呼び水と雷獣

「なア、ギルデンスよお、お前、作戦失敗しておめおめ帰ってきたんだってな」


 フーラァタの笑い声は鼻につく。彼の中にあるのは他人に対する妬みと嫉みだけだ。崇高な意志など一切ない。話せば話すほど己の気位が地に落ちていく予感にギルデンスは沈黙し、馬車の振動に意識を集中する。

 メイトリンへと向かう馬車の車中だった。貴族は金を投げて的に当てる遊びをするほどに裕福だというのに、乗っている馬車の床板からは腐ったような臭いが沸いている。不満があるわけではない。ただ狭い荷台に男が八人も乗って床が抜けるのではないか、と心配なだけだ。


 ギルデンスとフーラァタ以外の六人は窮屈に身体を折り曲げ、幌へと顔を向けている。フーラァタと目を合わせてはいけない、と思っているのだろう。目を合わせたらこの饒舌な男は興奮し、裏返った声で捲し立ててくるに違いない、と。

 それは半分外れで、半分当たっていた。フーラァタは目が合わなくとも勝手に、べらべらと愚にもつかないことを捲し立てている。

 ギルデンスは隣に座るフーラァタを一瞥する。濁り、どこを向いているか分からない目は、暗さを深く実感させるために点いているとしか思えないほど弱々しい魔法石の燐光を映し出していた。傭兵とは名ばかりの殺人狂だ。彼と並び称されることがあったが、ギルデンスにとってはあまりに不本意なことだった。


「監視から聞いたぜエ、なんでもガキ二人を逃がした挙げ句、あのラニアとかいう女の短剣も取り替えされたらしいじゃねえか。『呼び水』が聞いて呆れるな」


 何がおかしいのか、フーラァタはひゃはは、と嘲笑をギルデンスに浴びせた。

 品がない。

 こういった手合いは苦手だった。多くが他人の存在を矮小化して、自分がもっとも強く、もっとも偉い者だと信じ切っている。気に入らない者は殺し、蔑ろにする。自分が高尚な人物であると考えたことはなかったが、フーラァタと比べたらそう判断してもおかしくはないように思えた。


「なア、聞いてんの、『呼び水』さん。名前が聞いて呆れるなア」

「……私がそう呼んでくれ、と頼んだか?」

「そういうことじゃなくてだなア」

「……何が言いたい」


 ギルデンスは外套帽に隠れた鋭い眼光をフーラァタに向ける。だが、その視線に怯える気配もなく、彼は口角を歪め、顔を覗き込んできた。


「噂も見かけ倒しだな、って話だよ。この国の戦争にことごとく参加して八面六臂の活躍をしてた、って聞いてたから期待してたんだけどなア。大したことないみたいだから幻滅したよ」

「そうか」


 短く言ってギルデンスは顔を背ける。馬車に乗る前に浴びるように酒を飲み、乱暴に娼婦を抱き、首を絞めて殺したと吹聴していたが、あながち嘘ではないのかもしれない。

 酒気混じりの吐息に虫酸が走った。彼の長い蓬髪が揺れるたびに臓腑をくすぐられている気がした。

 この男はこの世でもっとも唾棄すべき男だ。目的もなく、ただ一時の衝動に任せて力のない者を嬲る。

 このような人間がいるから――


 ――戦が減る。

 論理性のない突発的で小さな暴力が生むのは発奮ではなく、警戒と恐怖でしかない。当然だ、正当な理由もなく殺された人間を鑑みて憤りを覚えるのはごくごく身近な人間か正義感の塊のような狂人だけなのだから。

 戦を生み続けるには正当な理由がいる。

 理不尽な抑圧、強欲な侵略、軋轢、搾取、何でもいい、だが、期間の長さと規模の大きさが必要だ。期間が短ければ人々は本気にならない。規模が大きくなければ人間が集まらない。憎しみを育てるのは難しい。

 事件や諍い、争いではいけないのだ。その程度では人間の心に怯え程度しかもたらさない。怯えから来る警戒は防衛にしかならず、防衛は結託と平穏に繋がる。


 ギルデンスが欲していたのは戦だった。互いが互いのことを心の底から憎しみあい、殺しあう戦場。そこには相手が「いなければいい」などという消極的な感情は存在せず、また必要ない。あるべきなのは相手を「いてはならない」と確信する積極性だ。

 その点で今回の玩具は都合がよかった。

 腐った強欲な貴族たちはカンパルツォの動向をずっと気にかけていた。カンパルツォ家はかつて南の国との大戦で大きな戦果を挙げ、王の信頼も厚い。挙げ句の果てには民衆とともに歩む政治を自治領で始めた。いつその流れが北進してくるか貴族たちは気が気ではなかっただろう。


 民衆たちは貴族による搾取に震えていた。貧困と恐怖と憤怒で、震えていた。多くの民衆にとって貴族は恨むべき敵だ。そこに現れたカンパルツォはまさしく英雄に違いない。自分たちの生活を変える救世主。

 だが、民衆のほとんどは無知蒙昧な愚者である。新しさが持つ小さな不安を煽り、宗旨替えさせるのは容易だった。バンザッタがいかに栄えているという噂が流れても民衆はその実を知ることはできない。噂を湿らし、黴を生やしただけで、カンパルツォは勇敢な英雄から悪辣な逆賊へと変わる。


 今、この国は二分されかけていた。

 明るい未来を思い描く者、来る不安に暗い気持ちを抱く者。それらは均衡していなければならない。だからギルデンスは各地へ飛び回り、戦に参加するたびに異なる噂を流した。必要であれば反乱を扇動し、あるいは反乱を目論む者を殺させた。身体中に刻み込まれた魔法陣を利用すれば民衆の心は簡単に動く。同情を引く言葉とともに傷跡を見せてやれば魔法の使えない者はどんな法螺でも信じた。知識がある者でも「カンパルツォが魔法を知らない」と一言添えるだけで義憤に心を燃やした。


 隣国との戦争はもっと簡単だ。隣り合う国というものは基本的に火種を抱えている。おまけに軍人という生物の大体は脳味噌まで筋肉でできている。身を隠して魔法で両陣営に攻撃するだけで両軍の衝突が起こった。

 王は頻発する隣国との小規模な争いに悩まされ、国内で起こっている戦乱の萌芽に気付かない。気付いていたとしても手が回らない。

 すべては予定通りだった。

 それだけにギルデンスは目の前にいるフーラァタの行動が許せなかった。鼠の糞にも劣る小さな争いで民衆が抱く偽りの義憤を曇らせようとしている。


「なアよオ、ギルデンスゥ、俺が手本を見せてやろうか」


 フーラァタは立ち上がって腰に提げた二本の短剣を抜き、かちかちと刃を鳴らす。外套の隙間からわずかな光が漏れた。魔力が動く気配の後、ばじり、と刃と刃の間に閃光が走る。彼が雷を生む魔法陣を腕に刻んでいるのは傭兵の間では有名な話だ。


「お前が負けたんだ、さぞかし相手は強いんだろうなア」


 負けたわけではない。そうした方が憎しみが育つと感じたから見逃してやっただけだ。

 だが、それを言葉にしてもフーラァタが理解するとも思えず、ギルデンスは沈黙を続ける。何より、自らの大義をこの下卑た男に語ったら、二度と手で触れられないほどに汚れてしまうだろう。

 ギルデンスはその危惧にふっと笑い、頷く。


「……お前なら楽に勝てるかもな」

「お、なんだ、殊勝だなア」

「なんせ相手は勇敢な子犬だった。お前もそれくらいなら勝てるだろう」


 この程度の挑発に動じるのもこの手合いの特徴だ。フーラァタのにやけた顔が怒りに歪んだ。


「てめエ、殺すぞ」

「子犬に負け、尻尾を巻いて逃げ帰った鼠に本気になるな」

「……前から気に入らなかったんだよ、ギルデンス。てめエが今度の作戦の頭だってのも納得できねエ。今ここで誰がいちばん強いのかはっきりさせてやろうか」

「そういきり立つな。走っている馬車の中で暴れるつもりか?」

「関係ねエよ」


 短剣の刃が魔法石の光を反射して煌めく。

 ギルデンスは座ったまま、その一撃を鉄の筒で受け止めた。がぎん、と濁った音が響く。

 その瞬間、肌の上に雷が走り抜けた。

 だが、痺れを感じるだけだ。ただの保険としてしか魔力を込めていなかったのだろう、電撃の威力はさほど強いものではなかった。

 完全な不意打ちを止められたことに立腹したのか、フーラァタは眉間の筋肉を震わせる。

 舌打ちの音。突如として降りた静寂の中、馬の蹄の音だけがやけに大きく聞こえる。規則正しい響きが馬車の幌に染みこむように鳴っていた。


 フーラァタは立ったまま、手の中にある短剣を握りなおす。悪路を走る馬車の上で少しも体勢を崩さないのは見事ではあった。同乗している男たちはくぐもった呻き声を漏らして床板に手を突いている。


「一度止めたからって調子に乗るなよ」

「何が不満なんだ?」

「てめエの全部だよ。ちょっとつてがあるくらいで偉そうに命令しやがって」


 フーラァタは今にも短剣を突き出そうとしている。本気でやればすぐにでも決着がつくだろう。だが、騒ぎになるのは歓迎できなかった。雇い主である貴族は面倒を嫌う。この仕事から追放されたら蒔いてきた火種が無駄になってしまうはずだ。


「……ああ、わかった」

「何がだよ、今更謝っても許さねエ」

「今回の作戦はお前に任せる。私は一切口出しをしない」

「……どういうつもりだ?」

「私の態度が気に入らないんだろう? かといって仲間の中で死人が出るのも好ましくない。上がうるさいからな」

「それとこれと何が関係あるってんだよ」


 フーラァタの殺気がふくれあがる。

 ギルデンスは溜息を吐き、脇腹にある魔法陣に魔力を流し込んだ。

 その瞬間、背後にあった幌が炎上する。突如として巻き起こった炎にフーラァタがかすかに怯んだ。


「仕方がない。私は後からゆっくりと追いつく」


 言いながらギルデンスは重心を後ろに移動させる。燃えた幌はいとも簡単に破れ、ギルデンスの身体は外へと飛び出した。

 炎の残滓が外套を這う。頬に当たる風は冷たい。


「じゃあな」


 そう言い残し、ギルデンスは走る馬車の上から身を投げ出した。怒りに顔を歪めたフーラァタの顔が一瞬にして遠ざかる。体勢を整え、着地すると同時に怒号が前方で響いた。

 面倒な奴を引き入れたものだ、とギルデンスは嘆息する。殺すことだけに長けたものはこれだからいけない。彼はおそらく殺人に限って言えば自分を上回るだろう。相手にできる限りの屈辱を与えて殺す彼のやり方は何度か目にしたことがある。反吐が出そうだった。

 乱れた服装を整えながら、ギルデンスは走り去る馬車を見送る。


 村と村を繋げる街道に夕日が落ちている。この地方の寒さはバンザッタほどではないが、それでも冬の寒さは芯に来る。魔法石に魔力を込めて懐炉とし、向かうべき方向を見据えた。

 メイトリンでカンパルツォたちと『交渉』する予定ではあるが、フーラァタのことだ、予定など当てにはならないだろう。

 さて、どうなるだろうか。

 フーラァタとあのニールがうまい具合に衝突すれば面白いことになりそうだ、とは思った。殺人を忌避し、アシュタヤに責任を投げ出した子犬は剥き出しの殺意を向けられたとき、どう対処するだろうか。一対一であっても乱戦であっても、フーラァタから逃げ出せはしないだろう。


 おもしろい力を持っているあの若者――。ギルデンスは利用できそうなものはすべてを利用するつもりだった。どうなったとしてもあの力は誰かの憎しみを増長させる。

 忌み子となるか、英雄となるか。壊れるか、育つか。

 どちらにせよ、ギルデンスにとってあの力は己のために――戦いのためにあるものとしか思えなかった。

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