111 Slay〈レカルタ市街戦2〉

 レカルタの中、南門のすぐそばに白い天幕が設営されている。僕たちはそこで組合に馬車を返却し、互いの準備を確認した。

 一歩、テントを出たときから戦いが始まる。

 僕は若草色の〈腕〉を握りしめ、マーロゥは片手剣の鍔を鳴らす。ヨムギは短い刺突剣の柄を握りしめ、アシュタヤは唇を結んだまま、胸から伸びる青い〈糸〉を発光させた。


「……いる?」

 僕が訊ねると同時にアシュタヤは頷く。「まだ離れてるけど……それらしき人はいるかな。人が多すぎてどうにも確証は持てないけど、傭兵の心の形は普通の人と違うし、興奮と疼きで毛羽だってるから、合ってると思う」

「そんなのまで分かるのか」


 眉を上げ、驚きを示すヨムギにアシュタヤは曖昧に微笑みかける。ヨムギはむず痒そうに顔を顰め、咳払いをした。


「で……いつ魔法を使えば良いんだ? あまり早いと意味がないだろう?」

「いや」と僕は否定する。「もういいよ。たぶん、相手はこっちを見てる」

「感じるのか、視線」

 マーロゥの問いに、僕は苦笑を浮かべて再び頭を振った。「そこまで恰好いいことは言えないよ……けど、相手が僕たちを見る手段を持ってるなら使わない理由がない」


 海の向こうから運ばれてきた、遠見の道具。双眼鏡や望遠鏡を生み出す技術がこの世界にも存在し、三年前メイトリンに訪れた時点で敵は僕たちの動向を監視するために、それらを駆使していた。流通する物品は減少したものの、西部縦貫街道は舶来品の輸送経路として今なお用いられている。オルウェダ領がエニツィア西部にある以上、ある程度の数を揃えていてもおかしくはなかった。


「敵が誰か確信はないけど、炎剣が雇われていたことを考えると僕が知ってる傭兵もいるかもしれないね」

「『もぐら』とか『双子』とかか」


 合点が言ったようにその名を挙げたヨムギに、マーロゥが不満そうに肩を竦める。


「おいおい、傭兵の渾名なんてもう俺にはわからねえんだからよ、理解できるように言ってくれ」

「夏、バンザッタに集められてた傭兵たちだよ。『もぐら』は狡賢い小男で、物陰に潜んで敵を射る……吹き矢とかも使うらしいけど、まあ市街戦には持って来いの奴だ」

「『双子』は魔法使いの兄弟だ」言葉を継いだのはヨムギだ。「満遍なく魔法を使えるが、兄が火を得意としていて、弟が風を使う……ん、逆だったか?」

「いや、合ってるよ。弟はともかく、兄の方はあまりヨムギとは相性が良くないと思う。前に出る性格ではないからとりあえず大丈夫だろうけど」

「あまり敵の姿を想像しない方がいいわ……予想外の敵がいたとき動きが鈍るから」


 アシュタヤの視線が順番に滑り、僕の前で止まった。頷き、小さく「行こう」と告げ、僕はヨムギに目を向ける。彼女は「ああ」と小さく返し、詠唱を開始した。

 天幕と喧噪の境目、〈腕〉を前に出してヨムギを守りつつ、彼女の詠唱が終わるのを待つ。焦れったい空白の後、じわじわと空の青が遠くなっていった。外から困惑の声が聞こえ始める。


「なんだ、この霧……」

「誰かが魔法を使ってるのか」

「非常識な奴がいるな」


 ヨムギはこの半年の間、驚異的な速度で魔法を習得していた。中でも彼女が得意としている魔法は二つ――霧と氷である。

 彼女の柔らかな歌声は半径およそ二十メートルの空間を白く濁していった。深く、重い霧が周囲を覆い尽くし、周囲の人影がぼやけていく。


「このくらいでいいか?」

「ええ、十分」アシュタヤを先頭に僕たちは天幕から出る。「人以外は分からないから、足下に気をつけてね」

「〈腕〉が何かに当たったらすぐに言うよ」


 僕は展開した〈腕〉をアシュタヤの前に置く。飛び道具を警戒しなければならないが、あまり出力を高めすぎると僕たちを覆い隠すヨムギの霧も消えてしまうため、加減が難しい。吹き飛ばした端からヨムギが充填してくれるものの、正面に広がる霧は幾分か薄くなっていた。


「やっぱり霧があるとありがたいな……くっきり見えるもの」

 最後尾にいるマーロゥが声を潜めて訊ねる。「何が、です?」

「目で見えないとその分だけ心の形が際立つんです……皆、困惑にふやけてる」

 困惑にふやける、という状態をうまく想像できず、僕はその言葉を流す。「……でも、皆同じなら、見分けがつかないんじゃないの?」

「大丈夫、困惑よりも怒りと焦りが強い人を見つければいいだけだから。それに、これから人を殺そうとする心の形は見逃したくても見逃せないもの」


 アシュタヤは迷いなく前に進んでいく。ヨムギの詠唱が霧として喧噪の底に横たわり、いつまでも周囲を濁している。見通しは悪かったものの、アシュタヤの先導のおかげで僕たちの歩みが鈍ることはなかった。

 門から続く商店街、当惑に絡みつかれた群衆の動きは遅々としたものになっていた。時折、進行方向にいる人が僕の〈腕〉に当たり、低い唸りとともによろめく。その感触を味わったのが何度目のときだっただろうか、アシュタヤの足がぴたりと止まった。


「十時、二十五エクタ、一」


 彼女らしくない、短く鋭い指示が飛んだ瞬間、マーロゥが矢のような速度で僕の横を走り抜けていった。姿勢を低くした彼の姿は僕の感情の動きが治まる前に霧の彼方へ消える。

 同時にくぐもった呻き声と甲高い金属音が霧を揺らした。


「足で」と彼の声が聞こえた。普段のマーロゥからはかけ離れた低く冷たい声が鼓膜に届き、敵の怒りの臭いが流れてくる。

 その瞬間、僕の脳は見えるはずのない光景を幻視した。


 血が流れていた。

 敵の男、そのだらりと下げられた右腕から血液がこぼれ落ちている。止めどなく腕を濡らす赤い液体は地面に転がった手槍に当たり、足下で飛沫へと変わっていた。

 マーロゥは剣を持っていない左手で敵の男の喉輪を攻めながら、血液が付着した剣を眼前へと突きつける。男は苦痛と窒息感で目を剥き出しにし、空気を求めるかのように舌を伸ばしていた。


「足で、メシを食ったことはあるか? 昔、両腕を失った奴を見たことがあるんだけどな、随分不便そうだった……お前にその覚悟はあるか?」


 苦悶の表情を浮かべた男の身体が崩れる。一瞬、マーロゥの手が離れ、男は地面に両手を突いたまま、強く咳き込んだ。ひゅるり、と奇妙な呼吸の音が這い、同時に、マーロゥの爪先が男の顔面にめり込む。

 男は悲鳴にならない悲鳴を上げ、石の壁に叩きつけられる。マーロゥは間髪入れずに再び喉を締め上げる。男の左腕に切っ先を当て、剣よりも鋭利な声色で、静かに訊ねた。


「もし、お前が敵の人数を教えてくれるなら右は残してやるよ。言っている意味は分かるな?」


 指先の込められた力が緩み、壁に押し当てられた男の呼吸が再開する。男は険しい形相のままマーロゥを睨んで、息も絶え絶えに、言った。


「俺、も、知らねえ」

「――そうか」


 マーロゥの指が、まるで空気を握るかのように、拳に変わっていった。男の舌が酸素を舐めるかのように飛び出す、口角から泡が漏れる、眼球の運動が激しくなる、それが止まった瞬間、僕の背中をヨムギが小突いた。


「――おい、ニール」


 まばたきと同時に、景色がすり替わる。前にいるのはアシュタヤで、後ろにいるのはヨムギだ。マーロゥの姿も刺客の姿も、深い霧のせいで欠片も目にすることはできなかった。


「どうした、ぼうっとして」

「……いや、なんでもない」

「なら、ちゃんと警戒してろ。……ん、帰ってきたな」


 十時の方角で人影が揺らめき、マーロゥが現れる。彼に一切の傷はなかったが、しかし、服の左腕についた小さな赤い斑点が今し方起こった事実を如実に表していた。


「マーロゥさん」

「だめっすね、口を割らない。個別に知らされてない可能性もあるかもわからんです」

「そうですか……進みましょう、ここで立ち止まっていてもどうしようもありません」


 アシュタヤに促され、僕は前に足を出す。マーロゥと視線がぶつかり、すれ違いざま、彼は眉間に皺を寄せた。


「どうした? 変な顔して」

「いや、なんでもない、と思う、んだけど」

「んだよ、歯切れ悪いな」


 会話を交わしながらも足は止めない。数メートルほど歩くと背後から悲鳴が上がった。マーロゥが絞め落とした男が発見されたのだろう。周囲で生まれた狼狽が恐怖に変質し、女性たちの金切り声が辺りを往復し始める。

 道を進むにつれ、赤い血で濁された喧噪が少しずつ遠ざかっていく。

 ……ああ。

 僕は致命的な過ちに気付いたが、それを改める術を所持していなかった。


「何かあったら言えよ」

「分かってるよ」嘘だ。


 言えるわけがない。役目を果たそうとすることが僕たちの首を絞めることになるなど、どうして伝えられる?

 血液の付着した真実は砂と埃にまみれ、不吉なされこうべを模す。脳内で響く嘲笑に、手に取りやすい残酷な嘘が跋扈する未来ばかりが想起され、どうか現実とならないように、と願うことしかできない。


     〇


 人通りの多い道を避けようと考えたのは僕だけではなかった。ヨムギが生み出した深い霧の中、敵を感知できるアシュタヤが指示し、マーロゥが切り伏せるという連携はひとまず成功していたけれど、大きな弱点があったからだ。

 長距離攻撃――アシュタヤの感知範囲外から魔法を撃たれた場合、僕たちに為す術はなく、また、多くの犠牲が生まれてしまう。

 路地から路地へ、僕たちはあみだくじを辿るように、早足で郊外を目指した。ヨムギが発生させた霧は中心を特定されないように絶えず形を変えているものの、相手に僕たちの居場所を伝達しているのと同義であり、いつ遠くから攻撃されるか気が気ではなかった。


「前――」


 アシュタヤが距離を伝達する暇もなく、正面から飛んできた矢が僕の〈腕〉に触れた。サイコキネシスの中、矢は減速しながらもアシュタヤの喉元へ噛みつこうともがき、咄嗟に〈腕〉を思い切り地面へと叩きつける。掌ほどの長さもない小さな矢は跳ねることなく、石畳のわずかな隙間に鏃を埋めた。


「どこだ?」


 言いながら前に進む。両脇を挟む商店の窓は今し方通り過ぎた一つずつしかない。前方、右の壁沿いに樽が一つ置かれていたが、そこに人の隠れられる空間はあるようには思えなかった。


「右を移動してる」


 アシュタヤの声が届く寸前、僕は樽を弾き飛ばしていた。木片と金属のタガが地面を叩く。〈腕〉が揺らめくその空間、右の商店の壁に、小さな穴が開けられていた。子どもが一人、通れるか通れないかくらいの、狭い穴だ。


「『もぐら』か……?」


 ヨムギの憶測に危機感が翻り、僕は背後――商店の窓へと向けて〈腕〉を突き出した。壁の硬い感触と肉の柔らかさが〈腕〉を伝わる。遅れて肉体が動く。視界の端に敵の姿を捉えると同時に「ぐえっ」と短い呻き声が届いた。

 窓から飛び出して矢を放とうとしていた男が壁に叩きつけられ、顔を歪めていた。

 子どものような背丈と、年相応の中年じみた小狡い顔、右手に持つ小さな弓――『もぐら』だ。


 マーロゥ。

 僕が叫ぶより早く、彼はもぐらとの距離を潰している。僕のサイコキネシスに押され、マーロゥの剣は恐るべき速さでもぐらの右手の甲に突き刺さる。押し殺した悲鳴と弓矢が地面を跳ねた。

 実際に刺すつもりはなかったのか、マーロゥは不可解そうに剣を見つめている。僕はあたりを警戒し、アシュタヤが何も告げないことを確認して彼を呼び戻した。


「マーロゥ、そいつと話させてくれ。アシュタヤとヨムギを頼む」

「……つってもよ」彼は周囲に視線を巡らせ、言った。「遠くから撃たれたら俺じゃ」

「大丈夫だよ……この狭い路地じゃ射線はない」


 それに、もぐらが誰かと手を組むことなど想像できなかった。会話こそしたことはないが、彼の性格も戦い方も集団行動には不向きであるのは把握している。

 僕は〈腕〉を後方へと広げ、ロディからもらったナイフを左手で抜いた。切っ先をもぐらへと突きつけ、地面に転がる彼を見下ろす。


「動かないでください。こういう武器は慣れてないから命に問題のない場所を突ける自信がない」


 慣れていないのはむしろ、そういった脅し文句の方だ。それが透けていたのか、もぐらは手の甲を押さえたまま、片方の眉を上げた。


「……気配の隠蔽すら通じねえのかい。いよいよ『化け物』だな、レプリカ」

「一発目で命中したのは偶然ですよ。それに、場所が分かったのは僕の力じゃない」


 そう言ってアシュタヤをちらりと覗くと、もぐらは忌々しそうに顔を歪める。


「噂には聞いていたが……邪魔な女だ。俺の天敵じゃねえか」

「天敵を無力にする方法は知っていますか? 友好関係を築くことです……」僕は肩を竦め、膝を突く。「さて、顔見知りでもあることですし、質問に答えてもらえませんか」

「こっちの人数は俺も把握してねえよ。大体の場所を指示されただけだ。これでメシを食ってるから依頼主の名前も出さねえ」

「依頼主はいいですよ、予想はできてますし。僕が知りたいのはあなた以外にまともな奴が雇われているかどうか、です。教えてくれたらその手の傷くらいは治しますよ。悪い話じゃないでしょう?」


 もぐらはその言葉に痛みを忘れたかのように、きょとんと呆けた顔をする。それから、猜疑心が浮かび上がってきたのか、鋭い表情で睨みつけてきた。


「敵の傷を治すってか。おめえさんの得体の知れない治癒魔法は知ってるけどよ、随分おもしれえこと言うもんだな。治した後で後ろから狙われるとは考えねえのかい」

「あ、それやったら傷を二つに増やします」

「簡単にくそったれなことを吐くねえ」

「正直なところ、あなたと敵対したくないんですよ。今後のことを考えると知ってる傭兵の中でいちばん面倒なのはあなただ。奇襲専門の傭兵を警戒するのは骨が折れる」


 もぐらは僕の言葉を素直に受け取ったらしい、口角を上げ、無言で血が滴り落ちている右手を差し出してきた。一度、後ろを振り返り、アシュタヤの顔を確認する。何を言わずとも僕の疑問を読み取ってくれたのか、彼女は小さく頷いた。

 人を欺こうとする心の形ではないようだ。狡猾なもぐらだけに懸念をしていたが、アシュタヤが保証するなら間違いはない。

 僕は〈腕〉の治癒魔法陣にエネルギーを送り、もぐらの手の甲に触れる。じわじわと内側から修復される感触がくすぐったのか、彼は身を捩り、強いまばたきをした。


「おい、眠くなってきたぞ、なんだこれ」

「傷が深いですからね、副作用も出ますよ。ほら、寝ないうちに話してください」


 彼は重くなった頭を支えるように左手で前頭部を覆い、答える。


「……俺も全員は分からねえけどよ、バンザッタで一緒になった奴は何人か依頼主のとこで見た。『炎剣』とか『双子』とかだ。それ以外の奴なんざ馬鹿で雑魚だからな、大して問題じゃねえだろ」

「あの人は? 身体の大きい」頭の中にあったのは、バンザッタで会った大男だ。

「あのウスノロがこんなのに雇われるわけねえだろ」


 それもそうだ。

 ならば名の知れた傭兵は『双子』くらいしかいないということになる。伏兵にさえ気をつければ、何とかなるだろう。

 僕はもぐらに感謝を伝え、立ち上がる。そして、先に進もうとアシュタヤに声をかけようとしたとき、後ろから呼び止められた。


「なあ、おい、『化け物』。ついでに言っとくんだがよ、『炎剣』と『双子』はぶっ殺していいぞ。商売敵だからな」

「……じゃあ、僕からも一つ」


 そう言ったものの、今さらギルデンスのことを聞く気にはなれなくて口ごもってしまった。横に伏せ、言葉を待つもぐらに、僕はやぶれかぶれに柔らかく微笑む。


「後で僕のところに来たら雇いますよ、懐柔できるものなら懐柔しておきたいですし……ああ、それと」


 もぐらの瞼が落ちる。まだ何かあるのか、と口に出す気力もないらしく、彼は意味を持たないうなり声を上げた。届いているかどうか、どちらでもよく、僕はポケットの中からプレゼントを取り出して彼の懐へと入れる。


「まだ春先ですし、そこで寝ると風邪を引くと思います」

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