第四話
あくる日、数時間は眠ったのか、
目を開け黒い世界が破れると突然恐怖と絶望とが全く同時に襲ってきた。
昨夜の彼女との邂逅は夢だったのではないかと不安になったからだ。
上半身のみ起き上がっている身体のてっぺん、頭部にある赤いか青いか血という血がサーっと首を伝いもっと下へと引いていくのがはっきりと分かった。
半日前まではうかれぽんちな気分であったが、今は絶壁に立たされた人質の切迫した気分へと変化していた。
貧血のような感覚が襲う。
一度それを確かめるべく、一気に起き上がると公園へと向かった。
早朝の公園、風に揺らされた周りを囲う木々のざわめきとギラギラとしたカラスの姿があった。
象はいつもの通りそこへ鎮座している。
勢いよく象へ上りてっぺんにて三角座りをしてみた。
やはりよく分からなかったので今度は仰向けになってみて昨日彼女がやっていたように
手を
白い息が僕の顔面から登っていった。
––僕は確信を得ることができなかった。
夢か現実かも見まごう僕はあの時正気でなかったのだと。
待てよ。あれが夢であったとしても毎日夢の中で彼女と出会えるのならそれはそれで良いのではないか。とも思えてきたころ、すっかり辺りは明るくなりスズメが元気よく僕と象の周りを旋回していた。
寒空の下コートも羽織らず一心不乱で此処へとやってきた僕はやっと寒さに気づいた。
とりあえず僕は学校へいくことにした。
ビー玉を通りざまに覗き見過ぎ石畳の坂を駆け上がる。
大学へと足を踏み入れ、何故か今日は全てがキラキラしてみえた。
青春、いつもと同じいつもと変わらぬ光景なはずなのに妙に気分が良かった。
恋 とはこういうものだろうか。
それも分からぬ20年間と数ヶ月。今まで僕は一体何をしていたというのか。
背後から肩をつかれ、「おはよう」聞き慣れた声と眩しいばかりの笑顔、磯部が現れた。
突然の出現に驚いたが、いつもの調子で返事をした。
その他は何も交わすことなく目的の教室へ入った。
ガヤガヤと授業が始まる前の雑談会が教室のあちこちではじまっていた。
教材を出そうとしたとき雑音に紛れて
「なあ、なんかいいことでもあった?」不意の質問だった。
言うべきか言わないべきかで少し考えたが、磯部だ。
何か助言をくれるかもしれない。
しばらくの間のあと小さく頷いてみせた。
「やはりか。お前にいいことがあったなんて実に珍しいし。中々お目にかかれない顔してたからそんな気がしてたんだ。その顔去年俺が大阪土産買ってきた以来だ。」
苦みを交えた笑みを浮かべていた。
僕は太陽の塔が好きだ。
いや岡本太郎さんにも憧れていたと言ったほうがいいかもしれない。去年の夏、大阪の友達に会いにいくと言っていた磯部がお土産は何がいいかと聞いてくれたとき、迷わず太陽の塔がいいと即答した。
小学校の頃、万博記念公園へ両親に連れてきてもらったとき平たい地平線にどこからとなく突如現れたそれに今まで感じたことのない衝撃が子供の僕の体中を駆け巡った。
太陽のような顔をしていてなんとも不思議だなと思いつつ後ろをぐるりと回った時背に暗い影を見た。
自分以外にもこうした一面をもつものが存在するのだという思いと、同じ匂いのするものへの初めての接触に縮み上がったがまた嬉しくもあった。
表向きはなんとも明るく輝いた顔をもたげているが背面の暗い部分に幼い僕は感激した。それは電光石火の如く、たちまち僕を芸術への興味に引き連れていった。しかし小学校以来大阪へ行くことはなく、出不精であったのも相まって現物の太陽の塔を見る機会はそれっきりであった。
磯部はわかったよ。とまた今と同じ苦みを含んだ笑みを見せ旅立っていった。
磯部が持ち帰った小さい太陽の塔を受け取ったときの僕の反応は火を見るより明らかであった。
「最近会ってない間に一体何があったんだ。まさか。ついに、できたか。」
磯部は冗談げな調子で片眉をへの字にして僕を伺っている。
できたか。が持つ含みを込められた意味に僕は
「そんなんじゃないよ。ただ、ちょっと気になるというか、、、。
そんな感じのこができたんだ。」
教室全体が一瞬、しんっと音がなくなったように感じた。
磯部を上手く直視できない僕に
「人嫌いのお前がついに女子に興味をもったとは。成長したな。」と僕とは正反対のお調子者で人懐っこい明るい磯部は頭をくしゃくしゃとかき乱してくる。
おばあちゃんっこな磯部は誰にでも、平等に優しい。
姉が二人もいて女兄弟に揉まれて育った末っ子だそうだ。
僕は最初大学でも一人ぼっちであった。
当然、部屋を見たらわかるが、趣味も特にないテレビや雑誌なども見ない僕が
若い熱気にむせ返ったこの空間で同じような温度で過ごせる訳がなかった。
そんな中、人一倍人懐っこいこいつだけは、妙に僕につきまとい、
うんとかすん、そんなふたことみことしか返事をしない僕に
「君、ここの学食ではなにが一番美味しいか知っているか?教えてやるから今度食堂一緒にいこうぜ。」
こういった調子で僕の頑なな心に土足で上がり込んできたのだった。
その突然の来訪は去年の入学式がめくるめく過ぎ去った4月の末のことであった。
最初は何が面白くて僕と話したがるのかと怪訝な扱いをしていたが、そんな土足の来客に僕の心も嫌な気はしていなかったらしい。
「で、どんな子なのだ。大学のこか?」
磯部が無邪気で眩しい笑顔をむけてくる。
「名前も大学のこかも知らない。というより僕はそのこのことなんにも知らないんだ。こっちが教えてほしいぐらいだよ。」
磯辺が目をまんまるにしているのが分かった。
「出会いはどちらで?」
「そう、ビー玉で一昨日少し見かけてから忘れられなくて、、昨日夜も・・・(公園であった気が・・・)」
途中で言いかけた言葉を自主的に遮った。昨夜の出来事は僕の妄想がかった夢であったかもしれないからだ。
「ふーん。一目惚れでまだ歳もどこに住んでるかも知らない。そんなところかよし、今日暇か?」
僕はこくりと頷いた。
「今日授業終わったらちょっと付き合ってよ。」
僕は磯部の言われるがまま従うことにした。
僕らの背中を40度ぐらいに傾いた夕日が眩しいぐらいに坂越しに差す。
陽だまりとは言い難い熱い燃えるようなオレンジ色の夕日を従えビー玉へと入った。
薄暗い店内が今日は暖色感が強い何色かの色ガラス色に染まっていた。
僕と磯部はいつものカウンターの左端に並んだ。
「そのこ出会った日どこに座ってたんだ?」
うきうきしているのが伝わる。
僕はそこだよとそっけなく奥のテーブル席を指差した。
「ふーん、で、 推定18か19ぐらい。フランス人形みたいな顔立ちで、黒い着物を着てたと。ちと想像しがたいがかなりその彼女変わってるな。外国人か?ハーフ?」
「僕も変わってるとおもう。けどそこがいいんだ。たぶん彼女、外人ではなさそう。」
言動もかなり変わっているんだ。と言おうと思ったが声にはならなかった。
全てを磯部に話してしまうと彼女を磯部に取られてしまうのではという脅迫概念が浮かんだからだ。
僕は意外と嫉妬深いらしい。
頼んでいたホットコーヒーがくると
磯部は
「なっ、あっち、座ってたテーブル席行ってみないか?」
僕の長年の特等席を離れるのはなんだか浮気をするようであまり気は進まなかったがこくり、と頷いた。
彼女がいたところへ腰をかけると景色がまるで違うことに気づいた。
もうかれこれここに通って4年目になるが新しいお店にでも来たかのような発見があった。
ちょうどテーブル席その頭上には屋根の一番高い部分の吹き抜けがステンドグラスになっていて三角形を上下に連ねたそのガラスたちの異様な輝きと天から差し込むような強く淡いヒカリは空への可能性を僕に教えているかのようであった。
「すごく綺麗。」おもわずと声にでていた。が熱い熱いと出来立てのコーヒーと格闘をしている磯部は気づいてはいないようだった。
「お前が一目惚れするこって一体どんな子なんだろうな。今日偶然ここに来たりしないかねー。一目俺も拝見したいよ。」
流し目で僕の方を瞥見した。
切れ長の綺麗な目、鼻梁が高く端正な顔立ちの磯部は男の俺でも惚れ惚れするときがある。
「そんな都合よくいかないよ。なにしろ僕は根性がない。この間も追いかけようと店を出たはいいけど急にあれこれいらない雑念が頭に浮かんでどうにもできなくなって結局立ち尽くすしかできなかった意気地のない男なんだよ。僕は。」
自分に腹が立ってきてまだ熱いコーヒーをぐいっと一飲みした。
磯部は何も言わなかった。
「この辺の子じゃないのかな。」
「そんな顔するなって、周りに彼女のような子知らないかって俺あたってみるから。落ち込むな、な?」
女々しい僕を慰める磯部はとても同い年には見えず兄のような寛大さがあり僕を度々心地よくさせた。
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