだんだんと苦い顔に変わる。ヘイゼルはそういうやつだった。近頃は何もない日々が続いていたので忘れかけていたが、ヘイゼルは元来迷惑な人間だ。

「親愛と友好だ? ヘイゼルめ、どの口が」

あの野郎、着払いで送り返してやる。呟いてシーモアは歯軋りした。それから、もう返す人間はいないのだと思い至りもう一度忌々しげに舌打ちをした。

「仕方ねえな、さしあたっては様子見だ。わからないことがあれば聞け」

シーモアは段ボールを畳み、壁の隙間に押し込んだ。コンゴウは初期設定のためといい、目につく殆どの物の解説をシーモアに求めた。一日の終わりにはぐったりしたシーモアがループタイを外してベッドに倒れ込んだ。無理もない。その日コンゴウはシーモアを文字通り引きずり回し、使い倒した。眠り込んだシーモアのそばでは、シロガネとコンゴウが部屋ごとのマップなどの情報をそれぞれ共有した。


◆◆◆


まとわりつくような汗の匂いでシーモアは目を覚ました。腕にねじれたシャツが絡まっていて気持ちが悪い。寝起きのぼんやりした頭は昨晩風呂に入りそびれたことを思い出した。シーモアはあくびをするとベッドの上を眺め、足元に落ちていた銃を手に取りズボンの尻にねじ込んだ。

シャワー室で頭から湯をかぶっていると、浴槽からきらきら光る黄色い塊が現れた。シャワーヘッドを構えて片目ずつ目元を拭うと、黄色い塊はコンゴウの頭になった。シーモアはシャワーヘッドを下ろした。

「おはようございます、ドクターシーモア。よい朝ですね」

湯の張られた浴槽にコンゴウは浸かっていた。無為につけられたシャワーカーテンから覗く人工物のはずの肌の質感がいやに生々しい。よくできている。シーモアは再び目をこすった。

「コンゴウだったな。電気で動くんだろ、感電はしないのか」

感電しているなら今動いてはいないだろう。無粋な問いに、コンゴウは淡々と答えた。

「完全防水です。涙も流せます」

「そうか」

まだ眠気が完全に飛んでいないシーモアは、それ以上なにも聞かなかった。涙を流せるアンドロイド、それがオーバースペックかどうかは運用してみなければわからない。運用する気があるかと聞かれたら、シーモアはおそらく首を横に振るだろう。

髪を洗い終えたシーモアは風呂を出た。肩にタオルをかけてダイニングに行くと、シロガネが手持ち無沙汰そうに座っていた。シーモアに気が付くと、立ち上がって軽く頭を下げる。

「グッドモーニング、ドクターシーモア。……コンゴウを見ませんでしたか」

櫛を通したようなプラチナブロンドに糊のきいたシャツ、黒い手袋、几帳面に閉じられたカフス。寝起きにしては整いすぎているとシーモアは思った。銃を指でなぞる。目の前にいるのは、まぎれもなくアンドロイドだ。

「あいつなら風呂にいた」

軽く会釈して立ち去ろうとしたシロガネの手首をシーモアは掴んで止めた。少しだけ温度の低い肌がびくりと震えた。

「……ここで待っていればいいだろ。座ってるのを咎めたりはしない」

シロガネはシーモアをじっと見た。そして、短く返事をすると、またもとのように手持ち無沙汰そうに座った。

シロガネもシーモアも何も言わない。シロガネは深刻そうな面持ちでで宙を睨んでいる。シーモアはそんなシロガネを何をするでもなく見ていた。結局、コンゴウが戻ってくるまで二人の間に降りた沈黙が破られることはなかった。


◆◆◆


コンゴウとシロガネが来てから三日目の夜、シーモアは泥酔して自宅に帰ってきた。よく知りもしない分野の新人の歓迎会に呼ばれ、わけのわからないまま酒を飲む。目の前にいる相手がだれか知りもしないまま話し、愛想よく笑い、酒を飲む。そんな理不尽の嵐ともいえる会合から帰ってきたシーモアは粗悪なアルコールのせいもあって、頭に血が上っていた。普段言わなくなった罵詈雑言を壁という壁に向かって吐き散らし、口を開けば苛々と、ファック、ファック、ファック。喚くことにも疲れたのか、酔いつぶれて床に崩れ落ちたシーモアをコンゴウは躊躇わずファックした。

シーモアの体は冷たい床の上、なんの抵抗もできず体液を零した。


「あっけないですね、シロガネ」

「……コンゴウ、聞かれてはまずいことを本人のそばで言うのはよくない」

シロガネはコンゴウの発言を咎めた。コンゴウはシーモアの腰から手を離し、出たそれを指で絡め取って口に入れた。

シロガネはラテックスの手袋をはめ、陰茎を揉んで尿道に残ったものを押し出した。ぼたりと床にしずくが落ちる。酔いの冷めやらぬ頭でシーモアはぼんやりとした抵抗をした。払うように動いた手は途中でだらりと床へ落ちる。意識を手放したシーモアの体をシロガネが濡れタオルで清めた。

コンゴウがシーモアをベットへ運ぶ間、シロガネは床を拭いた。落ちていた銃をハンカチで拾い、サイドボードに載せる。シロガネは銃をまじまじと見た。今朝、シーモアがシロガネに向けたのはまぎれもなくこの銃口であった。夜明け前、シロガネは部屋へ入った。シーモアの様子を見るためだ。シーモアは起きていた。起きて、銃口と焦点の合わない目をシロガネに向けていた。シーモアはシロガネをじっとみつめ、一言『お前か』と言って銃を下ろしたのだ。安全装置は外れていた。

「コンゴウ、様子は」

「寝てるよ」

「水を飲ませておいてくれ。急性アルコール中毒で死ぬかもしれない」

「溺れたらどうする?」

「それはコンゴウに任せる」

その晩シロガネはシーモアの銃口が、本来は誰に向けられたものであるかをじっと考えた。



◆◆◆


「頭が痛え……」

シーモアはベッドから降りた。ずきずきと痛む頭が苛立ちを増幅させ、昨晩の出来事をぼんやりと再生した。泥酔して醜態をさらしたことに気づき、シーモアは舌打ちした。枕元の銃を手に取り、尻ポケットにねじ込む。

アレク・ヘイゼルは趣味の悪い人間だった。人間工学の第一人者と言わしめた男で、死亡届が出される半年前には海の向こうで工場と手を組み玩具を作っていたらしい。

玩具。玩具だ。ヘイゼルはなんのつもりでこんなものを寄越したのか。まさかカワイイお人形でままごと遊びをしろというわけでもあるまい。もし仮にそう言ったら? その時はヘイゼルの頭が吹っ飛ぶだけだ。当のヘイゼルには吹っ飛ぶ頭ももうないが。

「……」

ベッドサイドで腕を組んで座ってたシロガネが目を開けた。シーモアは胸ぐらを掴むと、うろたえるシロガネを意に介さず力任せにベッドへ引き倒した。シロガネは呻き、俯いてけほけほと息を吐く。

「……お目覚めですか。どうされました、ドクターシーモア」

シーモアは黙ってシロガネに伸し掛かった。シロガネはにわかに体を強張らせた。そんなシロガネを、シーモアは押し倒し、うつ伏せに這わせる。腰から手を回し、シーモアはベルトの留め金を外した。スラックスに手を掛け、膝まで下げる。

引き締まった肉体が視線に晒され、シロガネは身震いした。シーモアは下着を下げ、尻たぶの肉を掴む。服の着せ方と言い、まるで女児向けの人形だ。シーモアは昔つるんでいた女を思い出した。彼女は尻が軽く調子のいい人間だったが、不良研究者だったシーモアに尻の使い方を教えた。ブロンドヘアーの彼女は見た目によらず賢かった。人体を傷付けず快楽を得る術を彼女は知っていたのだ。彼女はポリウレタンを好み、ラテックスを嫌った。ローションを垂らし、記憶をたどり、シーモアは舌打ちをしながら教えられた通りに手を動かす。


自分のベルトに手をかけたところで、シーモアはえづいた。胸をわしづかみにして、前へ倒れる。げほげほと吐く息に合わせて唾が飛んだ。二日酔いと低血圧に屈し蹲ったシーモアを、シロガネはバスルームへ運んだ。シーモアはバスルームで吐いた。


◆◆◆


「……なあ」

「はい、なんでしょうか。ドクター」

シロガネは長い髪をかきあげて顔をこすった。水を与えられ、シーモアは新しく出したシャツのボタンを留めている。

「俺のループタイしらねえか」

シーモアはシロガネを見ない。シロガネも何も言わない。

「こちらに」

シロガネはタイを手渡した。シーモアは受け取り、首にかけた。この年頃の男性がループタイをつけるのはめずらしい。シロガネはシーモアを洒落た男だと解釈した。ヘイゼルは細身のネクタイを好んでいたが一つだけ趣向の違うネクタイを持っていた。なぜかは知らない、だが、誰かの贈り物なのだろうとただ漠然とした確信があった。

ネクタイを結び、髪を輪の外へ出しているシロガネに気づき、シーモアは指差して尋ねた。

「どうやって結んでるんだ、それ」

「ネクタイですか」

シーモアは頷いた。シロガネは表情を変えず、ネクタイをゆっくりと結び直した。

「どう、と言われましても。輪を作って外向きにまいて、そこに、くぐらせただけですが」

「それがわかりゃ苦労しねえよ」

シロガネはループタイを改めて見て納得した。つまりこれは、見た目と実用性の折衷案なのだ。

「……以前、ドクターの写真を拝見したことがあります。その写真ではドクターはネクタイを結んでいたように記憶していますが」

「ああ、その頃つるんでた女がやたら器用な奴だったんだ。今から二年前くらいか。半年付き合って、そいつは家に来なくなった」

シロガネは神妙な顔で頷いた。ヘイゼルはシーモアをプレイボーイと形容したことがある。シーモアはこれでいて、女性に困ったことはないのだろう。

「その時してたのを解かずにずっと使ってたが、それもヘイゼルにやっちまった」

「……それ、黒のネクタイでしたか」

「いや、確か緑だ」

シロガネは唐突にヘイゼルを思い出す。部屋に置いていたネクタイをえらく気に入っているようだったのにヘイゼルはそれを一度たりともつけることはなかった。いつだって手にとって、眺めては元のように仕舞われるそのネクタイの色は緑だった。


◆◆◆


「ドクター? その銃はなんですか? 護身用ですか?」

コンゴウはシーモアの尻ポケットをつついた。シーモアはその手を除けて答える。

「除霊用だ。本来はソードオフショットガンを使うんだが、さすがに家では使えないからな」

コンゴウは目をぱちくりさせた。

「なるほど、確かに」

コンゴウはふむふむと頷いた。横からシロガネが口を挟んだ。

「ドクター、コンゴウに火器を持たせてはいけませんよ。引き金を引くことを、コンゴウはためらいません」

「そういうふうにできています。僕たちは二人で一つ。本当に不味いことなら、シロガネが止める手筈になっています」

「ええ、そういうことです。かわりに、私ができないことはコンゴウがやってくれます。何なりとお申し付けを」

「任せておいてくださいね」

シロガネとコンゴウは、それぞれ笑顔を見せた。シーモアは二人を交互に見遣った。

「ああ、わかった」


◆◆◆


シーモアが部屋に引いたのを見計らって、シロガネはコンゴウに話しかけた。

「コンゴウ、ドクターの事ですが」

「ああ、わかるよ。あれは何かに怯えているよね。ドクターが危険な状態なのはシロガネに言われなくてもわかってる」

コンゴウの発言に、シロガネはぎょっとして顔をあげた。

「……何かありましたか」

「撃たれたんだ、目に当たって弾道がそれたから肌には傷一つついてないよ」

目を指してコンゴウは朗らかに笑った。煌めく目には傷一つない。

「そうですか、無事でよかった」

「天井に穴が開いたから組み敷くときは気を付けて、ドクター結構気にするタイプっぽいから」

シロガネは額を抑え、無言で首を振った。


◆◆◆


「なあ、おまえら、ベーグルの性別は知っているか」

湯気の上がるコーヒーをすすって、シーモアは尋ねた。シロガネは口元に手をやり、しばし考える。

「……存じませんね」

「存じないですね。ドクター」

首を横に振るシロガネ。コンゴウも知らないようで、目を開けたまま首を傾げた。

「ちょっとしたギャグだ。正直な話あまり面白くはないが……ドーナツはどうだ。シロガネ、わかるか」

シロガネは、ドーナツ、と繰り返した。目を閉じたり開いたりしながら薄く口を開けた。

「……ミスター。男ですか」

「なるほど、その通りだ。じゃあ、ベーグルは?」

「ドーナツと形は同じですが……ベーグル、ベーグル?」

シロガネは眉根を寄せた。横でやり取りを聞いていたコンゴウが笑い出した。

「男ですね、ドクターシーモア」

シーモアはにやりと笑ってコンゴウに指先を向けた。

「何故だかわかるか、コンゴウ」

コンゴウは頷き、声を殺してくつくつと笑う。

「穴が一つ。わかってみてれば簡単なことです」

シーモアは満足げに頷いた。暫くして、内容を理解したシロガネの眉間のしわが少し深くなった。

「ああ、成程……」


◆◆◆


「俺のループタイ知らねえか」

ばたばたと走りながらシーモアはシロガネに尋ねた。シロガネは首を振る。シーモアはその辺のクッションや雑貨を手当たり次第に裏返している。

「コンゴウに聞いたら如何です。もしかしたら知っているかもしれません」

シーモアは首を振った。

「聞いたら、コンゴウはお前に聞けって言った。サイドボードの上に置いたはずなんだ。どこにあると思う」

シロガネはしばし考え、思いつく場所がなかったので当たり障りのないことを言った。

「シーツの間は探しましたか」

「見てくる」

泡を食ってシーモアは走り去った。シロガネはめずらしいものを見る目で、その背中を見送った。



「あった、ベッドの下だ」

シーモアは駆け戻ってきた。手に件のループタイを握っている。シロガネはやや驚いた。まさかあるとは思わなかったからだ。しかし見つかったのはめでたい。

「よかったですね。大切なものなんですか」

シロガネの問いに、シーモアは目に見えて狼狽えた。シロガネは不審に思った。どうだっていいものをこんなに真剣に探したりするだろうか。シロガネの前で、シーモアは考え考え言葉を紡ぐ。

「大切……いや、まあ、そうだな」

シーモアの言葉は曖昧だ。シロガネは少し考え、やはり当たり障りのないことを言った。

「……これからはなくさないように気を付けてくださいね。替えがきかないのでしょう」

シロガネの言葉に、シーモアはショックを受けたように目を見開いた。どうしてこの人は一々驚くのだろうとシロガネは思った。まるで初めて気が付いたとでも言うように傷ついた顔をするのだ。そのまま目線は手元のループタイに落とされた。

「……ああ、そうだな」

シーモアは目を伏せたまま僅かに顔を歪めた。


◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆


「あ? んだよヘイゼル。なんか用か」

机の周りをうろうろしている同僚に、シーモアは鬱陶しそうに声をかけた。実際に鬱陶しく思っていたのであろう、シーモアの表情は険悪だ。

「いや、今日は君に用はないんだ。ちょっと探し物を」

ヘイゼルは振り向かずに机の上の段ボールを漁っている。鋏かカッターでも探しているのだろうか。シーモアは椅子を回し、ヘイゼルのほうを見た。

「早く見つけてとっとと失せろ……お前そのネクタイどうしたんだ」

ネクタイは結び目がくしゃくしゃになり、小剣が見えている。というより大剣の先がない。大剣の真ん中に斜めに大きく刃物で切ったような跡がある。もしかしてヘイゼルの手に握られている毛羽立った布切れはネクタイの片割れだろうか。

「ちょっといろいろあってね、切っちゃったんだ。それでもこれから会議だからね、ああ、あったあったダクトテープ」

ヘイゼルはこともなげに銀色のテープを切り、ネクタイと布切れをぐるぐる巻きにしてくっつけた。シーモアはヘイゼルの正気を疑った。貼り合わされたものが、どう控えめに見てもネクタイには見えなかったのだ。いうなれば前衛芸術の類だ。

「ただでさえうざったい面構えしてんのにこれ以上評価を下げることはないだろ。これ持ってけ」

シーモアは首にかかっていた結び目の硬いネクタイを外し、ヘイゼルへ投げた。ヘイゼルは少し面食らったような顔をし、それを受け取る。

「おや、君が親切だ。明日は雨かもな」

ヘイゼルは笑い、ダクトテープと切れたネクタイを段ボールの中に放った。

「喋ってないでさっさと行け、クソ野郎。会議に遅刻しろ」

シーモアは中指を立てた。ヘイゼルは礼を言って走り去った。


◆◆◆


「ラリー、この間は助かったよ。それでネクタイだけど」

ヘイゼルはにこやかに切り出した。シーモアはこの愛称で呼ばれると必ず返事をする。それがどんな言葉になるかはさて置き。

「要らん。てめえの着けたもん返されても困る」

シーモアの胸元にはなにもない。ヘイゼルはシーモアの所持するネクタイの本数を知っている。

「ふむ、そうきたか」

そして、それを付けてこない理由も。

「? どういう意味だ」

顔をあげたシーモアの視線から逃れるように、ヘイゼルは顔をそらした。

「いや、今日も俺、嫌われているなあと思ってさ」

そんなことは微塵も思っていないような顔で、ヘイゼルは言った。その様子に、シーモアは鼻を鳴らす。

「物分かりが良くて逆に気持ちが悪いな、何か企んでないか」

ヘイゼルは軽薄に笑った。

「まさか。そんなこと言われるとは心外だな」


◆◆◆


「ああ、ラリー。探したよ」

ヘイゼルはにこやかに駆け寄った。シーモアは露骨に嫌な顔をした。

「その呼び方やめろっつったろ。今日は一体何の用だ」

「これをあげよう」

ヘイゼルは握っていた小さな箱をシーモアに投げ渡した。

「俺の誕生日は今日じゃねえぞ」

「知ってる、誕生日は一昨日だ。それにこれは誕生日プレゼントじゃない」

「何で知って、いや、言わなくていい。じゃあ季節のなんかか? まて、今日は何の日だ」

捲し立てるシーモアにヘイゼルは困ったように笑った。

「こないだの礼だよ。開けて見なよ」

眉根を寄せながらも、シーモアは言われる通りにラッピングされた箱を開けた。中から出てきたものを見て、驚きに目を開く。

「……ループタイじゃねえか、よく手に入ったな」

「ああ、気に入ったか?」

シーモアは眉根を寄せて言い淀んだ。ヘイゼルは表情にこそ出さなかったが、手を叩いて笑いたい気分だった。わかりやすい男だ。気に入ったけれどヘイゼルの手前それを肯定するのは嫌なのだろう。ヘイゼルの目が眼鏡の奥で細められた。

「……でも、もらっていいのか? 俺はお前が好意を示してしかるべき人間じゃない。そもそも、何で俺に付きまとう? 俺より条件の良い人間なんざその辺にごろごろしてるだろ」

ヘイゼルは細めていた目を見開いた。シーモアがヘイゼルの贈与に、このような反応を返したのはこれが初めてだった。

「君からそんな言葉が出てくるとはね、長生きして良かったよ。人生は驚きに満ちている」

動揺を隠し、ヘイゼルは努めて冷静に普段通りの返事をした。シーモアは嫌そうな顔をした。

「人が真面目に話してんのに呆れたような顔するんじゃねえ。だからお前はクソ野郎だっていうんだ」

「そうだね、これは失敬」

見当違いのことで怒るシーモアに、ヘイゼルは口に手をあててにこやかに笑った。

「そんなこと微塵も思っちゃいねえくせによく言うぜ」

「ははは、困ったね。君のそういうところは割と好きだよ……ああ、いけない。もう時間だ。じゃあな、ラリー。せいぜい大事にしてくれ」

「……だからラリーって呼ぶなっつってんだろ!」

ヘイゼルは手を振り、踵を返して走り去った。シーモアは黒くなびいた髪を掴み損ねた。ループタイの礼を言いそびれたことを思い出したのは、ヘイゼルが見えなくなってからだった。


◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆


目を覚ましたシーモアは壁を殴った。

結局、あの時の礼も言えず、ヘイゼルは死んだ。自分勝手な男だ。あんなにしつこく付きまとっていたくせにあっけなく死に、今でもシーモアを不快にさせる。

壁を殴った手が痛くて、シーモアはもう一度壁を殴った。手は赤くなり、殊更に痛んだ。


◆◆◆


その日、シーモアはシロガネとコンゴウでトランプをしていた。コンゴウの出した2×3+ジョーカーにシーモアが4×4の革命返しを宣言した時だった。

チャイムが鳴った。何度も鳴らされるそれに居留守を決め込んでいたシーモアはいい加減むかつき、トランプを握ったままドアを開けた。

「ラリー、元気?」

満面の笑みを湛えたその男を見て、シーモアは目を疑った。

「お前……」

目を疑ったシーモアは迷わず銃を抜いた。上がりまで秒読みだった手札が玄関にばらまかれる。シーモアはそれらに目もくれず安全装置に手をかけた。

「ストップ! ストップ! 生きてる!! 殺さないで!!」

ヘイゼルは両手をあげて害意がないのを示した。片手には花束を持っている。シーモアは銃を下ろした。

「どこ行ってやがった。何で生きてやがる」

「謹慎処分食らっちゃって俺、ずっと帰ってこれなくてさ。久しぶりの故郷って感じ。はい、お土産」

「花束なんか要るかよ。おい、シロガネ! コンゴウ!! ヘイゼルだ!!」

「お呼びですか。おかえりなさいませ、ドクターヘイゼル」

「はい、呼びましたか。ドクターシーモア。ああ、お久しぶりですドクター、……ヘイゼル」

自分の名を呼ぼうとしたコンゴウの発する歯擦音にヘイゼルが笑う。

「二人のことは気に入った? ラリー」

「答えなんかひとつだろ、このクソバカめ」

ヘイゼルは笑った。

「そうだね。君は変わらないな。なあ、俺と結婚しないか、ローレンス・シーモア」

「頷くとでも思ってんのかアレキサンダー・ヘイゼル。脳味噌の代わりにおが屑が詰まってるんじゃねえのか。いいか、まず、俺は、男だ」

「俺とお前の仲だろ。フルネームなんてよそよそしい呼び方しないで、アレクって呼んでくれてもいいんだぜ。性別といえば、クロワッサンドーナツの性別は知ってるか」

「男だろ。流行ってんのかその話……いや、違う。話をそらすな」

「クロワッサンドーナツは流行ってるぜ、今じゃどこへ行っても売り切れだ。でだ、ラリー、指輪はどうだ」

「男だ。俺の話を聞いているのか?」

「聞いているとも。彼らは?」

金とプラチナの髪、銀とダイヤモンドの目。二つセットのアンドロイド。シーモアはヘイゼルに掴みかかった。

「…………ヘイゼル! てめえ!!」

ヘイゼルは目を開けたまま笑った。

「一度ははめたんだろ、指輪」

「はめました、ドクター」

「コンゴウ、黙って」

「というわけだ。ラリー」

にこやかにかえすヘイゼルに、シーモアは頭を抱えた。

「クソ、嵌められた……」


◆◆◆


「これからよろしく、ラリー。いや、ローレンスって呼んだほうがいいかな、痛っ」

「ふざけんなよ……」

「顔殴るのは酷くない? 割と気に入っているっていうか結構自慢なんだからさ……危ね」

「新婚初夜だろ一発どうだ」

シーモアは手の中の銃を回した。ヘイゼルは手を振って拒絶を示す。

「いや、結構」

シーモアは鼻を鳴らして、笑った。

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プロミス 佳原雪 @setsu_yosihara

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