第五話



「うん。」


僕は磯部の慰めにより少し落ち着きを取り戻し安心すると急な眠気に駆られた。


「磯部ありがとう。なんだかスッキリした。とりあえず僕は今日のところはもう帰るよ。このところうまく眠れていないんだ。」


欠伸をしつつ、パンダのように重く垂れた目を擦る僕に

「わかったよ。」と磯部は快諾すると互に片手をあげ、またなの挨拶を交わした。



暗色の世界に向かい去っていくのを見届けると、

磯辺はコーヒーとともにカウンターに移動し、恐らく50代ぐらいであろう銀色混りの髪を綺麗に後ろに撫で付け、今時はあまりお目にかかることのできない立派なヒゲをたくわえた男性、ビー玉のマスターと何やら話し込み出した。




星が遠く暗い道中に外灯がぽつりぽつりと現れ、歩く僕のつま先をほんのりと照らした。石畳の通りをゆっくりとくだっていく。


まだまだ夜は気温が低く、石畳に反射するかのようにぶつかっては上へと上がってくる冷気にぶるっと身震いをした。



寒さを噛み締めふと顔を上げると前方に白い洋服の女性が目に入り、眠気が突如として覚めた。一寸の間の出来事だった。対象が横を向いた時全くの別人であったことで心底がっかりした。



やっぱり夢だったのかな。もう夢であるなら一層のことずっと眠っていたいな。



そんな安直でくだらない考えが僕にとりついて離れなくなっていた。




---色ガラスの窓からは一切光が入らず、暗澹たる暗闇と重なりいつもよりガラスの質感が感じられるようになったこの時間。


磯部は「なるほど、彼女は--の親戚の子なんですね。通りで見ないわけだ。両親を亡くして最近親戚の家に来たと。」

「彼女の父親とは僕の弟と同級生でよくここへも遊びに来ていてね。彼女父親の面影があるね。目元とか父親そっくりだ。なにより母親が茶道の先生をしていたこともあってか幼い頃から母娘揃って着物が好きだったよ。かわいそうに。母親のことが大好きだったんだろうね。今でも頻繁に和服をきて歩いているよ。この間も和服姿で近所の子とここにやってきたけれど立派に大きくなっててな。機上に振舞っている彼女が不憫で可哀想でふたことみこと挨拶するのでわしは精一杯だったよ。」


懐かしげにこう語るのは、ビー玉のマスター。


磯部は「僕」が帰ったあと、ずっとこの時間までマスターと話をしていた。




これでわかったことは



彼女は朱莉さん。18歳。医者の父と茶道の先生をしている母との間の娘。裕福に育ち、幼い頃から人とあまり関わることが得意でなかったそうだ。両親は忙しかったせいもあり、家ではほとんど声を発さずごくわずかな幼馴染と初対面の人には気楽に話しかけることもあったそうだ。少し変わったセンスと趣向は外界とあまり接する機会がなく、独自の世界観を培ってきたからであろう。

4月に芸大に進学する予定であったが、1月に両親が仕事の都合でパリを訪ねていた際、不慮事故によって亡くなったとの訃報が届いたばかり。

遺体はまだパリ国内にあるという。



親戚を頼ってこちらに先月越してきたばかりで、

たまに近所のことここに遊びにくる、、と。



かわいそうに。 

磯辺は率直に心からそう思った。



どんなに辛い思いをしていることだろう。



この話をあいつにして大丈夫だろうか。不安がよぎった。



初めてすきになった人が想像だにできないこんな鉛のように重く、引き裂かれるようなつらい経験をしていると知ったらあいつは

心が弱く脆くガラスのように傷つきやすいあいつは、


きっともう人間と関わりを持つことを。


そして金輪際、人を愛すること。恋をすることはないだろう。


タイミングを見て、時期をみて決してしくじるな。いい時を見計らって少しづつ教えてやろう。


磯部はそうすることにした。



ーーホットココアを飲みながら

窓の外を見つめる。


外温と内温差が視界を遮るように窓を曇らせる。


まだまだ冷えるな。


僕は公園を見るのをやめ

ほんのり暖かいホットカーペットの上に転がり

いつの間にか眠ってしまった。



「起きて、起きて!」


気持ち良く眠っていた僕を誰かが

激しく揺す振り起こそうとしている。



うっすらと瞼を薄開くと



真っ青な空と、、

見覚えのある背中の冷たい無機物の感触、、、滑り台の台。像?するとここは公園。


青い空を何かがさえぎった。



彼女がいた。



「君もうすぐ春だからといってまだ冬ですよ。こんな所で寝てたら身体を悪くします!」



栗色の後毛が僕の頬をかすめた。


その瞬間、ハッと雷に打たれたかのように

目を見開き全身が驚いた。



呼吸が上手くできない。

見開いたまま身体の水分をこれでもかというぐらい絞り出され、苦しい。



まん丸にあいた二つの穴にうつったものは

白い天井。


いつもの天井。



僕は部屋の中にいた。


飲みかけのココアがローテーブルにあり

僕自身はホットカーペット上に転がっていた。



なんだ、夢か。



またとて、これとて夢なのか。


僕は”冷たいものはツマラナイから好き”の亡霊のような彼女に振り回され

出口のない迷宮をさまよっていた。



こんなはずじゃなかった。

急に自分の周りの世界が騒がしくなった。



僕は明くる日、明くる日も学校を休み


部屋に閉じこもった。


世界そとが、恐ろしくなった。



両日とも夢でも彼女は現れなかった。





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レトロ輪舞曲 大王 弥生姫 @amakazemiu

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