第弐話
今まで見てきたどんな女性より魅力的で、あまり人間らしさを感じない外見と言動、あの子に再び会わなかったら、僕は一生後悔するだろう。彼女以上の人にはきっとこれからも出会えない。元来あまり人に興味のなかった僕にはわかる。 僕にとっての唯一無二の存在 とはまさに彼女のことを言うのだ。
僕は一人で深く頷いた。
しかしこの時僕は失態を冒していたことに今はまだ気づけないでいた。
ビー玉のある通りは石畳みの坂で冬場は寒さが足元に刺さる。今は丁度、雪も溶け始めた初春に向かう2月の終わりである。
僕はビー玉には週3回ほど講義のない日に通っている。
大したことはしていない、本を読むか、スマホいじり、レポートを仕上げたりなどと如何にも学生がしそうなこと といったところだ。
今日出会ったあの不思議な彼女とは、これまで此処では出会ったことがなかった。
この辺のこではないのか。
こんな狭い町で着物姿で歩いているとすれば相当目立つはずだが、 生憎一年位はここいらで和服姿の女性を目にしたことがない。
石畳通りを抜けて大きな道路へむかうとスーパーや、チェーン店の飲食店が軒を連ねる賑やかで生活感がある通りに出る。
学生とファミリー層比較的若い世代がこの町には多い。
大通りから一つ路地に入る公園の向かいが僕の住むマンションである。
小豆色の煉瓦造りでレトロな雰囲気が、ビー玉を彷彿させる。
僕は友達は少ないので、この部屋に人を連れてきたことは未だない。
「、、、ただいま」
自分以外の何者もいないとは分かりつつもつつい口をつく。
習慣とは怖いものだ。
ゴソッ 一歩踏み入れる足に捨て忘れていたゴミ袋が触れた。
あ、今日は燃えるゴミの日だったか。邪魔なそれを横目に彼女の姿を思い出し、追い掛けることをしなかった自分に怒りが込み上げ悔しさから固く唇を噛みしめた。
名前も知らないのか。
ふと染み入るようなさみしさが襲った。
リビングにカウンターキッチン、バストイレは別。
小さい2人がけのソファーと木造円形の机の側には観葉植物がある。
殺風景な部屋。だが僕にはそれが心地よい。
テレビもない。
部屋での生活に自然ではない音はいらない。
心地よく感じないからだ。
同年代との会話にどこかチグハグな違和感を兼ねてから抱かざるを得なかったのはこういったこだわりが生じさせた弊害である。
ベランダからは向かいの公園がフェンス越しによく見える。
たまに考え事をしたいときに僕は
公園の周辺は草木に囲われその真ん中にはピンク色をした象の滑り台があり、
象のてっぺんに寝転がり星空をぼーっと真夜中に眺望しながら思慮に暮れる。
決まってそうしてきた。何より考えがまとまり頭中の霧が晴れていくのだ。
脱いだ靴下をそのまま洗濯機にほりこみ
そこでまたあの言葉を思い出す。
冷たいものはつまらない、、か。
ふっと笑うとドスンッと上からソファーに身を落とした。
それはぐにゃりと形を変え僕の身体によりそった。
あの子のことをもっと知りたい。
本当僕は生まれてこの方
こんなに人間に執着するのは、いや惹かれたのは初めてだ。
彼女と話をしてみたい。
その欲求は表面張力で保たれていたところに水を勢いよく注ぎ込んだように溢れ出し
この日僕はよく眠ることができなかった。冴えた頭で考え事をしたかったが公園にはいかなかった。
翌朝、6:59を針がさしている。
目が虚ろのまま、いつもの儀式的な支度を終え、
ドリップコーヒーを一人分落とし
トーストと目玉焼きを囓った。
寝癖を触りながら、コーヒーをぐいっと一気にかけこみ
早速ゴミ袋を片手に
玄関を出た。
ドアを開けると生憎の雨だ。
授業にも出る気分にはなれんが、まあ仕様がない。
ゴミを出し、黒い傘をばあっと広げ
霧のような雨が降る白い世界へ飛び込んだ。
傘の上を雨が唄う。
嗚呼、雨の音も悪くはない。
歩を速めると、跳ね返飛沫が増える。
明日はまた寒の戻りがありそうだな。
夜から冷えそうだし、今日は早く帰ろう。
時折車が勢いよく通ると水たまりが破裂した。
嫌な朝だがそろそろ
ビー玉の前を通りかかると気分は少し踊った。
ちょっと覗いていこうかな。
ドアの格子越しに覗いてみたがお客はまばらで、みなモーニングに来ているであろう常連中高年ばかりであった。
そう簡単にはいかないよな。
ため息をはくとともに
ビー玉を通り過ぎる。
どんよりとした空模様が、
今の僕の気持ちをよく表している。
頭が割れそうだ。
急に僕の身体最上部にズキンっとした痛みが走った。
天気が悪いせいか気圧のせいか偏頭痛かと思われる。
よろよろと民家の狭い合間合間をぬけ
異人館のような家を左に曲がると僕の通う大学へつく。
家からは徒歩20分程度である。
もう少しだ。
やっとの思いで席に着いた。1限目単位稼ぎの漢文の授業。同じ学部のこの漢文の先生は単位がとりやすいらしいと教えてくれた磯部は今日は教室にいなかった。先ほどより雨足が強くなったのを窓際で傍観しながら磯部はサボりだな。と確信した。
窓ガラスに打ち付ける雨音が耳鳴りのように頭についた。
鐘が鳴った。2人分の出席カードを書き机上に置いて出ていった。
━━━━その日は2限目で帰宅した。
どうにも調子が悪い。
家に着く頃にはすっかり晴れた。
ベッドで横になっているときに心を突き刺すような後悔の念が僕を襲った。
昨日、彼女の友人があの後もカフェに残っていたはずで、、友人に彼女のことを聞いたらよかったのではないか。
惜しいことをした。盲点だった。
彼女しか目に入っていなかったからだ。私は熱中すると周りが見えなくなる。もっと冷静にならなくては。
いつの間にか眠り込んでしまっていた。今日はほとんど一睡もしていなかったからか。時計は17時すぎを指している。
よろよろと起き上がると頭痛は治っているようだった。
お湯を沸かし注いだ。蓋をしてしばらくじっと待つ。
カップ麺は一人暮らしの味方である。
いただいきます。小さくつぶやくと一気に口へ放り込む。
この香りと味、たまに食べたくなるんだよな。
僕はこのたまごが妙に好きだ。たまごだけを先に探して食べるほどだ。
本を読んだり、スマホをいじっている間に
また時は進み21時15分前。
とくと考えごとをしたくなり、階段をかけおりて一心不乱に象へ向かった。
やはり少し冷えるな。
おや、今日は象の上に先客がいた。
てっぺんで寝転がっている。
「今日もまたあえたね、月。」
その声に僕は聞き覚えがあった。
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