第73話 vs勇者の弟 ~兄にはできない編~

 タイラント・ヴィオ・エリシャル。

 ダートシルヴィー家の人間はその名前と容姿を忘れたりはしない。黒い雌豹をそのまま人にしたかのようなほっそりとしたボディからは想像もできない破壊能力。

 彼女が拳を振り上げ、大地に叩きつけただけで何人の人間と建物が破壊されたことだろうか。

 その再現が今、ゴルドーとアスプルの目の前で行われていた。


「アスプル。見ろ」


 大樹の中枢。

 そこから窓のようになっている透明の壁を通すことで、彼らは戦いの様子を見ることが出来た。


「タイラントだ。彼女がやって来た」

「はい」


 アスプルは静かに頷き、そして見る。

 破壊の化身が、反逆者と拳を交わしていた。激突で巻き起こる衝撃が、トラセインの街を飲み込んでいく。

 まるで大津波だ。ただのパンチの衝突で破壊の波が踊り狂い、あっというまに街を飲みこんでしまう。


「4年前と同じように、あいつは我々を破壊しつくすつもりだ」


 ゴルドーは思い出す。

 息子の骨を砕き、中央区まで一気に進軍した黒の女の姿を。

 犬歯剥き出しで、国民全員を見下す肉食獣の笑顔を。


「思い出すだけで、私のボデーは身震いするよ」


 アスプルは父を見やる。

 鳥肌が立っていた。それが過去の悪夢の為か、それとも頭上に控えている巨大生命体の存在がそうさせるのか。

 アスプルには理解できないが、いずれにせよ自分が行うことは変わらない。

 思考を切り替えると同時、彼の意識に呼びかけるようにして物音が響く。


「……終わったか」


 背後にぱさり、と落ちた物体を視界に入れる。

 衣服だ。濡れた執事服と、腕時計。そしてナプキン。これらは使用人のたしなみだった。

 アスプルはそれを拾うと、静かに黙祷を行う。

 ややあってから、彼は真上の協力者へと声をかける。


「外で暴れている女の存在がわかるかい?」


 問いかけに対し、巨大な頭部は口を大きく開く。

 僅かながらに見える歯に、先程落下した執事服と同じ生地が挟まっているのが見えた。

 そんなことを気にする素振りも見せずに、彼は答えた。


『リカイシテイル』

「あの女がこの国を壊滅に追い込んだのだ。もし君が外に這い出たとして、勝てるか?」

『カノウダ』


 考える間をおくこともなく、巨大生物は答える。


「理由を聞いていもいいかな」

『カノジョハフツウノニンゲントハチガウデンパヲハッシテイル』


 曰く、新人類は微力ながら特殊な電波が発せられているらしい。

 それは生きる為のエネルギーの発散のようなもので、普通の人には気付くことが出来ないものらしい。

 だが、彼は感知できる。

 それどころか、その流れを狂わせることができるというのだ。


「狂わせたら、どうなる」

『タイナイエネルギーノジュンカンガクルイ、セイメイトシテノバランスガクズレル』


 要約すれば、衰弱していくとも取れる。

 彼が解き放たれれば、新人類は絶滅の危機に直面するのだ。


「ンマアアアアアアアアアアアベラス!」


 淡々と紡がれる説明を聞いて、嬉々として近づいてくるゴルドー。

 彼は子供のような無邪気な笑みを浮かべつつも、生命体に言った。


「では、君が覚醒すれば我々は彼女に勝てるのだね!」

『ソノトオリダ。ダガ、マダタリナイ』


 彼が根を伸ばす。おかわりの催促だった。


『キョウハヤクソクノジカンダ。キョウコソハデル』


 ハングリーなことだ、とアスプルは思う。

 注入された使用人だけに飽き足らず、街中にまで触手を伸ばして食らい、まだ足りないというのか。

 まあ、当然かもしれない。

 彼が貪り続けるのは、偏ったエネルギーバランスの物ばかりだ。

 餌として完成しているマリリスがいない以上は仕方がないのだろう。


 だが、マリリスは奪われた。

 その現実がある以上、差し出せる物は全て曝け出す必要がある。

 とはいえ、奪われた物は多分、もう間もなく戻ってくる筈だろう。

 追って来いといった友人がすぐ近くにいるのに、彼女を連れてむざむざと引き戻るなど、あの異国の友人が出来るとは思えない。


「もうすぐ客人が来るんだ。すまないが、少し待っていてくれるかな」

『キャクジン?』


 巨大生物が首を傾げるようにして、疑問符を打つ。

 僅かに相槌をしてから、アスプルは続けた。


「最後になるから、見届けてほしいんだ」

『サイゴ、トハ?』

「次は私が君の餌になろう」


 己の胸に手を当て、アスプルは自らを曝け出す。

 だがその身を完全に差し出す前に、彼は条件を付けてきた。


「だが最後に、少しだけ言葉を交わしたい相手がいる。それが終わるまで、少し我慢してほしい」

『ソレハデキナイ』


 巨大生物はアスプルの願いを拒否する。

 彼は肩をすくめ、小さく溜息。


「どうしても今食べたいかい?」

『アナタヲタベルコトハデキナイ』

「なんだって」


 予想を裏切る回答が巨大な虫から放たれる。

 彼は口部を蠢かしつつも、続けた。


『ワタシニハマダ、アナタガヒツヨウダ』

「馬鹿な。私が君にとって、餌以外のどんな価値があると言うのだ」

『ワタシヲミチビイテホシイ』


 その言葉に、アスプルは驚愕した。

 いや、彼だけではない。彼の横で覚醒を今か今かと待ち続けるゴルドーも、唖然としていた。


「それは私ではなく、兄に頼むべきだ」

『アナタデナケレバナラナイ』

「なぜ」

『ワタシトデアイ、フツウニセッシタカラダ』


 一応、腰を抜かしてはいる。

 だがその後のアスプルの対応が、彼にとっては好印象だったのだ。

 

『ワタシハヒトリダ。マダコノセカイデホカノナカマガイルトモカギラナイガ、イナイノカモシレナイ』


 そうなった場合、この世界に順応する必要があると彼は考えている。

 その為に必要なのは、彼にこの世界の仕組みを教えることができる者だった。


「貴方は我々を導いてはくださらないというのか!?」


 ゴルドーが巨大生物に向けて訴える。

 どこか悲痛に聞こえる叫び。だが巨大生物はまるで意に介さない。


『ワタシハコノセカイニイキル、セイブツノイッシュダ』


 ただの生命体。その主張を、彼は覆そうとはしない。

 彼から見て、いかに脆弱で矮小な人間でも、この地上に文明を築き上げたのはあくまで人間だった。彼はその事実を肯定し、学ぶべきだと考える。


『オシエヲウケルベキハ、アナタダトハンダンスル』


 その為に指名したのは、アスプルだ。

 だから彼を食うことは出来ない。それが巨大生物の返答である。


「私は空っぽだ」

『ソウダトシテモ、アナタガイイ』


 生まれて初めて、他者に求められた。

 その事実が、アスプルの決意を大きく揺るがし始める。


『ワタシハココマデノアイダ、タベルコトニヨッテ、ニンゲンヲリカイシハジメテキタ』


 巨大生物は語りだす。

 彼は捕食を行うことで、人格を学びつつあった。

 栄養として肉体を循環した捕食対象がそうさせているのかはわからない。

 だが、突如として芽生え始めたそれに彼は混乱した。


『ワタシハダレナノカヲ、カクリツサセルヒツヨウガアル』


 自分ではない誰かが、少しずつ自分に忍び寄って支配する感覚。

 それが彼にとって、恐怖以外のなにものでもなかったのだ。

 ゆえに、彼は望んだ。早期の人格の確立を。

 そしてもうひとつ。これ以上誰かを食らい、人格を取り込むのであれば、確実にエネルギーを得ることが出来る餌が欲しいのだ。


『タベルノハアトイチドダ。ソレデウゴク』

 

 その後こそ、アスプルの助力を受けて学習を行いたい。

 彼が意思を伝えるべく口を開くと同時、中枢の入口から強風が巻き起こった。


「む!?」


 アスプルとゴルドーが視線を向ける。

 少年と少女を抱えたまま、カイトが乗り込んできた。彼はアスプル達から10メートル以上距離をおいた場所でふたりを降ろす。

 スバルは背伸びをして身体を整えるが、マリリスは目が回ったようで、すぐさまぶっ倒れた。


「スバル、彼女を頼む」

「わかった」


 そしてなんとなくそうなる予感はしたので、スバルは急いでマリリスの頬を叩き、意識に呼びかける。

 だがそうやっている内に、彼は頭上で蠢くある物体に気づいた。


「ん? ……ぎぇえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!?」

「うるさいぞ」


 口だけ顔を出す巨大生物にびびるスバル。

 だがカイトは冷静な表所のまま、アスプルとゴルドーを見やる。


「これがこの国の救世主か」

「そうだ。不甲斐ない息子に代わる、この世界の支配者だ!」


 ゴルドーが前に出て、『彼』を指差す。

 カイト達が到着した時点でアーガスが敗北したことに気付いたのだろう。それにしたって、あんまりな言い草だと思うが。


「貴様はパツキンを支配者にでもしようとしていたのか?」

「昔はそうだ。だが今は違う!」


 新人類の中でも特に優れた部類である息子、アーガス。

 彼は自慢の息子だ。ブレイカーすら叩き落とす息子さえいれば、国と己の威信は保っていられると考えていたのである。だが息子は負け、折角独立した国の威信は転落してしまった。

 国民も街も破壊され、ゴルドーの国はこれでもかといわんばかりに叩き潰された。


「だが見よ、この神々しい姿を!」


 そんなゴルドーの前に現れたのが、新人類の後に現れた新たな種族だ。

 彼の力を借りることで、トラセットは再び独立し、今度は新人類王国すら取り込んでやろうと、ゴルドーはそう考えるようになっていった。

 次第に、彼の目には巨大な生物が神様にでも見えてきたのだろう。

 先程自身の望みは拒否されたようなものではあったが、後に彼を導く役目をもうひとりの息子が背負うのであれば、どうとでもなる。


「この新人類すら超えた新たな生物こそが、我々の勝利を示している!」


 カイトとスバルが無言で化物を見やる。

 その視線に気付いたのか、彼は再び口を開いた。


『サイゴノエサカ』


 空間に響くその声に反応し、ふたりは身構える。

 だが巨大生物に対し、待ったの声がかかった。


「私の客だ」

「アスプル君」


 カイト達に向けられた根が、ひっこめられる。

 意外な事に、巨大生物はアスプルのいうことを素直に聞いていた。


「兄を倒したのですか」

「奴は弱くなった。それだけだ」


 素直に思ったことをいうと、アスプルは静かに溜息をついた。


「そうですか。あの兄が」

「次はお前らを止める」

「止める必要もありません」


 アスプルは笑みを浮かべつつ、いった。


「私たちがあなたと戦えるはずがないでしょう」

「上の化物は違うだろ」


 その言葉を聞くと同時、アスプルは僅かに頷いて納得する。

 成程、彼らは大樹に潜んでいる生命体について知っていたのか、と。

 だが知っているのであれば、マリリスを連れてくるのは悪手だろう。

 

「彼女を連れてきたのは失敗ではないですか。彼がなにを求めているのか、御存知なのでしょう」

「知ってるからこそ、勝手に食われないために連れてきた」


 それに、


「ここで駆除すれば済む話だろう」


 カイトが両腕を構える。

 10本の指からそれぞれ刃が出現し、アスプル達を牽制する――――筈だった。

 だが、アスプルは全く怯えない。

 隣にいるゴルドーは『ひぃ』と情けない声をあげて後ずさったというのに、かなり肝が据わっているように見える。


「正直に言いますとね。私はもう負けてるんですよ」

「なんだと」


 どこか諦めたように肩を竦め、アスプルは敗北を宣言する。

 その言葉に反射的に叫んだのはゴルドーだ。


「アスプル! 裏切るのか!?」

「裏切る? まさか。私にそんな勇気はありません」


 異様に肝が据わっているように見えるが本当かよ、とカイトは思う。

 彼の真意を問う為、直接質問を投げつけてみた。


「では、この虫は駆除しても」

「できるのであれば、するといいでしょう。だが彼はハングリーだ。あなたが動いたと同時、根を伸ばして彼女を食べに来るでしょう」


 どうにも投げやりである。

 やり難さはアーガスよりも上手だ。なんというべきか、感情が読めない。


「なら、お前の敗北とはなんだ」

「国の為に死ねないこと」


 いともたやすく紡がれた言葉に、その場にいる全員が絶句した。

 丁度目覚めたマリリスも、目を擦ってゆっくりと起き上がってくる。

 頭上にいる化物と目が合った。反射的に叫びそうになるのが、スバルが口を塞ぐ。


「私は彼の餌になりたかった」


 だがそれは拒否られた。

 どういうわけか、彼は自分を教育役として指名してきたのだ。

 確かな自我を確立させる為に選んだ、と言ってくれた。人格的には信用されていると思って良いだろう。

 だが、


「私は力としては必要とされていない」

「いけないのか、それは」

「遺す、という意味では当てはまるでしょう。しかし、私が欲しかった名誉はそんなことではない」


 嘗て、お世話になった老執事は中途半端に生きて死んだ。

 彼のような人生を歩みたくないと、強く思った。

 なぜか。己がからっぽの人間だからだ。そんな自分が巨大生物になにかを残す自信などない。

 アスプルはからっぽでも、結果的に自分が生きた証が欲しかった。

 もっとも盤石な形で、だ。


「なんで死にたいんだ!」


 アスプルが己の意図を話すと、スバルが問う。

 若干、怒気を含んだ声で。


「この化物を育てるのはダメなのかよ!」

「スバル君。人間が最も充実する瞬間とはなんだと思う」

「へ?」


 半ば怒りをぶつけるようにして放たれた問いは、冷静な態度によって紡がれる新たな問いの前に塗り潰される。

 答えを躊躇っていると、アスプルは静かに答えた。


「魂の燃焼だ」

「燃焼……?」

「そう。なにかを成し遂げたとき、人間は充実感に包まれることができるんだと私は思う」

「それとこれになんの関係があるんだよ」

「私は燃焼させたまま死にたいのだ」


 アスプルは劣等感の塊だ。

 自分になんの自信も持てず、偉大な兄に隠れて毎日を送る日々。毎日呟かれる英雄への賛美の言葉は、自分を惨めにさせた。


 アーガス様はお美しい。

 ――――私は醜いね。


 アーガス様はお強い!

 ――――私は弱い。


 アーガス様は選ばれた新人類だ! あのお方が入れば我々は戦える!

 ――――私は、なにもできない。


 比較し、自覚するたびに思う。

 ああ、私はなんてつまらない人間なんだろうな、と。


「私が充実感を得る時。それはきっと、兄に出来ないことを成した時だ」


 国の英雄である兄は、生きなければならない。

 例え国民を騙した身なのだとしても、彼は人々の希望の星だ。

 なら、その逆ならば。


「兄は死ぬことが許されない人だ。だから私は、国の為の死を望む」


 だが、その願いも頼るべき死神に拒否されてしまった。

 こうなってしまえば、どうしようもない。


「彼は私を食べないと言った。私の負けだ」

「……じゃあ、国の為に戦うっていうのは」

「彼の血となり肉となり、骨の一部となればそうも言えるだろう」


 異国の友の願いは、スバルの理解の範疇を超えていた。

 彼の願いを拒絶することも出来ずに、ただ呆然と立ち尽くしてしまっている。そんな彼に代わり、言葉を投げかけたのは頭上に控える巨大な虫だ。


『アナタハ、ワタシノネガイヲキョヒスルノカ?』


 教師役に選んだ男の願いは、明らかに自分の意思とは反する物だった。

 問いかけに無言で首を縦に振る。

 彼が信頼していた人物は、無言で拒絶した。ただ、己の望む死を欲した為に。


「許せ。君に選ばれたことは嬉しかった。だが私は、ほんとうにどうしようもなく無能なのだ」


 全てにおいて兄の劣化。

 父の期待に添えることも出来ない。だが妄執に囚われた男の期待に添える気にもなれない。

 中途半端に生きているという実感だけが、ただただ虚しい。


「君がこれ以上の食事を恐れるのを知った上で、改めて願おう。私を注入し、食らってくれ」


 協力者が見上げてくる。

 その願いは、己の存在を大きく揺るがすことになりかねない。

 本来なら拒否したいところだ。

 だが、


『イイダロウ』


 彼の自我が交わるなら、それもいい。

 教師役に選んだ男であれば自我が緩んでも、間違った行動はとるまい、と。巨大生物はそう思った。


『サヨウナラ』

「ありがとう」


 満面の笑みで、彼は礼を言う。

 彼らを取り囲む無数の根がアスプルに迫る。


「ダメだ!」


 根がアスプルに向かって飛んで行ったのと同時。

 反射的にスバルは飛び出していた。

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