第230話 vs黒糸

 破壊が迫る。

 暴風を身に纏い、空気を切り裂きながらもイルマは突進。

 力強い踏込は床を砕き、くっきりと足跡を残していく。

 足跡がこちらに到達したら最期。

 一瞬でこの身を貫かれてしまう事だろう。

 エレノアは決して運動が嫌いなわけではないが、いかんせん相手が悪すぎる。


「逃げるのは諦めた方が賢明です」


 イルマが宣告する。


「あなたの運動能力は決して低くはない。しかし、だからと言って別段高い訳でもありません」

「知ってるよ」


 昔は神童とか言われてちやほやされたが、それも80年近く前の話だ。

 今となってはエレノア以上に優れた身体能力を持つ新人類がごろごろいる。


「私は少女の気持ちを忘れていない。でも、流石に87も生きてると周りはもっと化物だらけさ」

『安心しろ。お前より化物な奴はあんまりいない』

「褒め言葉として受けとっておくよ」


 なんにせよ、正面から戦っては不利なことに変わりはない。

 エレノアが磨いてきた力はそういうベクトルには向かっていないのだ。

 しかし、それでも自分の身は自分で守らねばならない。

 いかに肉体を共有したとはいえ、いざという時にカイトを頼りにすることはできなかった。

 エレノアが思い描く『共同作業』は、一方的な物ではない。


「私だって、女の子なんだもの」


 左目が不気味に輝く。

 爛々と輝く赤い光を目の当たりにした瞬間、イルマは底知れぬ寒気を感じ取った。

 なにかがくる。

 具体的に何かは分からないが、直感的にそう感じた。

 エレノアが振りかぶる。

 黒の一閃がイルマに向けられ、放たれた。

 一瞬、何が飛んできたのかと目を見開く。


 糸だ。


 明かりが無ければ目視できなかったであろう漆黒の線が、真横に飛んでくる。


「今更そんなものでどうしようというのです」


 両手を構え、爪をかざす。

 迫る糸に対し、凶器を振り降ろした。

 糸に触れた瞬間、異変が起こる。


「え」


 糸がすり抜けた。

 触れた瞬間に千切れる筈だった細い糸が爪を通り過ぎ、イルマの首へと飛んでいく。

 皮膚に触れた。

 まるで生きている蛇のように首に絡みつくと、イルマの身体は自由を奪われる。


「とった!」


 手応えを感じつつ、エレノアが一気に糸を引っ張る。

 イルマの身体が床に叩きつけられた。


「がっ!?」


 カイト顔のイルマが苦悶の声をあげる。

 確かなダメージが通っていることを感じつつも、エレノアは言う。


「どうだい。対カイト君用に考えた糸の威力は」

『待て』


 勝ち誇った顔を浮かべるエレノアに向けて、本物のカイトが呼びかける。

 心なしか、ジト目で見られている気がした。


『貴様、それをどういう経緯で使うつもりだった?』

「ほら。私たち、たまに分離するじゃん」


 ゲーリマルタアイランドでは偶にふたりに分かれて行動していたのもいい思い出である。

 とはいえ、ほぼペアルックな上に離れて行動できないのだ。

 5メートル程度の距離でくっついて行動するのは苦痛でしかない。


「それで、なにかの間違いで逃げられた時の為に捕獲用の糸を考えておいたんだけど」

『……聞かなかったことにしておいてやる』


 もう自分はエレノアから逃げられない運命なのだろうか。

 ストーカーと赤い糸で繋がってしまった不運を呪いつつ、カイトは続ける。


『悪かったな。手を止めさせた』

「私はこれでほぼ勝ちだと思ってるんだけど」

『甘く見るな。誰をコピーしてると思ってる』


 見ず知らずの他人が聞けば随分自己評価の高い奴だと白い目を向けられるかもしれない。

 だが、神鷹カイトを捕獲するということはそういうことだ。

 一度捕まえたからと言って、その後を疎かにしていては命を狩られる。


『イルマは実戦経験が薄い。だが、執念はある』


 それに加え、カイトの再生能力をコピーしている。

 それだけの要素が揃えば、イルマは何度でも立ち上がる。


『アイツの執念は本物だ』


 なにが彼女をそこまで動かすのかは知らない。

 カイトはボスと呼ばれながらもウィリアムの施した教育の詳細を知らないのだ。 

 とはいえ、ある程度予想することはできる。

 ウィリアムの性格とXXXの環境を思えば、イルマが自分たちよりも過酷な場所で育ってきたことなど簡単に想像できた。


『執念があれば、状況はひっくり返る』

「お……褒めにあずか、り……光栄です」


 苦しげな声でイルマが起き上がる。

 首に巻きついた黒い糸は彼女の肉を締め上げており、今にも落ちてしまいそうだった。

 呼吸するのさえ苦しい筈だ。


「あんまり褒めない方がいいんじゃないかな。彼女、褒められたら燃えるタイプみたい」

『……褒めたつもりはないんだがな』


 だが、結果的に長所を指摘したことには変わりない。

 イルマがエレノアを見やる。


「この、程度で……私を抑えられるとでも?」

「誰に変身しても同じだよ」


 エレノアはあくまで冷徹に言い放つ。


「この糸は敵の攻撃をすり抜けて確実に相手の首を絞める。今、君が無事なのはカイト君に化けてるからだ。それがわからない君でもないだろう?」


 完全に脅しの体勢である。

 自らが悪役だと意識しつつも、エレノアは糸を更にきつく締め上げる。

 ただ、これが致命的な一撃になるかと言えばそうは言い辛い。

 確かにイルマを苦しめているだろうが、首を刎ねるには時間がかかる。

 本来なら一本の糸でやるような作業ではないのだが、今のエレノアが持つ黒の糸はこれだけだった。

 かと言って、時間をかけていれば彼女が打開策を見つけてしまうかもしれない。

 さて、糸一本だけの状況でどうやってこの子を料理してやろうか。

 そんなことを考えている内に、イルマが行動する。


「――――」


 窒息してしまいそうな苦しみに耐えつつも、イルマは疾走。

 首に巻きついた糸をそのままに、エレノアに向かって突撃する。


「いいっ!?」


 一方のエレノアは、ただ仰天していた。

 別段、突撃してくることに驚いてはいない。

 今の状況でイルマに残された攻撃手段はそれくらいなのは理解している。

 驚いたのは、そのタフさ。

 首を締め上げ、苦しげな表情を浮かべていた筈なのに、どうしてさっきまでと変わらない走りができるのか。


『変われ!』

「でも、私が引っ込むと糸が!」

『なら、俺も出る!』


 中にいるカイトが危険だと判断し、とっさに飛びでていた。

 イルマの手刀がエレノアの喉元に迫る。

 爪先が皮膚を裂いたと同時、エレノアの中から飛び出たカイトがイルマの手を掴む。


「ボス!?」


 ふたり同時に出てこれるとは知らなかったのだろう。

 突然現れたカイトの姿に、イルマはただただ驚くしかない。

 さながら、アメーバが分離するかのような現象だった。


「ボス、これは……!?」

「射程範囲に入ったな」


 その領域はたったの5メートル。

 ふたりで活動するには狭すぎる空間だ。

 実際、ゼクティスとジャオウのふたりと戦った時も殆ど背中合わせだった。

 普通に行動する分なら、どちらかの身体をメインにした方が融通が利く。

 だが、この5メートルの領域に足を踏み入れた瞬間、神鷹カイトとエレノア・ガーリッシュはタッグを組んで襲い掛かってくる。

 例え片方が死ぬほど嫌がろうが、至近距離まで持ち込む事が出来ればこちらの方が有利なのだ。

 ゆえに、カイトはぐっと我慢。

 仕留めた後、やたらとべたべたしてくるであろう相方に向けて提案する。


「エレノア、合わせろ!」

「え!?」


 それは彼女にとって想定外の提案だった。

 だが、同時に魅力的でもある。

 なぜなら彼がやろうとしている事は自分との連携による必殺の一撃だからだ。

 連携。

 すなわり共同作業である。


「うっひょお! やるやる!」


 テンションが凄まじい勢いで上がり始めた。

 イルマの手がカイトに封じられているのをいいことに、今度は全身へと糸を伸ばす。

 身体中に巻き付いた糸はイルマの身体を宙へと持ち上げ、大の字にして天井に固定してしまった。


「ぐっ!」


 天井に貼り付けられ、もがく。

 イルマの抵抗も空しく、固定された身体はぴくりとも動かない。

 カイトとエレノアが同時に跳躍する。

 どちらからでもなく右足を向け、ふたりの足先が同時に胸へと叩き込まれた。

 炸裂した破壊力は余波となって天井に伝わり、イルマの身体をくの字にへし折る。


「が――――!」


 神鷹カイトへの変身が解けていった。

 再現されたDNA情報は砕け散り、身体を維持する本来の細胞が呼び戻される。

 綺麗に着地し終えた後、エレノアはやけに上機嫌な顔で天井を見上げた。


「ははっ、どうだい。これが私と君のストーキング力の違いだよ。恐れ入ったかい」


 なんでこんなにエラそうなんだろう。

 半目になってエレノアを見る。

 何を勘違いしたのか、ウィンクを返された。

 汚い物を拭い捨てるかのようにして手を頬にやり、カイトも天井を睨む。


「どちらにせよ、これで終わりだ」

「う、うう……」


 一応、イルマはまだ生きている。

 生きているがしかし、殆ど虫の息だ。

 寧ろ、新人類の骨を砕く威力の蹴りを受けてまだ生きているのが驚きである。

 このまま放っておけば、いずれ死ぬかもしれない。

 だが、自分やマリリスをコピーしている少女をそのまま野放しにはできない。

 後の憂いを断つ為にも、ここでしっかりトドメを刺す必要がある。

 そう判断すると、カイトは右手の爪を伸ばす。


「これまでよく働いてくれた。そこだけは感謝している」


 これまで、彼女なりにこちらに協力してくれたのは事実だ。

 そのことに感謝の言葉を添えておく。

 恐らくだが、最期になにか言葉を送っておかないと彼女は納得しないだろう。


「じゃあな」

「……最期までお役に立てず、残念です」


 短い別れの言葉だった。

 イルマも覚悟を決めたのか、磔にされたまま目を閉じている。

 これ以上言い残すことはないのだろうと解釈すると、カイトは躊躇いなくその手を伸ばした。


『待て!』


 聞き覚えのある声が、基地全体に響き渡る。

 静止を求める声を聞いた瞬間、カイトの手は動きを止めた。


「……エイジ」


 聞き間違えでなければ、それは御柳エイジの声だった。

 








「姉さん、こっちへ」


 カイトに先行を促されたカノンとアウラは基地を彷徨い続けている。

 だが、自分たちが何をすべきかは理解していた。


『例の新生物の駆除、早くしなきゃ』

「ええ。その為に私たちが連れてこられたんですから」


 ウィリアムの切り札はふたつ。

 新生物のクローンと、餌を取り入れる為のSYSTEM Zの破壊だ。

 そのどちらかさえなくなってしまえば、彼の野望が水泡と帰す。

 問題があるとすれば、未だにSYSTEM Zの全貌が見えないことだろうか。

 しかし、ウィリアム曰くSYSTEM Zは機械である。

 精密機械が相手なら、放電能力を持つ彼女たちはうってつけの破壊者となるのだ。

 新生物は無理でも、なんとかしてSYSTEM Zを見つけだして破壊しなければならない。

 勿論、全人類を捕食して歩く新生物の駆除が最優先なのだが、彼女たちはトラセットで同種に痛い目を見ている。

 まともに立ち向かうよりは、先にSYSTEMの方を破壊すべきだと判断した。

 では、問題のSYSTEMと新生物はどこにいるのか。

 

「……しらみつぶしに探すしかありませんね」

『だよね』


 非常に面倒だが、これしかない。

 ふたりはこの基地の構造について無知なのだ。

 ゆえに、自分の足と目でそれらしき物を探すしかない。


『……ねえ、アウラ。気付いてる?』


 そうやって破壊対象を探すカノンが、周囲を確認しながら妹に語りかける。


「なにが?」

『静かだと思わない?』


 まったくの無音と言う訳ではない。

 カイトとイルマの戦闘音と思われる破砕音は遠くから響いてきている。

 だが、その音に反応すべき足音がない。

 無人なのだ。

 正確には誰かいるのかもしれないが、ここまでくる間は誰とも遭遇しなかったし、気配すら感じない。


『ここ、ワシントンの基地だよね』

「その筈ですけど……」


 アメリカの首都、ワシントン。

 大統領の構えるホワイトハウスの存在も考えれば、特に守りが固くなりそうな場所だ。

 にも拘わらず、この静けさはどうだ。


「さっき、警報音が鳴りましたよね。それで出払ってしまった……は、ないですね」

『うん。仮にそうだとしても、誰とも遭遇しないのは変だと思う』


 ここに来るまでの間、人が暮らしていた形跡はあった。

 だから基地としては機能していたのだろう。

 フィティング以外に戦艦やブレイカーがあったのも確認している。

 まるで警報があったのをきっかけにして、基地の中の人間がすべて消えてしまったかのような光景だ。

 そんな風に思うと、軽い寒気がする。


「…………」


 ホラーに耐性のないアウラが息を飲む。

 彼女の緊張を汲み取ったカノンは先行すると、近くの自動ドアに手を付けた。


『アウラ、ここから調べよう』


 姉の提案に頷き、アウラは続く。

 彼女が背後についたのを確認すると、カノンは静かに扉を開けた。

 明かりのついていない空間に忍び込むと、ふたりは辺りを警戒する。


「……いないみたいですね」

『うん』


 電気がついていない時点で察しはついていたが、やはり基地の人間は居ない。


「結構広いですね」


 周囲を注意深く確認し、アウラが呟く。

 ブレイカーが入る程の広さはないが、大人数は収容できそうな空間だ。


『気を付けて。何かいるかもしれないから』

「わかってます」


 まだ見ぬ新生物の影に警戒しつつ、アウラは前進する。

 足下にも注意を怠らず、新生物の断片を探す。


「ん?」


 そんな中、アウラは見る。

 部屋の奥でぼんやりと輝く淡い光を。

 青い光を放つ巨大なカプセル。

 人がひとりまるごと入ってもおかしくない大きさのそれを不審に思いつつも、アウラは接近する。


「――――っ!?」


 近づき、カプセルの中で蠢く『ソイツ』の姿を見た瞬間、アウラは目を見開いた。

 大声を出しそうになった口を、後ろから抑えられる。

 一瞬、姉が来たのかと思い振り向く。


「すまない。少し眠っていてくれないか」


 そこにいたのは顔の右半分を前髪で覆い尽くした、鋭い眼差しの青年だった。

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