第100話 vs仲間たち ~神様、僕はいい仲間に恵まれたけどさぁ編~

 蛍石スバル、16歳。

 16歳である。一般的にこの年齢の男子が、トイレに行きたいと呟いたところで、周りの友人は『わかった。じゃあ行って来い』と送り出すのが普通だろう。

 だが今回に限ってしまえば、普通ではない要素がいくつか揃っている。

 第一に、道が分からないこと。これは彼らがずっと道案内をしてきたイルマについていったのが原因であり、この時間になるまでの間、スバルが催さなかったのも一因だった。ようするに、誰かに道案内してほしかったのだ。


「仕方ねぇな」


 頭を掻きながらも、エイジが言う。

 勢いをそがれつつも、彼は提案した。


「じゃあ、全員で行くか」

「全員で!?」


 口から放たれた提案に、スバルが驚愕する。

 普通じゃない状況の第二の要因は、疫病神こと神鷹カイトの不在にあった。トラセットで別行動をしている間、残されたスバル達がどんな大変な目にあったのかは今更語るまでもない。

 本音をいうと、若干トラウマになりかけていた。


「しゃーねぇだろう。あいつが居ないこの間にも、人類の脅威って奴が準備を整えて襲い掛かってくるかもしれねぇんだ」


 まるでカイトがいなくなったから『人類の脅威』が襲い掛かってくるかのような言い方である。

 しかし、悲しいかな。これまでの戦いは大体カイトが別行動をしている間に起こっているので、あまり強く否定できない。


「わかりました。みんなで行きましょう!」

「そうだね。スバル君だけにすると、ちょっと心配だし」


 そして第三の不安要素が、このフィティングをどこまで信用していいのか測りかねることにあった。昔の仲間が助け舟を出してくれたと表現すれば聞こえはいいが、ウィリアムが反旧人類思想を持っているのが不安を植え付ける。

 疫病神がさっそくやらかしやがった今、もはやなにがおこったとしても不思議ではないのだ。それこそ、地球が割れても驚かない自信がある。


「よし、ついてきな。場所は大体覚えてるからよ」


 エイジが先導してゲストルームから出ると、それに続いてスバル達も部屋を出る。灯りがついている廊下を数分程歩いていくと、お手洗いの伝統的な男子マークが見えてきた。


「ここだ。いくぞ」

「ちょ、ちょっとたんま!」


 男子トイレの場所を確認し、すぐさま突撃しようとするエイジを止め、スバルは言う。


「まさか、中までついてくる気なの!?」


 今更確認するまでもないが、男子トイレに用事がるのはスバルだけである。エイジもシデンもそんな様子はなく、マリリスに至っては女子だ。これ以上はセクハラになりかねないので、あえて深くはつっこまないが、ぞろぞろと引きつれてトイレに入るのは流石に抵抗がある。


「そうだけど、なんか問題あんのか?」

「大ありだよ!」

「大丈夫。見守ってあげるだけだから」


 見守ってあげると言われても困るのだ。

 特に女顔のシデンに言われても、微妙な気持ちになるだけである。何が悲しくてトイレの様子まで見守られなきゃいけないのだ。


「それに、ひとりじゃ不安だろ?」

「いや、俺はただ場所がわからないから案内してくれって言っただけで、別に中までついてきてくれとは――――」


 言いつつ、スバルは壁際の電灯スイッチに手を伸ばす。

 明かりをオンにしたのと同時、彼はある違和感に気付いた。


「あれ?」


 トイレが明るくならない。

 試しになんどかスイッチを連打してみる。天井についているランプが明るくなることはなく、男子トイレは暗闇が立ち込めたままだった。


「あ、そういえば」


 エイジがなにかを思い出したように手を叩く。


「俺が来たとき、電灯の電気が消えたんだよな。イルマに相談したら、明日付け替えますって言われたけど」

「えええええええええええええええええええぇっ!?」


 それはつまり、暗闇の中で用を済まさなければならないことを意味している。しかも今回、スバルが用があるのは個室の方だ。密閉された暗い場所に閉じ込められるのは、なんというか気が気ではなくなる。


「えと……ごめん」


 蛍石スバル、16歳。たいへん情けないことではあったが、暗い場所のトイレはちょっと怖かった。

 ゆえに、彼は仲間たちに提案する。


「灯り照らしてもらっていい? 部屋に緊急用の懐中電灯があったと思うんだけど……」

「おう、いいぞ」


 このやり取りから僅か5分後。スバルは己の発言を激しく後悔することになった。

 なぜか。電灯を用意してきた仲間たちは、結局男子トイレの中に突撃してきたからだ。それ自体はいい。他に利用者もいなかったし、明かりを照らしてほしいと言ったのは自分だ。だからスバルとしては、身長のあるエイジが上から覗き込むような形で灯りをつけてくれれば、それだけでよかった。


 だが、しかし。

 彼の願いは、見事に砕かれた。懸命な表情で懐中電灯を握りしめる、ひとりの少女によって。


「ねえ、マリリス」


 個室の扉を閉める為にドアを抑えるスバルが、引きつった笑みを浮かべながら言う。

 呼びかけられたマリリスは、ドアを解き放つべく反対側から力を加えている。


「なんですか、スバルさん」

「どうしてドアを閉めさせてくれないの?」

「どうしてって、それじゃあ私が照らせないじゃないですか!」


 なにをいっているのだ、と言わんばかりの勢いで押し切られた。

 必死な表情で言われたので、もしかして自分がおかしいのかな、とスバルは唸り始める。やや考え込んだが、マリリスが照らす必要性はない。


「なんでよりにもよってマリリスがやろうとしてるんだよ!」

「いや、俺もそう思ったんだけどさ」


 マリリスの横で彼らの寸劇を見学しているエイジが、頭をぽりぽりと掻きながら言った。


「私が照らしますっ、て妙に気合い入れてるんだよな。それを無下にするのもなんか悪いじゃん」


 なんでだよ。

 心からそう思った。記憶違いでなければ、マリリスはそれなりに常識を持った女の子だったと思う。部屋割りの時、みんなで寝ようと提案したら顔を真っ赤にしていたのだ。ある程度の節度は持っている筈である。

 しかし、なぜそれが男子トイレの扉をオープンしようとしているのか。

 例え彼女が女子であり、男子の生態系に疎いのだとしても、だ。男子がトイレに入ったらなにがおこなわれるのかくらい、想像できないわけではないだろう。


「スバルさん!」

「な、なに!? 話は後で聞くから、今は俺を独りにしてくれない!?」

「スバルさんは以前、トラセットで私を支えてくれましたね。あの巨人との戦いで、身体を張って私を守ってくれました」

「トイレの中っていうのは、会話する場所じゃないの。オーケー?」

「だから今度は私が、スバルさんを助けます! 私がスバルさんを照らします!」


 聞いちゃいなかった。

 どうやらこのマリリスという少女。一度使命感に目覚めたら暴走しがちな性格をしているようである。始めてトラセットで出会ったとき、人の話を聞かずに万歳をしていた無垢な少女の姿を思い出し、脱力した。

 

「安心してください、スバルさん。私が照らしますから! だから、やっちゃってください!」


 やっちゃってください、て。

 ドアの間から笑顔でそんなことを言われても、どうしろというのだ。心なしか、目がぐるぐると黒く渦巻いている気がする。そこから発せられるどす黒いオーラが怖くて、マリリスを直視できなかった。


「見てないで助けてよ、アンタ等もさ!」


 ドアを押しながらマリリスの暴走を抑え込むスバルが、悲痛な叫びをあげる。同時に、お腹も悲鳴をあげた。ちょっと足がすくみ、力が抜ける。そのタイミングを見逃さず、マリリスは一気に攻め込んだ。


「照らします! 照らします! 照らします!」


 ドアが大きく解き放たれる。

 照らされるスバル。同時に、マリリスの目に便所が飛び込んだ。

 ここにきて、ようやく少しずつ理性を取り戻してきたのだろう。みるみるうちに顔は真っ赤になり、自分がなにをしてしまったのか理解する。


「……あ、ああああぁ」


 あまりの恥ずかしさに、両手で顔を抑えながら崩れ落ちた。

 これを見たスバルはチャンスだと思い、ドアを閉めて鍵をかけようとするが、


「げ!?」


 ドアが外れた。

 扉を固定する為のネジが、さきほど大きく解き放たれた衝撃で外れてしまったのだ。なんとか扉を接合できないかと思って立ててみるが、どうしてもバランスが保てない。


「……照らしてやるから、気にせずやれよ」

「気にするよ!」


 むしろ、状況は悪化しただけだ。

 マリリスだけではなく、エイジやシデンにもモロに見られる位置である。これで気にせずやれというのが無理な話だった。


「もう、隣の部屋でやるからさ! エイジさんは上から懐中電灯だけかざしてくれたらいいよ」

「ダメです! それだけはいけません!」


 ちゃんと扉が接合されている個室へ移動しようとすれば、我に返ったマリリスがスバルを止めた。

 彼女は真剣な表情で、スバルに言う。


「もうなにが起こっても不思議じゃないんですよ! ひとりでトイレに行って、なにか起きてしまってからでは遅いんです!」

「起きるかよ、こんなところで!」

「言い切れますか、本当に!?」


 顔を真っ赤にしつつも、必死に説得しにかかる少女。そういえば、彼女もひとりで行動しているところで、不幸が始まってしまったのだ。誰かをひとりにすることは、彼女の本能が許さないのかもしれない。

 だとしても、もうちょっと場所を考えてほしかったのだが。


「だから、私たちが扉ひとつないこのトイレを見守ります。安心してやっちゃってください!」

「安心できねーっての! ていうか、これ逆セクハラなんじゃないのか!?」


 喉の奥で押し留めていた言葉を、とうとう吐き出した。


「いや、マリリスの言うことも一理あるよ」

「ねぇだろ、どう考えても!」


 なぜか凄い真剣な表情で語り始めたシデン。彼は扉が外れた個室を一瞥し、呟く。


「昔、トイレのホラー特集っていうのがあってさ」

「ここでそれを話したら、俺はどんな目に合うんだよ!」


 しかも、気のせいでなければ話の流れが完全に別の方向へと向かっている。スバルとしては早いところマリリスだけでもどかして用事を済ませたいのだが、仲間たちはそれを妨害していた。意図的なのかそうでないのかは知らないが、少なくともこれまでの行動は妨害以外の何物でもないだろう。


「なあスバルよ。お前の言いたいことはわかるけど、我儘はこの際我慢しねぇか?」


 ついには我儘扱いされた。

 俺、なにか間違ったことを言ったかな、と思いながらエイジを見上げる。どことなく哀愁が漂う瞳に、エイジは深く同情した。


「悪い。語弊があったな。お前の気持ちは……まあ正直言うとわかんねぇ」

「ちょっと」

「わかんねぇけど、この場でこいつ等が譲るように見えるか?」


 シデンとマリリスを見やる。

 妙に真剣な表情でスバルを見つめていた。なんというか、その気迫が逆に怖い。

 カイトはイルマからこんな恐怖感を味わっていたんだな、と思いながらスバルはエイジに言った。


「俺、なんも悪いことしてないよな」

「ああ。むしろここまでよく頑張ってきたと思うよ」


 心からの言葉だった。

 エイジは優しく少年の肩を叩き、これまでのスバルの奮闘を思い出す。強敵、サイキネルに立ち向かい、未知の生物ともやりあった勇敢な姿だった。

 できれば、このまま安息の時を送らせてやりたい。

 しかし疫病神が災厄を振りまいてしまった今、どんな些細なきっかけで危機に陥ってしまうかわからないのだ。ゆえに、彼は少年にもうひと踏ん張りしてもらう。


「やれ、スバル。お前は俺達が困ってる時に、全力でぶつかってくれた。今度は俺達がお前を見守る番だぜ」

「安心して。みんなが君を守るからね!」

「私が照らしますから!」


 だからそれがダメなんだって。

 そう言いたくて仕方がないのに。彼らの純粋な瞳を見ると、無下にできなくなってしまう。これが友情によって育まれた絆の力なのだろうか。


 便器へと振り返り、そしてジト目になってから仲間達を見る。

 今だけはその絆を水で流してしまいと、切に思った。

 だが蛍石スバル。彼は友情に熱い男である。出会って間もない男の為に泣けるくらいには、彼もお人好しなのだ。

 そんなスバルが仲間たちの気持ちを無下にして、自分の羞恥心を優先することなどできなかった。


 スバルは、覚悟を決めた。

 ゆっくりとベルトを外し、ズボンに手をかける。背後で陣取るマリリスがどんな顔をしているのか、ちょっと気になった。

 ちらり、と視線を送ってみる。真っ赤になりながらも凝視していた。もしかしたら、意外とむっつりなのかもしれない。


「マリリス、ちょっと見ないでもらっていい?」

「ダメです! 私が目を離した隙に、トイレットモンスターが襲い掛かってくるかもしれません! 大丈夫です。私は気にしませんから、早く!」


 俺が気にするんだけどなぁ、とは口に出せなかった。

 多分、この先ずっとこの出来事を引きずりながら生きていくんだろうと思うと胸が苦しい。なぜこんな目に合わなくてはならないのだろう。これまで懸命に頑張ってきて、時には仲間と衝突することもあったが、割と誠実に生きてきたと自負している。

 それがこの扱い。

 神様、自分はいい仲間に恵まれました。しかし、いい仲間すぎて涙が止まりません。


 天を見上げ、うっすらと涙ぐむスバル。

 だがここまで現実逃避したところで、彼はひとつの結論に達した。


 それもこれもあの同居人が勝手にどっか行ったせいだ、と。

 思えば、ここまであの男が変な実績を立てなければ疫病神扱いもされなかったし、エイジたちが真剣になることもなかったのだ。

 次に会うことができれば、思いっきり文句を言ってやろう。スバルはそう決意すると、ズボンを脱いだ。


「カイトさんの馬鹿やろおおおおおおおおおおおぉぉぉぉっ!」


 この世にあるすべての理不尽を、スバルは憎む。

 カイトを疫病神に認定したのは他ならぬスバルなのだが、そんなことも忘れて、理不尽を撒き散らす同居人への文句を全力で叫んだ。

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