『LastWeek ~終わりの行き詰まり編~』
獣と少年 ~小さくて大きな出会い~
帰る場所がない以上、行く道にある食べ物をかき集めて、適当な場所を寝床にするしかない。
過酷な生活だったが、死ぬことは無かった。
嗅覚は食料を的確に探り当てたし、今更野生動物を相手に恐れることもない。
寧ろ、彼らの方が接触を極力避けてきたように思える。
それで肉を食う機会はあまりなかったわけだが、タンパク質を摂取するならミミズでも掘り起こせば済む話だ。
とにかく、そういった感じで毎日を過ごしていた時期があった。
神鷹カイトは新人類だ。
この国では彼の風貌はそこまで目立ちはしないが、新人類に対する風当たりは強い傾向がある。
同時に、カイトはあまり他人とのコミュニケーションが得意ではなかった。
元々積極的に関わりあいたいと思う思考を持ってないし、人の世話になりたいとも思えずにいた為、自然と人がいる場所を避けるようになっていったのはよく覚えている。
人里に降りる時は、ゴミ捨て場に掘り出し物があるかどうかを探る時だけだった。
ゆえに、人間の言葉は長い間紡がなかった。
野生に溶け込み、五感を研ぎ図ませることで日々を生き抜いていったカイトは、この時ばかりは熊や猪と言った野生動物と大差がなかった。
そんな彼に転機が訪れる。
新しく入った山の中で、ある人間の親子と鉢合わせてしまったのだ。
あの時、彼らはきょとんとした表情で顔を見てきたのを覚えている。
今にして思えば、珍しさがあったのだろう。
あの田舎の山奥に好き好んでやってくる余所者は滅多にいない。
それに加え、見たまんまの野生児なのだ。
泥だらけの爪に血走った眼球。
威嚇する唸り声。
どれもが人間とは程遠くかけ離れた、野獣の物だったのだ。
警戒心剥き出しで威嚇するカイト。
敵意を受け取り、しどろもどろに距離を取り始める蛍石親子。
まだ小さい息子に至っては、完全に父親の背中に隠れてしまっている。
初対面の印象は、きっと悪かったに違いない。
だが、今こうしているのはあるハプニングがあったからだ。
空腹に耐えかね、カイトの腹が鳴り響いたのだ。
その音の大きさと言ったら、父親の影に隠れていたスバルも驚いた程である。
『……お腹が空いているのかな?』
落ち着きを取り戻したマサキが話しかけてくる。
彼は少しずつ歩み寄ると、カイトの目の前にパンを置いた。
好意に驚き、カイトが疑惑の眼差しを送る。
『お父さん。逃げないの?』
『空腹になると気が立つ物なんだよ』
単純に他人を追い払うための威嚇行為なのだが、どういうわけだかマサキはそのように受け取ったらしい。
『ううぅっ……』
歯を剥き出しにし、警戒心を露わにしたままカイトがパンを観察する。
自慢の嗅覚を用いて、匂いを取り入れてみた。
『そんなに警戒しないでも、取って食いやしないよ』
『ねえ、父さん。なんでこの人、こんな犬みたいな声しか出さないの?』
『きっと動物のマネをしてるんだよ』
確かこんなことを言われて完全に威嚇を受け流すようになってしまったのだ。
息子の方はまだ始めてみる余所者に戸惑っているようだが、ある程度人生経験を培ってきたマサキはあまり気にしていないようである。
マサキがただのお人好しだと理解したのはそれからしばらく経ってからの事なのだ。
今でこそ理解ができるが、完全に野生へと帰化していたカイトには理解できないことだった。
『あ、あ?』
暫く人間の言葉を喋ってこなかったのもあるが、すぐに言葉は出てこなかった。
訝しげに親子はお互いの顔を見やり、またカイトに視線を向ける。
可哀想な人を見る目だった。
チームメイトが失敗した第二期を見る時の目とそっくりだったので、カイトは心の中で『失礼な』と憤慨するも、そんな自分の中の定義が彼らに通用するわけでもなく。
『喉の調子が悪いのかな』
『スバル、水は?』
『あるよ。ちょっと待ってね』
父親の言葉で警戒心が薄れたのか、少年がペットボトルを差し出してきた。
今度は手渡しである。
カイトは絶句した。
何故見知らぬ人間に貴重な水を渡すのかと、真剣に考え始めたのである。
簡単に渡してしまっていいのか。
自分で言うのもなんだが、カイトは不審者以外の何物でもないし、見ただけで危なげな雰囲気がある。
ところが、そんな危なげな印象づけを手伝う泥だらけの出で立ちは蛍石家から見たらこう見えたらしい。
『お腹すかせて泥だらけか。もしかすると、怪我をしてるかも』
全く見当違いの思い込みを加速させ、マサキとスバルが近づいてくる。
やろうと思えば即座に切り刻めるはずなのだが、どういうわけか妙な凄みを感じて爪を出すことができない。
戦場では感じた事のない、お節介焼きの放つ強烈なオーラだった。
『おいでよ。治療ならするからさ』
『なんなら、家でご飯でも食べる?』
そしてなぜだか歓迎されてしまった。
後で知った事だが、ヒメヅルでは閉鎖的すぎて余所者が珍しいのだそうだ。
好奇心あふれる年齢のスバルや、まだ年寄りと言うには遠いマサキからすれば、飢えた好奇心を満たす恰好の餌だったのかもしれない。
だが、久しぶりにまともな食事をとれるのはありがたい話だった。
誘惑に負け、カイトは蛍石一家の後を追っていく。
すぐに出ていくつもりが、4年も住み込んでいたのは今更話すまでもない。
蛍石家は暖かい空間だった。
これも後で気付いたのだが、カイトはこの田舎町を少しずつ気に入り始めていたのである。
柴崎ケンゴや柏木一家など、まともな人付き合いなどはこれが初めての経験だった。
まだ完全に馴染めたわけではないが、今にして思えばあそこで骨を埋めてもいいかもしれないと真剣に悩むほどに、いい場所だったのだ。
だからこそ思う。
もう一度あそこに戻りたい、と。
きっかけは些細な行き違いと善意の押しつけだった。
カイトはあまりそういうのが好きではなかったが、蓋を開けてみれば意外と気に入ってしまっていたのだ。
自分に染みついた戦いの記憶は深くついて離れない。
何度懺悔したって、やり直させてくれと懇願したところで変わらない。
シャオランは言った。
あなたを倒したい、と。
彼女だけではなく、何人もの新人類軍が同じことを思っただろう。
きっと自分は生を全うした後、地獄でそんな連中の恨みを一身に受けていくことになる。
けれども、その前にせめてもう一度だけ、あの暖かい空間に帰りたい。
もう疲れた。
身体に溜まっていた気だるさを感じながら、カイトの意識は闇の中へとダイブする。
「おお、山田君。美しくお目覚めかね?」
目覚めたカイトを出迎えたのはアーガスのこんな言葉だった。
まだぼんやりとする頭を叩き、意識を覚醒させてからカイトは問う。
「……どこまでが夢なんだ?」
カイトの記憶はワシントン基地に到着してから酷く曖昧である。
エミリアを退けた後に眠りにつき、その後に起きたサムタックでの戦い。
その内容が、どこまで現実なのかがはっきりしていないのだ。
「残念だが、サムタックでのことは現実だよ。美しいとは言えないがね」
「……そう、か」
カノンが死に、エイジが散って、エレノアも砕けた。
なんとなく自分の胸に手を当てて、エレノアの名を呼んでみる。
いつもなら口喧しく感じる声は、まったく返答がない。
「他の連中は? 今はひとりか」
「次の出撃準備に取り掛かっているのが現状だね。本来は君の秘書が美しく説明した方がいいのだろうが、彼女は今ブリッジで応対中だ。私が美しく説明をしよう」
「美しくなくていい」
露骨に残念そうな顔をされた。
訝しげに瞳を向けると、アーガスは咳払い。
カイトが気を失っている間に起きた出来事を語り始める。
「まず、山田君が気を失ってから3日が経っている」
「なに?」
言われ、カイトは反射的に部屋に飾られていた電子カレンダーに目を向ける。
最後に見た時に比べ、日付の数値が3つほど進んでいた。
忌々しく舌打ちするカイトを余所に、アーガスは淡々と説明を続ける。
「新人類軍はその間、仕掛けてきていない」
「馬鹿な。基地の状況を考えれば、絶好のチャンスだろう」
「そこは王に聞いてみないとわからないが、美しい私には彼の気持ちはわからんのさ」
新人類軍は前回の戦いでサムタックを失った。
そして鎧と、その管理者であるノアも消えたのだ。
残る戦力は一般兵と人工知能、そして残った鎧といったところである。
同格の鎧も敗れた以上、迂闊に攻撃を仕掛けてこないのは百歩譲ってよしとしよう。
だが、相手はあのリバーラ王。
なにをしでかしてくるか、全く想像がつかない。
「今、基地では必死の立て直しが行われている。が、それも外観のみ」
ワシントン基地は破棄が決定された。
責任者であるゲイル・コラーゲン中佐がこれ以上の運用は不可能だと判断したのだ。
「余っている物資を使い、我々はここに残っている。最後の決戦を仕掛ける為に、ね」
「最後の決戦」
「そうだ。その為に他の者は動いている」
アーガスは鬼で出撃が決定している。
その為、何時も通り過ごして体力を温存させるのが今の仕事だった。
「なんでも、コラーゲン中佐には策があるのだそうだ。賭けになるそうではあるが、上手くいけば異空間の中に隠れている王国を引きずりだせると聞いている。丁度、その説明が行われている頃だろう」
「……そう、か」
そこまで聞いてカイトは思う。
恐らく、ゲイル・コラーゲン中佐が考える策は自分のそれと似ている筈だ、と。
基地の破棄も決定しているのだ。
残っている戦力の全てを結集させ、勝負に出るつもりなのだろう。
ただ、非常にリスキーである。
自分の考える策と同じ場合、生きて帰ってこれる保証は限りなく0に近い。
「……パツキン。みんなはブリッジでいいんだな?」
「そのとおりだが、もう動いて良いのかね?」
立ち上がるカイトを心配げに気遣うも、彼は力のない笑みを浮かべて気遣いを払い退ける。
「それしか能がないからな」
もしも自分の考えとコラーゲン中佐が考える案が同じだった場合、鉤となる役割は高確率でエクシィズが担う事になる。
そうなると、パイロットとして白羽の矢が立つのはスバルだろう。
だが、エクシィズは肉体に多大な負荷をかける機体だ。
これ以上、あの少年を乗せると本当に潰れてしまうかもしれない。
「これが最後だ」
己に言い聞かせ、カイトは左目を解放した。
身体が一瞬で霧状に分散し、再び集まって肉体が再構築されていく。
潰された足が元通りになるのを確認した後、カイトは自動ドアを開ける。
「俺が終わらせる」
瞳に決意の炎を宿し、カイトはブリッジへと向かっていく。
後に残されたアーガスは肩を落とすと、誰にも聞こえないような小さな声で呟いた。
「我々が美しく、だろう」
溜息をついてからアーガスも後に続く。
長く続いた戦いが、終わりに向かって歩き始めた。
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