第190話 vsテイルマンと呼ばれた男

 自由を勝ち取ったところで苦しみから解放されるわけではない。

 人生は常に苦行との戦いである。

 訓練と戦場の繰り返しから脱することができれば、それだけで素晴らしい日々が続くものだと思っていたが、甘い考えだと痛感した。

 先ず、食料を自分で調達しなければならない。

 学歴なし。

 特技は尻尾を扱うことなど経歴書に書けるわけもなく、ヘリオンは路頭に迷った。

 暫くの間は野生動物を捕まえ、サバイバル生活を行った事もある。


 だが、そんなものが自分の思い描いていた自由なのかと言われたら、ちょっと違う。

 自分で全部やって、自分のやりたいことをやる。

 見方によれば十二分に自由すぎる生活を送っているのだが、思い描いていた理想とは違う。

 先ず、ひとりぼっちなのが変わらなかった。

 いや、昔はXXXという理解者の集団があっただけまだいい。

 今は話し相手すらいないのが現状だ。

 随分前に新種のアナコンダとして生きることを提案したことがあるが、それに近い。

 お前にアナコンダは向かないと言われたが、その言葉が今になって浸透してきた。


 自分は肉食獣の外見をしているが、それを望んでいない。

 その事実を、今になって自覚する。


 これではいかん。


 彼に言われた人生の楽しみの意味を、ここにきてようやく理解したヘリオンはここから人生の挽回を図る事を決意した。

 その手始めに、人間の生活を学んだ。

 幸いなことに見聞は事足りている。

 ゴミ捨て場に縛られている古本だった。

 主に少年漫画と呼ばれるジャンルの見聞資料をたっぷりと読んだヘリオンはなけなしのお金でスーツを購入し、住みやすい場所を探した。

 その場所がゲーリマルタアイランド。

 ここでなら自分の身分をそこまで公にしないで済む。

 幸いなことに、人のよさそうなおばちゃんと知り合って、彼女の経営するアパートに暮らすことまではスムーズに決まった。


 後は職だ。


 この世界ではお金が物を言う。

 金がなければ物は買えない。

 ゆえに働かなければ生き残れない。


 ただ、定職に就ければなんでもいいわけではなかった。

 やるからには人に自慢できる仕事がいい。

 もう経歴書に書けないような汚い仕事はうんざりだ。

 そこで漫画を取り出し、何がいいのか考える。

 選りすぐりの職業の中から選出した結果、彼がなろうと決めたのは教師だった。

 島にはマンモス校がある。

 たったひとつだけの学園だ。

 勇み足でヘリオンは教員募集に手を挙げた。

 そして今の学園長と面談し、熱意を伝えようと必死になって話したのを覚えている。


『えー、ノックバーン君』

『は、はい!』


 我ながらあんなに背筋を伸ばしたのは人生初だったかもしれない。

 少なくとも、対面であんなに緊張したのは生まれて始めてだ。


『年齢は?』

『今年で23です!』

『ご経歴は』

『経歴書の通りです!』


 今にして思えば、なんて馬鹿な発言なのだろう。

 彼の経歴書はまっさらだった。

 これで経歴書の通りです、なんて言われたら判断のしようがない。


『……えー、これまで労働の経験は』

『あります』

『具体的にはどのような』

『言えません』

『え』

『え?』


 本当にどうしてこれで採用通知が来たのだろう。

 素直すぎるというのも考え物だ。

 ただ、その素直さが功を成したのかもわからない。

 少なくともあの学園長は熱意を買ってくれるタイプだ。

 お人好しと言い換えていい。


『詳しくは言えないのですが、ここで人生をやり直させてほしいんです!』

『しかし、教師と言うのはあなたの想像以上にハードなお仕事ですよ』

『構いません!』

『他人の人生を左右しかねない職ですぞ!? あなたに責任が取れますか!?』

『とります! もしも生徒の誰かが襲われたら、誰よりも真っ先に助けに行きます! 生徒の誰かが僕を憎むと言うなら、甘んじて憎しみを受け止めます!』


 あの時。

 自分はどういう表情で学園長に土下座をしただろう。

 学園長が困り果てた顔をしていたのは覚えている。

 対して自分の方は、顔に熱が籠っていたことくらいしか思い出せない。

 必死だった。

 生まれて始めて、誰かに懇願した。

 這ってでも諦めたくないと思うのはこれが初めてだ。


『どうしてそんなことが言えるんですか』

『僕は人に自慢できない人間です』


 この世界でどれだけの人間が自信を持って自分を称賛できるだろう。

 謙虚さで首を横に振る人物も珍しくない筈だ。

 ただ、ヘリオンの場合は心の底から自分を卑下していた。

 生まれたこと自体が間違いなのだとさえ思った事がある。


『昔、取り返しがつかないことをしました』


 まだ自分が何をしているのかさえも理解していなかった頃、ある国王にそそのかされてまんまと新人類軍侵攻のお手伝いをしてしまった。

 その後もただひたすら殺した。

 銃を向けてくる敵兵に向けて、尻尾を叩きつける。

 戦車を弾き飛ばす。

 そして牙で敵を食らった事もあった。

 経歴書に書けないような特技を実感するたびに、ヘリオンは己の矮小さを感じてしまう。


 随分昔の話になるが、少年兵を取りまとめたリーダーはこう言った。

 お前には楽しみがない、と。

 その通りだ。

 あの場所には自分の生き甲斐が無かった。

 他人に誇れるなにかがあるわけでもない。


 それでも、誰かの為になにかがしたいと思った。

 拾った少年漫画の主人公たちは、親身になって登場人物たちを導いていった。

 自分もあんな風になりたい。

 青春熱血スポーツ漫画、不良教師漫画。

 動機は不純かもしれないけれど、彼らのようになりたいと思った。


『それでも、少しでも誰かの役に立ちたいんです』


 あの後、自分が何を口走ったのかは記憶していない。

 ただ、覚えているのは優しい笑みを浮かべてこちらの肩を叩いてくれた学園長だった。 


『……ようこそ、ゲーリマルタ国際学園へ。決して楽な道ではないでしょう。あなたの人生に幸福があることを、私は祈っています』


 






 随分と長い間眠っていたような気がする。

 瞼を開けたヘリオンが周囲を見渡すと、そこは荒れた室内だった。

 生徒会室だ。

 学園の3階に位置するこの部屋は既に窓ガラスが粉砕しており、机と椅子も倒れている。


「……そうか、僕は」


 どうして自分がここにいるのかを考え、ヘリオンは思い出す。

 アトラスに放り投げられたのだ。

 自分の後釜ともいえる第二期XXXの頭角、アトラス・ゼミルガー。

 彼には悪いことをしたと思う。

 なまじ自分が中途半端だったがために、彼らには苦労をかけてしまった。

 しかし、だからといってこのまま負けるわけにはいかない。

 黒焦げになった身体を起こし、ヘリオンはゆっくりと立ち上がる。

 そのままアトラスの現在位置を確認しようとして、彼は足を止めた。

 音が鳴ったのだ。

 何かが倒れる音がした方向に振り返ると、ヘリオンはそこでひとりの人物を見つける。


「アシェリー・スーンか」

「ひっ!?」


 机の中に身を潜めていた女子生徒がすくみあがる。

 逃げ遅れてしまったのだろう。

 彼女の他には誰もいない。


「ここは危険だ。急いで逃げ……」


 そこまで言ったところでようやくヘリオンは気づく。

 今の己の姿に、だ。


「あー……」


 今にも痙攣しそうなくらい震えているアシェリーの様子を眺め、ヘリオンは溜息。

 長すぎる尻尾。

 鱗で覆われた皮膚。

 爬虫類独特の眼球。

 剥き出しの爪。

 どこをどう見ても立派な化物である。

 こんなのがいきなり天井をぶちやぶってきたのだ。

 怖くない筈がない。

 しかし、今は説明している暇さえ惜しいのが現状だ。

 天井の位置を計算すれば、アトラスはすぐにやってくる。


「アシェリー、他に誰かいるのか!?」


 急ぎ、アシェリーを問いただす。

 彼女は涙目で顔を横に振った。


「わかった。いいかい、新人類軍の司令官がここにくる。鉢合わせる前に逃げるんだ」

「あ、あ……」


 喋る爬虫類頭。

 SF映画にでも出てきそうな異形に話しかけられても、戸惑うだけだろう。

 だが、今だけは飲み込んでも割らないと困るのだ。


「気をしっかり持て、アシェリー! 山田先生から怒鳴られたのを忘れたのか!」


 その一言で、ようやくアシェリーは我に返った。

 恐怖に支配された瞳には徐々に冷静さが戻り始め、眼前の異形を知り合いなのだと認識し始める。

 山田という共通の知り合いがいる事で警戒心が薄れたのだ。

 同時に、この異形が誰なのだろうと言う疑問が湧き上がる。

 下半身のスーツを見る限り、恐らくは教師なのだろう。


「先生、なんですか?」

「……その話は後だ。さっきも言った様に、ここに新人類軍の司令官が来る。鉢合わせたら君を守り切る自信はない。早く逃げるんだ」

「でも、火傷が」

「僕のことはいい!」


 ここにきて見当違いな心配をし始めるアシェリーに対し、ヘリオンは叫ぶ。


「もしも山田先生を見つけたら伝えてくれ。敵はスバル君を探している、とね」

「あなたはどうするんですか?」

「もちろん、戦うのさ」


 この学園は自分を受け入れてくれた。

 チャンスをくれた恩は、決して忘れていない。

 例え第二期が相手でも譲る気は無かった。


「ヘリオンさーん」


 外から声が聞こえる。

 名を呼ばれたヘリオンは耳を澄まし、学園外から聞こえる声に集中した。


「あの程度じゃ死なないでしょ。早く出てきてくださいよ。私、リーダーが来るんじゃないかと思ってびくびくしてるんですから」


 なんとも好き勝手なことを言ってくれる。

 ただ、校庭から聞こえてきていると言う事は、学園内にまで追ってきていないことになる。


「出てこないなら、相応のやり方で出てきてもらうしかありませんけどねぇ」


 恐る恐る窓から外を見やる。

 アトラスがいた。

 校庭の避難民を人質にとることもなく、ただ学園を見上げているだけである。

 ゆっくりと両腕を掲げた。

 指先から赤い光が灯るのが見える。

 それを見た瞬間、ヘリオンはアトラスの真意を悟った。

 校舎をまるごと爆発させる気だ。


「いかん!」

「え?」


 焦るヘリオンがアシェリーを見やる。

 今から逃がそうにも時間がない。

 それに、彼女以外の逃げ遅れた生徒がどこかにいる可能性もあった。

 校庭の避難民も逃げる余裕などないだろう。

 彼らはアトラスの威圧感にすっかり飲み込まれており、尻餅をつきかけている。


「残念ですよ、ヘリオンさん。私、こう見えてもあなたと一緒に戦える日が来るのを内心楽しみにしてたんですよ。ここで塵芥と一緒に灰になるなんてもったいない人生です。かつてはテイルマンとも呼ばれた人物が、落ちぶれた物ですね」


 いらんことをぺちゃくちゃとよく喋る司令官だ。

 見ろ、お陰で生徒がまた怯えている。


「て、テイルマンって、あの?」

「……大丈夫だ、アシェリー。君はこんなところじゃ死なない」


 できるだけ優しく頭を撫でてあげた。

 黒い歴史の登場人物で有名なテイルマンからの施しなんて受けたくないかもしれない。

 だからと言って、何も見てないふりをするのはダメだろう。

 そんなんじゃ漫画の中の憧れの教師に殴られる。


「悪かったね。怖かっただろう」


 残された時間はあと僅か。

 窓越しから強烈な熱量も伝わってくる。


「大丈夫。この学園にはね、頼りになる男がいるんだ」

「……山田先生、ですか?」

「ああ。君たちから見れば碌な教師じゃないかもしれないけどね。あれでいいところがあるんだ」


 多分、アトラスの爆発は彼も目視している筈だ。

 急いでくれたらそう遅くない時間でやってきてくれるだろう。

 彼が来れば、アトラスは行動不能にしたも同然だ。

 それまでの時間はなんとか稼がなければならない。

 失敗すれば、彼女たちはアトラスの言う『塵芥』になってしまう。


「最後に頼みがある」


 立ち上がり、ヘリオンはアトラスを見下ろす。

 彼もヘリオンの姿に気付いたようだ。

 笑みを浮かべ、熱量が放出される指を向けている。

 学園ごと木端微塵にする意図はかわらないらしい。


「さっきアイツも言ったけど、僕はテイルマンだ」


 果たしてこの願いは生徒に届いてくれるだろうか。

 あの無愛想だった少年兵リーダーと旧人類の少年のように、自分を包み隠さず受け止めてほしいと願うのはおこがましいのかもしれない。


 でも、彼らのようになりたいのだ。

 

「見ていてくれ。テイルマンが、君たちを守る」


 床に散らばったガラスの破片をふんずける。

 窓から飛び出し、ヘリオンがアトラス目掛けて襲い掛かった。


「アトラス・ゼミルガー!」

「やはりまだやる気ですか。それなら仕方がない!」


 アトラスが両手を力強く握る。

 直後、掌を大きく広げた。

 指先から爆炎が生成され、ヘリオン目掛けて襲い掛かる。


「そんなに大事ですか、ここが!」

「そうだよ!」

「テイルマンが、どうしてこんなボロボロの建物に拘るのです!?」

「確かに僕はテイルマンだ!」


 獅子を無表情のまま殺す残忍な子供。

 それがテイルマンだ。

 彼は新人類軍の戦士であり、XXXの牙のひとつである。

 奪った命は数知れず。

 歴史の教科書や動画サイトでは本人が見たら悲しくなるようなことが書かれている。


 テイルマンはヘリオンだ。

 その事実は覆せない。


「それでも、今の僕はヘリオン・ノックバーンだ!」


 爆炎がヘリオンを包み込む。

 鱗が焼け落ち、肌が黒に染まる。

 本来なら校舎を全て消し炭にするような爆発エネルギーを受け止めたテイルマンは、炭のように真っ黒になって崩れ落ちた。

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