第79話『後藤の休日』
「竜也さーん。」
肌に突き刺すような夜の寒さが襲う、東京の繁華街。
俺は、寅子に誘われ夕食後に一杯飲むことになっていた。
今日は1月8日。
昨日の旭川常盤高校との激戦を終えた後、部員達は直ぐに眠りにつき、今日も休養日となって体調管理に勤めていた。
1日中暇だったのもあって、彼女のこんな誘いにも乗ってしまった感はある。
まぁ、たまには良いだろう。
俺自身も、部員達を守る為に奔走してきたが、ホトホト疲れきった。
彼女達の要求は難易度が高いのと、中身が濃いからだ。
一応短時間とは言えメディアに露出してしまった以上、今は少し変装をしている。
まぁ、メガネをかけて髪型を少しいじってみただけだが、自分で言うのもなんだが、数十年同じ髪型だったのもあって違和感があるほど別人だ。
そう思っているのは自分だけかもしれないが…。
「いつもの竜也さんとは、別人のようね。」
寅子の感想に、少し安堵した。
ちなみに明日も休養日となっていて、明後日10日午後1時より、決勝戦が行われるスケジュールとなっている。
とはいえ明日は決勝の舞台から近い二つのグラウンドを、決勝で戦う両校がそれぞれ自由に使えることになっている。最終調整をするためだ。
我が校は完全封鎖の関係者以外立入禁止状態にしてもらった。
理事長は反対していたみたいだが…。
学校の対応として、全国決まってから、ようやく応援に本腰入れたのがマズかったな。
対応が遅すぎた。だから、俺の要求にも答えるしか無いのが現状だ。
メディアの取り上げ方は、色々と個性が出ていたな。
部活動なのに奢っているといった内容から、面白おかしく書き立てるものまで。
まぁ、好きにすればいい。
戦うのはメディアじゃないし、メディアの為に戦うのではない。
さて、寅子と合流出来たのは良いが、どこへ行ったら良いやら…。
まったく土地勘もなければ、スマホなどで調べてもいない。
店の数が多すぎて、決めきれないのは明白だからだ。
事実、視界に映る店舗を数えるのも面倒なくらいだ。
「竜也さん、行きたいお店はあるの?」
「いや…。」
「だと思った。だからホテルの人におすすめ聞いてきたから、そこ行きましょ。」
助かった。
「任せる。」
「ふふふ…。」
寅子は楽しそうだ。
「何か良いことでもあったか?」
「そうね。」
「ほぉ?」
「それは今よ、いーま。」
そう言うと、俺と腕を組んできた。
「こらっ、誰かに見られたら…。」
「ここは東京よ。それに、私達幼馴染みたいなものじゃない。」
「だからと言って…。」
教師としてコンプライアンスは守らなければならないと、常々戒めているつもりだ。
「今日は休養日でしょ?だったら、プライベートじゃない。」
まぁ…、そうとも言えるが…。
「ほどほどにな。」
そう言うと、彼女は子供のように嬉しそうに笑っていた。
その笑顔で俺は、日頃の緊張感や疲労感から、少し開放された気がした。
寅子が聞いた店は、ホテルから歩いて15分ほど。
沢山の行き交う人の波をかき分けて向かう。それほど遠くない。
到着してみると、路地に少し入った場所で、小さい店が沢山並ぶ内の一軒だった。
古い店構えからは、既に良い匂いが漂っていた。
どうやらおでん屋らしい。
ガラガラッと少し立て付けの悪い引き戸を開け、年季の入ったのれんを潜る。
「いらっしゃいっ!」
威勢の良い声が飛ぶ。
店内は3組みの客がいたが、空いているのはカウンター席だけだった。
二人でカウンターの端の席を占領する。
「何にしましょうか?」
「まずはアツカン!」
「いいね~!」
「外は寒いよー。」
「キューッと温まってって!」
「ありがと。」
「じゃぁ、お酒くるまでに…。」
寅子は俺の好みも知っている。
次々におでんを注文していくが、ホテルで夕食は済ませているから、適度な量で抑えている。
少しすると徳利と、ぐい呑二個を渡された。
ぐい呑に酒を注ぐ寅子の横顔は、昔と変わらない。
「はい、かんぱ~い。」
チンッ
小さな陶器のぶつかる音と共に、一気に飲み干す。
美味い。
これこそ五臓六腑に染み渡るってやつだ。
直ぐに二杯目を注いでくれた。
よく煮込まれた大根を箸で割いて食べる。
こっちも味が染みていて美味い。
「美味しい?」
「あぁ、旨い。」
「ふふふ、良かった。」
寅子も食べ始めた。
「ほふっほふっ。」
3本目の徳利を空けた頃、彼女は龍子の話をしてきた。
「はぁ…。明後日は勝ってくれると嬉しいのだけれど…。相手は強いんでしょ?」
「うむ。3年間公式戦負け無しなうえに、無失点のおまけ付きだ。」
「はぁ…。そんなところに、本当に勝てるのぉ?」
「奇跡でも起きないと、勝てないだろうな。流石に相手は化物クラスだ。今回ばかりは厳しい。」
「勝ってくれれば何も問題はないのだけれど…。もしも負けちゃったら、あの子、荒れるだろうなぁ…。はぁ…。誰がそれを沈めると思っているのよ…。」
「あいつも大人になった。そこまで酷くはないだろうが、仲間の為に心を痛めるのは間違いないな。」
あいつは喧嘩を通じて自分の欲求をみたしてきた。
そんな彼女はサッカーに出会ってしまった。
チームプレイは一人が強いだけでは勝てない。かといって上手い奴らを集めれば常勝軍団を作れるというわけでもないはずだ。
ん?では、百舌鳥校はどうやって常勝軍団となった?
「でも、私は凄く楽しみ。」
「ほぉ?」
「だって、愛娘の晴れ舞台よ。得点王だってチャンスあるって聞いた。」
「例え得点王になっても、試合に負けては納得しないだろう。」
「だよねー…。」
「それに、あいつは桜のトラウマ克服を一番に願っている。例え試合に負けてもな。」
「はぁ…。胃が痛い。」
「それは俺のセリフだ。」
ニコッと笑った寅子。
「ほんと、竜也さんと同じ人種よね。」
「そうか?」
「そうよ。仲間意識が強くて、誰かの為に平気で身を投げ出しちゃう。そんでもって、その為の努力を惜しまない。まったく…。」
「何故か俺が悪いみたいな言い方だな。」
「そう聞こえた?」
「聞こえたぞ。」
「だって、その通りだもん。」
「ふんっ。」
つい口元がほころぶ。
「しっかし、本当に決勝まできちゃうなんて…、ねぇ。」
そう言いながら、ぐい呑に酒を注ぐ。
「そうだな…。初めてあいつらが俺の前に現れた時、全国優勝したいと言った。俺は傲慢だと切って捨てた。」
「何を言っているの。ちゃんと受け止めたじゃない。」
「結果的にそうだが、危うくあいつらの希望を、物凄く安直に捨てるところだっと思うとゾッとする時もある。今回唯一の反省点だ。」
「ふふっ。しっかり話を聞いて、それから決断してくれたって龍子は言ってた。それで良いと思うよ。」
「だと良いのだが…。まぁ、練習も練習試合も固定概念に囚われず、しっかり自分達でやってきたのは、正直凄いと思った。」
「あら、褒めるなんてめずらしっ。」
「今の若いもんは…、とは良く言うが、昔も今もそう変わっていないと思っている。変わったのは時代だ。だが、その時代に流されずやってこられたのは、やはり桜の存在が大きいだろう。」
寅子は両肘をカウンターに付いて、両頬を支えた。
「そおねぇ。あの子はちょっとその辺に居ないタイプね。まるで漫画か小説の主人公みたい。」
「そうかもな。」
例えが面白くて、少し笑ってしまった。
「でもね、彼女も一人の女の子。ただの女の子よ。アルバイトしてるの見ていて思った。特別なんかじゃない。悩んで苦しんで心を痛めた、普通の女の子よ。」
「うむ。それは重々承知しているし、他の部員もそう思っているだろう。そんな話もしていたしな。」
「ふーん。やっぱり仲間っていいね。」
「一概には言えないかも知れんがな。」
「まぁ…、ね。裏切りや嫉妬、仲間が崩壊する為の、よくある話もあるしね。」
「そういうことだ。」
グイッと酒を飲む。
「俺は時々、全て桜が企んだ計画だったんじゃないかと思う時がある。」
「なにそれ?」
「練習試合でも勝てそうな時があったが、キッチリ負けた。県予選でも、不安なチームメイトを勇気付ける試合内容を演出し、関東大会1回戦では、わざと高熱を装った。そして全国大会でも、その演出により、最終戦に向けて最高の状態に持っていける為の勝ち方をした。と、聞いたらどうだ?」
「あはははははははははっ!まさかの桜ちゃん黒幕説!おもしろっ。」
「とはいえ、全てが上手く行き過ぎている気がしている自分もいる。」
「それはね、結果論だよ。」
「そうだな。」
「あの子達は、私達大人に見せてないだけ。」
「何をだ?」
「弱い自分をだよ。」
そうか…。年頃の女の子だしな…。
「彼女達はね、弱みを見せないことで仲間に余計な心配をかけさせなかったの。」
「………。」
「そうすることで、立ち止まることなく前に進めた。どんどん進めた。だけど、いっぱい悩んで悩んで、本当は辛かったと思う。」
「………。」
「それが、ようやく開放されたの。昨日の皆の顔を見た?物凄く自信に溢れていて、達成感に溢れていて、凄く輝いてた。」
寅子は少し遠くを見る素振りを見せた。
「ちょっと羨ましい。」
俺を見てニコッと笑う。
「そうだな。俺達はあいつらに、自分が叶わなかった夢だとか希望を、勝手に託しているのかもな。」
「そうかもねぇ~。まっ、それもいいんじゃない?」
「それこそ、胃に穴があきそうだけどな。」
「ふふふ…。」
「俺は春休みや夏休みを利用して、サッカーのコーチングの講習を受けるつもりだ。」
「あら?どんな心の変化があったのかなぁ?お姉さんに話してみ?」
「俺の方が年上だろ。」
「またぁ、冗談も通じないんだから。お酒が足りないのかな?」
そう言って、いつの間にか空になっていたぐい呑に酒を注ぐ。
ぐいっと煽る。
「部活の顧問なんて、理由も無く変わる事も出来ないしな。だったら、少しでも部員達の役に立てるようするのも良いかと思っただけだ。」
「流石ヒーローは考える事が違うね!」
「誂うな。」
「んーん。正直凄いと思うよ。そんな風に常に自分を成長させようとする気持ち。ほとんどの大人は現状維持で手一杯じゃない。」
「寅子…。」
彼女は、シングルマザーとして娘を必死に育ててきた経緯がある。
金銭的にも時間的にも、自分のために何かをする事が出来なかっただろう。
「あっ、私は違うよ。傍に竜也さんが居てくれたからね。」
「何もしてやれなくて…。」
すまない、と言おうとしたが遮られる。
「私は楽しみに待っているからね。」
「ん?何をだ?」
「えー?忘れたとは言わせないよ?言ってないとも言わせないから。」
あぁ…、あれか…。
「クリスマスイブに、『大会が終わったら話したい事がある』って言ってくれたこと。」
あの時はガンガン呑まされて、つい口が滑ってしまった…。
とはいえ、そろそろ決断しなければならないと思っていたのは事実だ。
寅子との関係に。
「余計な心配は無用だ。ちゃんと覚えている。」
「ふふふ。今なら桜ちゃんの気持ちも少しわかるかなー。」
「なんのことだ?」
「少しずつ、少しずつ畑を耕して、色んな種を蒔いて、やっと出た小さな芽を、ゆっくりじっくり丁寧に根気よく育てて、それでも枯れそうになりながら、やっと…、やっと実がなったんですもの。嬉しいに決まっているじゃない。人前で、あんなに号泣出来るほど嬉しかったって気持ちが、少しわかるって思ったの。」
寅子は昨夜の親子交えた勝利報告と題した食事会での出来事を言っている。
百舌鳥校に挑戦できると言った途端、桜は号泣してしまった。
今まで苦労したことが、やっと実になった…、そうか、そういう心境だったのかもな。
ん?
「それと寅子の心境と、どうつながるのだ?」
「ばーか。」
「?」
「私は育て方が悪かったみたい。」
「何の話だ?」
「もう!」
ぷいっとそっぽを向いた後、直ぐにクスクスと笑った。
「竜也さんらしいから許す。」
「一体、何の話を…。」
「ほらほら、もっと呑んで。」
「おっとっと…。明日は練習の引率もある。この辺にしておく。」
「じゃぁ、最後の1杯。」
寅子は必ず最後の1杯と言いながら、3杯飲ませる。
夜はまだまだ長そうだ…。
少しずつ近づいてくる決勝戦の足音が、色んな人を知らないうちに緊張させていると感じていた。
せめて、彼女達だけは無用な緊張やプレッシャーから逃れて欲しいと思った。
いつもの笑顔で決勝を迎えて欲しいと、願った。
俺もいつものベンチから、その勇姿を目に焼き付ける事にしよう。
奇跡に向かって走り続けた、最後の勇姿を…。
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