94「『乾杯』」〈バンザッタ防衛戦2〉
「さて、では、私から作戦を提案させていただこう」
ギルデンスの口調が変わる。誰もが期待と不安で彼を見つめていた。
はっとする。
ギルデンスはこれまで多くの人間を扇動してきた。人々は――ときに言葉で、ときに力で、気付かないうちに彼の意志に沿った思考へと誘導される。彼の術中にはまり、そのとおりに動いてしまう。
数々の内乱、ボーカンチ解放軍、ギルデンスによって戦いへと向かっていた人間と同じように、僕たちも彼の掌の上にいた。
「戦争でもっとも大事なのは何か……。それは集団の力だ。隊としての練度、効果的な戦術、仲間がいることで倍増される士気、それらが積み重なり、戦力という言葉に置き換えられる。だが、現状の作戦ではそれらは裏目に出るだろう。一つにまとまった人の壁は命中率の悪い長距離の攻撃にとっては大きな的にしかならない。壁により前進もままならない状況で、射程外の敵から一方的に攻撃されれば誰もが恐怖を抱く。すぐそばで響く仲間たちの断末魔……集団はすぐに崩壊する」
ギルデンスは「対策はあるか」と訊ねるような長い間を取った。声を上げる者は誰もいない。
「では、どうするか。――集団で対抗しなければいいのだ。幸い、個の力が戦力として数えられる傭兵たちが集められている」
「しかし!」ギルデンスの演説に割り込んだのは臆病将校だった。「そんなもの、通用するわけがない。圧倒的な個の力が戦場で猛威を奮ったのは一昔前のことではないか!」
「だが、集団にくさびを打ち込むのはいつであろうと個の力だ」
「個は集団に飲み込まれる! いかに強かろうと――」
「ええ、そうですね」
不自然なほどあっさりと認めたギルデンスに、臆病将校の批判が止まる。作戦の穴を指摘したのは彼のはずだったのに、ギルデンスの反応に虚を突かれているようでもあった。
再び、室内に静寂の帳が降りる。
なんだか、嫌な予感がした。
じりじりと引っ張られるような感覚――僕にはギルデンスの立案した作戦の穴が、批判を生み出すためにわざと開けられた穴のように思えた。
「だから」と彼は息を吐き出す。「個の力だけで対応するのもまた悪手だ。あくまでそれは一段階目……」
彼は机の上に置かれた資料を素早く並び替え、敵軍と三つの「鳥の翼」を形作る。手に持った金属の筒、かつて僕の足を撃った風銃で指し示すように机を叩いた。
「せっかくですので土の壁を有効利用するとしましょうか。傭兵や有能な軍人を第一の壁の後ろに配置します。開戦とともに彼らは中央と左右、三方向からそれぞれ敵軍へと突撃させましょう」
「わざわざ戦力を分散させるおつもりですか?」
アシュタヤの反論にギルデンスは肩を竦める。
「アシュタヤさま、お戯れを。少ない例外を除けば、傭兵には連携も協力も存在しません。ゆえに、これは分散ではなく、活用なのです。存分に彼らが暴れ回ることのできる空間を与えるだけ……なあ、ニール、特にお前は十五エクタの内側に味方がいると面倒だろう?」
毛羽だった視線に全身がなぞられた。
全員に見つめられる中、僕が返したのは、返せたのは沈黙だけだった。
そして、その無言の肯定はアシュタヤではなく、ギルデンスへの援護射撃となる。この二年半で代表的な傭兵となった僕の力はここにいる全員が承知している。その僕が反論しなかったことがギルデンスの言葉へ正当性を与えてしまっていた。
冷笑を浮かべたギルデンスは、注目を奪い取るように、かつかつと机を叩いた。
「的が小さくなれば、当然命中する弾の数は激減する。ましてや傭兵たちは戦い慣れている、躱すこともできるでしょう。そして、長距離魔法を得意とする魔術師は懐に潜り込まれるとあっさり瓦解する……」
一拍の空白が生まれる。参加者の視線はギルデンスへと向けられたままだ。静寂にすらかき消されるほどの小さな声で彼は作戦を呟いた。
「全軍突撃こそ、活路です」
すぐさま反駁できる者などいなかった。辛うじて届いたその声が事実であるのか、誰もが確認するように互いに顔を見合わせている。
その中で、唯一、じっとギルデンスを見つめていた男がいた。カクロだ。彼は思いついて当然の疑問をギルデンスへと呈した。
「だが、ギルデンスくん、当然、相手もそれを考えて人の『壁』を配置するのが道理だ」
「……カクロ卿ならその質問に意味がないことを悟っているかと思われますが」
「……まあ、そうだね。魔術師を中心としているのなら、『継承戦争』だ、『虎』は十分な歩兵部隊を揃えられていないだろうし、こちらの傭兵が殺されても土の壁によって本隊からはそれは見えないから士気にもそれほど影響は出ない」
「ですが!」
勢いよくアシュタヤが立ち上がる。目元に怒りを滲ませた彼女はその感情を叩きつけるように声を轟かせた。
「人の命を使い捨てにする作戦は心に傷を作ります! 今は良くても、いずれ膿んだその傷により悪影響を及ぼしかねません!」
にやりとギルデンスの表情に愉悦が混じった。
ほとんど一瞬のことだ。参加者の目はアシュタヤへと向けられていたため、それに気がついたのは僕とアシュタヤ、カクロくらいしかいなかっただろう。
ギルデンスは机の上から資料を拾い上げ、これ見よがしに大きな溜息を漏らす。
「アシュタヤさま、あなたの立案した作戦には一通り目を通しました。油を撒く、という単純ながら効果のある策も考えていらっしゃったようですが、批判もあったでしょう?」
アシュタヤは質問の意図が飲み込めなかったようで、眉間に皺を寄せた。参加者のほとんどが同様に訝るような視線をギルデンスへと送っている。
困惑がじりじりと広がっていく中、僕の頭の中で音が弾けた。まずい、と考えた瞬間、「ラニア嬢」と声が響く。
環境を重んじていた将校が、思い出したかのようにアシュタヤを睨んでいた。
「ラニア嬢」その言葉は彼自身の意志により、彼自身の声帯から発せられたものだったにも関わらず、ギルデンスの声を思わせる冷たさがあった。「あなたはこの地の自然を犠牲にしてエニツィアを守るとおっしゃったが、それと同じことではないか?」
「人の命と自然は……!」
「人の命を生み出しているのは自然ですが? 何が違うというのです」
厳格な宗教心は人の中にある鋼鉄の柱だ。折れることも曲がることも許されない。
アシュタヤもそれを理解していたのだろう、それ以上の批難は持ち合わせていなかった。彼女は奥歯を噛みしめて椅子に腰を降ろす。膝の上に置いた拳が握りしめられて、震えている。
「とはいえ」ギルデンスはまるで両方の意見を擦り合わせるかのように言葉を紡ぐ。「上層部が初めから傭兵を犠牲にしようとしたのでは悪影響が出るでしょう。だから、傭兵たちの独断にしてしまいましょうか」
「独断にする?」
「ええ、このところ中央の傭兵たちは思った戦果を挙げられずに鬱憤が溜まっていることでしょう。……『化け物』がいれば仕方がないことではありますが。なあ、ニール?」
――ちょっと待て。
ふざけるな、どうしてそこで僕を引き合いに出す?
僕の存在が傭兵たちを脅かしていると、そう言いたいのか? 僕がいることで食い扶持を失っている、と。
怒りが喉元まで噴出したが、しかし、否定することができない。一部の傭兵は僕が多くの戦いに参加していることへの不満を漏らしていた。
ある考えが脳内で翻る。
初めてギルデンスと出会ったときから、僕の道筋は彼の目的に沿った行動になってしまっていたのではないか?
僕が殺人を犯したことも、傭兵となったことも、ラ・ウォルホルの「太陽」を逸らしたことですら――
――あり得ない妄想だ。しかし、内部で湧き続けるその妄想は振り払った端から、繰り返し僕の脳裏を蹂躙する。偶然を必然のように振る舞っているだけだと、自分へと必死にそう言い聞かせたが、疑心暗鬼は収まらない。
「傭兵たちには私が嘘の作戦を伝えておきましょう。証人のために何人か立ち会ってもらいたいが……その後、彼らを集めてそれぞれに意志決定を促します。彼らは、自らの考えで、エニツィアを守るつぶてになるでしょう」
もはやギルデンスの作戦に反対する者はいなかった。理路整然とした立案にアシュタヤやカクロですらも黙っている。傭兵である僕には反対する権限すら与えられていない。
彼はその後、壁の高さを確保した上で騎兵部隊を中心とした隊を置き、左側から攻め込む、という提案をした。相手が前進してこないならば魔法部隊は盾の保持に全力を尽くせる。メイトリンからの援軍は到着次第壁の右手から進んでいく。的をばらけさせ、数の優位で包囲する作戦だった。
ギルデンスは反対意見が出てこないことを確認すると独善的に「では後はよろしくお願いします」と宣言して会議室を出て行った。アシュタヤは俯いたままだ。失意の表情で悔しそうに唇を真一文字に結んでいる。
耐えきれず僕は会議室を飛び出した。
「ギルデンス!」
廊下を歩いている彼は僕の攻撃範囲よりも遠くにいる。数歩踏み出せばその中に入ることはできたが、足が動かない。マーロゥも僕の攻撃を躱せたのだ、ギルデンスがやすやすと攻撃をくらう姿など想像できなかった。
「どうした、ニール、何か言いたいことでもあるのか?」
僕は怒りと恐怖を飲み込むために拳を握り、ゆっくりと息を吸う。「……この戦争も! ……お前が、生み出したんじゃないのか?」
「そんなことか」
「答えろ!」
ギルデンスは歪んだ笑みで答えた。「……半分だな」
「どういうことだ……?」
「『虎』があまりにも愚かだったのだ。操りやすいという意味では幸運だったが、御しきれないという意味では本当に不幸でしかなかった。まあ、でも、良かっただろう? 本来この戦争はもう少し先に起こるはずだった。今、エニツィアが負けてしまうと苦労して整えてきた状況が崩れ去る。そのためにわざわざ私が来たのだからな」
「……お前は何のためにこんなことをやってるんだ? わざわざ戦争を生み出して、人々をその中に叩き込んでいる! ……お前は狂人だ、人を不幸にするだけの、最悪の狂人だ!」
ギルデンスは罵りを受けることなどとうの昔に覚悟していたように、大きく笑った。熱のない笑い声が廊下に響く。
「おかしなことを言う。他人は自分ではない。そこに価値を置くのは否定しないが、自分の幸福を追い求めることは悪いことではないだろう?」
「ふざけるな!」
「いいじゃないか、ニール。『継承戦争』のあるペルドールはどちらにしてもエニツィアに攻め込んでいた。それが私のおかげで楽に勝てるんだ」ギルデンスは僕の攻撃に備えてか、手元で鉄の筒をくるりと回す。「……お前は私の目的を訊ねたな? 答えてもいいが、後にしよう。ここではいささか風情がない。……今回の戦いには私も出る。傭兵たちを釣るため、私はお前と行動をともにするつもりだ」
「誰がお前と――」
「ここで私を殺したらお前と傭兵だけで前に出ることになるが、それでも勝てる自信はあるか?」
息を呑む。僕はまだしも、他の傭兵がどれだけの結果を出せるかは予想できない。エニツィアの勝利のことだけを考えればギルデンスに従った方が合理的だ。
全身に強張りを感じる。
ギルデンスは会議で個の力が重要であると語っていた。だが、それは欺瞞だ。僕だけの力では決して集団に敵わない。それはラ・ウォルホルでの戦いが示している。
「まあ、私の計画を潰したいのならわざと敗北するのが手っ取り早いがな」
ギルデンスは試すような目つきで僕を見つめる。
そんなことをできるはずがない。敗北はつまり、カンパルツォやアシュタヤの目標を潰すことに他ならない。
「……では、ニール、少し早いが……『乾杯』」
ふざけるな!
そう叫んで、〈腕〉で斬りかかれたらどれだけ楽だったろうか。僕の足は床に張りついたまま動かず、振り返ることなく去って行くギルデンスの姿を睨むだけで精一杯だった。
粘着質な唾が口内に溜まっている。それが不快で仕方がない。
正気を保ったままの狂人は着実に欲望を充足させようとしている。
何が「乾杯」だ、お前と友となるなどできるはずがない。
〇
将校たちが会議室を出て行ってから、僕はその中へと戻った。部屋にはアシュタヤとカクロだけが残っている。腰を下ろしたまま、アシュタヤは俯き、カクロは厳しい顔つきを虚空へと向けていた。
「アシュタヤ、カクロさま」
「……ああ、どうしたんだい、ニールくん」彼はふっ、と表情を緩める。
「いえ、あの」
何を言えばいいのか、うまく言葉にできない。
慰めもギルデンスへの罵倒もこの場にはそぐわない気がした。少なくともアシュタヤが落胆しているのは彼女の立てた作戦がなかったことにされた失意ではないだろう。努力が徒労へ終わったことではない、もっと深く、重い感情があった。
「ニール」彼女は下を向いたままだ。「ごめんなさい。私のせいでエニツィアの戦い方が歪んでしまうかもしれない……命の犠牲を容認するのが当たり前になってしまうかも……」
ラ・ウォルホルでの戦いに続き、バンザッタでも少数の傭兵が捨て駒として扱われることになる。
彼女はそれを危惧していたのかもしれない。傭兵に身を窶していた僕にとっては当然の作戦にも思えたが、彼女にとっては異なったようだ。
確かにここまであからさまに傭兵を使い捨てにするのは珍しい。ラ・ウォルホルを除けば、傭兵と同じ線上に軍人の姿もあるのが普通だった。正規軍より傭兵の方が戦果を挙げているとなると国防どころか国のあり方そのものが揺るがされるからだ。
「ねえ、ニール」彼女は顔を上げる。悲痛な表情をしていた。「私、やっぱり軍人には向いてないみたい……。国よりもあなたのことが心配なの、……ねえ、あなたは戦わないでくれる?」
「……だめだよ、アシュタヤ」
その通告に彼女は目を見開き、再び俯いた。
決定をしたカクロに何も言わないところを見ると会議の前に何らかの話し合いがあったのかもしれない。今にして思えば、彼女はギルデンスが現れることを理解していた節もある。
僕はこちらを見ようとしない彼女の肩に手を置き、それから、カクロに頭を下げた。
「……カクロさま、お願いがあります」
「何だい?」
「今まで僕は軍からの勧誘を断り続けてきました。しかし、そうも言っていられない事態ではありませんか? ……仮軍属、という形ではアシュタヤが危惧している状況への打開策とはならないと思うのですが」
「まあ、そうだね。傭兵を仮軍属という形で扱うのはもう陳腐な手法でもある」
「なので……お願いがあります。今、この場で僕を正式に軍人として任命していただけませんか? 軍人である僕とギルデンスが傭兵より戦果を挙げたなら少しは意味があるかと」
「……助かるよ。後で書類を準備しておく」
僕は礼を言って、アシュタヤの手を引き、会議室を後にする。
部屋に戻るまで「絶対に死なないから大丈夫だ」と彼女に言い聞かせ続けた。僕は死に場所を求めるほど高潔でも投げ遣りでもない。這いつくばってでも帰ってこなければいけない理由がいくつもあるのだ。
彼女の部屋の前にはマーロゥとヨムギが立っていた。二人は、泣きそうな表情になっているアシュタヤに眉を顰め、僕を見つめてくる。
「なあ」とマーロゥが声を絞り出すようにして訊ねてきた。「作戦はどうなったんだ?」
「……アシュタヤの作戦は通らなかったよ。細かいことは後で通達が行くと思うけど、傭兵が先頭を切ることになった」
「……なあ、ニール」ヨムギは迷いに淀んだ目をこちらへと向けていた。「おれは……おれはどうすれば、いいんだ?」
ラ・ウォルホル以降、彼女は今までとは違う生き方を知ってしまった。戦わなくても生きていけるのだという認識は恐怖へと繋がる。ましてやここには再会を誓った頭領たちはいない。
彼女は知識こそ足りないが、自分の力がこの戦場において相応しくないことを知るだけの聡明さがある。それだけに歯痒くもあるのだろう。
「……マーロゥは当日もアシュタヤの護衛?」
「ああ、前には出ない」
「そうか……。じゃあヨムギ、一つお願いがあるんだけど」
「なんだ?」
「マーロゥと一緒にアシュタヤを守ってくれないか? 本当は僕がそこにいたいけど、今回は難しい。アシュタヤは……僕の大事な人なんだ」
「……分かった」
「ありがとう、ヨムギ。マーロゥも頼んだ」顔を引き締めて頷く二人へと向けてアシュタヤの背を押す。「……僕はこれからちょっと用があるんだ。帰ってくるまでアシュタヤのそばにいてあげてくれないかな」
「ニール、どこに行くつもりなの? 私、私……」
「死にたくないからね、それ相応の準備をしないと」
微笑み、僕はアシュタヤの頬に両手を当てる。彼女は少しびくりと身を震わせたあと、灰色の瞳をこちらへと向けた。微かな声で僕の名が呼ばれる。
「大丈夫、僕はきみと一緒にこの国を守る」
彼女の唇に約束を押し当てる。驚きで固まるアシュタヤに、僕はもう一度笑いかけた。
「だから、元気を出してくれよ、アシュタヤ。きみが悲しい顔をしていると僕も切なくなるんだ」
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