第74話 vs幸せ

「馬鹿、よせ!」


 同居人が制止の声をかける。

 だが異国の友へと走り出したスバルは止まらない。

 真上から滝のように降り注いでくる無数の根っこに向かって少年は走り続けた。


「くそ!」


 カイトは悪態をつく。

 それもその筈。スバルがアスプルに向かって走って行ったものだから、必然的にカイトがマリリスのお守りに付かなければならないのである。

 飛び出してきた根っこは、この空間一面を支配しかけていた。この場で食べれる奴を丸のみにでもする気なのだろうか。


「動くなよ。身の危険を感じたら悲鳴を上げろ」

「もう身の危険MAXなんですけど!」


 涙目になって訴えるマリリス。

 彼女の前に降りかかって来るのは先端を大きく広げて捕食しにかかってくる根っこばかりである。もう怖い上に腰が抜けて立ち上がれないのだ。元々足が立ちにくいのもあるのだが。


「じゃあ無事に生き残るまでずっと騒いでろ!」

「わー! きゃー! いやー!」


 襲い掛かる根っこを目掛けて腕を振り、次から次へと切り落とすカイトの横でマリリスがやけになって叫び始める。

 勿論根っこは容赦なく襲い掛かってくるのだが、カイトによって次々と三枚に下ろされていった。その度に気色の悪い樹液が降り注ぎ、マリリスの神経を刺激する。

 だがカイトにはマリリスを気遣う余裕はない。


「おい、離れろ。食われるぞ!」

「いやだ!」


 なぜなら、スバル少年が根っこに絡みつかれているアスプルを捕まえて離さないからだ。

 マリリスを抱えて彼のところまで行くという手段もないことはないが、片手を塞がれている状態で量を相手にするのは中々辛い。


「スバル君」


 そんなスバルに、根っこに絡まれたアスプルが話しかける。

 

「食われる前に、君に聞いてみたいことがる」

「食われずに帰ったら幾らでも答えるよ!」


 どういうわけか、根っこはスバル目掛けて襲い掛かってこなかった。

 アスプルの客人であることを考慮してか、それともただの旧人類に興味がないのかはわからない。

 そんな中でも、アスプルはマイペースに口を開くばかりだった。


「君は新人類をどう思う?」

「どうって!?」


 根を引っ張り、なんとかアスプルを解き放とうとするスバル。

 だが彼の健闘も虚しく、根はびくともしない。


「不公平だと思わないか。生まれた時から力を持っている彼らに対し、我々は無力だと痛感したことはないかい?」

「今それを話す時か!?」


 もうちょっと場を考えろよ、と言いたくなる。

 いや、彼なりに最後のやり取りを考えた結果がこれなのだろう。性質の悪い自殺願望者による問いかけは、旧人類共通の課題でもあった。


「どうなんだ?」

「……ないわけがないだろ!」


 実際、スバルもズルいと感じたことはある。

 共同生活の中で、カイトは特に力を発揮したわけではない。ただ、新人類というキーワードを持っているだけで、彼と自分は別の生き物なんだと感じることは多々あった。

 

「俺の身の回りの新人類は皆かっこいいし、頼りになる奴らだよ! 俺だってなれるならそうなりたいって思う!」


 しかし、スバルと彼らの間には絶対的な境界線が敷かれている。

 生き物としての差だった。

 もしくは才能と言い換えてもいいのかもしれない。生まれつき力を持って生まれる新人類が優位に立つこの時代で、旧人類として生まれることはなんのスティタスも生み出さないのだ。

 

「でも、皆友達なんだよ! 俺を認めてくれて、皆で一緒に遊べる気のいい連中なんだ! ……まあ、ちょっと面倒くさい人もいるけど」

「なんでそこで俺を見る」


 マリリスを守るために根っこを刈り取っているカイトが、訝しげな視線を向けてきた。しかしスバル。これを敢えてスルー。後で殴られること覚悟で、思ったことを口にしまくる。


「それに、新人類だってそんないいもんじゃねぇ! 俺たちと同じように失敗するし、悩みもする! 家電用品だってぶっ壊すし、稼ぎもあっさりと時計に使っちまってすっからかんだ!」

「おい」


 こんな状況でもはっきりとわかる。

 あの野郎、自分の悪口いってやがるな、と。

 カイトの眼光が光り、スバルに向かって威圧感を放ち始めた。尚、それを真横で見ていたマリリスは根っこ以上に怯えていた。


「と、とにかくだ!」


 極力同居人の顔を見ないようにして、アスプルの問いかけに答える。

 果たして彼の望む答えになるのかはわからないが、自分が思う新人類との付き合い方をはっきりと彼に示すつもりだった。


「なにが言いたいかっていうと、旧人類だろうが新人類だろうが俺達は同じ空気を吸って生きてる!」


 カイトから放たれた威圧感が徐々に治まってきたのを感じる。

 ちょっとは許してくれたらしい。


「確かに普通とは違う力を持ってたり、不公平だったりする。こんな世の中だ。それを鼻にかけて力を振るいっぱなしにする奴だっている!」


 それが自然と心無い暴力になり、力のない旧人類を締め付ける現実がある。スバルも、アスプルもその犠牲者だ。


「でも、皆が皆そうじゃないだろ! 君が触れあった新人類は、そんなに嫌な奴だったか!?」

「まさか。兄さんも、御柳さんも六道さんもとても素晴らしい方だ。お世辞抜きでね」


 そのやり取りを聞いている最中、カイトは思う。

 なんで俺の名前が出てこないんだろう、と。

 落ち込む彼に、マリリスが背中を優しく撫でることで慰めている。ちょっと微笑ましい。


「でもね、スバル君」


 アスプルが寂しげに友人の方を向く。


「私の目の前にいたあの人は、偉大な英雄だったんだ」

「アーガスさんはナルシストで残念でおバカっていう弱点があるよ!」

「ははは。それはそれでいいところだけどね」


 その一言に、スバルは焦った。

 もう彼は、行こうとしている。友人との会話を切り上げ、彼の餌となる為に。

 見れば、アスプルに絡みついている根っこの幾つかが身体に突き刺さっている。注入が始まったのだ。

 

「待って! まだ行くな!」


 異国の友との出会いは、僅かに二日前の話だ。

 自分と彼は似ている。プライバシーを話した時、そんな印象を持った。

 だがここまで彼を追ってきて、自分と彼は全くの真逆であることを知った。

 スバルは新人類の友人に恵まれ、彼らとの生活を心地良く送る。その一方でアスプルは、常に劣っていることを見せつけられるのだ。なまじ兄が優秀過ぎたがために。

 

「スバル君。私はね。決して兄に嫉妬してなんかいなかったと思いたいよ」


 強く否定はできない。

 だが、兄が嫌いでなかったのは事実だ。彼は頼りにある兄で、同時に良き模範となる兄だった。

 時々奇天烈な行動を起こす時もあるが、それらも全部ひっくるめて素晴らしい存在であると、自信を持って言える。

 

「でもこれだけは言えるんだ。もし私が力を持っていれば、あの時兄は苦しまずに済んだのではないかと」

「……俺だって、父さんが死んだって聞いた時、同じことを思った!」

「そうか。スバル君、なぜ私たちは力がなかったのだろうな」


 アスプルの身体が項垂れる。

 心なしか、呼吸も荒い。注入を受けたことで身体に異変が起こり始めているのだ。彼の黒の髪の毛が、徐々に白く染まっていくのをスバルは見逃さない。


「そうだよな。神様は不平等だ! でも、例え不平等だとしても生きていればきっといいことがあるだろ!?」


 人間は不平等だ。

 例え彼らが逆立ちをしたところでカイトやアーガスのようになれるわけではない。生まれた時から決まってしまう、残酷な刻印なのだ。

 スバルは思う。なんでこんなことで、彼は苦しまなければならないのだ、と。どうして死に可能性を見出してしまったのだろう、と。


「まだ俺達友達になったばかりだろ!? 一緒にゲームしようぜ。カイトさんや、アーガスさん達も誘ってさ」

「そうだな。きっとそれは、素晴らしいことだ」


 想像する。

 きっと集合場所は、マリリスの家のように質素で、それでも賑やかな家なのだろう。

 二階の個室でスバルがコントローラーを握る。対戦相手はカイトか。いや、兄かもしれない。そして自分は彼らの後ろで口を出す。


「……それは、いいなぁ」


 暖かい気持ちになる。身体中の力が抜け、今にも羽ばたいていけそうな気さえした。


「なんで私はこんな簡単な光景さえも思いつかなかったんだろう」


 アスプルが遠くを見つめる。

 視線の先にいるのは、協力者である巨大生物の口。絡みついた根は、あの中に自分を放り込もうとしている。自分がそれを望んだのだ。


 だがその望みとは別に。

 アスプルの中で、もうひとつの望みが生まれていった。


「そうだなぁ。遊びたいなぁ」


 彼がそう言い終えたのと同時に、アスプルの身体が遂に宙へと浮いた。

 スバルの手を離れ、当主の息子は巨大な穴の中へと運ばれていく。熱弁してる最中に流した汗だった。


「なあ。バトラー」


 嘗てお世話になった老執事は、死すとき幸せだったろうか。

 彼は言った。最後は笑って逝くことでしょう、と。

 瓦礫に潰されてしまった彼が、果たして最後は笑顔だったのかわからない。

 だがこの時、アスプルは確かに笑みを浮かべていた。


「幸せとは、こういう気持ちをいうのかな」


 望んでいた物とは、ちょっと違う。

 それでも笑みがこぼれてきてしまうのだ。あの老執事は、あの時こんな気持ちがあることを教えようとしたのだろうか。

 からっぽな気持ちを埋めてくれる暖かさを、知っていたのだろうか。


 だとすれば、


「私は幸せだ。最後にこんな気持ちになれた。もう、からっぽじゃないよ」


 直後、アスプルの身体が巨大な口の中へと消えていった。






「あ――――?」


 一瞬だった。手が滑って、アスプルの身体が宙に浮いた。

 そして声をかける間もなく、彼は闇の中へと運ばれる。巨大生物の口の中から、僅かな赤が漏れた。


「あ、あああ……っ」


 己の手を握りしめ、スバルは蹲る。

 身体の内から沸々と湧き上がる熱と、同時に襲い掛かってくる寒気を感じながらも、彼は吼えた。

 お、とも。あ、とも聞こえる少年の叫びが、場を支配する。

 そして彼の慟哭を聞くまいとするようにして、根っこが下がっていった。


「あ、アスプル様……」

「……スバル」


 マリリスとカイトが少年と頭上の虫を見やる。

 まだ当面の脅威が消え去ったわけではない。ないのだが、なんと声をかけてやればいいのかわからなかった。

 特にカイトは、マサキの件もあって慎重にならざるをえない。

 言葉を選ばずにただ思ったことをいってしまうと、それが時として深く他人を傷つけることを彼は知っていた。


「よくやった。アスプル」


 そんな中。

 ただひとり、嬉々として息子の死を喜ぶ男がいた。


「お前の肉体はこのお方に捧げられた。お前は最高の肉体となったのだ。脆弱な肉体は最高の血となり、骨となり、肉となって幸福に包まれるのだ!」


 ゴルドーの言葉に、スバルが握り拳を作る。

 殴りたい。殴り飛ばしてしまいたい。

 息子の苦悩を知ろうとせず、あくまで己の妄執を最優先しようとするこの男が憎い。なんでこんな奴が、あのふたりの父親なのだ。


 アーガスは祀り上げられ、敗北したことで自身を追い詰めた。

 アスプルは父親に認めてもらえず、偉大な兄の陰に怯え続けた。

 だが彼ら兄弟は、それでも最後まで精一杯なにかを成そうとしただろう。例えやり方が歪んでいたとしても、必死に悩んで答えを出したはずだ。


「息子は捧げた。さあ、新生物よ! 約束の時は近いぞ!」


 だというのに。

 なんで父親のコイツは、まだそんなことがいえるのだ。

 国民を犠牲にして、息子まで犠牲にして。

 どうして、そんな平気な顔が。


「後は娘を食えば、お前の力で外に出れる筈だ! その時こそが、新人類王国最後の時となるのだ!」


 そんなにこの新生物とやらが大事なのか。

 アスプルを食らい、マリリスの人生を狂わせたこいつが。

 ただでかいだけの化物に、そこまでして期待するというのか。

 こんな奴の為に、彼らは犠牲になったのか。


 こんな奴の為に!


「……カイトさん!」


 ゴルドーの笑いにも似た言葉を遮るように、スバルは同居人へと呼びかけた。

 

「大樹を、切ってくれ」

「なに」

「ヒビだけでもいい。コイツを外に出してくれ」

「で、ですがそれは!」

「わかってる!」


 この巨大生物を外に出すと、なにが起こるか。

 約束を果たす為に新人類王国を破壊しつくす可能性もあるし、自我が崩壊して本能のままに暴食の限りを尽くすのかもしれない。

 

 しかし、スバルの答えは決まっていた。


「俺がこいつを倒す」


 放たれた言葉は、普段の少年からは想像もできない程冷たいものだった。

 カイトが真剣な目つきで尋ねる。


「わかってるのか。こいつが外に出た後、どうなってしまうのか見当もつかんのだぞ」

「それでも倒す!」


 倒さないといけない。

 あいつがいたから、こんなことになってしまった。

 絶対に許せない。

 そんなスバルの気持ちが、短いながらも痛いほどに伝わってくる。

 

「……わかった」


 拒否したら、多分彼はどうしようもないだろう。

 スバルがどう足掻いたところで、カイト本人に勝つことは出来ない。

 だがカイトは、彼に借りを作ってしまった。己の人生を左右しかねない、大きな物だ。

 だから彼がこれ以上後悔しない為にも、今やれることはやらせてやりたい。


「言うからには、勝てよ」

「うん」


 正直。本当にこれでいいのかわからない。

 彼の為と言いつつも、実はこの選択が彼を更に追いつめてしまうのではないか。

 一抹の不安を拭いきることも出来ぬまま、カイトは床に向けて爪を振りかざした。

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