第二章 第四節
52 予言の始まり
オルウェダ領セムーク、それが僕たちが今滞在している街の名だ。その名が示すとおり、貴族主義を標榜する有力貴族オルウェダ家の領地である。いわば、現状、僕たちは敵の胃の中にいるとも言えた。
とはいえ、何か直接的な妨害があるわけではない。
カンパルツォの立場は王の使節で、地方都市の監査を担っている。冬期の三ヶ月間という強行軍のため精査の必要はないが、それでも彼はいくつかの街に留まり、民の生活を報告しなければならなかった。つまり、王からの「カンパルツォとその同行者を護衛し、監査に協力せよ」という勅旨が領主へと下っていることになる。だから、護衛を任ぜられている街の中で刺客が僕たちを襲うことはできない。彼らが自身の立場を害するような行動を取るはずがないからだ。
そのため、僕たちにとってはむしろ、メイトリンよりもよっぽど気が楽だった。あそこは改革派であるカンパルツォの盟友が治める領地で、そこで僕たちを害することができれば一石二鳥だった、というわけだ。
僕とアシュタヤ、ベルメイア、セイク、レクシナは観光がてら必要な物資を調達するために街の中を歩いていた。さすが街道が柱となってできている街、と評するべきか、細い路地は少なく、ほとんどの道が、馬車が楽にすれ違えるほどに広い。物資を購入し、馬車の中に詰め、再び進む、僕たちはそれを何度も繰り返した。警戒のため、メイトリンのように金だけ払い、後で客邸に送ってもらう、ということができないのは面倒ではあるが、大した労力の差があるわけではなかった。
それでも不満そうにしていたのはレクシナとベルメイアだ。街道の中継地点という性質上、物資は豊かだが、それ故に軒先に並んでいるのは質実剛健、というべきか、実利を追及したものばかりだったからだ。彼女たちが喜ぶような装飾品や嗜好品の類は少ない。税が厳しいためか、住民も節制を徹底しているようで、途中で寄った料理店もどこか味気ないものだった。
「暗い街、ですね」とアシュタヤが周囲を見渡しながら呟いた。太陽は照っているというのに、何と言うか、街の彩度が少ないように思える。都市と呼べるほどの規模の街はバンザッタかメイトリンくらいしか訪れたことのない僕にとって、拭い去れない違和感に満ちていた。喧噪が、足りない。
「こういう街って領主の悪口言ったらみんな振り向くから試してみなよ」とレクシナが僕に含み笑いを向ける。冗談じゃない。
「さっさと買い物を済ませて帰ろう」
「そうするか」
セイクが御者台の上から手綱を揺すり、馬車の速度を上げる。横を歩いていた僕たちはそれに合わせて足を速める。ベルメイアが小走りになっていたため、僕は彼女を持ち上げ、御者台へと乗せた。
「しかし、この街、もう四日もいるぞ。カンパっちゃん、早く終わらせろよな」
「たぶん、お父様もそう思っているわ。眉間の皺がすごいもの」
「嫌がらせでも受けてるのかな」
「嫌がらせならマシなんだけどねえ」とレクシナが唇を尖らせる。「どうせ時間稼ぎ、でしょ。ほら、あいつ、フーラァタ、バッキバキに骨折られたらしいじゃん」
「……あれから十日、ですか。そろそろかもしれませんね」
アシュタヤの沈んだ表情に、驚いたのは僕だ。
十日程度であれほどの傷が癒えるのか?
ジオールの攻撃は壮絶なものだった。相手の腕を掴み、めちゃくちゃに地面へと叩き付ける。そのときの聞くに堪えない音が今でも耳元にへばりついている。科学技術が発展していないこの世界では完治するまでにもっと長い時間がかかると思っていたのに。
「治癒魔法って、そんなにすごいの?」
「人によるかな」答えたのはレクシナだ。「ニールちゃんとかセイクは魔力が少ないからあんまり効果が出ないけど、フーラァタくらいなら、腕のいい治癒術士さえ見つければいけちゃうのよ。まあ、まだ完全ではないだろうけど」
「……めちゃくちゃだ」
そう答えたものの、いざ事実を聞くと、途端に監視されているような気分になった。アシュタヤが何も言わないことから近くには潜んでいないことは分かったが、それでも背筋を舐められるかのような不安感が去来し、僕は背筋を伸ばす。
次の襲撃はこれまででもっとも苛烈なものになるだろう。たとえギルデンスが裏で画策してもなお、だ。彼の目的に本当に必要なのは僕ではなく、カンパルツォやウェンビアノだ。頭さえ無事なら身体はすげ替えることができる。そうやって傷は連鎖し、この戦いに関わる人数は増えていく。飽和したときに待っているのはこの国を二分する戦争だ。
そこに僕やアシュタヤという個人は必要ない。むしろ殺された方が都合がいいと考えている可能性すらある。仲間に死者が出れば出るほど人は止まれなくなるからだ。
「ニール?」
アシュタヤに声をかけられ、はっとし、笑顔を取り繕う。
……フーラァタが去り際に発した言葉を思い出していた。「次は殺す、顔は覚えたぞ」。あの狂人が僕とジオールの顔の違いを覚えているだろうか。焦点の合わない、憎悪に濁った瞳が僕とジオールを混同していたとしてもおかしくはない。
そうでなくても、あいつらはジオールがもうこの世界から去ったことを知らないはずだ。あるいは、僕を痛めつければジオールがやって来ると身勝手な決めつけにほくそ笑んでいることも考えられる。
あの棄て去られた村でフェンは言った。
僕が窮地に陥ったとしても助けてやれない、と。
もし、僕が一人であいつと対峙せねばならなくなったらどうなる?
暗い想像が強い日差しに照らされて濃度を濃くしていく。心配されないように明るく振る舞うが、うまくできた自信はない。
〇
話にならん、と椅子を蹴り上げんばかりの勢いでカンパルツォが怒鳴った。アシュタヤが力を使って彼らの帰宅を察知していたため、ベルメイアは割り当てられた部屋へと戻されている。つまり、彼女に見せたくない程度にカンパルツォは激怒していた。
ウェンビアノも同様か、それ以上の怒りを見せていた。声こそ荒らげないものの、眉をぴくぴくと振るわせ、奥歯を噛みしめている。彼らがフェンを連れて食堂へと入っていく際の、扉を閉める音の強さが彼らの怒りを端的に表していた。
ともに帰ってきたパルタが苦い草を噛んだような表情で突っ立っている。ロビーにいたのは僕だけで、必然的に目が合った。
「どうかしたんですか?」
「いやあ、ね」と彼は思い出すのも煩わしい、といった具合に頭を掻いた。「これまで出し渋られていた資料やら話そうとしなかったことを急に話されてね」
「ああ、それがよっぽど、だったんですね」
それなら合点がいく。渋られていた資料とはきっと間接的に為政者の悪事を示すものばかりだったのだろう。それらはカンパルツォやウェンビアノにとって憎むべき毒に違いない。
しかし、予想とは裏腹にパルタは首を横に振った。
「それもあるんだが、相手の態度がね、早く出て行け、と言わんばかりだったんだよ。確かに目的とするものは手に入ったが、嫌な感じだ」
「それは」と僕は訊ねる。「敵の準備が整った、ということ、ですか」
「おそらくは、ね。ご丁寧に『道中気をつけてください』とまで言われたよ」
目にしてもいない町長の薄ら笑いが瞼の裏に浮かんだ。他人を嵌めることに快感を覚える嗜虐的な表情。その場にいなかった僕にすら怒りが湧きあがってきそうだった。
僕たちに後退は許されない。時間はまだ余裕はあるが、監査をしなければならない街は多く残されている。そうなると道筋はほとんど決まってしまう。これほど待ち伏せが効果的な場面は他にはないだろう。
「どうするんでしょう? 街道から外れて進めるものですか?」
「不可能ではないがね……、効率的ではないし、どちらにせよ、向かう場所はある程度敵にも予想はつく。いちばん確実なのは王都に文を飛ばして守ってもらうことなんだが、それだとあまりに時間がかかりすぎる」
メイトリンから援軍を送ってもらえはしないだろうか。あそこは王都よりも近く、信頼もできる。
そう提案したものの、どちらにせよ、だった。隊は人数が増えれば増えるほど進行速度が落ちる。また、南の国で王位継承問題が起こっている今、こちらに兵力を割くのは憚られるだろう。
「ニールはどうすると思う?」
思いも寄らぬ質問に面食らい、僕は一瞬たじろいだ。それから、思案し、答える。「カンパルツォ伯は豪快なお方ですから、進むんじゃないか、とは」
「はっは。確かにな」
「パルタさんはどう思います?」
「大体同じ考えだよ。まさか真っ直ぐ突き進むことはないと思うが、伯爵は前には向かうだろうな」
「やっぱり、長年仕えていると分かるものですか」
僕の感嘆に、パルタの顔が一瞬固まった。だが、彼はすぐに笑顔に戻る。まるで失策を隠すように、あたりを見回しながら「まあ、そうだね」と言った。
そのぎこちなさに不信感を覚えたものの、追及する前に「他の人はどこにいる?」と遮られ、僕の言葉は行き場をなくす。
食堂の方からカンパルツォの怒声が轟いたのはそのときだった。
〇
「ならん!」と客邸中に響き渡った声に、ぞろぞろとヤクバたちが階段を降りてきた。遅れてアシュタヤも姿を見せる。全員が僕かパルタに説明を求める視線を送ってきたが、答えられるはずもなく、首を横に振った。
怒声はまだ続いている。耳を澄ませると、その合間にフェンの声が聞こえた気がした。
「フェンとカンちゃんが言い争ってる」
扉に耳をつけたレクシナが自身の言葉に驚く。彼女を真似て耳をつけたセイクも「マジだ」と頷き、困惑の波が広がった。静まりかえり、どうするべきか、全員が動きを取れずにいると、アシュタヤが「入りましょう」と宣言した。そのせいで彼女以外の全員が困惑の大波に浚われそうになった。
「入りましょう、ってアシュタヤ」
「今、中を探りましたが、嫌な感じはしません」
いつの間に、と、やめた方が、が混ざり合い、末尾のはっきりしない声が喉から漏れた。制止する暇もなく彼女は扉をノックし、返事が来る前に開け放った。狼狽したのは耳を当てていたレクシナとセイクだ。彼らはバランスを崩しかけ、慌てふためきながら飛び退いた。
「お話中、失礼します。伯爵さま、私たちにも聞かせていただけますか?」
突然の乱入にカンパルツォもフェンも、ウェンビアノでさえ目を見開いていた。傍にしゃがみ込んでいるレクシナがアシュタヤの服の裾を引き、小声で「やめなって」と懇願するように言っている。
「アシュタヤ嬢、下がっていなさい」
「いえ」と彼女は拒否する。「今後に関わること、とお見受けしました。伯爵とフェンさんが言い争うなどただ事ではありません。私たちにも関係があるのでしょう?」
彼女の口調は力強く、引き下がるような薄弱さはない。ぐっ、とカンパルツォは唇を噛みしめたが、自分の三分の一も生きていない彼女に激昂するのも大人げないと考えたのか、言葉を飲み込んだ。彼は一度、大きな溜息を吐く。それによって幾分か落ち着きを取り戻したらしい、頭を抱えながらも「分かった」と頷いた。「入ってきなさい」、と。
それがアシュタヤのみならず、僕たちにも向けられた言葉であることは彼の態度が示していた。僕たちはお互いの顔を見合わせながら食堂の中へと入っていく。
彼らが話していたのは、やはり、今後の予定だった。役目が終わり、この街を発たねばならないが、襲撃されることは簡単に予想がつく。
では、どうするか。
カンパルツォが声を荒らげていたのはフェンの案が原因だった。
フェンの案は極めて単純なものだ。
明朝、セムークを出発し、当初の予定通り、次の街まで街道を北進する。敵が現れるのは街と街の間であることはもはや疑い得ず、戦いを避けるのが難しいならば、迎え撃つしかない。
「カンパルツォ伯爵たち、戦えない四人と数人の護衛はここに残して、まずは敵を掃討すべきだ」
彼の案を端的に言うならば、そうなる。
防御に気を取られることがなければ、無駄な犠牲も少なくなるだろう。数的優位は譲っても、こちらの質はそれを補うほどにある。
冷徹で、同時に現実的な案に思えた。
これならロスするのは敵を倒して帰ってくる一日だけだ。援軍を要請し、それを待つ時間がいらない。どうあがいても襲われるのであれば、馬車を偽装して戦える人間のみが向かった方がいい。
一方で、カンパルツォが反対するのも無理はなかった。
あまりに危険で、万一負けたときの犠牲が大きすぎる。王に文を送り、事情を説明すれば監査行脚の中止も納得してもらえるだろう。みすみす将来有望な人間たちを死地へと送り込む必要はない。
カンパルツォの言い分もまた、現実的なものだった。
だが、フェンは珍しく、食い下がっている。静観しているウェンビアノを一瞥し、彼はいつもの落ち着いた声色で反論した。
「お言葉ですが、伯爵。危険を顧みずに進む価値はあります」
「……言ってみろ」
「伯爵が持たず、持たなくてはいけないもの、それは王の信頼です。私たちには立ち止まっている時間はありません。王の勅旨を完遂することこそが何よりの近道ではないかと」
「フェンくん、君はおれに屍の上に立て、というのか」
「……いえ」
「ウェンビアノ、お前はどう考えている」
名指しされたウェンビアノは少しだけ考えた後、口を開いた。
「私個人は……馬車を何台か購入し、御者を雇って攪乱して、その隙に別の道を通って次の街を目指すのが上策かと考えています。ですが、これは関係のない者を捲き込む作戦で、あなたが選ぶことはないでしょう」
「当然だ。無駄な死人を出せるはずがない」
「ならば、今すぐ文を出し、王都軍の助けを求めるのがいいでしょう。あるいは持久戦に持ち込み相手を疲弊させる、という手もあります。野外での待ち伏せでいつまでも緊張感が続くとは思えませんから」
「ふむ」
「ただ」そこでウェンビアノは不本意そうに、嘆息した。「正直なところ、フェンの意見に賛成、という気持ちが強いでしょうか」
「ウェンビアノ!」
机を叩く音が室内に響き渡った。僕の隣に立つレクシナが身を竦める。だが、いちばん傍で聞いていたフェンやウェンビアノの顔色は微塵も変わっていない。
「レングさん、お気持ちは分かります。ですが、あなたはこれからの国を背負う人だ。これ以上、『臆した田舎熊』などと揶揄されては発言力も弱くなってしまいます。私たちの目的を忘れてはなりません。余裕を持った日程とはいえ、これ以上無為な時間を過ごせば今後に関わってくるでしょう。……ご決断を」
ここで戦いを避けるべきなのか、受けるべきなのか、僕には判断がつかない。この野蛮な駆け引きが今後の政争へと絡むことは理解できたが、それだけだ。
同時に、それだけがもっとも重要なことにも、思えた。
既に覚悟はできている。命を捨てる覚悟、ではなく、命を賭ける覚悟。我が身かわいさで退き、目的の達成から遠ざかるのは僕たちの道筋ではない。少なくとも僕には生きる場所を与えてくれたウェンビアノやカンパルツォに報いたい気持ちがあった。そして、それはきっと他のみんなも一緒だ。
それを理解しているのだろう、カンパルツォは腕組みしたまま、声を発しなかった。沈黙が降りる。静寂が床板に染みこむような重苦しさだった。
「あのさ」
ただ、幸か不幸か、そんな重苦しさなど感じない無頓着な人間がいる。
声を発したのはレクシナだった。
「カンちゃんも、っていうか、フェンもウェンビアノくんも難しい顔してるけどさ、ちゃっと行って倒して帰ってくるだけでしょ? 悩む必要なくない?」
「馬鹿、レクシナ、お前」とセイクが頭を叩くが、レクシナは「痛いなー」と頬を膨らませるばかりで少しの反省を示さなかった。
「危なくなったら逃げるだけだし、別にいいじゃん。行ってこようよ」
楽天的な彼女の物言いは確かに空気にはそぐわなかったけれど、確かに重苦しさを吹き飛ばした。弛緩してしまった空気にカンパルツォは頭を抱えながら噴き出した。それが連鎖し、ウェンビアノ、フェンも肩を震わせ、笑いを堪え始める。何を笑われているのか分かっていない様子で「何か変なこと、言った?」と全員の顔を覗き込むレクシナに僕も笑声を漏らさずにはいられなかった。
ひとしきり笑ったあと、カンパルツォは膝を叩き、「よし」と言った。
「おれも腹を括ろう。だが、絶対に死んでくれるな。こんな老いぼれより先に死ぬなど絶対に許さん」
「安心してくれ、カンパルツォさん」とヤクバが腕を叩く。
「で、誰が行くんだよ」そう言ったのはセイクだ。「俺は留守番なんてごめんだぜ。あの野郎に借りを返さなきゃならねえ」
「あんた、怪我治ってないじゃん」
「それを言ったらフーラァタも全快じゃねえだろ」
「残念だが、セイク」とフェンが首を振る。「今回、お前の出番はない」
「おいおい、嘘だろ、冗談じゃねえよ! 嫌だっつっても着いていくからな」
「ヤクバ、縛り付けておいてくれ」
「あいよ」
食ってかかろうとしたセイクをヤクバが後ろから羽交い締めにする。流れるような動きで関節を極められたセイクはしばらくもがいていたが、ヤクバの腕が外れないことを悟ると静かになった。
「今回、行くのは俺とヤクバ、レクシナ、パルタ――」
フェンはそこでちらりと僕を見た。迷いの色がありありと見える。
「僕も行くよ」
ここで黙っているわけにはいかなかった。うぬぼれなどではなく、僕は純粋に彼らの役に立ちたい。今を逃せば、永遠に前へと足を踏み出せない気がした。
「……フェン、僕にだって戦える。戦わせてくれ」
僕がみんなを守る。今まで迷惑をかけてきた分を返さなければならない。
じっとフェンを見つめる。彼はしばらく僕の視線を受け止めたあと、苦笑し、小さく頷いた。
「ああ、頼む。……この五人で敵を迎え撃つ。各自準備――」
「――待ってください」
フェンを遮ったのは冬の空気さながらに清冽な声だった。誰何する前に、誰が発したか、分かる。
「私も行きます」
「アシュタヤ!」僕は考えるより先に彼女の腕を引いていた。「馬鹿なことを言うなよ」
「役に立つとは思います。……地図を見ました。広い草原で戦うわけじゃないんですよね」
「アシュタヤ!」
僕は必死に止めるが、それが彼女が折れる気配はまるでない。届いてはいるが、厚い壁に弾き返されているような感触があった。アシュタヤは決めたことを曲げようとしない、頑固者だ。それを知っているだけに、危機感が濁流のように押し寄せてくる。
「フェン、だめだ!」
「――危険です。連れて行くことはできません」
その一言に僕の口から安堵の溜息が漏れた。いや、もはや、全身と言ってもよいかもしれない。脱力感が身体中に満ちている。
だが、彼女は退かない。
「お願いします」
僕の隣で、アシュタヤは深々と頭を下げる。だが、フェンもこればかりは許容できないようで、眉を上げていた。
当たり前だ。
戦う力を持たない彼女を連れて行くわけにはいかない。たとえ彼女の力が有用な場所で戦うのだとしてもあまりに危険すぎる。幼い頃から戦地を飛び回っていた経験があるとはいえ、今回は事情がまったく異なる。
僕たちは彼女を守ることに注力できないのだ。
アシュタヤは何度も頭を下げたが、結果は変わらなかった。いつまで経っても退こうとしない彼女を見て、カンパルツォが手を打ち鳴らし、強制的に会議を打ち切った。促され、口惜しげにセイクとアシュタヤが食堂を去って行く。
これで、いいんだ。戦えない人間を戦地に連れて行くわけにはいかない。
彼女たちを見送りながら、僕は拳を固める。
――戦いが始まる。
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