第2話 vs柏木一家

「埋め合わせをしろ。テスト勉強を手伝った分を早々に返せ」


 テストが終わり、帰宅したスバルを出迎えたバイトの第一声がそれだった。

 心なしか、目つきが普段の数倍怖い。多分、逃げようものなら関節技を決められて歩けなくなるだろう。しかしスバルは疑問に思う。


「どうしたのさ、急に」


 もう4年近くもこの家で同居しているが、彼がすぐに貸しを返せと言うのは珍しかった。大体ここぞという時か、もしくは予想外のトラブルに巻き込まれた時にしかカイトは助けを求めないのである。始めてその権利を使ったのは、電子レンジから黒い煙が出て来た時だっただろうか。

 しかもマサキには黙っているように、と言ってくるのだ。

 これでは子供が親に隠れて悪い事をしているかのような付け足し方である。

 

「何度も言ってるけど、困ってるなら俺よりも父さんに言った方がいいと思うよ?」

「マサキにはもうこれ以上無用な負担をかけたくない。後、こうでもしないとお前の貸しが消化できない」


 結構痛い点を突かれた。何を隠そう、スバルに出来ることは大体カイトもできる。普段学業に専念している者と住み込みバイトの違いと言えば聞こえはいいが、実際スバルが専念してるのは対戦ゲームだ。

 仕事や家事の面で切磋琢磨に働く新人類に勝てる道理はない。


「じゃあ早速返すとしますか。何すればいい?」

「豚肉夫人宛てのパンを明日から少しの間、お前が運んで欲しい」

「みーとふじん?」


 聞いたことのない名前だ。少なくとも、初老の旧人類が大半を占めるこの田舎町でキン肉星の王子のサポートをする者とその一家はいなかった筈だとスバルは記憶している。

 

「ああ、確か柏木さんの家の奥さんだな」

「普通に柏木夫人でいいじゃん!? なんでミート夫人になったの!」

「ミートパイばっか頼むから」


 即座に返された一言に、スバルは納得しつつも思う。この人は名前を第一印象で呼び続けるタイプなんだな、と。

 

「でも、なんでまた? 嫌われてるって話は聞いたことがあるけど、今までずっと通ってたじゃん。旦那さんだっていい人だし」

「昨日、家庭の事情を伺って行き辛くなった」


 なんじゃそりゃ。首を傾げ、明確な回答を何度も求めたが、カイトはそれ以上話す気は無いらしく無言を貫いた。どうやら思った以上に複雑な事情がありそうだ。


「分かったよ。柏木さんの家はケンゴの家も近くだし、通学ついでに片付けておく」

「ん。頼む」


 かくして、スバルは翌日の朝から柏木一家にミートパイを運ぶ仕事を一任されることになった。だがそれが決定した裏で、彼はこんな事を考えていた。


 まだ馴染んでないな、この人は。







 次の日の夕方。テストの答案用紙が一通り帰ってきて、決して広くは無い教室がざわめきながらも帰宅時間になった頃。

 スバルはぐったりとした恰好で机の上で項垂れていた。まるで机の上にスライムでも伸ばしたかのようなぐったり具合は、正しく垂れスバルと言うのに相応しいだろう。

 泥のように動かない彼に、友人である柴崎ケンゴが声をかけた。


「どうした? テストの点が悪かったか」

「……それは何とか回避」


 一応、カイトの寝不足も報われている。これで心を抉るような手痛い言葉は飛んでこないだろう。

 じゃあどうしたのかと言えば、そのカイトが押し付けてきたミートパイを届けたことが原因である。

 

 柏木家のチャイムを鳴らし、届け物を届けた後の契約主が、もう悲惨だったのだ。


『僕のせいで純粋な青年の心に傷をつけてしまった』

『なんて最低なんだ僕は』

『人より優れているとか、いないとか!』


 と叫びながら、自宅の柱に頭を打ち付け始めたのである。どうやら先日のカイトへの発言を気にしているらしいが、その本人が来ずに自分が来たものだから変な誤解をしてしまったようなのだ。後半は既に別の世界へ旅立ってた気もする。


「宥めるのに2,30分もかかったからその後ダッシュで学校に来るだろ? でも寝る暇なくテストの答案帰ってくるんだもん。疲れるわそりゃ」


 その割に文句を言う時は結構饒舌になる。現金な奴だなぁと、この時ばかりは親友も思った。

 

「今日はもう、帰って寝た方がいいんじゃね?」

「そう思う。でも目が覚めたらまた柏木さんが頭を打ち付け始めるから、何か考えないとやばい」


 結構重傷なようだった。一体柏木旦那はパン屋の住み込みバイトに何を言ったというのか。と、そこまで考えたところで思い出した。そういえばスバルの同居人は新人類で、柏木家の息子は新人類王国との戦争で亡くなっている。


「複雑な事情だな」

「ああ、そうだろうな。若い俺に押し付けないで欲しい」


 更に言えば、スバルも勉強を徹夜で押し付けたものだから、本人を前に文句を言えなかった。だからせめて、現状の解決策だけでも出さなければいけないという使命感が湧き上がっているのである。俗にいう余計なお世話という奴だった。


「一番の問題は、カイトさんが馴染んでないことだと思う訳よ。あの人、一匹狼路線だし」

「友達少なそうだよな」


 実際、この街でカイトの友達はいない。朝から晩までパン屋のお世話になっている。強いていえば、同じ屋根の下で暮らすスバルやその友人であるケンゴがそれに当てはまるかもしれない。

 じゃあ友達なのか、と問われると自信を持って首を縦に振れないのだが。

 

「敢えて、柏木さんに謝らせに行くってのは?」

「多分カイトさんが逃げる。だから余計に後味悪くなる予感がする」


 スバルが頭を抱え、唸り始めた。なんやかんやで彼も連日寝不足である。今日は慣れない早起きまでしてるから頭が痛い。


「結局のところ、俺達が何悩んでも本人がどうにかしないと駄目なんだよ」

「でもお前、結構助けられてるよね」

「言わないで。カッコよく締めたいんだから」


 蛍石スバル、16歳。少年は今、大人たちのガラス細工のハートによって疲労していた。






「と、言うわけだから何とか仲直りできないか?」

「無理だ」


 学校から早々に帰宅したスバルは悩みの張本人に意見をぶちまけることにしたが、あっさりと返された。せめてもう少し悩む仕草とかしてくれと言いたい。


「そもそも喧嘩してるわけじゃない。俺が勝手に拒否してるだけだ」

「その勝手な拒否で、柏木一家は大黒柱の頭がハンマー連打の刑にあってるんだぞ」

「本人が好きでやってるんだから、そうすればいい」


 なんて冷たい奴だ。柏木旦那はこんな冷たい奴の為に家の柱を頭で打ち抜くところだったのか。そう思うとスバルは申し訳ない気持ちになってきた。まあ、言い方が悪いだけで柏木一家に行き辛い理由は何となく察知できるのだが。


「でも、もうここで暮らして4年だろ? 直接アンタが悪いことしたわけじゃないんだし、こんなんで拒否してたら生活できないぞ」

「別にいい。家が無くても食べ物があれば生きていける」


 その言葉は強がりではなく、本気でそう言っているのだから性質が悪い。

 実際、カイトはこの家に拾われる前は完全な野生児だった。人里で誰かが捨てた弁当やジャンクフードを拾い集め、山の中で食う。そして運動して寝る。そんな生活サイクルだった。

 4年前、偶然蛍石親子がヒメヅルで拾い食いをしていたカイトに遭遇し、


『そんな事するくらいならウチで住み込みで働いて、出来立てのパンを食え』


 とマサキが主張して、そのまま生活し始めたのは今ではいい思い出となっている。


「でも、出来立ての方が美味いぞ」

「……確かに」


 この元野生児、屁理屈捏ねる割には案外素直な面がある。

 なんやかんやで彼もヒメヅルのパン屋と、その周りの環境に居心地の良さを感じているのだ。4年間も文句を言わず、共同生活を続けたのはその証拠だといえよう(その辺を指摘したのはケンゴなのだが)。


「兎に角、早い所打ち解ける。アンタが新人類でも、腹が減ったら飯を食うのは同じなんだから」

「お前、良い事言うな」


 素直に称賛された。滅多に褒められることが無いから、少し照れくさい。


「でも、それとこれとは話が別だ」


 思わずずっこけそうになった。今までの話の流れは何だったんだ。


「何でだよ! いい加減、街に馴染めよ!」

「お前がどう思ってるかは知らん。だが、俺がいることで不快に感じる奴がいるのは事実だ」


 それに、


「柏木一家は悪い奴らではない。そこはいいだろう。だが当の本人たちが謝りたいとか、そういうことを言ったのか?」

「そりゃ……言ってないけどさ」


 柏木旦那が行ったのは、自己嫌悪だ。その発言の殆どは自傷的な物であり、カイトに謝りたいとかそういった発言は見られていない。


「ああ、念の為言っておくが別に怒ってるんじゃない。ただ、このままやっても柏木一家と溝が深まるだけだと思っただけだ」


 それなら、なるべく会わない方がいい。少なくとも、カイトはそう思った。


「……アンタはどうしたいんだよ」

「別に。どうも」


 顔色を変えることも無く、カイトは話を続けた。その様子は普段と同じく、機械的に手作業を進める住み込みバイトの物である。


「さっきも言ったが、俺は別にこの街に骨を埋めるつもりはない。出て行けと言われれば出ていく」


 それが今日になるか、年老いてからになるかは、また別の話だ。

 

「それに、柏木一家だけじゃないだろ。俺がいて嫌な気分になるのは」

「4年も一緒に暮らしてるんだぜ。そんなことは――――」

「この街の何人が、新人類軍に家族を殺されてると思う」


 遮るように言われた言葉は、鋭い視線と共にスバルに切りかかった。

 ヒメヅルは若者が少ない。裏を返せば、年寄りが多いことを意味している。彼等の子供は便利な暮らしを求めて都会に移り住み、そして新人類との戦いに巻き込まれた。


「それでも、アンタは悪いことしたわけじゃないだろ! じゃあそれでいいじゃん!」


 しかし、だからと言ってカイトが嫌われる理由にはならない。

 スバルはそう主張するも、カイトは依然鋭い眼差しのままである。何か言う気配はない。


 場に静寂が訪れた。

 しかし、少々の間を置いてからその声は部屋に響く。


「二人とも、いるかい!?」


 マサキだった。彼は息を切らしつつも、ひとまず安堵の溜息をつく。


「父さん」

「どうした、年なんだから無理するな」

「いやいや。まだまだ現役だよ……って、そうじゃない!」


 年寄りの烙印を振り払うようにして手を振りつつ、マサキは言った。


「大変なんだ! 新人類王国がこの街にやってきたぞ!」






 柴崎ケンゴ、16歳。生まれはヒメヅル。育ちもヒメヅルな彼は小さい田舎の世界しか知らなかった。

 そんな彼の目の前に今、新人類を乗せた飛行機が着陸している。

 全長は恐らく、この辺の民家が20個くらいは入るであろう体積。それが空を飛ぶと言うのだから世の中は広い。思わず感心してしまっていた。


「おーい、ケンゴ!」


 田舎の広場に人が密集している中、自分に声をかける者がいる。振り返ってみると、そこには親友のスバルとその一家が勢揃いしていた。


「おお、スバル。お前も来たか」

「そりゃあ、こんな田舎に天下の新人類王国が来るなんて滅多にないからな」


 要するに野次馬である。しかし先程カイトも言ったように、新人類に対していい感情を持っていない人間は、このヒメヅルでは珍しくない。

 ここに集まっているのは、年寄りの仲間入りをしそうな大人からスバルたちまでの年齢層だった。


「で、肝心の新人類軍は?」

「それが着陸してから全然音沙汰ないんだよ。うんともすんとも言わない」

「ふぅん。でも本当に何の用だろ」


 蛍石一家が飛行機を観察し始めたと同時。何処からともなくスピーカーが入るノイズが響く。


『あー、テステス……ヒメヅルシティの皆さん、美しくこんにちわ!』


 美しく挨拶をされた。

 スピーカー越しだから相手の姿勢は分からないが、言う以上美しいのだろう。たぶん。


『突然の来訪、誠に申し訳ない! 美しくごめんね!』


 どんな感じで謝罪してるんだろうな、と野次馬は思った。でも心なしか声が弾んでいる。


『飛行機のマークを見てもらえれば分かる通り、我々は新人類軍に所属する美しい者だ。ここにはディアマット様の命でやってきた。美しく』


 倒置法になった。

 しかしそんな事よりもスバルたちの耳に残るのはディアマットの命令、という言葉だった。その名前は確か、新人類王国の王子である。戦勝国の王子が、敗戦国のど田舎に何の用事があるというのだろうか。


『さて、我々の身分が美しく明かされたところで、これから先は顔を合わせて美しい説明と参ろう。ミュージック!』


 スピーカーが切り換わる音がした。その直後、ピアノの音が響き始める。かの有名なモーツァルトのトルコ行進曲だ。


「わざわざ音楽流すのか?」

「運動会みたいだな」


 周囲の野次馬がざわめく中、飛行機の扉が開く。

 そこから全く同じ顔をした白髪の女性達が次々と現われ、整列を始めた。


「バトルロイドだ!」

「あれがそうか! 始めてみたぜ」

「一体欲しいな」

「掃除できるのかしら」


 野次馬たちが更にざわつき始める。何人かは電化製品でも見てるかのような口ぶりだが、彼女たちはそんな生易しい物ではない。

 等身大決戦兵器、バトルロイド。立派な戦闘用アンドロイド集団だ。


「全く同じ顔してるのが不気味だな」


 ケンゴが呟くが、その意見にはスバルも同意だった。


「聞いたところによると、新人類の中でももっとも機械的な兵を基に量産されたんだそうだ。多分、彼女の名残だろ」


 背中から生えた白銀の6枚翼。そして全員の右腕から生えている銃口が、元となった女性の機械的な部分を表現している。


「というか、ながい」


 カイトがうんざりした表情で言う。確かに長い。トルコ行進曲が流れ始めて既に3分経過。それまでの間、ずっとバトルロイドが飛行機から飛び出して整列を続けていた。

 音楽が終わるんじゃないか、と思い始めた時。ようやく状況に変化が起こる。


 扉からピアノが飛び出した。比喩でもなんでも無く、文字通りピアノが飛行機の扉から登場したのである。

 しかも、金髪長髪の男性が現在進行形で弾いていた。ついでに言うと、傍に控えているバトルロイドが真顔でマイクを使い、音を拾っていた。どうやらスピーカーから流れていた音の元凶はこのピアノらしい。

 その後に続くようにして、2mは超えるだろう強面の大男と、黒いローブと三角帽子を被った少女が現れ、ようやく飛行機の扉は閉まる。


「んっはっはっはっは! 初めましてヒメヅルの美しい住民諸君!」


 金髪男のピアノを弾く速度が加速した。一度聞いただけで変な口癖だと思える台詞を吐いたし、この男がスピーカーで話しかけてきた兵なのだろう。

 もっとも、身に着けている装飾品が靴から腕時計にかけてブランド品なので兵と言うよりは貴族という印象なのだが。


「我が美しき名はアーガス・ダートシルヴィー! 美しき美の狩人、あぁぁぁぁっがす!」


 ピアノを弾きながら薔薇を咥え始めた。なんなんだアンタ。


「さあ、君達も美しく自己紹介したまえ! リピートアフターミー!」


 アーガスが背後に立つ大男と三角帽子の少女に自己紹介を促す。

 しかし2人は明らかに嫌そうな顔をしており、面倒くさそうに構えていた。


「何故俺達がこんな連中の為に名を名乗らなきゃならんのだ」


 と、大男。


「全くです。つーか、あんた1人で何とかしてください」


 こちらは三角帽子の少女。どうやらこの2人は、ここに来ること自体に不満があるようだった。


「んんんんんんんんんんんんっ!? 美しくない! 美しくないなぁ、マシュラにメラニー! 我々はこれから、彼等に対して誠意を見せねばならんのだよ!」


 行進曲がクライマックスに入る。

 指を力強く鍵盤に叩きつけながらも、アーガスは続けた。


「何故ならば! これから、彼等の仲間を1人頂かねばならないのだからね」


 ヒメヅルの野次馬たちは静まり返った。

 

 

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