68「俺たちのそばで」
方面総監に呼びつけられたのは野営場に到着して二時間ばかり経過したときだった。
ハルイスカを一緒に往復した指揮官が僕の元に来て、「度々悪いが、方面総監が呼んでおられる」と申し訳なさそうに言った。断る理由もなく、ラ・ウォルホル駐留軍の幹部が集まっているテントへと足を運ぶ。そこで僕は横柄な態度の方面総監から命令を受けた。
命令の内容は「突撃」。
ラ・ウォルホルの砦に籠城しているボーカンチ解放軍に対して特攻せよ、と髭面の方面総監は冷たい声で言い放った。僕が軍の勧誘を断ったことへの当てつけというより、たった一人の傭兵を捨てても惜しくはない、うまくいけば儲けもの、と考えているような傲慢さがちらついていた。
彼はご自慢の髭を撫でながら吐き捨てるように言う。
「お前なら簡単だろう、『化け物』レプリカ」
「……お言葉ですが、簡単ではありません。うまく突入できたとしても室内では僕の力が十分に発揮できるとは」
「もちろん、援護はする。阻害魔法を扱う魔術師を総動員すればお前の相手は剣と槍だけだ。室内では弓など扱えんだろうしな」
確かに剣と槍だけならなんとかなるかもしれない。
だが、それはあくまで相手が少数だった場合の話だ。多数で挟撃されたらその限りではないし、人の壁を使って近づいてこられたらどれだけ僕の〈腕〉が素早く動いたとしても狩り漏らしが出る。死体に紛れて接近する、だとか、方法はいくつもあり、一瞬でも動きを止めてしまえばそこで終わりだ。
昨日の戦いは相手に逃げ道があり、僕の後ろにエニツィア軍がいたからこそ成り立った戦法だった。相手に恐怖を与え、背中を向けさせる。広い間合いを誇示して包囲する判断すら与えない。
だが、室内となると話が違うのだ。
恐怖は突風と似ている。後方が空いていればそこへ向けて突き抜けるが、周囲に壁があると風は行き場をなくす。破れかぶれになった敵軍が僕へと突撃してきたら勝てる自信はなかった。
「……やはり、僕だけでは難しいです。攻城兵器を持った援軍を待ち、時間をかけて攻略するのではいけないのでしょうか。相手には増援など来ないのでしょう?」
「たかが傭兵が口答えする気か」
「……たかが傭兵でも」僕はラニアの言葉を思い出しながら、続けた。「僕は人間です。わざわざ死ににいくなど――」
「人間?」
方面総監の声は僕が今まで聞いてきた中でもっとも下卑たものだった。侮蔑に異端視と恐怖を練り込んだ、聞いただけで胸が押しつぶされそうになる声色。
「お前は『化け物』なんだろう、レプリカ? 聞いたぞ、腹を刺されても一瞬で治癒したそうじゃないか。一流の治癒魔術師でもそんなこと出来はしない」
「……痛みはあります。それに即死するような攻撃を受ければ治癒などできません」
「受ければ、の話だろうが」
どれだけ訴えても僕の気持ちを汲もうとしない彼の物言いにふと前の世界にいたときのことを思い出した。蔑ろにされ、誰も僕の言葉に耳を傾けてくれなかったあのときと同じだ。当時は僕が弱いのが原因だと思っていたが、どうやら違うらしい。
「いいか、これは決定事項だ。大体、本来であればお前のような不可思議な力を持った奴は軍に捕らえられ、研究されてもおかしくはないんだ。そうされないだけ感謝するんだな」
支離滅裂だ。脅しにすらなっていない。
僕を捕らえないのはお前らの慈悲ではないだろう。ただ捕らえられないだけだ。拘束し、阻害魔法をかけても意味がないからしないだけだ。
それを感謝しろだなんて、お門違いにもほどがある。
考えれば考えるほどおかしくなって、笑い声が漏れた。苛立たしげに方面総監は眉を顰める。ラニアには「人間だ」と言われ、この方面総監には「化け物だ」と呼ばれる。
どちらが正しいかなどは興味がなかった。
結局、取るべき行動など一つしかない。僕が人間で善を目指すなら国を守る。悪い化け物なら利用されて敵を殺す。傍目から見たらその二つは同じだ。
「わかりました。きっとあなたに多大な功績を与えてあげましょう」
そう応えると方面総監は舌打ちのあとに「初めからそう言え」と睨んできた。僕の言葉が彼に響かなかったのと同様に、彼のあらゆる言葉は僕の心を震わせないことに気がつき、可哀想になって、微笑みながら謝罪した。
〇
野営場は炊き出しの匂いと軍人や傭兵の喧噪に満ちていた。肉や野菜の入ったスープと硬く味気ないパン程度の食事ではあったが、温かい食事そのものが傭兵には特別なものだ。夜になっても気温が落ちていなかったが、多くの人がありがたそうに食事にありついていた。
僕が世話になっている傭兵団の連中は一箇所に固まって顔を突き合わせていた。どこで仲良くなったのか、そばには見知らぬ男がいて、その男が偉そうに垂れた「汁にパンを浸すと柔らかくなって美味い」という講釈に「そんなの当たり前じゃねえか」と指摘している。
彼らは僕を見つけると「よお」と手を上げた。頭領は殊更に笑顔を作り、ヨムギは戦果が振るわなかったからか、あからさまに不機嫌な顔でスープの器に口をつけていた。
僕は輪から外れたところに腰を下ろし、パンを噛みちぎる。顎が痛くなるほどの硬さを紛らわすために器からスープを啜った。
いつもの面子より二人足りないことを、僕を含めた全員が言及しなかった。
珍しいことではない。傭兵は往々にして使い捨てにされるものだし、それに見合うだけの給金はもらっている。それに死んだとは限らない。大怪我をして治療を受けているだけの可能性もある。
明日にはそれが自分になるかもしれない。
どこからともなく去来したその思いに、彼らから視線を外した。ピースの欠如は僕の心に打撃を与える。敵よりもこの心の弱さの方が厄介だな、と自嘲した。
その様子を見られていたのだろう、傭兵団の中から「おい」と高い声が聞こえた。
「おい、レプリカ、なに辛気くさい顔してるんだ」
顔を上げる。僕を批難してきたのはヨムギで、彼女は口に放り込んだパンを勢いよく飲み込んで立ち上がった。
「メシがまずくなるんだよ、そんな顔されてると」
「まずくなるって言ったって、きみ、今ので食い終わったんじゃないの」
からかおうとしたわけではなかったが、ヨムギは僕の言葉をちょっとした挑発と受け取ったようだった。焚き火に照らされた顔がかあっと紅潮していく。馴染みの面子もやんややんやと囃し立て始めた。
「お前、ちょっと調子よかったからって図に乗ってるな」
「図に乗ってるわけじゃないよ。別に調子が良かったわけでもない」
ヨムギはずかずかと足音を立てて歩き、僕の目の前で腕組みをした。「まだおれは負けてないからな。明日、砦に攻め込むのは知ってるか?」
「……らしいね」
「一人で突撃する馬鹿がいるらしい。そいつが合図を出したら、それが開始だ。今度こそお前におれの強さを見せてやる」
「あー……申し訳ないけど、明日はちょっと付き合えない」
「なんだ? びびってるのか?」
「いや、その突撃する馬鹿とやらが僕なんだ」
「え」
ヨムギの表情が固まる。頭領たち、傭兵団全員の視線も僕に集まっていた。
「さっきさ、『一人でやってこい』って言われたんだ。だから、次の機会に――」
「なんだそれ」
「……何って、次の機会にやるしかないだろ、隊が違うんだから」
「違う!」
ヨムギの甲高い声は野営場の端から端まで突き抜けるように響いた。一瞬喧噪が静まり、周囲は怪訝そうな目を向けてくる。だが、それも束の間だ。静寂は外側から飲み込まれるように消え、沸騰する湯のような騒がしさがあちこちで再び沸き立ち始めた。
「どういうことだ」
「どういうって、言ったままだけど。……あ、もしかして、またずるいって――」
「ふざけるな!」
彼女は拳を握ったまま、僕を睨んでいた。そばにある焚き火が彼女の瞳の中で揺れている。怒りの匂いを感じた。しかし、それが僕に対するものである確信は得られなかった。
胸の中にもやもやとしたものが生まれている。その正体も分からない。
「お前はなんて言ったんだ」
「なんて、って」
「やるって言ったのか。そんな、死ねと言われたような命令を!」
詰問のような強い口調に気圧される。普段の彼女にある人を小馬鹿にするような雰囲気はまるでなかった。
「どうかしたの、ヨムギ」
「……おれが文句を言ってきてやる」
「え?」
「その命令はおかしいだろ! 仲間が殺されるのを黙って見てられるか!」
彼女は僕に背を向け、どこへ行こうというのか、走り出そうとし、その瞬間、頭領の鋭い声が飛んだ。「ヨムギ!」彼はヨムギのもとまで歩み寄り、手首を掴む。痛い、とヨムギが呻き声を上げた。狼狽する僕の前で二人は揉み合う。
頭領は抵抗するヨムギの腕をたぐり寄せ、彼女を羽交い締めにした。「離せ、離せよ、オヤジ!」とヨムギは身を捩る。僕の足下に小石が飛ぶ。
靴のつま先に当たったその感触がいやに強く残った。
「離さん」と頭領は低い声を出す。「落ち着くんだ」
「なんでだ! バルもマズも死んだ! これ以上死なせるわけにはいかないだろ!」
この場にいない二人の名前が出て、頭領だけでなく、傭兵たちの表情が硬直した。呆けていたのは僕だけだ。
僕には彼女がなぜ怒っているのか、分からなかった。いや、分からない、というのは正確ではないかもしれない。僕の小賢しい理性が硬く理解を拒否していた。
頭領とヨムギの口論は続いている。
「おかしな命令におかしいって言って何が悪いんだ!」
「……お前の言うとおりだ。お前の言うことは正しい。だが、傭兵は傭兵として生きている間、口を捨てなければならない。何度も言ったはずだ」
「それでも、今までこんな命令なかっただろ!」
「知らないのはお前がガキだからだ」
ガキ、と幼稚さを指摘されたヨムギは怒るような、悲しむような暗い表情になり、勢いをなくした。俯いたせいで彼女の瞳の中で揺れていた炎が消える。大人しくなった彼女を離し、頭領はちらりと僕を一瞥した。
「レプリカ」
「……何ですか」
「ちょっとツラぁ貸せ」
それこそ断ってもよかったのだが、頭領の真剣な眼差しを無碍にするわけにもいかず、僕はパンとスープを一息に詰め込んだ。飲み込みながら立ち上がり、輪を外れた頭領とともに野営場の端まで歩いて行く。そこかしこにある騒がしさとすれ違うたびに漠然とした隔たりを感じた。
頭領はそばに誰もいないことを確かめると、再び僕の目をじっと見つめた。呆れ、だろうか。無謀な行為を試みる向こう見ずな若者を諫めようとしているのだろうか。
「……レプリカ、さっきお前が言ったのは本当か」
「まあ、最初は断りましたけど」
「そうか」
彼のぶっきらぼうな「そうか」にはいくつもの意味が込められているようにも感じられた。怒りや諦めのニュアンスもあったけれど、そのうちの最も大きな一つが安堵だ。疑問を呈す前に頭領は「なら」と溜息を吐き出した。
「なら、まだいい」
「まだいい?」
「二つ返事で応えてたらぶっ飛ばしてたところだ」
なぜ、と聞く気にはなれなかった。答えは分かっていたからだ。
きっと頭領は僕がその質問をしたら、お決まりの「仲間だろう」を返してくるだろう。
仲間などではないというのに。
「……頭領さん、先に言っておきますが、僕はこの戦いを終えたらあなたのもとを離れようと考えています。あなたがいくら僕を仲間だと言おうとも、僕はそう思ってはいません」
「ほう」
「もう仲間ごっこは終わりです。今までお世話になりました」
そう言って、せめてもの礼儀として頭を下げようとしたときだった。
頭領が勢いよく噴き出した。
気勢を削がれ、というよりも何が琴線に触れたのか分からず戸惑う僕の肩を、彼はばしばしと叩く。怒ることすら忘れ、僕はその痛みを享受することしかできなかった。
彼はひとしきり笑い終わった後、ゆっくりと息を吐き、眉を上げた。
「何を言うかと思えば」
「な、なんですか」
「まあ、お前が俺たちを何と思おうがいいが……一つ聞いてもいいか?」
何を訊かれるか予想もできず、黙りこくる。頭領は返事など初めから求めていなかったかのように続けた。
「お前が俺たちに何の感情も抱いていないというなら、どうして俺たちのそばでメシを食ったんだ?」
「あ――」
頬が紅潮するのを感じた。
そうだ、どうして僕はわざわざ彼らを探し、彼らの隣で食事をしたのだろうか。あれだけ情を移してはいけないと考えていたのに。
僕の行動が示唆しているものはもはや明白だった。アシュタヤやフェン、カンパルツォたちと同様とは言えないまでも、彼らに特別な繋がりを抱いている。
「なあ、レプリカ。お前が俺たちを仲間と言わなくても、思わなくても構わない。だが、少なくとも友人くらいには考えていてはくれているんだろう?」
少年めいた笑顔を見せる頭領の顔を直視できず、僕は顔を伏せる。
今までに友人となってくれた人々のことが頭に浮かんだ。アシュタヤやフェン、ヤクバ、セイク、レクシナ、その他にももっといる。
友人とは何だろう。
その疑問は意図せず口から出ていたらしく、頭領は顎髭を手でなぞって唸った。
「友人とは何か、か。なかなか難しいが……そうだな、再び会う約束をしなくとも再会することを無意識に確信できる、友情の条件なんてそのくらいじゃないか? だからヨムギもあんなに怒ったんだろう」
それから、彼は「死ぬなよ」とだけ言い、僕の肩を叩いて去って行った。
僕は友人を友人と認めようとすらしていない自分の弱さに呆然とする。
自分を化け物と言い聞かせて生きてきたのに、僕はあの日からずっと弱いままだ。
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