第231話 vsチャンス

『すまねぇけど……ちょっとだけ、待ってくれないか』


 廊下に御柳エイジの声が響き渡る。

 電子音が入り混じったその声は、ところどころ絶え絶えになっている。

 疲労感のある音声だった。


「エイジ、なんでお前が」


 その点も踏まえてカイトが気にするのは彼の状況だ。

 彼にはフィティングでの留守番を任せた筈である。

 それがどうしてこんなタイミングで声をかけてくるのだろう。

 艦内からこちらの様子を見れるなど聞いたことがないが。


「いや、それは今はいい」


 聞くよりも前に、やっておかなければならないことがある。

 カイトは再度腕を振るうと、天井に磔にされたイルマへと爪を向けた。


「先に掃除を済ませる」

『わりぃ、それを待ってくれって言ってるんだ』


 その言葉を耳にした瞬間、カイトの動きが止まる。

 訝しげに周囲を見渡すと、どこかに仕掛けられているであろう監視カメラに向かって話しかけた。


「詳しく話すと時間がかかるから詳細は省くが、こいつは敵に回った」

『知ってるよ。そうでないと、お前とそいつが戦う理由なんかねぇだろ』

「それなら話は早い」


 カイトの視線が細くなる。


「どういうつもりだ」

『そいつに、チャンスをあげてやってほしいんだ』


 その言葉が紡がれた瞬間、死を待つばかりだったイルマの瞳が開かれた。

 黄金の瞳が戸惑いの色に染まりながらも、宙に泳ぐ。

 どうやら彼女にとっても想定外の出来事らしい。

 ここまで戸惑うイルマの姿も始めてみる。


「チャンスだと?」


 だが、カイトから言わせてみれば甘いの一言に尽きる。

 歯を食いしばると、彼は親友に訴えた。


「こいつが何をしようとしているのか理解してるのか!?」


 正確に言えば、イルマだけではない。

 彼女ひとりの責任ではないのだが、やろうとしていることが冗談ではすまされないことなのだ。


「人類抹殺だぞ!? いや、それだけで済めばまだいい。こいつ等の用意した新生物が暴れ出したらどうなるか、お前も良く分かっている筈だ!」


 掻い摘んだ説明を付けたし、カイトは言う。

 トラセットで対面した際、カイトとエイジは共に新生物に意識を刈り取られた。

 あの時はマリリスが蘇生してくれたお陰で何とか復活できたが、今度はそうもいかない。

 ウィリアム曰く、自分たちは攻撃対象ではないそうだが、あれを外に放り出したら何が待っているのかを想像できないわけがなかった。


『でも、そいつはウィリアムの言うことを聞いただけに過ぎない。それが本当にお前の為になると思って、ウィリアムに協力した。違うか?』


 イルマ・クリムゾンは操り人形だ。

 自分から提案することは無く、基本的に命令待ちである。

 それゆえ、物事を天秤にかけて『それがいい』と判断したら傾いた方に動く。

 機械のような少女なのだ。


『確かに気に入らねぇところはある』


 エイジも思う所はある。

 ペルゼニアとの戦いで彼女が素直に加勢してくれていれば、もっと違う結末があったかもしれない。

 素直に話してくれない物だから、苛立ちも募る事が多い。


『けど、それを見る度に思うよ。昔のお前が、コイツにそっくりだって』

「……まさか、それだけの理由で見逃せというのか?」


 ただの感情論ではないか。

 そんな理由でこの女を逃しては、命取りになりかねない。


『俺は、ソイツに命を助けられた』


 トラセットでの出来事を思い出す。

 最後に現れたレオパルド部隊との決戦。

 あそこでイルマとゼッペルが駆けつけてくれなければ、きっと全員無事では済まなかっただろう。

 特にタイラントに腕を破壊されたエイジは殺されていたかもしれない。


『人間は平等じゃない。でも、誰かがチャンスを与えてやらないと人は一生変われない。違うか?』


 カイトは反論できない。

 彼自身、許してもらった立場だった。

 それで救われた手前、あまり大きな事は言えない。


『勿体ねぇじゃねぇか。一生言われるままに命令を受け付けるだけ。やりたいことをやって何が悪い』


 それこそ、年相応のお洒落をしてもいい。

 誰かに恋をしたっていい。

 途中でやりたいことを見つけて、その為の勉強をしてもいい。


『無暗に奪うだけじゃ、王国にいた頃と何も変わらないぞ』


 カイトは思い出す。

 XXXとして教育され、言われるがままに戦い続けた頃を。

 当時の自分の影が、イルマの顔とダブって見えた。


『キッカケは違う。それでも、俺たちが戦ってきたのは滅ぼす為じゃなかった筈だ……』

「……くっ」


 イルマに向けられた爪先が僅かに下がる。


『今回は確かにやり方が歪んでいた。けど、失敗したらまたやり直せばいい。そうやって人は学ぶ』


 だから頼む。


『そいつにチャンスをくれてやってくれ……!』


 しばし、静寂が流れた。

 時間にして僅か数秒。

 そのたった数秒の間、カイトはイルマと過ごした半年間を思い出していた。


 碌な思い出がない半年間だった。

 金魚の糞みたいにくっついて、口を開くたびにボスとしか言わない。

 挙句の果てにエレノア以上のストーカーと来た。


 それでも、悪意に満ちたものでなかったのは知っている。

 お節介が多いが、善意で用意してくれたものだ。

 スケールが大きいが、今回に関してもそうである。

 怒っていないのかと聞かれれば、勿論肯定しよう。

 しかし、失敗したから怒り、命まで奪ってしまったら、それはとんでもない独裁者ではないか。

 あのリバーラ王と何が違うと言うのだ。

 そう思うと、虚しくなってきた。


『カイト……!』


 親友が縋るような声を振り絞る。

 その言葉をきっかけにしてカイトは腕を振るった。


「ん……!」


 イルマが目を閉じる。

 今度こそ来るか、と身構えた。

 痛みは襲ってこない。

 代わりに訪れたのは自身の落下だ。

 床に叩きつけられ、苦悶の声をあげる。


「ちょっとカイト君」


 糸を切断されたエレノアが抗議する。


「本当に彼女を見逃すのかい?」


 信じられない、とでも言わんばかりの文句だった。

 当然だ。

 イルマとの戦いで一番貢献したのは他ならぬ彼女である。

 後一歩、というところまで追い詰めておきながら見逃してしまっては、何の為に身体を張ったのかわからなくなる。


「…………」


 カイトはエレノアの言葉に反応しない。

 イルマへと数歩近づくと、倒れたままの彼女を見下ろす。


「う、うう……」


 気配を感じとり、イルマが顔を上げた。

 カイトの顔が近くにあるのを知ると、イルマは反射的に呟く。


「私に、チャンスを頂けるのですか……?」


 思い出すのはウィリアムが研究所にやってきた日のことだ。

 あの日、新人類の研究を行っていた職員たちを洗脳し、自分を注射地獄から解放してくれた青年は、イルマに新たな地獄を与えたのだ。

 反論を一切許さない駒への昇華。

 神鷹カイトの周辺に付き従う『従者』としての徹底的な教育。

 受け入れられなければ、同じ苦しみが飛んでくる。

 それだけは絶対に嫌だった。

 失敗しても同じだ。

 今回、イルマが辿った道はどちらかと言えば失敗である。

 時間稼ぎは失敗し、カイトの意思は変わらないまま。

 先行した双子も倒せず終い。


 ぞくり、と寒気がする。

 これが終わった後に、冷たい針がまた刺されるのかと思うと寒気が止まらない。


「い、嫌……」


 イルマの身体が震える。


「もうあの頃に戻りたくない。注射は嫌!」

「そうか」


 カイトが身を屈め、イルマに視線を近づける。


「注射はもうない」


 短く、そう伝えた。


「俺は注射を打つ気はない。もし今後、そうなる機会があったら全力で抗え。勝ち取らないと、いつまでもそのままだ」


 言いたいことだけ言うと、カイトは立ち上がる。


「暫くそこで反省してろ。これが終わったら、お前は自由だ。どこにでもいけ」


 ぶっきらぼうにそういうとカイトは回れ右。

 イルマに背を向け、先行させた部下の元へと歩き始める。

 

「ボス……」


 だが、彼が課した罰はあまりに大きい。

 イルマはこの数年間、彼に仕えることを考えて生きてきた。

 それをいきなり放り投げろと言われても簡単に『わかりました、さようなら』と対応することができない。

 ウィリアムから与えられた任務が失敗し、カイトも背を向けた以上、自分に何が残っているだろうか。

 やりたいことも無ければ、生きるための執着もない。

 そういった対象はもう、自分に背を向けている。

 こんな時、自分と同じタイミングでウィリアムに見出されたあの男ならどうするだろうか。

 長い間共に活動してきたが、本音を交えて話すことが無かった『鬼』の姿を思い出しつつ、イルマは俯く。


 と、そんな時だ。

 

「ん?」


 警報が鳴り響いた。

 本日二度目の出来事である。


「またか」


 カイトが訝しげに周囲を見やる。

 先程も警報が鳴ったが、どういう合図なのかがよくわからないままだ。


「五月蠅いんだけど、なにかあったの?」

「さあな」


 エレノアも顔をしかめるほどの大音量だ。

 ふたりの不快感は募るばかりである。


「ただ、仮に敵襲だったらもう少し騒がしくなってもおかしくない」


 イルマとの戦闘に集中してて気付けなかったが、どうもこの基地は静か過ぎる。

 本当に人がいるのかすら疑問だった。

 疑問と言えば、もうひとつある。

 先程からこちらにノイズ混じりの通信をよこしてきている御柳エイジだ。


「エイジ、そっちはどうなんだ。というか、どうしてお前がこっちの様子を把握できている」

『それは……』


 エイジが僅かに口籠ると同時、カイトの正面にあった自動ドアが開く。

 軽い足音が響くと、彼はそちらに視線を向けた。


「お前は……」

「やっと会えた」


 にこりと笑みを浮かべ、来訪者は呟く。

 まるでこの時を待ち焦がれていたかのように、青年はご機嫌だった。

 彼は顔の右半分を覆い尽くす前髪を掻き上げ、カイトを見る。

 隣のエレノアや後ろで倒れているイルマなど眼中になかった。


「前に会った時のことを覚えているかな?」


 青年が――――ゼッペルが静かに問いかける。


「何時かあなたと戦える日がくるのを、私は心待ちにしていた」


 たった一撃だけの接触。

 だが、その激突がゼッペルを歓喜させた。

 自分がやってきたことは、決して無駄ではなかったと証明された時間だったのだ。

 ならばその延長戦で、どこまでやれるのかを見てみたいと思う。

 きっと、空を飛び始めた鳥も似たような気分を味わう筈だ。

 ところが、ゼッペルの願いは拒否された。

 あの時は適当に理由づけされて逃げられたが、今回は逃がす気はない。


「あなたは敵だ。そして、あなたにとっての私も敵だ」


 だからこそ戦う。

 敵と相対した時に兵士が何をするかなんて決まりきっている事だ。


「ゼッペル・アウルノート。あなたは……」


 青年が構えを取るのを見た瞬間、イルマは確信する。

 まるでブレていない、と。


 最強の兵として――――騎士として育成された新人類、ゼッペル。

 彼は自分の敵となりえる人間を探し求めている。

 戦乱の世界を渡り歩き、ようやく見つけた好敵手。

 ゼッペルはそれに執着し、決着を付けようとしていた。


「いいのか」


 対し、カイトはあくまで冷静に語りかける。


「お前の役目は敵の排除にある。それなら、俺以外の連中にも目を向けていいと思うが」

「心配する必要はない」


 尤もな意見であるはずなのだが、ゼッペルは笑みを浮かべたまま答えた。


「全員倒してきた」


 鬼が笑う。

 爛々と輝く瞳が、好敵手を捉えた。

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