第278話 vs生卵

 神鷹カイトは嘗てない重圧を感じ、思わず脂汗を流し始めていた。

 前方には昔の忠犬、アトラス・ゼミルガーと天敵、シャオラン・ソル・エリシャル。

 そして後方には押しかけ秘書のイルマ・クリムゾン。

 ついでに体内に寄生しているエレノア・ガーリッシュ。

 本音を言えば、今すぐここから消えたい。

 前方と後方から感じる黒い視線が、今はただ痛いだけだった。


「状況を察するに」


 あくまで味方のポジションにいるイルマがダークストーカーのコックピットからふたりを見下ろし、言う。


「あのふたりはあまりコンビネーションなどが得意ではなさそうですね」

「まあ、そうだろうな」


 元々別部隊な上、本人達の目的が完全に食い違っている。

 所属的には味方でも、お互いに邪魔な存在になっている筈だ。

 原因を考えると素直に喜べないが。

 そんな会話をしている折、ダークストーカーの無線が鳴り響いた。

 フィティング艦内からの呼び出しである。

 イルマは無言でスピーカーをオンにして繋げると、ノイズ混じりの怒鳴り声にも似た大声が格納庫に鳴り響いた。


『おい、何事だ!』


 ゲイル・コラーゲン中佐が焦り声で問いかける。

 被害情報自体は届いている筈だが、周辺に機体情報が見当たらない為、現状を不審に思っているのだろう。


「侵入者です。それもかなり面倒な能力者ですね」


 アトラスに視線を送りながらも、イルマは淡々とした口調で答えた。

 報告すべきことを喋り終えると、彼女は改めて提案する。


「ボス、時間も有限ではありません。私が一気にカタを付けましょう」

「出来るならそうしたいが、たぶんそう簡単にはいきそうにないぞ」


 イルマの予想とは裏腹に、カイトは現状を深刻に受け止めている。

 彼が危険視しているのは、そこらじゅうに爆炎を撒き散らすアトラスではない。


「エレノア、わかるか?」

『うん』


 意識の奥底から返答が来る。

 エレノアはカイトの視線を通じ、アトラスの隣でローテンションのまま口論し続けるシャオランを注視していた。


『なんか、凄い嫌な感じがする。上手く言葉で表せないんだけど』


 シャオランとこうして会うのは大凡1年ぶりとなる。

 最後に対面したのは、星喰いとの戦いで共同戦線を張って以来だろうか。

 あれ以降、様々な強敵と戦ってきたが、その間も彼女が出てくる事は無かった。

 人間は1年あれば変わる。

 カイトとてそのひとりだ。

 だから身に纏うオーラが変わっていても、そこまで不思議には思わない。

 だが、目の前にいるシャオランはそれとはまた違う。

 雰囲気は昔のままなのだが、どういうわけかそれとはまた別の黒い何かが見える。


「……イルマ」

「はいボス」


 名前を呼ばれ、待ってましたと言わんばかりに身を乗り出すイルマ。

 尻尾があれば、はち切れんばかりに振っている事だろう。

 顔は冷静なままでも、声は妙に弾んでいた。


「艦内を攻撃されれば面倒だ。被害を最小限にするよう努めてほしい」

「つまり、防御に回れと?」

「そうだ」


 アトラスとシャオラン。

 共に広範囲の攻撃を可能とする新人類だ。

 アトラスの方は全身バイクという妙な出で立ちになっているわけだが、ハッチを破壊した爆発を思えば能力はまだ使えると見ていい。

 流石にあれを何発も連射されれば、戦艦も撃墜されてしまう。

 指揮官であるコラーゲン中佐が搭乗している今、それはなるだけ避けたい。


「攻撃に回れば早く終わると思いますが」

「ゼッペルならそうかもしれんが、それを判断するにはまだ早い」


 改めてシャオランを見やる。

 向こうも視線に気づいたようで、こちらを見つめてくる。

 じゅるり、と舌なめずりしてきた。

 背筋が凍えるも、ぐっと堪える。

 あれの食欲に付き合おうとしたら身が持たない。

 昔、そのままの意味で食べられた経験もある。

 若干、トラウマめいた思い出だ。

 できれば相手をしたくない。


「とはいえ、向こうの狙いは俺らしい」


 それも私情による追っかけだ。

 どこかで決着を付けないと、何時までも追いかけてくる。

 アトラスの方はきちんと始末をつけたつもりだったのだが、どうやら足りないらしい。

 これ以上の始末の付け方となると、カイトはひとつしか知らなかった。


「ここで排除する」


 爪が伸びる。

 鋭い刃が抜かれる音を耳にし、シャオランとアトラスが同時に足元をカイトへと向けた。

 バイクの前輪が、シャオランの翼が。

 各々唸りを上げる。

 しばし、静寂の間が流れた。

 言い争いを続けていた襲撃者も黙り、仕掛けるタイミングを見計らっている。 

 沈黙を破ったのはアトラスのバイク音だ。

 踏み込まれたアクセルは車輪を浮かし、彼の猛りはそのままエンジンへと乗り移る。


『ルィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイダアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!』


 発音すらきちんと聞き取り辛いシャウトが木霊し、鋼の猛獣が突進。

 ホイールが床を削り、火花を散らしながらカイトへと襲い掛かった。


『受け取ってください、私を!』


 アクセル。

 アクセル。

 アクセル。

 感情の昂ぶりと共に加速するそれを目の当たりにし、構えていたカイトは僅かに後ずさった。

 半目で、嫌そうな顔をしながら。

 結論から言ってしまうと、それが全てである。

 確かにアトラスは綺麗になった。

 聞けば、女になる為に色々と身体を弄ったそうではないか。

 その努力は認めよう。

 ただ、その気持ちを全部受け入れれるかと言われたら困る。

 いかんせん、昔のアトラスを知っており、そういう目でしか見たことがないのだ。

 好きですと言われて『じゃあよろしく』と即答できるほどカイトは貞操概念が弱くはないのである。


「ふん」


 ゆえに、その加速の向かう先を軌道変換させた。

 車体の先端に爪先を喰いこませ、足の力で無理やり蹴り飛ばす。

 タイヤが破裂し、爆発的なアクセルがあらぬ方向へと向かってしまう。

 車体が傾き、転倒した。


『リーダー! なぜです、リーダー!』


 音を立て、そのまま勢いよく床を滑るアトラス。

 懸命に培養カプセルが語りかけてくるも、カイトはそちらに視線を向けることはない。

 代わりにカイトの視線を独占したのはシャオランだった。

 アトラスが親愛なる指導者の視線の先にいる女を睨み、再びカイトへと視線を向ける。


『おやめください!』

「なにが」


 いよいよもって主語がないため、アトラスが何を言いたいのかよく分からなくなってきた。

 訝しげに顔を向けると、アトラスはカプセルの中で懸命な表情を作って訴えかける。


『ソイツはリーダーを愛してなどいないのです!』

「知ってる」

『ならば何故、私ではなくソイツを見るのですか!?』

「どうして俺がお前を見ないといけないんだ」

『私がこの世界と歴史を全部ひっくるめて、もっともリーダーのことを想っているからです!』


 壮絶な告白だった。

 神鷹カイト、御年23歳。

 性質の悪いストーカーに付き纏われたことはあれど、ここまで壮大なラブコールを受けたことはない。


『この私こそが! 私がこの世の誰よりもリーダーを愛している。リーダーの為ならなんだってできる!』


 車体から爆炎が漏れた。

 燃料に引火したのかと思ったが、どうやらアトラスが能力を使用したらしい。

 小さな爆風に押し出され、倒れた車輪を立て直す。


『私は……』


 妙にどす黒いオーラが車体から滲み出ている気がする。

 カイトがたじろぐも、アトラスはお構いなしで主張し続けた。

 愛ゆえの独白である。


『私は、リーダーの愛さえ受ければ無敵になるのです』

「うそつけ」

『本当です』


 真顔で返された。

 大怪獣すらチューのひとつで押し返して見せた超戦士は、大きく目を見開く。


『例え全人類を虐殺する超兵器が飛んできたとして、地球を押し潰す隕石が飛んできたとして、神様が理解不能な神秘の力で世界を滅ぼそうとしたって、リーダーが生卵を口で移してくれればそれだけで私が全て処理できる!』

「…………」


 こいつ、こんなこと言う奴だったっけ。

 カイトが頭を抱え、呻く。

 言う奴だったかもしれない。

 しかし、もうちょっと恥じらいはあった筈だろう。

 ゲーリマルタアイランドで突き放したことがそんなにショックだったのか。


『例えこの身体が滅んだとしても、リーダーの寵愛さえ受けることができれば、何もいらない』


 だからリーダー。

 お願いします。

 この膨れ上がり過ぎて気が狂いそうな思いを、どうか受け止めてください。

 あなたの為に王国を裏切る事が出来る。

 あなたの為なら世界を敵に回せる。

 あなたさえいれば、この旧人類という糞で溜まった世界が理想郷へと変貌する。

 邪魔する奴がいるなら、どんな強大な敵も灰にして見せよう。

 だから、


『私を愛してください!』

「断る」


 直後、アトラスの君臨するバイクが爆発した。

 その瞬間までの間、カイトは特に攻撃する事も無く、居心地悪そうな顔をするだけだった。

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