第191話 vsつけたす歴史

 テイルマンの纏う鱗の鎧が剥がれ落ちる。

 黒焦げになった皮膚を剥き出しにしたまま、彼は校庭へと落下した。


「……執念ですか、それは」


 アトラスはそんなヘリオンを見下した後、彼が守った校舎を見やる。

 間違いなくこの建築物を消し飛ばすつもりで放った。

 それができる威力だったと確信している。

 例え先輩戦士が相手でも、それを巻き込んで全部消し炭にするつもりだった。

 ところが、結果はどうだ。

 テイルマンは――――ヘリオン・ノックバーンは見事この校舎を守りきってみせた。

 己の身ひとつで。

 それ以外にアトラスの爆炎を防ぐ手段がないと考えて。


「しかし、その代償がどうです」


 ヘリオンに近づいていく。

 校庭には妙な静寂が続いていた。

 集めれられた避難民、校舎で隠れている生徒。

 誰もが言葉を発することなく、ただアトラスの言葉だけが空に響く。


「あなたが命を懸けてまで守る物が、ここにあるというのですか。たかが建物でしょう」


 倒れているヘリオンの手前で止まり、彼に問いかける。

 黒焦げの肢体はぴくりとも動かない。

 代わりに返ってきたのは、消え去りそうな声だ。


「……そうだとも」

「へぇ」


 生きていた。

 そのことにちょっとした安堵を覚えつつも、アトラスは再び問う。


「何があるんでしょう。宝ですか? それとも楽園への入り口だとか?」

「人だ」

「は?」


 小さな解答に、アトラスは戸惑いを覚える。

 人差し指を額に当て、考え込む。


「ああ、まだ誰かいるんですね。逃げ遅れた子ですか」

「そういう意味じゃない」


 逃げ遅れた子がいるのは事実だ。

 きっとアシェリーだけじゃないだろう。

 だが、それ抜きでも身体を張っていただろうとヘリオンは思う。


「僕は、ここで人間になれた」

「人間でしょう、あなたは」

「違う。ここに来る前まで、僕はテイルマンだった」

「違うんですか、それ」

「全く異なるものだ」


 アトラスからしてみれば、テイルマンとヘリオンは同じものである。

 当然だ。

 テイルマンはヘリオンの呼称である。

 他人がどういう評価をしていようが、そういう名前がついたということはヘリオンとその呼称が結びついているという証だとアトラスは思う。


「テイルマンは化物だ。あれは人間じゃない」

「自分を卑下するのは止めた方がいいですよ。悲しくなりますからね」

「だが、ここは――――」


 アトラスの慰めを無視し、ヘリオンは続ける。


「テイルマンが人間になるチャンスをくれた場所だ」


 苦しい訓練。

 過酷な戦い。

 それらから逃げ出して手に入れた自由も、テイルマンを人間にはしてくれなかった。

 玉砕してもおかしくない面談をやって、ようやく勝ち取ったチャンス。


「彼らは怯えていましたよ!」


 アトラスが吼える。

 当然だ。

 彼は知っている。

 力のない人間が、異能の力を持って生まれた人間に対して向ける差別意識。

 数と言葉の暴力。

 ヘリオン・ノックバーンはそれを一番よく理解している筈だった。

 だからこそ、アトラスは思う。


「あなたはこっち側でしょうに!」


 幼少期のことを思いだす。

 始めて力を使った日。

 自分はただ家に帰りたかっただけなのに、両親は自分を除け者にしたのだ。

 そして王国に渡した。

 許せない。

 自分はただ家族と一緒にいたいだけだったのに、彼らはその気持ちを裏切ったのだ。


「あんな連中、すぐに潰してやればいいんだ!」

「アトラス……」


 必死の形相。

 歪に変化するアトラスの表情は、ヘリオンも見たことがない。


「見ろ! これが、」

「ぐあっ」


 ヘリオンの頭部を掴み、力任せに引っ張る。

 黒焦げになったテイルマンの無残な姿が、避難民たちに晒された。


「これが現実ですよ」


 生徒や教員、島の人間たちがヘリオンに視線を向ける。

 誰ひとりとして声を発する者はいなかった。

 同時に、行動を起こそうとする者もいない。


「どうですか。あなたがどんなに命がけで戦っても、彼らは今にも死んでしまいそうな貴方を助けようとしない。貴方はここに人があると言った。ですが、その人たちのリアルな反応はどうです!?」


 アトラスと言う脅威がいるのもあるだろう。

 彼らはヘリオンから大分離れた距離を保って、近づこうとしない。

 どちらかといえば、狼狽えている印象が強い表情だった。


「お前たちも何とか言ってみてはいかがでしょうか」


 能力とは裏腹に、冷え切った瞳が避難民たちに向けられる。

 今のアトラスは何をしでかすかわからない程に不安定だ。

 今度こそ避難民たちに手をかけるかもしれない。


「彼はこの建物を守ってくれました。間接的に、あそこにいる皆さんの仲間の命も救ってくれた。学生の命を助けた事実に変わりはない。ですが、皆さんはそんな彼の為に動くことができない。動こうともしない」


 ヘリオンを掴む手の力が緩んだ。

 重力の法則に逆らえないまま、ヘリオンの身体が再び地面に伏す。


「あなたは変われたかもしれない。でも、それが彼らに伝わらない。これが現実ですよ」

「……随分と、わかったようなことを言うんだな」

「経験談です」

「なるほど」


 でも普通はそうだ。

 ヘリオンとて無理に理解してほしいとは思わない。

 一番理解してほしかった女性は、あの日逃げられてしまった。

 友人がフォローしてくれているが、あれがきっと答えなのだろう。

 

 しかし、それは突然の出来事だった。

 何の前触れもなく、常人には理解できない新人類の特殊なパワーを見せつけたら誰だって困惑する。

 ヘリオンだって第二期の能力には驚かされた。

 彼らの場合、そういう人間と触れ合う機会が多かっただけなのだ。


「ダメなら、ダメなりに足掻くだけさ」

「今の状況、理解できてます?」

「もちろん。こう見えても教師なんだ」


 力ない笑顔ではにかんで見せる。

 面談に出る為に必死で練習した表情だった。


「もしも今は無理でも、僕がここを守った記憶は皆の歴史に刻まれる筈だ。彼らは無理でも、カイトやスバル君たちが理解してくれる」


 多くは望むまい。

 やるだけのことはやった。

 後は結果を待つだけだ。


「テイルマンは歴史の罪人かもしれない。でも、それは今の話だ。歴史は後にも追記される。テイルマンが変わりたいと願い、無知なりに懸命になって、誰かの為に生きたんだと。それを知ってくれる人がいたら、僕はそれでいい」


 歴史の教科書は過去の出来事が掲載される。

 その出来事が明確な事柄であればある程、修正は利かない。

 いくらヘリオンが歴史の教師をしていても、教科書の中からテイルマンの名前を消すことはできないのだ。

 だったら、書き足すしかない。

 教科書に載せるのが無理なら、誰かの記憶でもいい。


「ヘリオンさん。残念です」


 腹部を踏みつける。

 先程頭を踏んだのを根に持っているのか。

 それとも、ヘリオンの主張が癪に障ったのか、彼の攻撃は容赦がなかった。


「がはっ――――!」


 火傷の痛みとアトラスの一撃が合わさり、強烈な痛みがヘリオンを襲う。

 反撃しようにも、身体が動いてくれない。

 テイルマン自慢の尻尾も、ぴくりとも動いてくれない。


 ここまでか。


 さっきは満足だと言ったが、心残りは幾つかある。

 レジーナの件は勿論、この場のことも申し訳ないと考えていた。

 集まった避難民たちには恐ろしい想いをさせてしまっただろう。

 これから流れるであろう自分の血で、彼らが怖がるのは忍びない。


 ぼんやりとそう考えていた時だ。

 項垂れるヘリオンの視界に、ひとりの男性が近づいてきた。


「ノックバーン先生」

「学園長……?」


 ちょっぴり太っていらっしゃるおじさんは数歩ほどヘリオンに近づくと、彼に話しかける。


「ありがとう。あなたのお陰で、生徒は守られました。校舎も生きている」

「なにを」


 学園長はアトラスのことなどお構いなしだった。

 認識していない訳ではないだろう。

 実際、彼の足は震えていた。

 学園長がこうして話せるのも、アトラスが呆気にとられているからだ。


「面談の時、あなたは私に言いましたね」


 自分を変えたい。

 チャンスが欲しい、と。

 学園長もこの学園に来てから様々な教師に出会ってきた。

 それでも、あんなに必死で、なおかつ思い詰めている教師は始めて見る。


「正直な事を言うと、私は不安でした。何か黒い事情があるであろうあなたをここに入れて、大問題がおこるのではないかと。熱意に圧されてしまいましたが、最初の内は夜も眠れませんでしたよ」


 しかし、蓋を開ければ彼は真面目だった。

 先輩しかいない同職者に囲まれ、複雑な事情を抱えやすい生徒たちを相手にしても懸命に食らいついてきた。

 まるで切れた糸を手繰り寄せるように、彼は必死だった。


「あなたは確かにテイルマンなのでしょう。しかし、変わりたいと思ってここまで駆け抜けたのは紛れもないあなた自身だ」


 ゆえに、誇って欲しい。

 たった1年。

 それでも島民の信頼を勝ち取り、学園の教師として結果を残し、身を案ずる友人に恵まれた。


「ありがとう、ノックバーン先生。あなたが来てくれてよかった」


 それがすべてだ。

 こうして感謝の意を伝えることでしか、ヘリオンの力になってやることができない。

 本当ならスーパーマンばりの超パワーでアトラスを押しのけ、彼を病院に運んでやりたい。

 現実の学園長はスーパーマンではないのだ。


 しかし、


「あ、ありがとうございます……!」


 学園長の言葉は、確かにテイルマンに届いていた。

 彼は面談に来て、合格を耳にしたときとまったく同じ顔と言葉を言っている。


「何いってるんです?」


 泣きじゃくりそうになるヘリオンの嗚咽を止めたのは、彼の上に乗る金髪の悪鬼だった。

 彼は右足を突き刺したまま、学園長とヘリオンを睨む。


「お前に何が理解できる! 力が無くて、距離を置くようなお前に! 私たちの何を理解できるっていうんだ!」

「い、いかん!」


 遂にアトラスがぶちキレた。

 指が学園長に向けられる。

 親指と人差し指で小さな輪が作らた。


「灰になれ、偽善者」

「学園長! お逃げください!」

「私は!」


 足が震えたままの学園長が、そこで初めて大声を出した。


「私も逃げません! ノックバーン先生と同じように、私の後ろにも人がいる。こんな大口を叩いた手前、逃げるなんてカッコ悪すぎるでしょう!」

「学園長!」


 指が弾かれた。

 ぱちん、と音が鳴ると同時、学園長目掛けて爆炎が飛ぶ。

 だが、その瞬間。

 校庭に突風が舞い上がった。

 懐かしい肌触りを感じつつも、ヘリオンは安堵の溜息をつく。


 まったく。

 アイツはなんでこう、来るだけで安心できるんだ。

 頼りになるとはアシェリーに言ったが、改めて実感してしまう。


「……遅いぞ」


 爆発。


 学園長が立っていた位置が吹き飛び、爆炎が巻き起こる。

 だが、彼は生きていた。

 アトラスとの射線上に障害物が出現したのである。


「悪い。遅くなった」


 背中に受けた火傷の傷を霧にして再生成。

 痛みがないのを感じると、そいつはゆっくりと振りかえった。


「アトラス。二度は無いぞ」


 神鷹カイトが、爪を向く。

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