第71話 vs痛み
「カイトさん、もう本格的に人間辞めはじめてきてるよね」
抱えられた同居人の少年が呆然とした表情でぼやく。
カイトは顔色を変えないまま、スバルを下す。
「失礼な。この広い世界、探そうと思えばロケットパンチくらい普通だろ」
「ぜぇーったい普通じゃないぞ!」
つい先日戦った新人類達が破天荒だったからか、大分常識が崩れている気がする。
いや、コイツは天然だったか。
そう思いながらも、スバルは頭を抱えた。
「それにしても」
そんなスバルを余所に、カイトは英雄と少年をみやる。
方や旧人類で、ただ口が達者でブレイカーがないと戦う術を持たない少年。もう片方は国の英雄とまで呼ばれ、異国の地で大使館の責任者にまで上り詰めた新人類。
それなりに因縁があるとはいえ、あまりにもマッチしていない組み合わせだ。
「豪華な足止めだな」
「本来、この国の防人は私だ。ならば、私が出るのが筋だろう」
「それは否定しないが、こいつを相手にそれをいうか?」
親指を投げつけるようにしてスバルに向ける。
だがアーガスも一度言ったように、スバル少年はもう十分戦力と呼べる存在となっているのだ。
「君も理解しているんだろう。だからこそ彼を先行させたんだ」
「結果的に、3回もコイツの面倒を見てるがな」
「うるさいよ」
先行させたのは事実だ。
だが後から合流するたびに誰かに絡まれている少年を助け、毎回先に進むよう促せている。
理由としてはアーガスがいうように、彼がアスプルを制する力があるからに他ならない。遠くから演説を見たカイトにも、それは理解できている。
「だが、いい加減この流れも飽きたな」
カイトがスバルの前に立つ。
どうやら今回、スバルを先行させるつもりはないらしい。
「カイトさん、ここで時間をかけたら!」
「わかってる」
「本当にわかってるの!? アンタ肝心な時にいなかったけどさ!」
「全部は理解してないが、大体わかる。お前の考えそうなことはな」
どうせあのままダートシルヴィー邸に入ってアスプルと仲良くなって、メイド軍団といちゃこらして、マリリスの異変と出くわして、そして今に至るんだろう。
カイトはそう考えている。
その考えはほぼ命中していた。
「連中がなんで街娘だけを奥につれていこうとしているのかは知らんが、お前的にはゴルドーたちのやり方が気に食わんわけだろ」
「まあ、そうだけどさ……」
後は、その場の勢いだ。
あのまま中央区に残ってたら大樹の栄養になっていたであろうことを考えると、それが正解だったのかもしれないが。それにしたって後先考えなさすぎである。
少し前の自分なら、罵倒しまくった後に引っ叩いていただろう。
「それでいい」
しかしカイトは変わった。
そんな後先考えない少年の行動で、救われた気持ちになったのだ。
それなら、もう少し付き合ってやってもいい。
「お前は自分の信じる物を貫けばいい。喜びたい時は笑えばいいし、許せないことがあれば怒ればいい」
それがこの少年の戦い方だ。
相手を屈服させるだけの力はない。ただ訴えるだけの力なき抗い方。
カイトやアーガスは思う。力がない者による発言が、今の世でどれだけの力を発揮できるのだろうか、と。
時と場合によっては暴力によって彼の主張は押しつぶされてしまうだろう。
だが、そんな彼には味方がいる。
「俺はお前に出来ないことをするだけだ」
「ふっ、なるほど。強力な代打だ。だが、折角くっつけた右腕。もっと大事に使ったらどうだね」
アーガスが笑みを浮かべ、体勢を整える。
先程はロケットパンチによって無様に転んでしまったが、今度はそうはいかない。
あれは奥に目掛けて飛んでいった以上、もう使えない。
寧ろ、折角くっつけた右腕を再び失ってしまったのだ。狭い空間とはいえ、植物が周囲を取り囲んでいるこの状況。アーガスは自身の優位性を確信している。
「いや」
カイトはその考えを否定した。
視線は真っ直ぐアーガスを射抜き、表情ひとつ変えずに続ける。
「これでいい」
「なに?」
彼のいわんとする言葉が、アーガスには理解できなかった。
スバルも同様である。
見た限り、くっつけられた義手は爪も再現されているように思えた。それなら無暗に飛ばしてしまうのは失策ではないかと、少年は思う。
だがアーガスの方は、ほどなくしてその疑問の回答を得た。
「……ん?」
暗闇の中に、一筋の光が走る。
途切れたカイトの右腕からまっすぐ伸びるそれは、アーガスを飛び越えてさらに向こう側へと繋がっていた。
「……しまった!」
カイト達の反対側。
そこは紛れも無く、アスプル達が先行した方向に違いない。
歯噛みしつつ、英雄はカイトを睨む。
「君は最初から、私を狙ってなどいなかったというのかね!?」
「顔面を潰せばラッキー程度だ。後は後ろの連中の位置を探る意味もあったけど」
右肘から伸びる糸が猛烈な勢いで回収される。
アーガスの後方から、腕が戻ってくる。
「あ、あれは!」
スバルは見る。
カイトの右腕が戻ってきた。それだけではない。マリリスを閉じ込めた檻を掴み、そのまま引っ張り上げたのである。
「は、反逆者様!」
檻の中にいるマリリスが、妙にオドオドとしながら彼らを視界に入れる。
突然現れたロケットパンチは、彼女の度肝を抜かしていた。今日初めて見たメンバーは大体びっくりしているので、当然である。
迫ってきた檻をアーガスはギリギリで避け、檻の中にいるマリリスはカイト達の目の前に回収された。
「スバル、彼女を頼む。右手から爪を出しておくから、上手く檻をバラせ」
「お、おう!」
スバルが駆け寄ると、マリリスは改めて問う。
ロケットパンチを眺めつつ、唖然としながら。
「あ、あの。これってなんですか?」
「男の浪漫」
「男の方って浪漫で腕を飛ばすんですか!?」
盛大な誤解が広がりそうだが、この場にいる男たちはなにもツッコまなかった。
代わりに、アーガスが問う。
「マリリス君。父上たちは?」
「さ、さあ。いかんせん、後ろから突然檻を掴まれたので」
本当に不意のことだったのだろう。
後ろから腕を飛ばし、直接檻を掴んで引っ張り上げる奴がいることなんて誰も想像してなどいなかったのだ。
「……やってくれるな、山田君」
「山田君?」
スバルが訝しげな視線をカイトに向ける。
始めて聴く名前だった。だが当の本人はその問いかけに答える気は一切なく、アーガスに対していう。
「気安く君をつけるな。生意気だぞ」
「この代償、高くつくぞ」
「なぜ彼女に拘る」
檻の前に出て、カイトは左手をアーガスに向ける。
「単純にエネルギーを注入した奴が欲しいだけじゃないだろ」
カイトは思う。
トラセットの切り札は、大樹にエネルギーを注入された人間ではない筈だ、と。演説で当主と英雄がおこなった説明は、嘘っぱちだ。現にカイトの相手をしたメイド集団なんかは、殆どキックだけで戦意喪失している始末である。
「目的はなんだ。貴様らはこの大樹でなにをする気だ」
「反逆者様」
その疑問に答えたのは、スバルによって解放されたマリリスだった。
彼女はよろけつつも、解放した少年に右肩を貸すことでなんとか立ち上がっていた。その表情は、どことなく苦悶の色が伺える。
「私がお話します」
「お前が?」
「はい。道中で聞いたことを、全てお伝えさせてください」
「そんな暇を与えると思うかね!?」
アーガスが正面を睨むと同時、彼らを取り囲む大樹の壁が大きく蠢く。
表面から巨大な棘が飛び出し、少年少女を貫かんと襲い掛かる。
「いいぞ。気にせず話せ」
カイトが冷静にいうと同時、棘が崩れ落ちる。
見れば檻を掴んでいた右腕がカイトの肘と接合され、振り上げられていた。空気を切り裂いた際に巻き起こる真空の刃が、ふたりを守護するようにして棘を分解していく。
「は、はい!」
マリリスは己の知る事実を、余すことなく伝えた。
アスプルが大樹の奥にいる謎の生命体を発見したこと。
彼がエネルギーを欲していること。
エネルギーを取り込み終われば、どんな生命体よりも強くなれるであろうこと。
そして自分たちは、そんな彼の為に用意された餌であること。
「……餌、だって?」
スバルが愕然とした表情でアーガスを睨む。
マリリスは終始苦しそうな顔をしていた。
「国民を餌にしてまで、そんな奴を目覚めさせるっていうのか!?」
「ゴルドー様は、それが名誉あることだと仰っていました」
苦々しく少女はいう。
今でも当主の嬉々とした表情が頭から離れない。なぜ、彼はそんな生命を受け入れたのだ。いや、生命に興味を持つこと自体はいいだろう。
だがその為の餌として、自国の国民を差しだそうとしている。
「私には、もうあの方々がなにを考えていらっしゃるのか理解できません」
同じ苦しみを味わった筈だった。
新人類王国の侵攻によって受けた傷跡は、共有物だった。
現にアーガスの一言で国民の大半は注入を歓迎している。
だが、そんな国民を裏切って彼らは虫に献上しようとしているのだ。
「これが英雄のやることかよ!」
「言った筈だ。私には国を存続させる義務がある」
「国民を犠牲にした国を維持して、どうなる!?」
アーガスが静かに拳を握る。
見れば、彼の両肩は震えていた。
「私とて、可能ならこんな手を使いたくはなかった」
だが、帰郷した時には既に準備が行われていた。
生命体に魅入られた父は、彼の為に様々な資源を投入した。
そして弟は、もう後戻りしない道を選択していたのだ。長い間、国を留守にしていたアーガスに、口出しするだけの権利など、どこにもなかった。
「私は敗者だ。私が国を守れなかったばかりに、民は犠牲になった」
「今また同じことが行われるんだぞ! それでいいのかよ!」
「いいわけがないだろう!」
いいわけなどない。
ある筈がない。アーガスはトラセットを愛していた。国に住む彼らの為に命を賭して戦うのが己の使命だと信じ、そして負けた。
「だが、父の復讐心は本物だった。その引き金を作ったのは私だ。わかるか、スバル君」
「わかりたくもねぇよ!」
そうだろう。彼はそういう少年だ。
だが自分は、この少年のように割り切ることができなかった。
どこかで責任を取らなければならないと、感じていたからだ。
自国の立場をよくするためにアーガスは新人類王国で働き、結果としては日本の管理を務めるまでになった。だがそれもカイトとスバルによって打ち壊され、これまで築きあげたキャリアが水泡に帰した。
彼に残されたのは、国に残った恨みの念だった。
「この戦いは私の敗北から引き起こされた。ならば私は、その戦いを背負って再び戦うのみ!」
「アスプル君もか!?」
「……弟は」
言うべきか否か、迷った。
だが彼が躊躇っている中で、スバルの疑問に答える声があがる。
マリリスだった。
「恐らく、あの方は自ら餌になるおつもりです」
「え!?」
マリリスは思い出す。
彼は自分に対し、異様な執着を見せていた。自分たちの先駆者になりたいとも宣言したほどである。
だがその座はマッリリスに奪われ、彼は今でも人間のままだ。
「注入された力は、きっと浸透するのに時間がかかるのでしょう。1日経った私が、ここまで変化しているのですから」
彼女の姿は、昨日のそれとは比べ物にならない程の変貌を遂げていた。
見れば、彼女の瞳の色は元の面影がない。身体の各部も、昆虫の集合体といった風貌だ。
「だからこそ、皆さんは私を率先して運ぼうとしていたのではないでしょうか?」
「その通りだ」
諦めたようにしてアーガスはいう。
「彼は言った。注入され、24時間経ったらエネルギー体としては理想になるはずだ、と」
実験用のモルモットを使った結果が、それだった。
同じ理論で行けば、人間もそうなるであろうというのが生命体の考えである。
「どうしてアスプル君は餌になりたがるんだよ!」
スバルが憤慨する。
だがアーガスは思う。それは当然なのだ、と。
「君にはわからないだろう。特に気にしたこともないだろうからね」
アーガスは知っていた。
弟が長い間、苦しんでいたことを。彼は幼少のころから、己の人生に意義を欲していた。
自分がそうさせたのだ。
生まれつき力を持っていた兄が、力を持たずに生まれた弟を追い詰めていったのである。その結果、彼は人生の終着点を定めたのだ。
「なら質問を変えよう」
カイトが問いの角度を変えた。
アスプルに関して言えば、ここで問答を行っても仕方がないと考えたのだろう。この場に本人は居ないのだ。
「その生命体とは、何者なんだ」
「さあ。ただ、私の目には強大な化物に見えた」
嘗て、国を襲った新人類軍。
アーガスはたったひとりの女兵士に敗北した。
あの圧倒的な支配力は、今でも鮮明に記憶している。正直なところ、生きているのが不思議なくらいだ。
だが、『彼』は。そんな物が気にならなくなるような程の、悍ましいなにかを感じる。
「彼は完全な自我が確立していない。頭脳が発達していても、我々のように複雑な思考は出来ないのだ」
それこそ怒ったり、泣いたりといった喜怒哀楽。
そういった感情が彼にはない。それを知らずに、外に出ることを望んでいる。
「いわば、無邪気。赤ん坊のように純粋だ。きっとそれを理解した瞬間に彼の存在は大きく変わることだろう」
ゆえに、正しく導いてやらねばならない。
アーガスはそれこそが己の使命だと考えていた。父ゴルドーは妄執に取り付かれている。アスプルの犠牲を以てして生まれるであろう強大な力を、誰かがコントロールしてやる必要がった。
「だからこそ私が!」
「お前がやっても同じことだ」
カイトが一言で叩き斬る。
「お前は誰かを犠牲にすることを選んだ。なら、そいつも同じようにして犠牲にする」
仕方がないと自分を勝手に納得させて。
他者の痛みから目を背ける。
カイトは昔の自分を思い出す。無性に腹が立ってきた。
「それだけじゃない。異国の気のいいパン屋の親父を殺した」
「それは」
「確かにお前が直接手を下したわけじゃない。だがお前はやろうと思えば、止めることくらいは出来た筈だ」
アーガスに視線が突き刺さる。
父を失った少年と、彼に信頼を寄せていた青年の恨みを一身に受け止めていた。
「その時受けた痛みは、俺やコイツにしかわからない」
「……申しわけないと思っている」
カイトはカイトなりに、マサキの死を受け止めた。
スバルも彼なりに、父の悲報を聞いた。
だがその時に感じた気持ちは、決してアーガスのものではない。
「想像することは出来るかもしれない。だが、それが必ずしも正しいとは限らない」
ゆえに、
「もし俺が虫だったら、わかっているつもりになったお前に導かれたいとは思わないね」
「なら、どうしろというのだ!」
アーガスが右手に赤薔薇を出現させる。
彼の感情を表現するかのようにして、花弁が散る。その中から姿を現したのは、レイピアだ。
細長い一本の刃が、カイトを襲う。
「私が悲劇を招いた! 父は恨みに支配され、弟は私がいたために苦悩に囚われた! 私は国の為になにをすればよかったのだ!」
アーガス・ダートシルヴィーは英雄だった。
同時に、敗者だった。
彼が孕んできた問題は、英雄という言葉が持つ華々しいイメージとは懸け離れている。
「私は敗者だ。弱きものでは、抗えない!」
「だが、その時感じた痛みはお前のものだ!」
レイピアが弾かれる。
カイトが懐に潜り込む。腹部に右の鉄拳が叩き込まれた。
「がはっ!?」
強烈な衝撃がアーガスを襲う。
嘗てシンジュクで受けたそれとは比べ物にならない威力だ。
自動防御の役割を果たす身体に巻き付いた棘が飛び出すも、カイトはそれを避けることもしない。棘が彼の皮膚を切り裂き、暴れ狂う。
「同じ痛みを受けたくないなら、その時に感じたことを決して忘れるな」
罪はずっと付いて回る。
自分たちは超人だといっても、過去に起きたことをなかったことにはできない。
カイトも、アーガスも。
そしてマリリスも、スバルも。
ならせめて、今を悔いのないように生きたい。
その為にどうすればいいか。
「お前も、もうわかってる筈だ」
右拳が再び叩き込まれる。
大地に突き立てるようにして放たれたソレは、英雄の身体を床に叩きつけるには十分すぎる威力を持っていた。
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