第72話 vs新人類最強の女

 叩きつけられた床に亀裂が入る。

 大きく揺れた大樹が悲鳴をあげ、小さなクレーターができあがった。

 中心地でそれを作り上げた張本人はゆっくりと立ち上がり、振り返る。

 大の字になって倒れ込んだ英雄は、口から泡を吹いて気絶していた。これだけの威力を叩きこまれてこの程度で済んでいるのだから、程々頑丈である。


「し、死んだの?」

「呼吸音はある」


 呆然としているスバルとマリリスによる共通の疑問に、カイトは簡潔に答えた。

 答え終わった後、彼はいう。


「妙だな」

「え?」


 なにが、と問う前にカイトは続けた。

 己の感じる違和感を説明し始める。


「追手が来ない。マリリス、パツキンと別れたのはいつだ」

「パツキン?」


 マリリスが僅かに首を傾げる。

 カイトはメイド軍団とのやり取りを思い出す。そういえばこの国ではパツキンという単語はあまり流行っていないのだった。別に現代日本でも特に流行ってるわけではないのだが。

 その事実を思い出すと、彼は無言で親指を英雄に突き付けた。

 意地でも名前を呼ぶ気はないらしい。


「え、えーっと……」


 困り果てた表情でマリリスがスバルを見る。

 恐らく悪口をいっているのを理解したのだろう。いかに酷い目にあったとはいえ、長い間英雄として崇めた男に対してそう簡単に悪口を叩けないのである。


「アーガスさんといつ別れたの?」

「つ、ついさっきです」


 スバルが改めて質問してあげた。

 マリリスは少し胸を撫で下ろすと、答える。

 尚、そのやり取りを見たカイトは『俺、なんかしたのか』と自分の行動を思い返していた。記憶が正しければ、この街娘との接点は殆どなかったはずだ。なんでちょっと距離を置かれたのか、少し納得いかない。


「……こいつを必要としてるなら、戻ってきてもいい筈だが」

「あ」


 疑問を口にすると同時、スバルも気付く。

 成熟した注入体を欲している以上、マリリスはうってつけの人材の筈だ。それを奪われて、先行したアスプル達がなんのアクションも起こしてこない。


「スバル。アスプルは注入されているのか?」

「昨日は殆ど一緒だったから、多分ないと思うけど……」


 アーガスはいった。

 彼は虫の餌になるつもりなのだ、と。

 ならば注入するにしても日を置く必要があるのではないだろうか。少なくともこの場では、彼は餌として相応しくない。

 

「アーガス様を信頼していらしたのでは?」

「どうだろうな」


 カイトはアーガスを一瞥した。

 シンジュクであった時に比べ、彼は落ちぶれていた。迷いがあったのが原因だろう。


「今のコイツは英雄じゃない。負けたショックで自分の全部を押し殺している」


 傍から見れば、それは明らかだった。

 しかも彼の性格を考えれば、今回の一件は自責の念がない限りは非協力的な物だった筈である。


「俺だったらコイツに任せっぱなしにはできない」

「でも、戦えるのはアーガスさんだけの筈だろ?」

「それは昔の話だ。メイドも昆虫になった以上、ついていった使用人もそうなってると考えていい」


 その使用人も追ってこない。

 では、どういうことか。


「使用人が1日経ってるかもしれない」

「え!?」


 マリリスが驚愕する。

 それもその筈。彼女は間近で檻を運ぶ使用人を見ていたが、そんな素振りは一切見せなかった。少なくとも、自分のように酷く形態が変化しているわけではない。


「で、ですが私の見た限り彼らにそんな雰囲気は」

「注入された奴は個人差が出る」


 直前に出会ったメイド集団を思い出す。

 彼女たちは全員が共通した変化ではなかった。寧ろ、隠そうと思えばいくらでも変化した部位を隠すことは出来る。

 それは一日経過しても同じなのかもしれない。

 少なくとも、カイトから見てマリリスの姿は派手だった。


「議論してても仕方がない」


 カイトはスバルを見やる。


「どうする。娘は回収したぞ。それでも追うか?」

「……うん」


 やや間をおいてからスバルは答える。

 

「多分、アスプル君は俺を待っている気がする」

「なぜそう思う」

「止めて見せろっていってたから」


 演説台で叫んだ異国の友の姿が、スバルの脳裏にちらつく。

 彼の言葉はどこまでが真意なのかわからない。それなら、行って確かめるしかない。


「目を背けたら、俺きっと後悔すると思う」

「そうか」


 簡単な答えだった。

 しかしそれだけで十分だ。彼は常にこの短い三文字で応えてくれた。


「お前は立てるか?」

「……申し訳ございません。上手く足が立てなくて」


 マリリスに視線を移す。

 彼女の足は、膝の向きが通常のそれとは逆の向きに折れている。

 まるでバッタだ。もしくはカンガルーか。いすれにせよ、慣れないと立ち上がることは難しいだろう、とカイトは思う。


「置いていくわけにはいかないか」

「まあ、流石にな」


 スバルも困り果てた顔でいう。

 折角回収したのに、ここで置いて行って食べられてしまいましたなんてオチでは示しがつかない。

 

「仕方がない。苦しいかもしれないが、我慢しろ」

「へ? わぷ!」


 カイトがマリリスを抱え上げ、もう片方の手でスバルを掴む。

 蛍石スバル、16歳。この時、アキハバラの悪夢が蘇った。


「ね、ねえカイトさん」

「なんだ」

「なにする気?」

「お前たちを担いで走る」

「あ、やっぱり」


 これは風圧がやばい。

 既に何度か経験して身を引き裂かれるような思いをしているスバルは、息を飲んで覚悟を決めた。


「あ、あの! 私重いですから!」

「いや、比較的軽いぞ。ごちゃごちゃしてるけど」


 マリリスが慌てながらカイトにいうが、当の本人は聞く耳持たずだ。

 じたばたと暴れることをしないのがカイトとしては好印象である。その理由は左手の鎌にあるのだが、そこまで察することは彼にはできなかった。


「しかし、ふたりも担いでは貴方が疲れてしまうのでは」

「マリリス」


 見当違いな気遣いをするマリリスに、スバルは半目でいう。

 どこか遠くを見るような、そんな済んだ瞳だった。


「多分、口を閉じておいた方がいいと思うよ」

「へ?」


 先駆者のアドバイスに、マリリスは首を傾げる。

 直後、彼女の頬に風が伝わった。


「あの、これは――――」

「口閉じとけ! 舌噛むぞ」


 カイトが忠告すると同時、穏やかな風は強風となった。

 マリリスの頬が歪む。強烈な風が、彼女の顎を打ち抜いた。








 街の周辺を見渡してみる。

 一通り周りの根っこを殴り倒した御柳エイジはその辺の民家によじ登り、他の根っこを探す。


「エイちゃん、調子どう?」

「お、シデン。こっちは大体片付けた感じだぜ」


 見渡した限り、根っこは殆ど活動を停止させている。

 シデンの方もこちらと合流して残った根っこを探す余裕がある。一先ず、混乱は収まったと思って良いだろう。


「問題は向こうだな。なにが起こってるんだかイマイチよくわかんねぇし」

「まあ、カイちゃんがいるし大丈夫でしょ……!」


 シデンの瞼が僅かに細くなる。

 彼の視界は、遠くの民家の屋上に起こったある異変を捉えていた。墨汁を垂らしたかのような黒い点。

 彼らはそれの正体を、嫌というほど知っている。


「エイちゃん、お客さんだよ」

「あん?」


 顎を向けて相方の視線を促す。

 エイジが振り返ると同時、黒い点から人影が姿を現した。

 遠くで正確な出で立ちはわからないが、見た限り2人。


「新人類軍か。このくそ面倒くさい時に!」

「どうする?」

「どうするって言ってもよ……」


 正直、どうしようもない。

 トラセインの街は混乱。巨大な人食い根っこも一通り片付けたとはいえ、いつ増援が現われるかもわからない。

 そんな状態で新人類軍の精鋭と戦う余裕は、流石にない。

 ないのだがしかし、向こうが襲い掛かってくるのであれば選択肢はひとつしかない。


「戦うしかないだろ」

「向こうが狙ってくるなら、だけどね」


 幸か不幸か、先に彼らを発見したのはこちらだ。

 ならば本格的な行動を開始するよりも前に、姿を隠すしかない。

 相手の戦力は未知数。下手に喧嘩を吹っ掛けるべきではないと、エイジは思う。


「兎に角、今は根っこ優先だ。連中もこんな状況じゃ俺達を狙ってなんか―ー――」


 いいかけた、その時。

 ふたりの視界を光が覆った。


「え?」

「お?」


 前方から照らされた光が、大地を走る。

 それはまるで、海を走るサメの背びれだった。

 大地を切り裂く光の柱が、周囲の根っこや建物を次々と破壊しながらふたりのいる方向へと向かってくる。


「狙ってる余裕あるみたいだよ!」

「マジかよ! お構いなしか!」


 ふたりが建物から飛び退く。

 直後、彼らが居た民家が木端微塵になって砕かれた。

 窓ガラスは粉砕し、コンクリートの壁が塵になって街に降り注ぐ。

 そんな民家だった物の手前に着地し、エイジはいう。


「シデン、無事か!」

「なんとか」


 ぎりぎりで攻撃を回避できた。

 避けることは出来たのだが、それでも突然すぎる。いかに根っこはほぼ駆逐済みとはいえ、街が混乱しているのは倒れた根を一目見ればわかる筈だ。

 それどころか、向こうは到着してすぐに攻撃を仕掛けてきている。

 無差別攻撃なのか、それとも狙ってやったのか。

 

「ほう、ディアマット様の仰られた通りか」


 破壊の痕跡が残る街に、凛とした女の声が振りかけられる。

 ふたりがその声に視線を向けた。

 腕を組み、蔑むようにして顎を上げ、こちらを見下す女の姿があった。

 太腿まで届くであろう漆黒のロングヘアー。ジーパンと黒の半袖というラフな出で立ち。

 だが野獣のような眼光と、僅かに見える尖った犬歯が確かな敵意をこちらに送りつけてくる。


「XXX、お前たちもここにきていたか」

「お前は」


 見覚えがある女だった。

 エイジは少し物思いに耽るようにして考え込む。

 ややってから、彼は両手を叩いて納得した。


「あー! タイラントか!」

「へー。おっきくなったね」


 新人類王国が誇る女傑、タイラント・ヴィオ・エリシャル。

 彼女は少々苛立った口調で、彼らにいう。


「御柳エイジに六道シデン……なるほど、あの子が負けたのもわかる」

「あの子?」

「私の身内だ。お前たちは特に気にかける必要はない」

「へぇ。で、君が来た理由はなに? ボクたちを倒すため?」

「いや」


 タイラントは王子の伝令を受け、この国へとやって来た。

 その命令とはズバリ、大樹に潜む巨大生物の駆除だ。俄かには信じがたい話だったが、トラセットには新人類の立場を危うくする怪物が眠っているという。

 わざわざ資料まで用意され、見せられたのだ。そこにディアマットの真剣な眼差しが加われば、疑う要素はない。

 そこにトラセットの反旗の予兆だ。彼らが再び戦う意思を見せるというのであれば、一度この国を壊滅にまで追い込んだ自分が出陣するのが筋という物だろう。二度目の情けをかける気など、一切なかった。


 だがその前に。

 眼前に妹分を叩きのめしたXXXの戦士がいる。

 実際にメラニーとシャオランを倒したのはカイトの功績なのだが、片棒を担いでいる以上、彼らも立派な仇だ。


「私が承った任務は別にある。が、私は感情的でね」


 犬歯が牙を剥く。

 拳が握られ、彼女の周辺に漂う空気の流れが一変した。

 まるで彼女から逃げ惑うかのようにして、彼女を中心として強風が巻き起こる。


「目の前に仇がいて、我慢できるほど大人じゃないんだよ」

「兵士としてはいまいちだぜ」

「構わん。どうせ貴様らは報告する間もなく、塵芥になる」


 タイラントがふたり目掛けて突進する。

 右拳が突き出され、突風が襲う。


「くっ!」


 反射的にシデンが両手を構える。

 直後、タイラントを覆う大気が瞬時に凍結する。腕を氷が覆い込み、タイラント本人すらも包み込んで氷の彫刻を作り出す。

 だが、彼女は止まらない。

 突き出された腕はそのままで、口元に笑みを浮かべる。


「効いていない!」


 その事実を理解すると同時に、タイラントを覆い込んでいた氷にひびが入る。

 その後、間もなくして氷は砕け散った。

 タイラントが殴りかかる。


「やろぉ!」


 エイジが前に一歩踏みでる。

 タイラント目掛けて拳を振るい、突き出す。

 

 激突。

 轟音。

 破砕。


 ぶつかりあったのは、決して爆薬ではない。

 ただの生命体の拳と、拳なのだ。

 しかしそのふたつがぶつかっただけで、周辺の民家は愚か根っこまですべてが消しとんでしまった。

 できあがった光景は、クレーターと呼ぶにふさわしいものだった。

 近くにいたシデンもなんとか踏ん張って堪えたとはいえ、防御の姿勢をとったために両手ともボロボロだ。気のせいでなければ、皮膚が破けている。

 直撃を受けたわけでもないのに、この有様だ。


 では中心地にいた御柳エイジはどうか。


 彼はタイラントと拳を突き合わせた状態で、静止していた。

 クレーターの尤も奥深い中心地で、彼は苦笑する。


「技を磨いてきやがったな」

「当然だ。私はお前たちの知っている私ではない」


 タイラントがにやり、と笑う。

 勝ち誇ったように浮かぶ笑みは、激突の結果を物語っていた。


「お前の腕、砕いた」


 彼女が言い終えると同時、エイジの右腕が弾けた。

 皮膚が破け、血液は飛び散り、爪も砕かれる。エイジは腕を抑えつつ、一歩後ずさった。


「いぎっ……!」

「エイちゃん!」


 激痛が走る。正直な所、腕がまだ繋がっているのが不思議なレベルだ。

 エイジは激痛を堪えつつも、己が受けたダメージを推測する。

 

 これ、多分骨までイってやがる。


 そんな彼の苦悶の表情を見て、タイラントは勝ち誇った笑みを浮かべた。


「それでも、骨がつながっているのは流石だ。本来なら今のでお前の右腕は消し飛んでいる予定だった」

「生憎、頑丈なのが取柄なんだよ」


 負け惜しみのセリフだと、自分で思う。

 だが正直、敵の力を見誤っていたのは事実だ。

 彼女は出会ったときに比べて、格段に強くなっていた。それこそ、エイジの想像を遥かに超えて。


「確かに、昔の私ならお前の腕をここまで破壊できなかっただろう」


 だが、今のタイラントは違う。

 ただXXXの演習を遠くで眺めているだけの少女兵ではないのだ。

 彼女は己の力を格段に昇華させた。10年前は触れた物に亀裂を入れる程度の能力は、今では触れた物を『破壊する』という域にまで到達している。


「だが今の私に、壊せない者はない! この地も、お前たちも!」

「大口叩くじゃねぇか」


 エイジが睨む。

 大の大人が見ても思わず卒倒してしまいそうな、凶悪な視線。

 だがタイラントはそんな物を受けても、どこ吹く風である。


「脂汗を流したお前に凄まれても、全然怖くないな」

「怖がる必要はないぜ」


 なぜなら、

 

「次でお前を倒してやる」

「なんだと?」


 右手を抑えた状態で、エイジは笑った。

 訝しげな視線を向けられても、その自信に満ちた表情が崩れることはない。

 ただ、その様子を見たシデンは思う。


 勝てない、と。

 能力のレベルが違う。いかにエイジが力だけを磨いてきた新人類とはいえ、まともにぶつかりあったらタイラントの破壊の力の前では無力だ。

 インパクトが彼女に届く前に、圧倒的な力がエイジを破壊しつくしてしまう。


 明らかに今まで戦ってきた誰よりも手強い能力者だ。

 勝つビジョンが思い浮かばない。


「エイちゃん、ボクも」

「お前は来るな、シデン」


 駆け寄ろうとした親友を、エイジは制止させる。

 そして視線をタイラントに向けたまま、決意を口にする。


「こいつは俺が倒す」

「でも!」

「お前の力はアイツに通用していない。俺がやる」


 真顔でそう言い切ったエイジを見て、シデンは青ざめた。

 彼は死ぬ気だ。己の全てを振りしぼって、この最大の敵と相打ちしようと考えている。

 少なくともシデンの目には、彼の冷静な態度はそう見て取れた。


「倒せるものなら、やってみろ!」


 挑発を受けたタイラントが再度突撃する。

 振り上げられるのは、破壊を司る右拳。触れた相手を粉砕し、蹂躙するだけの最強の矛。

 それがエイジに目掛けて、再度向けられた。

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